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第一話 異世界の勇者様

 

 かなた君、久しぶり。




 夕暮れに染まる午後。

 学校帰り、友達と適当に買い食いをして解散した後のこと。帰り道の途中で小学校の頃の友達と偶然会った。

 同じクラスで、一緒に飼育係をしていた女の子だった。

 長い黒髪で、眼鏡をかけた、真面目な彼女。

 運動が苦手だけど、授業ではいつも丁寧にノートを取っていて。

 優しくて、動物好きで、放課後にはよく二人でメダカの世話をした。

 どこかおどおどしていたけど、控えめな笑みがとても可愛らしかった。

 久しぶりに会った彼女はやっぱり可愛くて、懐かしさから少しの間道端で話をした。

 高校生になった彼女はもう眼鏡をかけていない。染めたのだろう、微かに茶色がかった髪。眉を整え、うっすらと化粧もしている。



 ちょっとは綺麗になったでしょ?



 懐かしい彼女は、以前とは違う笑顔で俺に話しかける。

 自信に満ちた表情。おどおどしていた女の子は何処にもいなかった。

 お茶を濁して笑えば彼女はむっとした。多分、綺麗とか可愛いとか言われることに慣れきっているんだろうな。なんとなくそう思った。

 最近流行の女性歌手の歌が急に流れた。

 どうやら彼女の着うただったらしい。携帯を取り出して、電話の向こうの誰かと楽しそうに、あの頃とは違う笑みを浮かべる。

 話し終えて、俺に向き合った彼女は軽く手を振りながら踵を返した。



 ごめん、友達に呼ばれちゃったからもう行くね。



 これ以上引き留めるのも悪い。

 俺も帰ろうと歩き始め、ふと思い付いて、彼女の背中に問い掛けた。



 メダカ、まだ育ててる?



 振り返った彼女は、俺の言葉を冗談ととったのか、答えずただ困ったように笑った。

 そうして去っていく彼女の後ろ姿は背筋が伸びていて、綺麗だと思うのに、何故だか少し寂しくなった。




 ───失われていくものは、どうしてこうも人の心を捉えるのか。




 分かっている。彼女は変わったんじゃない。ただ少し大きくになっただけ。

 大きくなって、世界が広がって、あの頃の優しい女の子じゃいられなくなった。ただそれだけのことなのだ。

 なのに、当たり前のことが胸に痛くて、俺の足は自然と小学校の方に向いていた。


 放課後の校庭にはまだ沢山の子供達が残っていた。

 夕暮れ。オレンジに染まる空の下で無邪気に笑う。心が温かくなる。大きくなってしまった彼女に感じた言い知れぬ寂寥が、少しずつ和らいでいく。

 ああ、俺が今見ているのは。

 誰もが、いつか通り過ぎた、桃源の園。

 大人になって、良識を持って、いつしか口にすることも恥ずかしくなって。

 流れ往く時の中で失ってしまう、揺らめき滲む玉響の日々。

 何故気付くのは失ってからなのか。

 当たり前のようにあった日々は、当たり前だからこそ誰もその価値に気付かない。俺だってそうだ。小さな頃は毎日のように男友達と走り回っていた。

 でもいつの間にか俺は大きくなって、幼かったとさえ気付けなかった日々にはもう戻れなくなってしまった。

 今はこうして間遠の幸福を眺めることしか出来ない。

 だけど心の奥には、無邪気に笑えたあの頃への追憶が燻っていて。




 ───だからきっと、人は幼女を愛さずにはいられないのだ。




 小学生だった時は幼女が目の前にいたのに、その美しさに気付くことが出来なかった。

 なんで俺は男友達と走り回っていたんだろう。合法的に幼女を眺めていられる時期を無駄に過ごしてしまった。その後悔は今も胸に突き刺さったままだ。

 さっき会った彼女もまた幼女だった。眼鏡っ娘と適度な露出を兼ね備えたハイブリット幼女だった。なのに今は髪を染めて化粧までする始末ふざけんなよBBAケバくなりやがって。

