第四話 状況説明、或いは詐欺の現場
「た、ただいまぁ」
訳の分からない奴らの襲撃を経て、俺はようやく我が家に帰って来れた。
特になにしたって訳でもないのに凄い疲労感。このまま倒れ込んでしまいそうだ。
「かな君っ!?」
だけど倒コムにはタイミングを失くしてしまった。
扉を開けて家に入ると同時にオグドを超えるんじゃね? って速度で姉さんが飛び出してくる。
困惑と焦燥が顔にありありと浮かんでいる。よっぽど心配してくれていたんだろう。
「どどどどどどうしたの!? 無事!? 大丈夫!?」
「いや、まあなんとか」
「何があったの!? 途中で音が聞こえなくなるし心配したんだよ!? はっ、確かあの本屋は美月ちゃんがアルバイトしてた筈……まさか!? 畜生が、あのビッチめ、とっとと始末しておくべきだった……!」
「姉さん言ってることおかしい。とりあえず落ち着いて」
どうどう、と馬を落ち着けるように話しかける。興奮状態はしばらく続き、息は荒れているがどうにか会話ができるようにはなった。
「そ、そうだね。ごめん、お姉ちゃんちょっと取り乱しちゃった」
「うん、ちょっとどころじゃなかったけどね」
「それだけ心配したの。……でも、帰ってきてくれてよかった」
姉さんが大きく安堵の息を漏らす。
そしてようやく一心地ついたのか、ぎこちないながらも笑顔を見せてくれた。
「おかえりなさい、かな君」
うん、やっぱり姉さんは笑っていた方がいい。
柔らかく、邪気のない笑み。俺を見る目はとても優しく……だけど、表情はぴきっと引き攣った。
「か、かな君。今気付いたんだけど、腕の中にいる、その子、な、なに?」
気付くの遅いよ姉さん。
そう、俺の腕の中にはすやすやと寝息を立てるフィールちゃんさっきからずっといるのだ。
しかしどう答えようか。なに? と聞かれても俺も詳しいことわからないし。
「カナタの娘です」
「ちょっ!?」
俺が悩んでいるとカルディアが当然のように玄関に入ってきてそう言った。
あまりにも簡潔で衝撃的過ぎる発言、零距離でパイルバンカー打ち込むような所業である。
ふぅ……。
やはりカルディアの言葉はかなりの衝撃だったらしい。姉さんの顔からは一瞬で血の気が失せて、立ち眩みを起こしたように体は揺れその場に倒れ込んでしまう。
ありていに言えば卒倒してしまったんだが、くるくると舞うように回りながら崩れるという、えらく優雅な倒れ方だった。
「姉さん!?」
慌てて俺が大声を上げるも「うぅん」と呻くだけ。演技過剰な倒れ方だったけど、姉さんマジに気を失ってる。
どうしよう。今この場でもどうしようだけど、このぐらいで卒倒されるんなら俺もしかしたら結婚どころか彼女も作れないかもしれない、ってことが何より不安だった。
「よし、じゃあ今の内に入るか」
「そうしましょう。これで説明する手間も省けましたし」
鉄平さんとカルディアが姉さんの横を通り過ぎて入っていく。
おい、勝手に上がんなよ。そしてちょっとくらい姉さんの心配してくれよ。確かに倒れ方演技っぽかったけど、真面目に気を失ってるんだから。
「遥さん、運ぶの手伝うから」
ぽんと肩に手を置かれる。
美月の淡々とした口調が、すごく優しく聞こえた。
◆
姉さんを部屋に運んだ後、俺は自室に戻った。
鉄平さん、カルディア、美月、フレイム、俺。五人はいると流石に部屋は狭く感じる。一応フィールちゃんもいるんだけど、今は美月が抱っこしている。なんで美月かというと「吾妻には抱かせられない。いろんな意味で危な過ぎて」とか言われた。どうにも俺の抱っこの仕方は見てて危なっかしいようだ。
「まずはもう一度自己紹介をさせて頂きます。私はカルディア=エレアゼノン。悠遠郷エデュロジンから参りました」
すっと少女は頭を下げる。
綺麗な正座、外見はロシア系なのに日本人より作法を弁えた礼だった。
「木崎鉄平だ。名前を聞けば分かると思うが、元々は日本の生まれでな。何の因果か、昔エデュロジンに召喚されて、今じゃあっちの世界の住人になっちまったけど。んで、俺の娘フレイムたんな」
「……フ・レ・イ・ムよ。よろしく」
こっちの二人、多分普段からこんな感じなんだろうなーって想像がつく。
