3-1
意識を失っている康次郎を朱雄に背負ってもらい、
沙希は急ぎ「香夢異」へと戻ってきた。
「そこのソファに寝かせてください」
店の奥、自宅部分にあるリビングまで案内し指示すると、
康次郎を慎重にソファへ横たわらせた朱雄がこちらへ向き直る。
「どうするんだい?」
「中に入ります」
尋ねてくる朱雄へ端的に答えると、彼が小首をかしげた。
「中って、例の記憶ってやつに?」
「はい」
短く答える。
こちらの答えを聞いてしばし考えこんだ朱雄は、よし、と呟いた。
「わかった。じゃあ僕もいくよ。君一人じゃ心配だし」
「足手まといだと言ってもですか?」
沙希は朱雄の瞳をひたと見据えて事実を告げた。
まったく、いったいいつからそんなにお節介な人間になったのだろう。
沙希の知っている朱雄は、余計なことには関わらないことを
モットーとしているような、そんな人間だったはずだ。
「でも結構役に立ったし。それに言ったじゃないか。もっと頼ってほしいって」
状況とは不似合いな安穏とした表情の奥に、強い決意の色が見える。
沙希はどうしても引きそうにない朱雄から瞳を逸らし、小さく溜め息をついた。
「わかりました」
諦めて宣言すると、朱雄が嬉しげに頷いてくる。困ったことになったと
考えつつ、沙希は寝ている康次郎の横へ膝をついた。
「姉さん。裕彦、聞こえる? 聞こえたら返事をして!」
沙希は康次郎の記憶に囚われているはずの姉弟たちへ呼びかける。
しばらくすると、微かな耳鳴りとともにくぐもった声が頭へこだました。
『沙希! ぶじだったのね!』
「ええ。私はぶじよ。姉さんは?」
沙希が尋ねると、沈みこんだ波長が伝わってくる。
『残念ながらぶじとは言いがたいわ。両腕を縛られて身動きがとれないの』
「そこに裕彦と輔さんはいるの?」
こちらの問いに、結衣が力ない声で、いないわ、と答えた後、
すっとんきょうな声をあげた。
『アイツもこっちにきちゃってるの!』
「ええ」
苦々しげに告げると、姉の波長がいらついたものへ変わるのがわかる。
『こっちにはもっと厄介な子もいるし』
「え?」
聞き返すと、結衣が溜め息をついてくる。
『康次郎さんのお孫さんよ。由正君ですっけ? 彼も縛られて眠っているわ』
なんてことだ。由正まで記憶の中へとりこまれてしまっているなんて。
悔しさに臍を噛む。自分の甘さが呪わしい。
沙希は深呼吸をした。落ちこんでいる暇はない。
まずはきちんと事実を整理しなくては。
後悔の渦に巻きこまれ混乱しそうになる頭を左右に振ると、
あらためて姉との交信を再開した。
「姉さんはどうして康次郎さんの記憶の中へ?」
『知らないわよ。いきなり庭へ康次郎さんが現れて、
声をかけようとしたら庭の木々の間に隠れてしまったんだもの。
慌てて追ったら急にあたりが真っ暗になって。気がついたらこうなってたのよ』
どうしてこんな厄介なことに、と呟く結衣へ沙希は事実を告げる。
「光輝さんが店にやってきて、いきなり康次郎さんの記憶につなげたの。
助けようとしたんだけど、あいつが作った歪が二人をとりこんでしまったのよ」
『光輝さんが? あんたなに言ってるのよ。そんなことあるわけないでしょう?』
「姉さん……」
結衣の波長が不安げに揺れはじめ、沙希は言葉を詰まらせる。
光輝が死んでいると頑なに信じこんでしまっている今の姉には、
自分の言葉が受け入れがたいのだろう。
それでも、そうとわかっていてなお、姉には現状を理解してほしかった。
「姉さん、聞いて。光輝さんは……」
『聞きたくないわ』
こちらの言葉を遮り、結衣が言葉を重ねてくる。
『そんなことより、まず裕彦とアイツを探すことが先決でしょう?』
「それはそうだけど」
言葉を濁していると、結衣が訊いてきた。
『こちらにこられる?』
「姉さんが力を貸してくれれば」
『わかったわ。なら、ややこしい話は後にして、まずはこっちにきてちょうだい。
あんた一人くらいならたぶん問題ないから』
結衣の言葉に、沙希は小さくうめく。
どうしたの、と問いかけてくる結衣へ、沙希は罰の悪い気分でおずおずと
口を開いた。
「姉さん。実は、一人じゃないのよ。朱雄さんも一緒なの』
『なんですって?』
脳内に姉の甲高い声がこだまする。沙希は頭を押さえながら、素直に謝った。
「ごめんなさい。完全に巻きこんでしまったのよ」
もう一度くわしく事情説明を試みると結衣は短くうなった後、吐息した。




