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第三話 お父さんになった



 男尊女卑は、比較的新しい思想である。

 そもそも古代社会における権力者は、女性であることが少なくない。

 神秘が実存する脅威と信じられた古い時代において、権力者とは即ち神に繋がる術を持つ者であり、女性は男性よりも神秘に対する先天的な適正が高いと考えられたからだ。


 その理由の最たるものは出産、そして月経だろう。


 出産とは、命を産み出す力。

 命を産み出す御業は神もの。

 故にそれを為す女性は神に近しい存在であり、生命の力をその身に宿す。 


 月経とは、月の周期による体調の変動。

 人を狂気へと誘い強い魔力を持つ月と同調する肉体は、即ち禍々しい魔力に満ちている。

 月は夜を象徴する呪術的シンボルであり、故に女性は誰もが寝静まる夜から想起させる死の力をその身に宿す。


 つまり、信仰こそが支柱となる古代社会において、女性は生と死の二つ力を併せ持つ存在と信じられてきた。


 その為古い時代、最高の神性というのは母なるもの、女なるものとされた。

 同時にその神性を崇拝する文化も生まれる。

 日本でいうならばイザナミ、ギリシャ神話ではアルテミス。

 北欧のフレイアやバビロニアのイシュタル。

 アナトリア半島プリュギアのキュベレ

 これらの死と生の属性を併せ持った女神に対する崇拝は一般に大母神信仰と呼ばれる。

 大母神は『女性の神』というよりは『女という力が神格化した存在』と表現した方が適切だ。

 即ち女であることは、それだけで神秘を内包し、魔力を帯びやすい特質と言えるだろう。


 故にエデュロジンにおいては女だけが魔法を操り、魔剣の性別は全て女として設定された。

 幼女であれば誰もが魔剣を育てる。その思惑以上に、魔を内包する剣の性別には女性の方が相応しかった。


 女は魔力を帯びやすい存在。

 ならば女性としての要素が顕著であればある程、魔力が高まるのは当然の真理。

 つまり魔力の多寡を決めるのは───




 ───“おっぱい”である。










 ◆











「ん……」

「美月、気が付いたのか!?」


 腕の中で身動ぎする美月に俺は思わず大声を上げた。

 まだ焦点が合わず、視線をさ迷わせているけど意識は戻ったようだ。次第に頭がはっきりしてきたのか、美月は俺の目を見た。


「……吾妻?」


 そうして呟いた不思議そうなその一言が、何故だかとても嬉しかった。


「……よかった。よかっ、たぁ」


 情けないことに若干目が潤んでしまった。

 でも本当に良かった、美月が生きてて。こんな訳の分からない事態で大切な親友を失くすなんて冗談じゃない。嬉しさから腕に力が籠る。

 状況が掴めていないのか、美月は相変わらずの冷静な表情で俺を見詰めている。

 そして全く感情を込めないままで言った。


「吾妻……ついにロリコンやめたの?」


 いきなりわっけわかんねーこといってんじゃねぇよちくしょう。


「はぁっ!?」

「私の寝込みを襲うなんて……親友が正常になったのを喜ぶべきか、男として卑怯な真似をしたことを怒るべきか、ちょっと複雑。でも、寝込み襲う程度には私に魅力を感じてくれたなら、やっぱり喜ぶべき?」

「意味分かんないんですけど!? 後ロリコンじゃないし!」


 無表情だけど少しだけ眉間に皺が寄っている。

 なんで俺が性的な意味で襲ったことになっているのか。というかその想像が正しかったとしたらお前の対応はあまりに暢気すぎる。もうちょっと自分大切にしろよ。つまり何から何まで間違っています。