 一応言っておくが俺はロリコンではない。

 だって上なら中学二年生までオッケーだからロリコンでは全然ない。俺は今高二、年齢差三歳。何ら問題ない。

 ともかく俺が幼女を愛しているのはあくまでも郷愁とか、かつてあった筈の幸福に対する寂寥の心であり、変態的性的視線を送っている訳ではない。

 ショートパンツ、むき出しになった眩い太もも。袖から見える腋。薄い胸、無防備に晒されたポッチ。

 これらに目が行くのも、芸術作品に対する尊崇に近い感情であって決してやましいものではないのだ。



 幼女は美しい。

 きっとそれは、俺がもう幼かった頃に帰れないからこそ抱く感情なのだろう。幼女を愛する心は、つまり過ぎ去った日々を悼み戻りたいと願う望郷の念に近しい。

 俺は幼女のつるぺたや尻太ももを通して、失われた過去を見ているのだ。でも結局、幼児にも過去にも触れることは出来ない。

 だから俺は、放課後の校庭をいつまでも眺めていた。

 最早戻らぬ間遠の幸福に、目頭を熱くしながら────



 ◆



「ほんっとーにすみませんでしたっ!」


 ものすごい勢いで頭を下げているのは俺の姉さん、吾妻遥あがつま・はるかである。俺の名前が彼方かなた、つまり二人合わせて「遥か彼方」。冗談みたいな名前の付け方だ。

 それはともかく姉さん、頭を下げてるっていうか、下げ過ぎてもう前屈に近い。


「あのね、今のご時世保護者さんもぴりぴりしてんの、分かってる?」

「はいっ、それはもうっ!」


 俺が息を荒げながら小学校のグラウンドを眺めていると、何故か警察官が現れて職質を受けてしまった。

 意味の分からない拘束に不満げな俺を、警察官はまるで犯罪者でも見るような目つきで責め立ててくる。

 いい加減苛立ってきたその時、仕事帰りの姉さんが偶然にも通りかかった。姉さんは俺の通う戻川高校で教師をやっている為、学区内で遊んでいると帰り際にばったり出くわすことが多いのだが、今回はそれが幸いだった。


「ただこの子は母校を懐かしんでただけなんです! 私からも言って聞かせますから、どうかご容赦を!」


 経緯を聞いた姉さんは、俺が悪くないことなんて分かっているだろうに、警察官に頭を下げて必死に許しを乞うた。

 そういう所は、姉さんもちゃんと大人なんだなぁと思う。悪くないと分かっていても、波風を立てないように頭を下げなければならない場合だってある。姉さんは俺のためにそういう貧乏くじを引いてくれたのだ。


「……まあお姉さんがそういうから今回は見逃すけど。誤解を招くようなことは控えてよ」

「はいっ、本当に申し訳ありませんでした。ほら、かな君も!」

「いたっ、姉さん痛いって!」


 俺の頭を掴み、無理矢理下げさせる。姉さんも90度で綺麗に頭を下げていた。警察官は呆れた顔をして去っていき、夕暮れの下に二人は残された。


「ごめんな、姉さん。余計なことで頭下げさせちゃって。それと、ありがと」


 いの一番に俺は、俺の為に下げなくてもいい頭を下げてくれた姉さんへ謝罪と感謝を伝えた。


「ううん、いいんだよ、かな君。お姉ちゃんはかな君を守るためにいるんだから」


 俺よりも小さい背丈、細い体でそんなことを言ってくれる。それが嬉しく、笑顔が眩しくて、俺はほんの少し目を細めた。


「それでも、ありがと。それにしても、さっきの警察官むかつくなぁ。ただ普通に校庭眺めてただけなのにさ」


 俺はただ幼女を見て郷愁に浸っていただけ。それを不審だと思う警察官のほうこそ品性下劣だと思う。

 しかし姉さんは俺の態度に引き攣った笑いを浮かべた。


「あのね、万歩譲ってかな君に何の下心もなかったとしても、一時間もはあはあと荒い呼吸で校庭を見ていたら十分に不審者なんだよ? 分かってる?」


 口の端が微妙に振るえている。

 なるたけ柔らかく言おうとしているのは分かるが、声はひどく固かった。

 

「え、俺そんな風だった?」

「思い切り。ねぇ、かな君。かな君はお姉ちゃんの贔屓目じゃなくても格好いいと思うよ? 素直なところは凄く可愛いと思う。運動神経はいいし、勉強もできる。十分ハイスペックなのに、なんでそんなに残念なの?」