まあ仲は良いんだろう。しかし、この娘も魔剣なんだよな。外見からはまったく想像つかない。見た目十六、十七歳くらい。ちょっと年齢は行き過ぎてるけど、普通に綺麗な女の子って感じだ。
「なに?」
「あ、いや」
フレイムをじっと見てたら不思議そうに首を傾げられた。なんか、この娘見た目より仕種が幼い感じだ。
「あー、フレイムはさ。剣、なんだよな?」
「ええ。カナタの世界ではあたし達みたいな存在はいないんでしょ?」
「少なくとも俺の知る限りでは」
「なら信じられないのは無理もないけどね。エデュロジンでは私達みたいなのは結構いるわよ」
つまりフィールちゃんベネディクトちゃんレベルの高幼女がいっぱいいるのか。それはヘブンだ。もしかしたら世界各国にある天国や極楽のイメージは、何かのきっかけでエデュロジンを覗き見ることが出来た人が描いたのかもしれない。
「というか、そもそも魔剣ってなんなんだ?」
「魔剣は大魔導師アガベアスールが造り上げた究極の武器です」
それからカルディアは長々と語ってくれた。
魔剣というのは自我を持つ剣。
幼女の姿を持ち、育てていくことで力を得る、成長する武器だという。
「天才ってヤツか。大魔導師の称号は伊達じゃないな」
人は幼女にならば惜しみない愛情を注ぐことが出来る。
可愛いは正義。可愛いは力。可愛いはあらゆる存在を凌駕する。
そこに気付き、更にはそれを世に広めるとは。アガベアスールは本物の天才だったのだろう。
「ええ。正に天賦と呼ぶに相応しい才の持ち主でした」
やはり異世界でも幼女への愛は崇高なものと考えられているようだ。カルディアも感慨深げに同意してくれた。
「じゃあエデュロジンってのは?」
「悠遠郷エデュロジンは『何処にもないが確かにある世界』です。私達はそこからやってきました」
「持って回った言い方だけど、つまるとこ、あー、異世界ってやつなんだよな?」
「ええ、その認識に間違いはありません」
カルディアは美月と同じようにあまり表情が変わらないタイプだ。
けどなぜか、カルディアの方には冷たいという印象がある。無表情なのは同じなのになんでなんだろう。
俺が言葉を返さなかってせいか、皆少しだけ沈黙。話は途切れ、今度は鉄平さんが口を開いた。
「俺は、昔……お前と同じくらいの歳だったか。エデュロジンに召喚されたんだ。襲い来る災厄に対抗する勇者としてな」
鉄平さんの表情は硬かった。オグドが言っていた「何にも守れなかった勇者サマ」というフレーズを思い出す。そしてカルディアが言った「ネクスがロアユ・メイリを滅ぼした」という言葉も。だから詳しく聞くのは止めた。むやみに踏み入っていいところじゃないと思う。
「じゃあネクスはカルディアたちの世界にいるモンスターなのか?」
「それは」
「待った。そこら辺は俺が説明した方がいい。つーか、多分俺の方が上手く説明できる」
鉄平さんの言葉に納得しカルディアが口を噤む。
ずいと体を前に出して、しかし緊張させないよう気遣ってか軽い調子で話し始めた。
「かなたはRPGはやったことあるよな? 勇者が魔王を倒す、ごく普通のヤツ」
「まあ、一応は」
「なら話が早い。エデュロジンはまんまRPGの世界だ。騎士がいて魔法使いがいて、王様が国を治めてて……まあ、あっちじゃ女王様が殆どだけどな。んで、モンスターもいるにはいるが、ここらへんもRPGと同じで街にいて襲われることなんざ滅多にない。基本的には平和な場所だった」
「だった?」
苦みの混じった物言いに聞き返せば、鉄平さんは「おう」と小さく頷いた。
「ある日のことだ。エデュロジンには今までのモンスターとはまるで違う異形が現れた。生息地に近付かなけりゃ危険のないモンスターとは違い、能動的に人を襲う。そいつがネクス。お前の想像するモンスターとは若干ニュアンスが違う」
つまりエデュロジンにとってもあのネクスとかいう化け物は異邦人……マレビトなのだろう。
でも鉄平さんの言葉が引っかかった。あいつらが「襲い来る災厄」なんだろうけど、そうするとちょっと分からなくなる。
「じゃああのオグドとかいうヤツは? ネクスは人を襲うんだろ? でもあいつの命令は従ってたじゃないか」