「ごめん冗談。それと私、吾妻のこと男とは見れないから」

「なんで俺振られたの今!?」


 相変わらず抑揚のない喋り方で物凄いこと言うよこの娘。

 普段の調子で言い争う俺達。こいつ今がどういう状況か分かってるのか? いや、俺もあんま分かってないけどさ。

 とにかく美月はいつものまんまだった。

 あまりにも美月がいつも通り過ぎて、


「くっ、はは」


 思わず頬が緩む。

 美月が、美月が此処に居てくれる。その事実に俺は笑いを堪えることが出来なかった。


「よかった……美月だ」


 慣れ親しんだノリに心が震えている。

 もしかしたらなくなっていたかもしれない俺の当たり前を、何気ない幸福を失わずに済んだのだ。

 何度でも思ってしまう。本当に、美月が無事でよかった。 


「吾妻、どうしたの」

「何でもない。ちょっと嬉しかっただけ」

「なにそれ」

「だって美月がいるんだぞ。それ以上に嬉しいことなんてあるかよ」

「……そういうの、禁止」


 涙を堪えて笑う俺に、顔を赤くして俯く美月。

 少しだけ穏やかに流れる時間。

 でもそれを打ち破るようにオグドの金切り声が響いた。


「ベネディクトぉ!」


 空気が歪む。透明なのに、それが凝縮された風の塊であると分かった。放たれた風の塊は一直線に鉄平さんへ向かう。


「はっ」


 下らないとばかり笑い、鉄平さんも真っ直ぐ走り出す。手にはフレイム。炎を模った刀身は本当に炎を纏い、燃え盛る剣となっていた。


「だらぁっ!」


 裂帛の気合と共に放たれる炎の斬撃。風の塊は簡単に切り裂かれ、元の空気に戻っていった。それでも止まらない。間合いを詰め、更に斬撃を繰り出す。

 しかしオグドも普通じゃない。

 がきん。

 風を集め、障壁のようなものを造っているんだろう。刃はオグドに触れる数十センチ手前で止まった。

 硬直状態も作らない。オグドは風を後ろに流すとともに体を回し、剣戟をいなす。同時に距離を離しながら、返す刀、風の刃を生成し鉄平さんに向けて放った。

 一つ、二つ三つ四つ五つ。駄目だ、数えきれない。恐ろしいのは数ではなくその生成速度。視認するのも難しいくらいの高速で新たな刃が出てくる。

 逃げ道を塞ぐように配置された、過剰な量の風の刃。避けることはできないと、素人目でも分かる。

 だからこの後の光景もまた分かってしまう。どれだけ強くても一本の刀じゃあの刃は防げない。

 つまり鉄平さんは無惨に切り刻まれ、血と肉の塊になる。

 俺は咄嗟に美月の目を覆った。訪れる惨劇を、こいつには見て欲しくなかった。

 けれど鉄平さんは、一秒後に迫る死を前にして、面倒くさそうに呟く。


「邪魔だな」


 想像した瞬間が訪れることはない。

 一言、たった一言で状況は打破された。

 唸り声が響く。

 違う、唸り声じゃない。炎。渦のように舞い上がる炎だ。

 塗り潰す、という表現が的確かも知れない。

 鉄平さんを中心に立ち昇る螺旋状の炎は、風の刃を塗り潰すように一瞬で燃やし尽くした。あまりの火勢に空気が震え、唸り声のように聞こえたのだ。

 仕損じたからか、オグドは弾かれるように後ろへ飛び退いた。それを視線で捉えながらも鉄平さんは追うことはしない。

 不快げに眉を吊り上げるオグド。悠然と構える鉄平さん。両者の立ち位置は明確だった。


「フレイムたんはランクDの魔剣……ベネディクトは見たとこランクAA、いってもAが精々だろう。魔力量じゃこっちが上だな」


 油断でも慢心でもない。

 夏は暑いとか、砂糖は甘いとか、そういう通念としての当たり前を話すような、気軽過ぎる口調で鉄平さんは言う。

 戦いというものを初めて見る俺でも分かる、絶対的格差。

 鉄平さんが上、オグドが下。揺らがない立ち位置というものが透けて見えている。


「吾妻、手」

「あっと、悪い」


