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香夢異~夢見る紅茶専門店~  作者: 朝川 椛
第三章 箱の中
31/66

5-1

 目を開けると、懐かしい街並みが広がっていた。

目前には白い石造りの建物があり、葉の落ちた街路樹が均等に植えられている。

裕彦は自分が木製のベンチに座っていることに気づき、立ちあがる。

赤レンガに黒枠の建物を見あげもう一度向かいを見ると、

路面に敷かれた線路の右側から電車がやってきた。

裕彦は、いき交う人々の波を感慨深く見つめる。

 ここへ来たのは何年ぶりだろう。

 ハンティング帽をかぶった書生が、

立て襟のシャツに紺の袷と茶色の袴姿で通り過ぎていった。

通りの向こうからはハンティング帽にインパスコートを羽織った男性たちが

足早にこちらへとやってくるのが見える。赤い帽子に耳までの黒髪をして、

手編みらしきチェックのコートを着込んだ女性の姿もあった。

一きわ大きな建物の前で人待ち顔をしている二人の女性は

どこの屋敷に住んでいるのだろうか。一人は緑の着物に島田髷姿の女性で、

もう一人が黒の羽織に紫色の着物姿の丸髷を結った年配の女性であるところを

見ると、どうやら親子であるらしい。  

 裕彦は軽く頬をかき、ベンチで気を失ったままの輔を複雑な思いで見つめた。

自分のやってしまった失態を思いだし自嘲気味に片頬をあげる。

なにはともあれ、彼と自分が同じ場所に落とされたのは幸いだった。

それが光輝の狙いなのか偶然なのかは定かではないが、それでも別々のところで

目覚めるよりはましである。ご丁寧なことに、輔の脇には沙希が投げたはずの

プロジェクターやきんつばの入った桐箱もあった。

 裕彦はそっと桐箱を開け、苦笑する。

そこには、一切れだけになったきんつばがぽつんと桐箱の隅に置かれていた。


「ユイ姉、いや、サキ姉かな?」


 おそらくどちらかが一切れ食べようと切ったものの、

なんらかの邪魔が入って箱からとりだせなかったのに違いない。

切れていない大きなほうは、沙希が穴へ放り投げた時点で

どこかに消えてしまったのだろう。


「一切れ残っただけでも奇跡に近いよな」


 呟きながらゆっくりときんつばに手を翳し、箱の中に十六個のきんつばを

出現させる。きれいに蓋した後、横で眠っている輔を見た。


「おーい、タスクさん!」


 声をかけながら身体を揺すると、輔が眉を潜めゆっくりと目を開く。

彼は焦点の合わない瞳でしばらくまばたきを繰り返していたが、

首を左右に振ってあたりを見回した。


「なんだあ、ここは? どっかの映画スタジオか?

それとも新手のアミューズメントパークか?」

「まあ、そう言いたくなる気持ちはわかるけど」


 こめかみに指をあてつつ答えると、輔がこちらを見つめてくる。


「お前、なにそんなにおちついてるんだよ。ガキのくせして」

「わけはおいおい説明するけど。とりあえずここは映画スタジオでも

アミューズメントパークでもないから」


 溜め息とともに告げる裕彦へ、輔が怪訝そうに尋ねてきた。


「ならどこだってんだよ」

「大正時代」

「へ?」

「正確に言うと、ヤス君の記憶の中にある大正時代かな?」


 裕彦の言葉へ、輔が呆れたような声をだす。


「お前、熱でもあるんじゃないのか?」

「ここまで異常な事態が起こってるのにそういうつっこみしてくる余裕がある

あたり、ぼくの目に狂いはなかったってことだから結構満足だけどさ。

どうせなら現実を受け入れる努力をしてくれるともっと嬉しいな」


 疲れをおして微笑みかけると、輔が視線を逸らしてきた。


「うるせーな。これでも動揺してんだよ」


 ぶっきらぼうに告げてくる輔に、裕彦は、わかってるよ、と返して伸びをする。


「さて、じゃあとにかくいこうか。

ぼくはともかく、タスクさんの格好は悪目立ちするから」

「ってどこへだ?」


 首をかしげる輔へ向かい、裕彦は桐箱を抱えつつ親指で背後を指さした。


「決まってるじゃないか。『香夢異』へだよ」

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