「残念ってなんだよ。ただ小っちゃい女の子を見ていただけだろ」

「それ! それが駄目なの! お願いだからそろそろ気づいて……」


 駄目ってなんだ、畜生。

 というか贔屓目じゃなくてとか言っときながら姉さんの贔屓目がすごい。俺、どんな完璧超人だよっていうくらいの評価である。

 こういうことを言うと自意識過剰と思われるかもしれないが、姉さんは俺のことが大好きで、凄く大事にしてくれている。ありていに言えばブラコンという奴だ。 早くに両親が死んで以来姉さんが俺の面倒を見てきたせいだろう。姉というより保護者の観点で俺を猫かわいがりしているのだ。

 まあ俺だって姉さんのことは大好きで、十分にシスコンだ。だから嫌ではないんだけど、いつか俺が恋人として理想の幼女を攫ってきた時、「かな君はあげません!!」とか言ってにべもなく反対されそうなのが問題だ。

 ……ところで姉さんは何で俺が一時間も幼女を眺めていたって知ってるんだろ?


「もういいよ。かな君の性癖に関しては諦めてるから」

「いやね? だから性癖じゃなくて」

「昔を懐かしんでいるだけ、でしょ?」


 先回りで言葉を奪われて、俺は答えに詰まった。拗ねたように口を尖らせれば、姉さんは先程とは打って変わって楽しそうに表情を綻ばせた。


「かな君は本当に可愛いなあ」

「男子高校生に可愛いは褒め言葉じゃありませんー」

「褒めた訳じゃないもの。事実を言っただけですー」


 俺の口調を真似る姉さん。

 というかそのドヤ顔やめてくれません? 流石に恥ずかしいんですけど。 


「さ、折角会ったんだし。久しぶりに一緒に帰ろっか?」

「あ、ごめん。欲しい雑誌あるから本屋寄ってく」

「……そっか、残念。なら先に帰って夕食の準備をしておくね。今日はおろしとんかつと玉ねぎの味噌汁、わかめと筍の煮物だよ」


 相変わらず姉さんの献立作りは素晴らしい。ちょうど今日の昼休みに友達ととんかつが食べたいという話をしていたところだ。副菜もまるで話を聞いていたかのような選び方だ。


「やった。そっこーで行って帰ってくる。……あ、ちょっと遅くなったらごめんな?」

「うん、まってるね」


 細められた瞳、夕暮れの風に艶やかな黒髪が揺れた。

 正直どきりとした。

 自分の姉を見てこんなことを考えるなんてマジでシスコンだと思うけど、この人は本当に綺麗だ。


 姉さんは今年で27歳。

 俺より11も上だから、俺は姉さんが幼女だった頃を知らない。だけどこの人が幼女だったならそれはもう可愛らしかったんだろうと思う。て言うか今でさえ十分に可愛らしい。

 長い黒髪を後ろで一纏めにして、体型にあったスーツで颯爽とした大人を演出しようとしているけど、姉さんは童顔だからとても27には見えない。

 はっきり言って外見は大学生か高校生でも十分通じるし、肌なんて中学生みたいで、胸に至っては小学生だ。

 我が姉ながら二十代後半でこんなに魅力的な女性、俺は他に知らない。姉さんが後二十歳くらい若かったら、間違いなく俺は惚れていただろう。


「かな君、どうかした?」

「いや、姉さんは美人だなーって」


 俺が素直にそういうと、びくりと体を震わせる。


「もう、何言ってるの? 馬鹿なことを言ってないで行くなら早く行って来なさい。あまり遅くならないようにね。知らない人に着いて行っちゃ駄目だよ」

「俺、何歳だよ……」


 もう高校二年生だと言うのにまるっきり子供扱いだ。でもそれを嬉しく思ってしまう時点で俺の負けなんだろう。軽く頬を掻きながら「じゃあちょっといってくる」とその場を離れる。


「あ、ところでさ」

 

 思い出して姉さんに声を掛ける。 

 