 美月の視界を遮っていた手を退かす。

 そうすることで、ようやく美月も二人の魔剣使いをしっかりと見ることが出来た。しかしいきなりそんな場面を見ても理解が追い付く訳もなく、僅かに顔を顰める。


「なに、あれ?」

「俺もよく分からない。でも取り敢えず喪服の方は味方、だと思う」


 正直俺も事態を把握しきれていないから説明は出来なかった。

 分かっているのはとっとと逃げた方がいいってくらいのものだ。


「立てそうか?」

「……ごめん、無理」


 傷は治ってもまだ体に力は入らない。逃げるのは難しいみたいだ。

 とりあえず二人の戦いを見よう。もし鉄平さんが負けそうなら俺が美月を抱えて逃げないといけない。

 

「うふ、ふふふ。確かに、魔力量ではなぁ。だが、でかいだけで勝ち誇られちゃぁ困る。魔力も、乳もなぁ!」


 お前の魔剣の方が格下だと言われ、しかしオグドは不敵な笑みを崩さない。

 魔剣のことがよく分からないので魔力に関しては何とも言えないが、不覚にも乳の方の意見は同意してしまった。

 そうだ、巨乳だから上なんてことはない。つるぺたにはつるぺたの良さがあるのです。

 俺は当然つるぺたが好きだ。しかし勿論のこと、同じように大きいおっぱいにも良さがある。

 大きい胸も小さい胸も、奇乳も無乳も。

 そこに優劣などなく、在るのは単なる差異。順位を決めるのはあくまでも嗜好。

 どっちが上でどっちが下とか、絶対的価値基準なんてある筈もない。


「しゃぁっ!」


 皮肉にも、オグドがそれを証明してみせた。

 AランクのベネディクトちゃんよりもDランクのフレイムの方が魔力は大きい。

 それが正しいのならば、ベネディクトちゃんではフレイムに勝てない。

 そう考えるのが普通で。


「速い……!?」


 しかし奇声を上げ疾走するオグドは、尋常じゃない。

 まるで消えたかと錯覚するほどの速度。単なる移動で体が霞んで見える程だ。


「余計な力を蓄えた高ランクの魔剣にはない速さ。低ランクだからって舐めて貰っちゃぁ困るなぁっ!」


 フレイムが魔力量に優れた魔剣なら、ベネディクトちゃんは魔力量が少ない分速度に優れた魔剣なのだろう。

 ものすごいスピード縦横無尽に動き回り、かく乱しようとするオグド。

 かと思えば瞬きの間に詰まる距離。気付いた時には、鉄平さんの懐に潜り込み。既に首を落そうと刃を走らせていた。


「そんぐらいは承知の上だ」

「いがっ!?」


 だけど鉄平さんはほとんど体を動かさず、右足を軸にくるりと体を回し、首を傾けて刃を躱すと同時に反撃の蹴りを決めて見せた。

 どぐん、と鈍い音が響く。

 人間の身体って、あんなに飛ぶんだ。非現実的な光景に暢気な感想が出てしまった。

 だってオグドはケリの一発で10メートルは吹き飛ばされ、地面を転がる。

 体を震わせながらもすぐさま立ち上がった所を見るに、骨は折れていないんだろう。あの尋常じゃない蹴りを受けても立つ辺り、オグドもまともじゃなかった。


「どんなにパワーがあろうが速かろうが結局は使い手次第。お前さん、魔剣使いにゃ向いてないよ」

「こ、この野郎……」

「おいおい、キャラ崩れてんぜ」


 速度では明らかに劣っている。なのにそれを意にも介さない。この人は、それくらい強いんだ。

 状況によっては逃げ出そうと、美月を抱えたまま戦いを見ていたけれど、そんな必要はないかもしれない。


「すげ……どう見ても鉄平さんの方が遅いのに」

「それも当然でしょう」


 俺の呟きに何故か答えが返ってくる。

 背後から声に、俺は慌てて後ろを振り返った。


「ランクの低い魔剣は魔力量では高ランクのものに劣りますが、代わりに使い手自身が高レベルの身体強化を得られます。とは言え、戦闘技術まで上がる訳ではありません。魔剣の性能以前に、あの男とテッペイの差ですね」

