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香夢異~夢見る紅茶専門店~  作者: 朝川 椛
第一章 日常の狭間
4/66

2-3

「なんか、ほっとしたい、って言ってたよ」


 裕彦がカウンターに入りながら結衣へ告げる。結衣は小さく微笑んだ。


「なら、マーガレットホープにしましょう」


 朱雄は棚から紅茶の缶をとりだす結衣を見つめながら、やはり釈然しゃくぜんとしない気分だった。思い切って結衣にあの、と声をかけてみる。


「あのおじいさん、お腹がすいているっぽかったんですけど」

「え?」


 結衣がヤカンを火にかけながらきょとんとこちらを見た。


「えーっと。なんか空腹で倒れてたんで、僕がここまでおぶってきたんですが」

「そうだったの? でも、いらないみたいだけど」


 結衣が驚いたようにまばたきを繰り返しながら、裕彦へ目を向ける。

裕彦も姉の視線に答えて、うん、と大きく頷いてきた。


「いらないみたいだったよ?」

「そっか。ならいいんだ」


 健康状態が悪くないのならそれに越したことはない。

裕彦に向かって微笑むと横合いから白い両手が現れた。沙希の手だ。

彼女はこちらと裕彦の間を遮るように手を伸ばし、

金縁に黄色をベースにした花柄のティーカップをお盆の上へ置いていく。

確かウェッジウッドのインディアシリーズとかいう銘柄のカップだったはずだ。

結衣が真っ白なティーポットを用意して紅茶の缶から葉っぱを一杯、

二杯と入れていった。しゅんしゅんと高い音を鳴らして沸騰を知らせる

ヤカンを火からおろす。濡れ布巾の上に置いたヤカンから熱湯を

ポットの中へそそぎこんだ。


「裕彦、持っていって」

「はあい」


 トレイにティーポットと砂時計を置きながら声をかける結衣に、

裕彦が元気よく返事をする。重いから気をつけてね、と注意を促す沙希へ

頷きながらトレイを受けとり、慣れた様子で老紳士のもとへダージリンティーを

運んでいった。


「お待たせしました」

「ああ、いや」


 ティーセットを置く裕彦へ老紳士がかぶりを振る。

それから裕彦をひたと見据え再度尋ねた。


「かさねがさね訊くようだが、以前別の場所で君たちの親族か誰かが

この喫茶店のようなものをやっていたことはないかね」


 やはり、と朱雄は内心で頷く。

老紳士はこの喫茶店とよく似た、もしくは同じ名の店を知っているようである。

だが名前や趣の似た店は意外に多い。老紳士が言っている店もおそらく

そんな店の一つだろう。

その証拠に裕彦が戸惑った様子でこちらを振り返ってきている。

視線の先に目を向けると結衣が静かに首を横に振っていた。

裕彦は老紳士へ向き直り、いいえ、と答える。


「あの、どれくらい前のことですか?」

「儂が七つになる頃だから、大正十五年くらいかな」


 老紳士の言葉を聞いたとたん沙希のリンゴを剥く手が一瞬とまった。

朱雄は沙希の表情を見たあと全員の様子を見回す。

結衣は嬉しそうにパイ生地のできばえを確認しているし、

輔はシナモンを手に頬杖をついている。

裕彦は斜め後ろだから表情はよくわからないが、

別段変った様子は見られなかった。

だがそれでもなぜか今この瞬間、店内がいつもの「香夢異」とは違う空気に

包まれたような気がして胸が騒ぐ。

微妙におりた沈黙を破ったのは裕彦のあっけらかんとした声だった。


「それじゃあぼくたちにもわからないや。だって生まれる前の話だもの」


 くすくすと肩を揺らす裕彦に老紳士が弱々しく微笑む。


「そう、だな。いや、すまなかった。以前この喫茶店と同じ名前で、

君たちとそっくりな三人姉妹弟が切り盛りしている店に入ったことが

あったものだから」

「そうですか。あ、ごゆっくりどうぞ」


 丁寧にお辞儀をして裕彦が鼻歌まじりにこちらへ戻ってきた。

カウンターではそれぞれが思い思いの作業を黙々とこなしている。

朱雄は言葉をはさむ隙を見いだせないままリンゴの皮を剥き続けた。

カウンター席に座っていた輔が、溜め息をつきながらおもむろに煙草をとりだす。

火をつけようとして結衣にとめられた。

ここまで読んでくださった方々、お気に入り登録をしてくださった方々、本当にありがとうございます。とても嬉しいです。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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