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店に入ると店主の永森結衣が、レースで縁取りされたクリーム色のエプロンを首にかけながらカウンター越しに笑顔を向けてきた。辛子色をしたスカートの腰へ手を回しエプロンを縛り直している。肩の丸く膨らんだ白い長袖ブラウスの襟が揺れ、同時にその下へかけられた黒い紐リボンも微かにひるがえった。
「朱雄君、おつかいご苦労さ、……って、あら?」
「結衣さん、お客様です」
朱雄が淡い黒髪のショートカットを小さく揺らして首をかしげる結衣へ老紳士を紹介すると、横から少年がひょっこりと顔をだした。結衣の弟、裕彦である。
「え? 本当? わーい! ようこそおいでくださいました!」
今年で十二歳になる小学六年生の裕彦が柔らかな栗色の髪をふわりとなびかせ老紳士へ挨拶をする。白いシャツに黒い紐リボン。黒いズボンをこれまた黒い紐バンドで吊って無邪気に微笑む裕彦を前に、老紳士の両眼がゆるゆると見開かれていった。朱雄は瞳をまたたいてその様子を見守り、老紳士へ声をかけようと手を伸ばす。すると裕彦の声に反応したのか、カウンターで一人シナモンティーを飲んでいたベージュ色のベストを着たお客が、おもむろにこちらへ振り返った。
「へえ? 俺以外の客とはめずらしいな」
遥か年下の裕彦をちゃかすように黒いジーンズをたたきながら大仰な声をあげている常連客の名は、栗原輔。二十七歳のフリーカメラマンである。
「タスクさんは客じゃないでしょ」
頬をふくらませて反論する裕彦を前に、輔が茶色い長髪を器用に後ろへ弾きながらモスグリーン色をしたシャツの肩をすくめる。
「じゃあ家族として認めてくれんのか?」
「ユイ姉がいいって言ったらね」
輔の言葉に裕彦が鼻を鳴らす。老紳士の様子が気がかりでそわそわしているこちらをよそに、輔がにやりとして、だとさ、と結衣へ声をかけた。
「どうするよ、結衣?」
「なにが?」
結衣の冷たい視線が輔を貫く。
(あいかわらず報われないなあ)
毎度繰り広げられる不毛な光景へ朱雄は密かに溜め息をついた。
笑いをひっこめ固まる輔に対し同情の眼差しを向けていると、
今度は裕彦がしてやったりな笑みを浮かべる。悔しげに舌打ちをする輔へ、
ふふんと鼻をそらし老紳士に向き直った。
「お客様、お好きな席へおかけください」
「ああ」
目を見開いて一連の行動を見ていた老紳士が、我に返ったようにまばたきをして小さく頷く。戸惑った様子を見せながら歩き一番奥の席へと座った。
だが、視線はあいかわらずきょろきょろとあたりを見回し続けている。
あまりのおちつきのなさに朱雄は首をかしげた。
(どうしたんだろう? 内装がめずらしいのかな)
薄暗い店内を見渡すが、焦げ茶色をした木製のテーブルとカウンターに白壁という内装は、それほど変わったものとも思えない。拭きぬけの天井には同じく焦げ茶色の太い柱が組まれ、オレンジ色の小ぶりな吊ランプには白熱灯が灯っている。
それらは確かにおちついた温もりを演出してはいるのだが、
だからといって特に目新しい指向ではない気がした。
朱雄は二、三度まばたきをして老紳士を見つめたあと彼へ近づこうと
メニューを探す。見つけた木製のメニューを手にする寸前で結衣が
それをとりあげた。
「裕彦。メニューを持っていってあげて。朱雄君は沙希を手伝ってあげて
ちょうだい」
「はあい」
元気よくメニューを持って老紳士のもとへと向かう裕彦を横目に朱雄は、
はいと頷く。結衣の横で静かにリンゴを剥いている長い黒髪の少女へ目を向けた。
結衣とまったく同じ服装をした少女の名は、沙希。
結衣の妹であり、裕彦の姉である。現在十七歳の高校二年生だ。
沙希はベージュ色のレースつきエプロンをリズミカルに揺らしながら、
淀みなくリンゴの皮を剥いていた。カウンターに入るとこちらを一瞥した後
また黙々と作業に戻っていく。朱雄は沙希に倣ってリンゴを手にとり、果物ナイフとリンゴを洗いながらそっと店の奥を窺った。