 

 まず目に入ったのは夜の暗がりの中で、月明かりを受けて瞬く銀の髪だった。

 歳は14くらいの、細身の女性だ。まだ見た目は幼いのに、少女という言葉を躊躇ったのは彼女の目のせいだろう。

 紺碧の海を思わせる色は俺を映しているようで、でも何処か遠くを見ているような。感情の乗らない瞳は少女のそれじゃなかった。

 絹のような生地で出来たワンショルダーのドレス。現実的でないその恰好は、まんまRPGに出てくるお姫様だ。


「君は……?」

「カルディア。あそこのクマ男の知り合いです」


 静かに笑っている。外見の印象よりも遥かに大人びた笑顔だった。


「カルディア、さん?」

「貴方は礼儀正しいのですね。年下に見える私にもちゃんと敬称を付けられるのですから。ちなみにテッペイは初めて会った時、私のことを乳無し娘と呼びました」


 怒った気配は全くなかった。それがすっごく怖かった。女の子の一番怖い表情は笑顔だと俺は思う。

 でも少しだけ安心した。そう言った彼女からはさっきまでの冷たい印象が薄れていたからだ。

 後、鉄平さんの言葉も仕方ないと思う。彼女は確かに乳無し娘だった。平原、いや彼女の肌はとても白くて綺麗だから雪原という感じだ。きっと服の下は真っ白な雪原にイチゴが二つ乗っているだけだろう。べりーぐっど。


「ですが私のことは呼び捨てで構いませんよ、魔剣フィールに選ばれし使い手」

「フィール……」


 そういえばオグドもそんなことを言っていた。

 彼女も魔剣フィールを探しているのだろうか。いや、そもそも魔剣ってなんなんだ?


「なあ、あんたたち一体何者なんだ? それに」

「まずは貴方達の名前を教えて貰えませんか?」


 遮るように、静かにカルディアは言う。

 そう言えば彼女にだけ名乗らせて自分はまだだった。


「あ、ああ、ごめん。俺はかなた。吾妻かなただ」

「……美月りの」


 俺達が名乗るとゆっくりと頷く。

そして一度小さく微笑んでから、カルディアは表情を引き締めた。


「ではカナタにリノ……話は後で。今はこの窮地を脱しましょう」


 それはオグドのことを指しているのだと思った。

 だけど違うとすぐに気付かされた。


「ォォォォォォ……」


 地面から立ち昇る蒸気とも水流ともつかぬ緑色の何かが、次第に一つの姿を造り上げていく。

 緑の皮膚。欠損した体。まだ完全な形を成していない、怖気が走る化け物。

 奴らは俺達を憎むように蔑むように、殺意の籠った視線を向けてくる。

 体が震える。

 化け物が生まれる瞬間を、俺達は見せつけられていた。


「さっきの化け物……」


 自分が殴り飛ばされたことを思い出したのか、腕の中の美月の体がかすかに震えた。

 だから抱き締める腕に力を込める。何もできなくても、傍にいるくらいは出来ると伝えたかった。


「ネクス。祖国ロアユ・メイリを滅ぼした、破滅への尖兵です」


 さらりと、今日はいい天気ねとでもいうような気軽さでカルディアは言った。

 破滅の尖兵。物騒な響きだが納得できる名称だ。

 そして同時にぞっとする。

 あれで、尖兵。

 つまり後ろにはもっと強大な異形達が控えているということだ。


「ちっ、カルディア!」

「おぉっとぉ!」


 こちらの様子を気にして動きを止めた瞬間、いくつもの風の刃が襲い掛かる。

 鉄平さんは危なげなく剣を振るい全部叩き落としたけれど、俺たちのほうに駆け寄ることはできなかった。


「てめぇ」

「さっすが勇者様強いねぇ。俺じゃ百回やって百回負ける……だぁけぇどぉ、全身全霊命懸けなら俺ぇでも足止めくらいは出来るぅ。その間に魔剣フィールは頂きまぁす。うふ、うふふふ、やっぱりお前はなぁんにも守れないんだよぉ!」