「ん、なあに?」


 返ってきたのは、ふんわりとした柔らかな笑み。

 その笑顔があまりに優しくて。

 俺のベッドの下に隠してあるエロ本が、ロリ系から姉ものに変わっていたんだけど、なんでか知らない? と聞くことが出来なかった。

 ふと見上げれば広がる茜色。

 夕暮れの空は遠く、何処までも続いていた。




 ◆




「……ありがとうございました。結構本気で死んでください」


 本を買ったらレジの店員に、抑揚のない喋り方で辛辣な言葉をぶつけられた。この本屋は店員の教育がなっていないと思う。


「おまっ、こっち一応客なんですけど。流石にひどくない?」


 愛読書の月刊LOマガジンを購入すると、何故かレジの女の子が冷たい視線を向けている。

 表紙のジュニアアイドル『美月りの』ちゃんの腋を凝視していたら、いきなり暴言を吐いてきやがった。

レジの店員はよく見ると、中学時代からの親友。クラスメイトの女の子、美月りのだった。

 ジュニアアイドルと同じ名前だけど172センチで86センチのいろんなところがデカ女だ。本当に高二かよ、こいつ。

 まあ、俺にとってはありがたい友人ではあるんだが。

 美月は物静かで、表情もあまり豊かな方ではない。無表情という訳ではなくて、落ち着いた印象というのだろうか。

 ショートカットに整えた黒髪。通った鼻筋に切れ長の瞳。ほそっこい顔。

 身長が高くて胸はデカいし引っ込んでるところは引っ込んでる。

 彼女は色々な意味で大人っぽい。つまり言い換えるとあんまり女性としての魅力がないタイプだ。なので男友達感覚で付き合える、いい意味で楽な女の子だ。


「ひどくない。むしろ私からそんなものを買ってくなんてそっちの方がひどいと思う」


 ジト目とか軽蔑の視線ではなく、普段通りの冷静な顔つきで言うもんだからイマイチ内心が読めない。

 まー、なんだかんだ俺がエロ本買っても「気持ち悪い、近寄るな」みたいなあからさまな嫌悪感を見せないんだから、本当にありがたい。

 とは言え反論はせねばならない。男の心の栄養をそんなもの扱いは流石に酷いのです。 


「そんなものって、お前ね。思春期の男がエロ本買うなんて当たり前だろ? 女の子の腋に目が行くのは仕方ないことじゃんか」

「胸でもお尻でもなく腋なあたり吾妻って本気で変態」

「そうかなぁ、普通だと思うけど」

「……ほんと、なんでこんな人がイケメンに生まれてきたんだろう」


 なんというか、微妙な評価だった。

 とりあえず美月的には俺はイケメンらしい。


「褒めてる? 貶してる?」

「褒めたいけど貶すしかないアンビバレンツな感情。というかイケメンって言葉をさらっと受け取ったね」

「いや、姉さんによく言われてるから。贔屓目はあっても人並み以上なんだろうな、とは思ってる」

「ロリコンの上にシスコン?」

「まあ、姉さんが大好きってのは認めるけどさ」


 でもロリコンじゃありません。何度も言うけど。


「ほんと、さらっと言うね」

「好きなものは好き以外に言い様がないだろ? 俺はちっちゃい女の子が大好きだし、姉さんが大好きだし、お前のことだって大好きだぞ?」

「……とりあえず邪魔だから帰って」

「お、照れてる?」

「帰れ」


 頬が少し赤くなり、誤魔化すように強い語調になる。美月のこういう所は素直に可愛いと思う。

 こいつは普段むっつりとしていて、こういう時も表情は変わらないだけで、実は真っ直ぐな好意や褒め言葉に弱い照れ屋さんなのだ。

 まあ実際とりとめない話でレジを占領するのは邪魔だろうし、ここらが切り上げ時か。言いながらもほんの少し朱に染まった頬は隠せていない。

 美月に言われた通り俺は本屋から出て行こうとして、もう外が暗くなっていることに気付いた。長いことグラウンドを眺めていたせいだろう、辺りはすっかり夜だ。

 だから俺はもう一回レジに戻る。


「美月、バイト八時で上がりだろ? 一人で帰るの寂しいし、美月と話しながらの方が楽しいから一緒に帰らない?」


 最近不審者が出たって話もあったし、女の子が夜道を独りってのも危ないしな。

気遣いから出た言葉だったが、呆れたように美月は小さな溜息を吐く。


「……あのさ、素直に『夜道に女の子一人だと心配だから送るよ』って言えない? ツンデレの使い方間違ってるから」

「いやお前も間違ってるから、ツンデレの認識」


 まあ本心は美月が口にした通りなんですけどね。本当、こいつは俺のことを簡単に見透かしてくれる。そして見透かしても、俺が隠しておきたいことや本当に大切なことは気付かなかったふりをしてくれるのだ。まったく俺には勿体無い親友である。