「ああ……あいつは“ゲイン”っつー組織に属してるチンピラだ。ゲインはネクスを使役して悪さをする正直鬱陶しい奴らでな。俺らはそういうのに対抗するために魔剣使いを探してんだ。ま、一番の目的はネクスの根絶だが」
ゲイン。
話からすると”悪の秘密結社”ってところだろうか。少なくとも、鉄平さん達の認識ではそんな感じ。
しかし、ネクスを使役する。 それもおかしな話だ。
「使役する方法もあるの?」
そこら辺を突っ込もうとすると、俺の質問に異常なまでの速度でカルディアが反応した。
「多分あるのだと思います」
「多分?」
「私達にはその方法は分かりませんが、事実彼等には従っています。ならあるのでしょう」
随分と軽い言い方だった。
ふうん、と気の乗らない返事を返しても、こちらのことを気にした様子はない。
堂々とした態度に、疑念がどんどんと深まっていく。俺の内心を知ってか知らずか、畳みかけるように言葉を続けていく。
「私の祖国ロアユ・メイリ女王国はネクスによって滅ぼされました。それでもなお飽き足らず、奴らは多くの国を……いえ、エデュロジン全土を飲み込もうとしています」
カルディアの表情は全く変わらない。
声もまったく震えない。まっすぐに目を見ても、そこには何もない。淡々と、無関心に滅びを語る彼女は異質に思える。
本当に無関心な訳じゃない。もしそうなら異世界にわざわざ来るような面倒な真似はしない。
彼女が冷静に見えるのは、それだけ彼女が強いからだろう。
「だから私達は探しに来たのです。フィールを扱える魔剣使いを」
深い青の瞳には、やはり感情の色がない。
他の誰かも自分の心も騙し切る。揺らぎのないその在り方は、いっそ痛々しいくらいの強さだった。
「魔剣フィールは大魔導師アガベアスールが造り上げた最後の一振り。光を操る高位属性の魔剣です」
ほんの一瞬だけ、カルディアの表情が陰る。しかしすぐに無表情を作って、何事もなかったかのように振る舞う。
その仕種に、アガベアスールとかいう人への隠しきれない感情が滲んだ。冷たい印象のある彼女だが、件の人物は特別なのだろうと想像させるには十分すぎた。
「元々フィールはアガベアスール専用の魔剣として造られました。しかし彼は完成して程無くこの世を去ってしまい……。その後、多くの者がアガベアスールの遺作を得ようとしましたが、魔剣は自身で使い手を選びますから。結局使い手になれる者はなくフィールは長らく安置されていたのです」
「だがつい先日、魔剣フィールが安置されていた場所から消えた」
鉄平さんがカルディアの言葉を継いでもう一度話し始める。
「盗まれたかと思って俺達も慌てたよ。でもまあ仲間には物探しとか人探しを得意とする女がいてな。そいつに調べて貰った所、フィールは異世界……しかも日本にあることが分かったんだ」
で、消えた魔剣は何故かLOマガジンの間に挟まっていた。うん、もうちょっと別の場所選べばよかっただろうにとか思わなくはない。
「んで、俺らはそれを追ってこっちの世界に来た訳だ。魔剣には意思がある。だから自分で持ち主を探すこと自体は良くあってな。もしかしたらフィールも使い手を探して日本に来たのかもしれん。そんで幸運にもお前と出会った。こういう訳だな」
語り終えた鉄平さんは人好きのする笑顔を浮かべていた。
この人自体はからっとした、気風のいい男なんだろうけど、話にはちょこちょこと突っ込み所がある。有体に言えば、今一信用できない。
「そっか……なぁ、俺からも質問していい?」
「おう、何でも聞いてくれ」
折角鉄平さんが気前よくそう言ってくれたのだ。湧き上がった疑問は少しでも解消しておきたい。
なにを聞くべきか俺は頭を悩ませる。まともに聞いてもカルディアは答えてくれそうにないからだ。彼女はあからさまに隠し事をしている。その中で何を聞くべきか。
「じゃあフレイム、ゲインの規模ってどんくらい? 」
「は? あたし?」
「そ。組織って言うからには結構大きいのかな。ほら、悪の秘密結社みたいに世界各国に散らばってたりするの? それとも一国に匹敵するとか」
一番ガードの薄そうなフレイムに話を振ってみる。