 爆笑しながらベネディクトちゃんから風の刃が連続で放たれた。

 その上で先程見せた高速の挙動を、距離を空ける為だけに使っている。

 誰がどう見ても分かるくらいの逃げ腰、あれは倒す気が無い攻撃。距離を取って絶え間なく、相手を邪魔するためのジャブのような風だ。


「助けは期待できませんか」


 故郷を滅ぼした仇敵を前にしながら、カルディアは冷静だ。いっそ無感情と言ってもいい。

 まだ完全な形になれず動けない化け物……ネクスを一瞥し、今度は俺の方に向き直る。そしてやっぱり無感情と言っていいくらいの平坦さで、


「ならばカナタ……貴方が彼等を倒すのです」


 そんなことを言った。


「はぁ!?」

「聞こえませんでしたか? 貴方が、彼等を、倒すのです」


 子供に言い聞かせるようにゆっくりと、目は逸らさずに語りかける。

 言葉の意味は分かっても、俺には彼女が何を言っているのか理解できなかった。


「で、できるわけないだろそんなこと!?」

「いいえ。魔剣フィールに選ばれた貴方なら容易にできるでしょう」


 意味が分からない。

 あんな化け物を倒せって、そんなことできる筈がない。なのにカルディアの目は、確信に満ちている。

 俺なら倒せると、まるで夏の蚊を叩き潰すくらいの容易さで、あれを駆逐できると本気で思い込んでいた。


「選ばれたって」

「持っているのでしょう?」


 話の流れで、それがさっきのナイフのことだと想像はついた。

 多分あれが魔剣フィールなのだろうが、残念ながら手元にはない。

 あれがそんな大層なものだとは思っていなかったから、カバンの中身と一緒にオグドへ向かってぶちまけてしまった、


「あのナイフのことだろ? だけどさっき……」

「吾妻、それ」


 だから手元にはない。

 ない、筈だった。

 なのに美月の指差した先、自分の足元に視線を落せば、そこには一本のナイフが。

 美月を抱きかかえたまま左手で拾い上げる。

 それは間違いなく、あのナイフだった。


「なんで」


 おかしい。おかしいだろ。俺はさっき鞄の中身をオグドに向けてぶちまけた筈だ。

 でも現実にナイフが此処に在る。

 混乱する俺を余所に、カルディアは嘆息する。


「魔剣フィール……ああ、やはり。ならば貴方が彼等に劣る道理はありません」


 その言葉は確信ですらない。

 朝になると日が昇る、なんて当たり前のことを言うような、確信以前の常識を語る響きだった。


「で、でもこんなナイフで!」

「勿論戦わなくても構いません。ですが、貴方もリノも死ぬだけです」

「そりゃそうかもしれないけど!」


 だけど俺には、あの化け物を俺が倒せるなんて到底信じられなかった。

 どうすればいいのか分からず、縋るような想いで鉄平さんを見る。


「ちぃ、ちょこまかと」

「悪いが全力で逃げるぜぇ。助けに行かせもしねぇ。ここでお前は棒立ちしてればいいんだよぉ!」


 幾ら力量に差があっても相手は時間稼ぎの戦いしかする気が無い。あれじゃどうにもならない。

 つまりどうにもならない。鉄平さんは俺達を助けてはくれない。


「おいっ、かなた!」


 俺の視線を感じ取ったのか。

 戦いながら、振り返ることもせず、鉄平さんは俺に語り掛ける。

 内容は予想通りで、予想外で、だから俺は動揺さえ出来なかった。


「お前がネクスを倒せ」


 その声はあまりにも硬く、あまりにも強く、そしてあまりにも重い。

 命令口調だったのに、それは何処か祈りに近い。

 そう在ってくれと、縋るような真摯さを含んでいた。


「あいつも言ってただろ。俺は確かに勇者だった、だけど何一つ守れなかったんだよ。今度こそ守れるヤツを探さなきゃならない。魔剣フィールに選ばれたお前はそうなれるかもしれない。だから……」


 だから、どうか戦ってくれ。

 絞り出すような願い。あんなに強い鉄平さんが、俺に懇願している。

それでもまだ迷う。戦えって言われても俺には何が何だか分からない。

 

「吾妻……」

 