「取り敢えず外で待ってるからなー」


 返答も待たずに外へ出る。一瞬呆れ顔の美月が見えたけど、気にしないでもいいだろう。







 

 少し冷たい風が吹いて、俺は肩を震わせた。

 書店の前、『張り紙禁止』の張り紙が貼っている場所で待っているけど美月はなかなか来ない。やっぱり女の子はこういうのに時間かかるよなーなんて思っていると、ようやく美月が出てきた。


「お待たせ」


 美月は店の制服姿とは打って変わって、春らしい装いをしていた。

 青の肌見せワンピに七分丈のパンツ。流石に夜は寒いのか、薄いカーディガンを羽織っている。

 こいつはスタイルの良さも相まって、学校では結構な人気がある。俺の好みのタイプは年下だからあんまり興味はないけれど、こういう格好を見ると確かに可愛いとは思う。


「おう待った待った」

「今来たところ、っていうものじゃないの?」


 デートのテンプレだな。

 ふむ、ならご期待に応えて。


「待ってなんてないさ……君を待つ時間も素敵なデートの内だからね」

「ごめん、気持ち悪い。割合本気で気持ち悪い」

「ねぇひどくない? そっちが振っといてその対応ってひどくない?」


 自分でも最高に格好いいと思える角度からの笑顔をそっこーで否定してくださる親友だった。

 

「ちくしょう……あ、そういや今日は大丈夫か?」

「うん、絆創膏貼ってるから」

「そっか、あんま無茶するなよ。さ、あんまり遅くなってもなんだし帰るか」

「ん」


 小さく頷く美月と並んで夜道を歩く。

 歩きながら、先程買ったLOマガジンを包んでいるビニールを剥ぐ。やっぱりこういうのは早く見たいというのが人情である。


「歩きながらいかがわしい本読まないで欲しいんだけど」

「大丈夫。これ子供載ってるだけ。いかがわしくない。普通」

「なんでカタコト?」


 突っ込みは軽く流しておこう。

 そういや今回の雑誌は妙に膨らんでいたな。たぶん、なんかおまけがついているんだろう。

 さて、中身は何かなと膨らみの元を取り出してみて、目が点になった。


「なんだこりゃ」


 えっちいフィギュアでも付いてるのかと思えば、雑誌に挟んであったのはナイフだった。


「ナイフ?」


 美月も変だと思ったらしく、怪訝な顔で覗き込んでいる。

 刃渡り10センチくらいの両刃で、金や宝石で柄を飾ったナイフ。なにゆえジュニアアイドルが表紙を飾るような雑誌のおまけがナイフ? 