さて、どう答えてくれるだろうか。
「どうだろ。でも」
「そうですね、私達も正確に把握してはいません。そもそも一塊になっている訳でもないでしょうし」
喋ろうとしたフレイムをカルディアが冷たい目で睨みつけ、代わりにつっかえることなくすらすらと答えた。
フレイムは少しだけ不快そうに眉を顰めたけれど、大人しく従った。
俺の質問に答えようとするフレイムをカルディアが止めた。
その構図で俺が知りたかったことはだいたい分かった。これ以上聞くと藪をつついて蛇を出す結果になりそうだし、ここらで止めておく。
代わりにも一個質問
「おっけ、ならこれに関してはもう聞かない。他には……エデュロジンって牛肉あるの? 食べ物ってどんな感じ? インスタントラーメンとかカレー食えないの?」
「牛肉……ですか?」
俺の質問にカルディアは戸惑った様子である。
子供っぽい、好奇心に満ちた質問がおかしかったのか、代わりに鉄平さんが笑いながら答えてくれた。
「牛はいるぞ。豚も鳥も。若干外見違うけどな」
「あ、じゃあ普通に肉も食べるんだ?」
「おお、食生活はそんな変わんねーぞ。肉も魚もあるし、野菜をサラダにしたり煮込んだり、米も地方には在るらしいんだが、主食はパンだな。……ラーメンやカレーはないけどよ。コンビニで買えるようなジャンクフードの類は殆どない。あー、コーラ飲みてえ」
ほう、なるほどなるほど。
つまりエデュロジンでも畜産行はあるのか。モンスターがいるって言うなら狩猟で生計を立てるのが基本かと思ったけど違うらしい。
小麦があるってことは農耕に従事する人がいて、農耕を端にするなら当然貧富の差があり、国があるなら税制も整備されている。つまりこっちとそんなに変わらない体制を敷いていることになる。
細かな社会情勢や発展度合いまでは読めないけど、案外生活様式とか感覚の齟齬はあまりないのかもしれない。
「へー、おもしろいなぁ。なら……最後にもういっこいい?」
「おう、なんだ」
俺はきわめて軽い調子で、雑談の延長みたいな空気を崩さないように言った。
「カルディア達の目的って、なに?」
一瞬、空気が固まったような錯覚に陥る。
しかしすぐさまカルディアは、まるで顔色を変えず答えて見せた。
「私達の世界は危機に瀕しています。ネクスに対抗し、災厄を討ち滅ぼす為、最高の魔剣と思われるフィールの使い手を探しているのです」
カルディアはすまし顔も綺麗な女の子だ。
綺麗過ぎて、ちょっと冷たいと思うくらい。感情の乗らない声が余計にその冷たさを強調していた。
「最終目標はネクスを討ち滅ぼし、エデュロジンを救うことですね」
「へー、そっか。うん、わかった。ありがと」
だから俺はカルディアの言葉にそう返した。
疑問はあるけど取り敢えずは納得しておこう、という意味を言外に込める。二人ともまだ隠し事はあるだろうけど、初対面の俺にそこまで明かすとは思えないし。
俺の言い方に引っ掛かりを覚えたのか、澄ました顔でカルディアは言う。
「随分と含みがありますね」
「いや、別に。鉄平さんやカルディアには感謝してるよ。おかげで俺や美月は助かったんだから」
ただ信用するかどうかは別の話しってだけのこと。それに二人も俺を信用してな いから情報を明かさないんだ。そこはお互いさまってところだ。
「だからカルディアの言うことは“取り敢えず”信じる。でも、それ以上のことは、まあこれからってことで」
命の恩人相手に失礼な物言いだと思う。だけどまあ、隠し事がある以上手放しに信頼も出来ない。だって騙されたら人間なんて簡単に死んでしまう。例えば、どっかの馬鹿な夫婦みたいに。
「今はそれで構いません。出来れば、少しずついい関係を築きたいですね」
「ああ、お互いにね」
ようやく笑みを見せてくれたカルディアに俺も笑顔で返す。うん、なんて和やかな場面だ。
「……なんつーか、最近の高校生ってあれで普通なのか? 俺はもー少し可愛げがあったぞ?」
「吾妻、相互主義者だから」
「あん? どゆこと?」
「礼儀正しい人には礼儀正しく。優しくされたら優しさで返す。代わりに無礼には無礼を、理不尽には理不尽で。本音を見せない人には本音を見せない」