 きゅっ、と美月が俺の胸元を弱々しく掴む。

 俺の名前を呼ぶだけで、美月はそれ以上何も言わない。

 この状況で泣き言を口にする奴じゃない。怖いなんて、言う訳がない、

 気丈だからではなく、優しいから。

 自分が弱音を吐けば、俺が無理をするって知っているから、美月は何も言わないでいてくれる。

 こいつは、そういう女の子だ。

 それを思い出したから、自然と四肢に力が籠る。

 ネクスのことも魔剣のことも。なんで襲われたのか、魔剣フィールの価値も意味も。

 俺は何一つ分かっていない。

 でも一つだけ分かっていることがある。

それは、俺がどうにかしなくちゃ、腕の中にいる大切な親友がまた傷付くかもしれないってことだ。


「なぁ、カルディア。魔剣ってことは、このナイフもフレイムみたいなことできるんだよな? でも俺使い方なんか分からないぞ」


 決意を胸にナイフの柄を強く握り締める。

 俺の雰囲気が変わったのを感じ取ったんだろう。カルディアは少しだけ柔らかく微笑んで見せた。


「安心してください。私がサポートします」


 幸いまだネクスは動けない。

 俺はゆっくりと美月を地面に寝かせる。


「ごめん、ちょっと行ってくる」

「うん、任せる」


 完全に力を抜いて、まったく気負いのない調子。俺とは正反対だった。

 上手くいくかなんて分からないのに、美月は全然心配していない様子だ。


「美月、全然普通だよな。なんか、俺ばっか慌ててるような気がする」

「そう言われても……私は慌てる必要ないし」


 そうして彼女は穏やかに微笑む。


「吾妻はシスコンでロリコンで変態で残念だけど。私を見捨て逃げるようなヤツじゃないって知ってるから」


 こいつは、卑怯だと思う。

 笑顔の使い方を知っている。普段あまり笑わない美月に、このタイミングでそんな優しい笑顔を見せられたら、そりゃ逃げられなくなるに決まっている。

 深呼吸を一つ、心は落ち着く。

 美月の笑顔で気合も入った。

 後は、前に進むだけだ。


「さあ、まずは構えて」

「……これでいいのか?」

「はい」


 背中から抱きすくめるように、カルディアが寄り添い彼女の手が俺の手に重なる。女の子と密着しているけど、背中に柔らかいものが押し付けられることはない。

 それが俺には嬉しくて、だけど彼女の心情を想像すれば、ほんの少しだけ切なくなった。

 あまりにもなさすぎる、雪原の少女。

 でも口には出さない。口に出せば、カルディアはきっと悲しむ。

 だから何も言えなかった。


「心を落ち着けて。魔剣は武器ではありません。心があります。使うのではなく、力を合わせるのです」

「って、いきなり言われても」

「大丈夫。フィールが貴方を選んだ……貴方なら優しくしてくれると思ったから、この娘は此処に居るのですよ」


 表情は見えないけど、穏やかな声色に、きっと浮かべた笑顔も穏やかなんだろうと思えた。

 もう一度深呼吸。このナイフもフレイムやベネディクトちゃんと同じなら、なるたけ優しく語り掛けた方がいいだろう。


「オォォォォ」


 ネクスが動き始める。

 武器を構えた俺は敵なのだろう。憎むような、妬むような、負の感情に満ちた目だ。

 疾走よりも突進が相応しい。知性など欠片も感じさせない、獣の動きだ。 

 近付く異形、けれど心は平静に。