「あれか、これで幼女を脅して攫えということなのだろうか」

「多分それで自害するのが正しい使い方。手伝おうか?」

「すいませんちょっと調子に乗りました」


 にっこりわらう、みつきは、たいへんきれいでした。

 きれいなぶんだけ、すごく、こわかったです。


「うん、危ないからとりあえず仕舞おう。だからその笑顔止めてください」


 結局何故ナイフかは分からないまま取り敢えず学生鞄に仕舞い、なめまわすようにグラビアを眺める。

 短い黒髪に幼げな顔立ち。背も小さく華奢で、薄い胸のふくらみとポッチ。ビキニに薄ら見えるスジ。

 やはり美月りのちゃんは最高だった。


「……美月りのちゃんいいなぁ、可愛いなぁ、流石俺の恋人。りのちゃんってマジで女神だよね? こんなかわいい子が存在するなんておかしいだろ」

「もう少しこっちに気を使ってくれると嬉しいんだけど」


 なにが? と思って美月を見たらすごく微妙な顔をしていた。

 忘れてた、こいつも美月りのだった。そりゃありのちゃん可愛いとか言われたら困るに決まっている。

 しかし謝るのも変だし、「いやお前のことじゃないから」というのも失礼だ。

 となると、ここは美月のことも褒めるのが正解。

 俺は自分のボキャブラリーの中から最高の褒め言葉を選出し、今できる最高の笑顔で美月に言った。


「美月の腋も、きれいだよ?」

「……それがフォローになると思ってるなら人生やり直してきた方がいいと思う」


 何故だ。

 俺の褒め言葉は軽々と一蹴されてしまった。りのちゃんは確かに可愛いが、美月 だって負けてないと端的に伝えた筈なのに。


「一応聞いておくけど、どこら辺が駄目だった?」

「そうだね、容姿を褒めるのに腋をメインにもってくる吾妻の性癖かな」

「マジか。俺の趣味全否定か」

「多分他の女子に言ったら殴られるか気持ち悪がられるから」

「大丈夫、美月以外にこんなこと言わないから」

「あ、どうしよう。特別扱いされてるのに全然嬉しくない」


 えー、俺の中では結構上位の褒め言葉だったのに。

 実際腋って女の子の体の中で一番セクシーな部分だと思います。

 と、そこまで考えてようやく俺は自分の発言の間違いに気付いた。

 ああ、そうか。よくよく考えてみれば、女の子の“女性的な部分”を直接的に褒めるのは、ちょっとデリカシーが無かった。

 俺としては褒め言葉だったけど、言われた美月にとっては「お、おっぱい大きいね、フヒヒ」みたいに聞こえたのかもしれない。


「……あー、もしかして、ちょっとデリカシーが無かったか?」

「分かってくれた?」

「うん、ごめん。でも勘違いしないでくれよ? 美月の魅力は腋だけじゃないって、ちゃんと知ってるから」

「違った、分かってなかった」


 呆れたように美月は息を吐き、でも仕方がないなぁなんて言いたげに優しく目を細める。

 あまり表情の変わらない美月の、こういうちょっとしたしぐさが、恋愛感情とか関係なく俺は好きだった。

 二人で馬鹿な遣り取りをしながら家路を辿る。

 すう、と五月の風が抜けるように流れて、そのくすぐったさに顔を見合わせる。俺は小さく笑って、何故か美月がツンと俺の頬をつつく。

 じゃれ合いながら歩く帰り道は、いつもよりだいぶ距離が短かった。

 





 ◆


 月曜の朝は異常に眠い。

 ふあぁ、と欠伸を一つ。洗面所で顔を洗ってリビングに行けば、今日もいつものように味噌汁のいい香りが迎えてくれた。


「おはよう、かな君」


 俺の朝は若干早い。姉さんは戻川高校の教師だから、俺よりも早く家を出る。だけどやっぱり朝食は一緒に食べたいから、姉さんの時間に合わせて起きるようにしている。

 しているのに、姉さんは朝食の準備を完璧に整えて俺を迎えてくれるんだから頭が上がらない。


「姉さん、おはよう。何か手伝うことある?」

「ううん、後は座って食べるだけだから」


 涼やかな笑みを浮かべる姉さん。スーツの上から着ているエプロンには“かな君LOVE”と書かれているが、そこは触れない方がいいんだろう。

 言われるままにテーブルに付き、二人顔を合わせて「いただきます」。

ごはん、じゃがいものみそ汁、金時豆にホウレンソウのおひたし、メインはサワラの塩焼き。

 純和風の朝食なのは俺の好みに合わせてのことだ。

「姉さんの趣味で作ってくれていいよ?」と以前言ったことがある。

「私の趣味はかな君の嬉しそうな顔を見ること」なんて返ってきて、顔を真っ赤にしたのをよく覚えている。この人は、いつだって俺にだだ甘なのだ。

 両親は俺が9歳の頃に死んだ。それ以来姉さんが大学に行きながらバイトして、必死になって俺を育ててくれた。

 だから俺は姉さんに感謝してるし、大好きだし、反面申し訳ないとも思う。

 こんなに美人で料理も出来て優しくて胸も小さいのに、浮いた話の一つもないのは、きっと俺のせいなんだろう。

 本当なら恋人の一人や二人作って結婚していたっておかしくないのに、俺の世話に追われてそういう機会を失くしてしまった。 


「うん、おいしぃ。おいしぃなぁ」


 そう、姉さんに浮いた話がないのは俺の世話に忙しいからだ。

 姉さんの使っている箸が、明らかに昨晩俺が使ったもので、なおかつどう見ても洗ってないのはきっと関係ない。


「そういえば大丈夫、かな君? 昨日は2時16分くらいまで起きてたみたいだけど。夜更かしは駄目だよ?」


 その言葉は姉さんが俺のことをいつも気にかけてくれているから出ただけであり、俺の部屋には盗聴器も隠しカメラもない。時々姉さんがプレゼントしてくれたぬいぐるみの位置が変わっているのも気のせいである。


