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康次郎は表通りからまたしても裏道へと逃れていた。
沙希は地の利を活かして康次郎を誘導する。いりくんだ街の路地裏を走り続け、
やっとのことで袋小路まで追いつめた。
「康次郎さん!」
沙希が叫ぶと、観念したのか康次郎はゆっくりと振り返る。
近づこうと一歩踏みだすと、鋭い声が飛んだ。
「来るな!」
奇声とともに康次郎が地を蹴った。
血に濡れた包丁を持って一直線に向かってくる。
沙希は康次郎を避けようと左へ飛ぶが、とたんに目の前が黒い布地で覆われた。
「朱雄さん!」
驚いて見あげると、朱雄の手が背中に回る。
彼の背中におしつけられるようにして庇われ、沙希は抗議した。
「朱雄さん! やめてください!」
朱雄が答えずジャケットを脱ぐ。
無言のまま素早く右腕に巻きつけると、向かってくる康次郎に相対した。
おちついた様子で康次郎を眺め、包丁を持った老紳士の腕を右腕で受け流す。
無駄のない動きで包丁をたたき落とすと、そのまま流れるように
左手を康次郎の顎へとたたきこんだ。
(え?)
昏倒する康次郎を前に、沙希は目を瞠る。
ふと息をついてこちらを振り返る朱雄を信じられない思いで見つめながら、
掠れた声をだした。
「朱雄さん、どうして……」
沙希の言葉に、朱雄が頬をかく。
「いや、だって沙希ちゃん一人じゃ危ないから」
朱雄の答えを聞いて、沙希は一瞬にして夢から覚めた。
「危ないのは朱雄さんのほうです! 怪我してるじゃないですか!」
声を荒げると、朱雄が右手を見て小さく声をあげる。
「え? あ、本当だ。でもだいじょうぶ。うん。かすり傷だし」
「そういう問題じゃ」
危機感のない言葉に心底呆れていると、無邪気に首をかしげてきた。
「どうかしたかい?」
「強いんですね」
言葉にささやかな非難をこめると、朱雄は素直に頷いた。
「武道全般を習うのが家訓だったから」
「はあ、そうなんですか」
この人と話しているとなんだか異様に疲れる気がする。
脱力しながら相槌を打つと、朱雄が、君こそ、と微笑んできた。
「すごい力を持ってると思うよ。重体だった人の傷まで治しちゃうんだから」
「別に。望んで手に入れた力じゃありませんし」
「僕もだよ」
「え?」
「僕も君と一緒。望んで身につけた技能じゃないからね」
「朱雄さん……」
沙希は言葉に詰まり朱雄を見あげる。
「本当は聞かれたくないことだろうから黙っていようと思ってたんだけど。
輔さんと約束しちゃったし。それに君と僕はなんとなく似てるところがあるから。
もうこれ以上放っておけなくって」
思わず首を突っこんじゃったよ、と朱雄が気まり悪げな笑顔を向けてきた。
沙希は反論しようと口を開く。だが、いくら考えてもこの場に有効な嫌みは
思いつかず。結局開きかけた口を閉ざした。
「だから君ももう少し、肩の力を抜くといいよ。頼ってくれてかまわないから」
無邪気な笑顔を向けてくる朱雄の言葉に唖然とする。
(そんなこと、できるわけないじゃない!)
反論しようと再び口を開いたが、先に朱雄が話の矛先を変えてきた。
「この人どうする? やっぱり警察に連絡するかい?」
倒れている康次郎を見つめながら尋ねてくる朱雄を前に、沙希は脱力する。
先ほどの説明を理解できていないのか、それとも単に律儀なだけなのか。
ズボンから携帯をとりだした朱雄の手を、沙希は制する。
「いえ、今はまだ駄目です。家へつれて帰りましょう」
一刻も早く康次郎の記憶の中へ入らなくてはならない。
そのためには、まだ警察へ康次郎を引き渡すわけにはいかないのだ。
沙希はなにか問いたげな朱雄の瞳を黙って見返す。
軽く息を吐きだした朱雄はこちらの視線に納得してか、
携帯をズボンのポケットへとすべらせた。




