6-1
足を踏まれて大げさに痛がる輔をつれて、階上へと戻る。
畳の部屋に入り、桐箪笥の中から輔のサイズに合うような服を
あれこれと引っ張りだすと、むりやりに着せた。
「なんだってこんなもの着なくちゃならないんだ?」
灰色のハンティング帽と、黒い皮バンドのついた灰色のズボンにジャケット姿。
両袖を広げながら本気で嫌そうな顔をする輔に向かい、裕彦は自分も同じような
服装に着替えながら眉を顰めた。
「言ったでしょうが。ここは大正時代なんだよ?
こんな服着てたらすぐにお巡りさんに捕まっちゃうよ」
首をかしげる輔の前に立つと、仁王立ちで説明する。
「たぶん、コウキはぼくらをヤス君の記憶の中に送って
なにか良くないことをしようとしてるんだ。
それがなんなのかはぜんぜんわからないけど。
現実の世界で起こった殺人事件のことを思うと、光輝自身が言ったとおり、
あいつはユイ姉が嫌がることがしたいんだよ」
話している内に、胃が苦しくなってきた。
俯き唇を噛みしめていると、輔が問いかけてくる。
「ヤス君って誰だよ?」
不本意そうに、だが、こちらの様子を気遣うような口調で尋ねてくる輔の声に、
裕彦は顔をあげた。口元を小さく綻ばせながら、輔の問いに答える。
「ヤス君は康次郎君だよ。つまり、中森康次郎さんのこと」
「じゃあ、ここは本当に中森翁の記憶の中ってことなんだな?」
輔の問いに無言で頷くと、輔が腕を組んでしばし考えこんだ。
それからおもむろに顔をあげ、こちらを見おろしてくる。
「なるほどね。……まあ、それはともかく、これからどうするんだ?」
輔の視線を受けて、裕彦は天を見あげる。
「とりあえず、ユイ姉を探すよ。さっきも言ったけど、ここにきてると思うんだ」
「なんでそんなことがわかる。別の奴の記憶かもしれないし、
それこそ現実世界かもしれないだろうが」
輔の言葉に対し、裕彦は彼を半眼で見つめる。
「タスクさん、さっきのちゃんと見た? その時くわしく話もしたよね?」
「あ、ああ。まあな。けど、いまいち実感がなくってな。
実はぜんぶ夢でしたっていうオチが待っている気がしてし方ねえんだよ」
裕彦は帽子を脱いで頭へ手をやる輔を前に、溜め息をついた。
「それはないよ。コウキはきっと時間を稼ぎたいだけなんだ。
たぶんユイ姉の所にはヤス君が来て、僕とサキ姉のことを仄めかしたんだと思う」
「つまり、だ。お前さんは中森翁の記憶の中だけでなく、
普段からあっちこっちの記憶をいき来しているってことなんだよな?」
輔が顎に手をやりながら裕彦に問う。
うん、とこちらが答えると、かさねて尋ねてきた。
「なら、このまま帰るわけにはいかないのか?」
「それができれば苦労はないよ。自分の意志できたのならそれも可能だけど、
今回はコウキの策略にはまっちゃった状態だし。
通常の手順では現実に戻ることはできないんだよ。
だいたい人の記憶の中に入りこむのにはユイ姉の力がいるんだ。
言っただろう? 両親の力を合わせて増幅させることができるのは、
ユイ姉だけなんだ。ぼくも少しは力を持っているけど、
そんなに強い力は持ってないんだからさ」
口を尖らせつつ事実を告げると、輔が情けなさそうな声をだす。
「やりもしないで言うなよ」
「むりだってば。他人の記憶へ入りこむにはユイ姉やコウキのような力を持つか、
誰かの『郷愁』の念が必要なんだから」
右足を踏み鳴らして言い募ると、輔が自身を指さてきた。
「なら俺の『郷愁』を使ってみればいいじゃねえか。
現実世界に帰りたいって思えばいいんだろう?」
「……郷愁の意味、ちゃんとわかってる?」
深く頷く輔を見て、裕彦は息をつく。
しかたないな、と袖をまくりながらカウンターへ入り、ヤカンでお湯を沸かした。
なにも表示されていない白のデジタル時計でなはく、壁の時計を見る。
時刻は午前の十一時をさしたところだった。
この時間帯だと、オレンジペコーが妥当だろうか。
裕彦は結衣がいつもやっていたことを思いだしながら、見よう見まねで紅茶を
入れる。缶からポットに二杯の葉を入れ、続けて熱湯も流しこむ。
時間をはかり、砂時計がぜんぶ落ちきったところで、輔の前に置いた。
「『現実へ帰りたい』って強く思い描きながら嗅いでみて」
輔は裕彦の言ったとおりにカップを手に持ち、匂いを嗅ぐ。
だが思ったとおり、なんの変化もない。
「懐かしい匂い、しない? こう、思いだしてくることとかさ」
身をのりだして尋ねると、輔が小さくかぶりを振ってくる。
裕彦は肩を落として輔を見た。
「だから言ったでしょ?」
輔は、まあな、と答えて紅茶を飲み干し、肩をすくめる。
「でも少なくともむだじゃなかったと思うがな」
「その言い訳、いくらなんでも苦しくない?」
半眼で輔を見据えると、彼がさりげなく話題を変えてきた。
「そんなことより、だ。ここには結衣がきてるはずだって言うんだったら、
沙希ちゃんもきてる可能性があるのか?」
輔の問いかけに、裕彦は首を横に振る。
「わからない。もしそうだとしたらちょっと困ったことになっちゃうかな」
「困ったことって?」
再度尋ねてくる輔に対し、裕彦は口に手をあてた。
「ぼくらはコウキをとめるより先にまずヤス君をとめなくちゃ意味がないんだ。
でもヤス君は現実世界にいる状態だろう? だからサキ姉には現実世界の彼を
とめて、老人なった記憶を持ったままの彼から、この記憶の中へ入ってきて
欲しいんだよ」
「なるほどな」
輔は立ちあがり、ならいくか、と扉へ向かう。
「あれ? いきなりやる気だね」
慌ててカウンターをでながら輔をちゃかすと、彼はあっさり肯定してきた。
「なんにせよ、このまま待っているわけにもいかないんだろう?
なら動くしかないってことだからな」
「確かにね」
やっぱり自分の見立ては間違っていなかったらしい。
輔の言葉を聞き内心で悦に入っていると、輔が振り向いた。
「どこへいく?」
輔の質問に、裕彦は、うーん、とあたりを見回す。
カウンター内にある引きだしの一番下に、
古ぼけた日捲りカレンダーが置いてあることを思いだし、急ぎ踵を返した。
「ちょっと待ってて」
輔に言い置いて、引きだしからとりだしたカレンダーを確認する。
「今日は大正十五年の十一月二十四日、か。急げばまだ間に合うかも」
「あん?」
訊き返してくる輔に向かい、裕彦は声を弾ませながら答えた。
「『中森屋』デパートへいこう。うまくすればヤス君に会えるかもしれない」
「中森翁は現実世界にいるって、お前言ってなかったか?」
怪訝そうに眉を顰める輔へ、裕彦が首を左右に振る。
「違うよ、タスクさん」
腑に落ちない様子の輔を見あげ、裕彦は会心の笑みを浮かべてみせた。
「これから会いにいくのは少年時代のヤス君さ」