「あーなるほど、つまり俺らが隠し事を話すまでは信頼できないってことか」
「いい奴だとは思うけど、けっこう疑り深いから」
こそこそ話聞こえてますよ美月さん鉄平さん。
こっからは真面目な話になるので出来れば静かにしてほしいのです。
「しかし、“これから”ですか」
「……うん。カルディア達も、そのつもりではいるんだろ?」
「ええ、話が早くて助かります。では、本題に入らせていただきましょう」
ああ、やっぱりだよな。
色々な話で先送りにしていたけれど、彼女の着地点は最初からそこだ。俺としては、情けないけれど、もう少し引き伸ばしていたかった。次に彼女が口にするのは、それくらい怖い話だ。
仕切り直しの為に一度咳払いして、カルディアは淀みなく言った。
「先程の話の通り、私達はフィールの使い手となれるものを探していました」
その言葉に、美月の腕の中にいるフィールちゃんを見る。
金糸の髪、紺碧の瞳。まだまだ小さいけれど成長すれば素晴らしい幼女になることは間違いない。
でもフィールちゃんは可愛いだけの女の子じゃない。
戦うために造られた魔剣なんだ。
「そして貴方はフィールに選ばれ、一瞬とはいえ魔法を使って見せた」
床に手を付き、綺麗な所作で頭を下げ、額を床に擦り付ける。
土下座の意味がこちらと同じであることは、彼女の真摯な態度を見れば疑いようがない。
「あなたには、フィールを育てて欲しいのです。そして出来れば私達に力を貸して貰えないでしょうか」
必死の懇願。俺は答えを躊躇ってしまう。
そこには先程までの冷たさはない。彼女の心が所作に滲んでいる、そう思えるくらい真摯な態度だった。
「と、取り敢えず顔上げてくれ。話しにくいし」
言われるままに顔を上げる。目には若干の期待が見て取れた。
でも俺の返せた答えはものすごく情けないものだった。
「カルディアが真剣なのは分かった。そこだけは疑わないよ……でも、ごめん、すぐ答えを返せそうにないんだ。正直に言うと、怖い」
「吾妻……」
心配そうな瞳で美月がこちらを見ている。
自分でも情けないと思う。だけど俺は怖かった、魔剣使いになることが。
「まあ、分からんでもないわな。俺達は魔剣フィールの使い手を探していた……いずれネクスを駆逐する戦いへ望む為に。一つの世界の命運をかけるんだ、命を懸けるのは当たり前。だ。怖いってのは普通だと思うぜ?」
気遣ってくれているんだと分かる。勿論ネクスは怖いし、戦うのも痛いのも嫌だ。
でも本当に怖いのはそんなことじゃない。
「違う。俺は、フィールちゃんの父親になるのが怖いんだ」
だって人を育てるってことは大変だ。俺は早くに両親を亡くして、姉さんが俺を育ててくれた。
どれだけ苦労したかなんて俺には想像さえできないことだけど、だからこそ育てるってことは簡単に決めちゃいけないと思う。
「そもそも俺自身がまだ自分のケツをふくのもままならないような奴だ。そんなのが父親なんておかしな話だろ? ……俺はまだ、人一人の人生を背負えるほど大人じゃないよ」
結局のところ俺はまだ子供で、誰かの将来を決定づけるような立場になるには早すぎるんだ。
「なんとなく……フィールがあんたを選んだ気持ち、分かるな」
でもフレイムはそう思わなかったらしい。
穏やかな溜息と共に紡がれた声音は、勝気な印象とは裏腹に随分と優しい。大きなアーモンド形の瞳は柔らかく細められる。フレイムは心底嬉しそうに、目じりを下げて俺のことを見詰めていた。
「え?」
「だって、あんた最初っからフィールのことを一人の人間として考えてるから。忘れてるでしょ? 結局のところ魔剣は武器。育てることは人が子供を育てるのとは違って、あくまで力を得る手段でしかないの」
「お前……!」
俺は言葉を荒げた。有体に言えば怒っていた。フレイムだって魔剣だろうに、そんな悲しいことを言ってほしくなかった。
でも怒った顔の俺を見て、フレイムは何故かくすくすと笑っている。
「それを理解できないような馬鹿だから、フィールはあんたを父親に選んだのかもね」
あまりにも邪気が無くて、俺は二の句を告げられない。