 意識は手の中にあるナイフ……魔剣フィールにのみ向けられる。



 頼む、フィール。

 少しだけ力を貸してくれ。

 俺に美月を守らせてほしい。

 あいつは凄いい奴で、俺の大事な親友なんだ。

 だからお願いだ。

 もし本当にお前が俺を選んでくれたというのなら。





 ───どうか俺を、女一人守れないような無様な男にしないでくれ。





 瞬間、轟音が響いた。

 それがなんだったのかは分からない。

 光だったのかもしれないし、炎だったのかもしれないし、風とか水とか単なる爆発とか、もしくは他の何かだったのかもしれない。

 目を瞑り集中していた俺には何が何だか分からなくて、でも。


「すごい……」


 美月の言葉に理解する。

 何かを身に受けて掻き消えたネクスは、俺が、フィールがやったことなのだと。


「これが魔剣フィール……」


 俺は茫然と呟いた。

 戦うことさえなく、初めて握った俺が少し願っただけで、化け物を纏めて掻き消す程の力を放つ。こんな尋常じゃないものだったのか。


「……ベネディクト」


 虚を突くようにオグトは速度を上げ、一気にこの場を離れる。


「てめ、逃げんのか」

「あぁ、逃げる。魔剣フィールが目覚めたのなら、対策は取らないとなぁ。うふ、うふふ」


 一瞬だった。風が流れたかと思えば、もう視界からいなくなっている。視認することさえ難しい速さだった。オグドが走り去った方を見ながら忌々しげに呟く。


「使い手は兎も角、剣はかなりのもんだな」


 そうして振り返り、俺達の方に向かってにかっと笑って見せた。


「助かったぜ、あーと、そういや名前なんだったか」

「かなた。男なのに俺の嫁、吾妻彼方だ」

「……そうか、吾妻、かなた。いや、よくやった。そいで、お前もこれで魔剣使いになったな」

「え?」


 それはどういう。問い掛けようとして、手の中のナイフが光を放つ。光は次第に凝固し、俺の腕の中に納まった。


「ちょ、これいったい」

「落ち着いてください。先程フレイムを見たでしょう?」


 カルディアの言葉に思い出す。そういえばさっきも魔剣から女の子が出てきたんだった。


「魔剣は皆魂を宿し、それを具象化する力を持っています。つまりその娘が魔剣フィールの魂」


 光は完全に人の形になった。

 金糸の髪。腕に伝わる暖かさと重みに、生きているのだという感覚が伝わってくる。

 魔剣と言っても人間となんら変わらない。フィールはただの可愛らしい赤ん坊だった。


「貴方は魔剣の使い手に選ばれた……どうか、フィールを育ててください。その娘は私達の希望を守る剣なのです」


 ゆっくりとフィールが目を開く

 紺碧の瞳。まるで海に沈み込むような錯覚。俺は、間違いなくこの小さな女の子に見惚れていた。

 腕の中の赤子はゆっくりと口を開く。






 それは、まだまだ風の冷たい五月の夜のこと。


 吾妻かなた。

 兵庫県立戻川高校二年生。

 誕生日はまだ先だから十六歳、特にバイトはしてないから当然自分の稼ぎなんかない。

 あんまりモテる方じゃないから今は彼女もいない、というかそもそもいた例がない。

 そんな俺だけど、


「たーた」


 この夜、魔剣の使い手/お父さんになった。





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