どうにも彼女の胸中は理解できないが、ともかくそれなりには認められているしかった。
「私は、あんたがフィールを育てることに賛成。十分資格があると思うわよ」
「ま、フレイムたんもこう言ってる。それにお前はフィールに選ばれたんだ。もっと自信持っていいと思うぜ?」
「ちょ、頭撫でないでよ!」
親娘でじゃれ合う姿は微笑ましくて、ちょっとだけ羨ましいと思えた。
そして同時に、やっぱり俺には荷が重いと思ってしまう。俺がフィールちゃんを育てたとしても、フレイムのような真っ直ぐな女の子にはなってくれない気がする。
そもそも自分が置かれている現状だって完全に理解できている訳ではないのだ。
そんなのが親になっても。ネガティブな思考がどんどん湧き上がってくる。
「カナタ……」
不安そうな目でカルディアは俺を見ている。
正直、俺はまだ状況が呑み込めていない。
エデュロジン。ロアユ・メイリ。ネクス。そしてカルディアや鉄平さんのこと。
まったく訳が分からない。
「吾妻、はい」
考えが纏まる前に美月が俺にフィールちゃんを渡してくる。いや、違うな。考えが纏まらないから、美月はそうしたんだ。この親友は、俺のことをよく理解している。
受け取った腕から伝わる暖かさと重さ。小さくて、ちょっと力を込めれば壊れてしまいそうだ。まだ眠っている。けどフィールちゃんは近くにある俺の人差し指をきゅっと握った。握ってくれた。
ああ、俺はそれを嬉しいと思った。
分からないことは多い。
でも分かっていることもある。
この娘は出会って間もないのに力を貸してくれた。
フィールちゃんは、俺に大切な親友を守らせてくれたのだ。
そんな彼女が俺の助けを必要としてくれるのは、とても嬉しいことだと、そう思ったのだ。
「……なあ。本当に、俺でいいのか?」
どうやら自分で自分の面倒も見れないようなガキにも、父性ってのはあるらしい。この娘は俺が守ってやらなくちゃ。自然とそう思えた。
カルディアをまっすぐ見詰め返答を待つ。
そうして、ゆっくりと雪原の少女は口を開く。
「まあ、どちらにしてもフィールが選んだのですから、既に貴方は魔剣の使い手なのですが」
返ってきたのは身も蓋もない言葉だった。
俺の緊張返せっていうか、あれ? それおかしくない?
「……ちょっと待て。じゃあなんで態々フィールを育てて~、なんて言ったんだ?」
「貴方の反応に興味があっただけです」
しれっと返される。つまり俺が父親になるのは決定事項で、その上で俺がどういう人間か見る為に敢えて質問したっていうことか。
「うわ、性格悪ぅ」
「あ、やっぱお前もそう思う?」
鉄平さんの言葉に、この娘って基本こうなんだと理解した。うん、油断ならねぇ。
「いいではありませんか。これで貴方が魔剣使いとして相応しい人格の持ち主だと知れたのですから」
悪びれない女だ。やっぱりカルディアは少女と言うよりも女っていう方がしっくりくる。姦計は昔から女の業だと言うしね。
「では、私達はこれで失礼します」
そう言って異世界組三人が立ち上がる。
「え、帰るのか?」
「この世界にはとどまりますが、なし崩しで此処を住居にしようとは思っていませんので」
「ま、適当な寝床を探すさ」
「……ちゃんと屋根のあることにしてよね」
雑談なんぞを交わしながら三人はさっさと部屋から出て行く。
「あ、そうそう。魔剣とは言っても基本的には普通の赤ん坊と変わらない育て方で大丈夫だから。ごはんはいらないし、おしっことかしない分ちょっと楽だと思うわよ」
フレイムが顔だけ覗かせてそう言って、今度こそ扉を閉じる。
残されたのは俺と美月、フィールちゃんのみ。
「自由な人たち……」
美月の呟きは正に正鵠を射ていた。
言いたいことだけ言って帰っていったよ。
「えーと、とりあえずどうしようか?」
「まずはベビーベッドを出した方がいいと思う。吾妻が昔使ってたのってある?」
「あ、そっか。待って、ちょっと姉さんの『かな君メモリアルルーム』探してくる」
「……突っ込まないから」
赤ちゃんを適当なところに寝せて置くわけにはいかないし。そう言う所に気付いてくれるし、美月が残っていてくれてよかった。
まだまだ夜は長くなりそうだった。