「……愛って、どんな形をしてるんだろうなぁ」

「どうしたの急に?」

「いや、なんとなく思っただけ」


 もしも愛が目に見えたら、どんな形をしているんだろう。

 ハート型? 丸っこい? それとも心が水なら容器と同じ形になるのか。

 俺にはよく分からないけど、きっと姉さんの愛は少しばかりアバンギャルドな形をしているんだろう。

 あはは、と誤魔化すように笑いながら俺はみそ汁を一啜り。

 おいしいけど、なんだかちょっとしょっぱいような気がした。 




 ◆




「行ってきまーす」


 と言っても家には誰もいない。姉さんはいつも俺より先に出るから、戸締りをするのは俺の役目だ。

 学校までは20分くらい、五月になって少し暖かくなり、朝の通学路は心地好い。

 俺の通う戻川高校のすぐ傍にはその名の通り戻川もどりがわという大きな川が流れている。元々川が氾濫した時の避難場所になっていた高台に学校を建てたらしく、市やこの土地の古い名家からの援助が多いうちの高校は、学問でもスポーツでもあんまり有名じゃないけど、県立校にしては設備が充実していたりする。

 校門へと続く歩道にはガードレールがなく、代わりにさっき言った市の援助で植えられた銀杏の木がある。まあ、今の季節じゃ普通の木だけど、秋になったら結構きれいで俺は気に入っていたりする。


「おー、おはよう美月」

「吾妻、おはよ」


 学校に行く途中にあるコンビニ『アイアイマート』に寄ると、美月が菓子パンのコーナーにいた。美月はいつもここで昼飯を買っていくので、特に買うものはないけど俺も毎日この店を覗く。どうせなら一緒に行きたいし。


「じゃあ、行く?」

「あれ、昼飯買わないの?」

「もう買ったから」


 言いながら袋を見せつける。ああ、なんだ。こいつ、買い物済んだのに俺を待っててくれたのか。


「悪いな、待っててくれたのか」

「どうせなら一緒に行きたいし」


 無表情のまま俺が考えてたことと全く同じことを言ってくれる。こういうとき、こいつには敵わないなぁ、って思ってしまう。


「嬉しいこと言ってくれるなぁ。みつきー、大好きだぞー」

「……そういうの、禁止」


 勿論彼女も俺の“好き”が恋愛感情から来るものではないと知っている。それでもやはり照れるのか、殊更無表情に俺の言葉を流す。禁止って言っているけど、本当に言わないで欲しいと思っている訳じゃないことは分かっている。

 俺が大好きと伝えて、美月が照れて「禁止」。言ってみれば様式美、中学の頃から変わらない遣り取り。

 俺達の大好きは、なんというか、二人の距離感を確認するための言葉だ。表現しにくいし、話すと長くなるから割愛するけど。


「じゃ、そろそろ行くか」

「ん」


 そうして俺達はいつものように二人並んで通学路を歩く。美月との会話が弾むことはあんまりない。盛り上がらない、という意味ではなく、落ち着いた美月が相手だからのんびりと穏やかに言葉を交わし合う。冗談を言う時も“はしゃぐ”より“じゃれ合う”と言った感じだ。

 中学時代からの縁でいつも一緒にいるのは、きっとそういう遣り取りが落ち着くからだろう。

 並木に沿っていけば、俺達の通う戻川高校が見えてくる。公立校にしては中々に立派で


「友之、おはよ」

「おお、かなた。今日も美月さんと登校かよ。羨ましいねぇ」


 教室に入って来た俺を迎えてくれたのは、去年も同じクラスだった悪友、安達友之だ。

 名前からして友達という感じの男である。それをいったら俺だって「男なのに俺の嫁」だから、あんまり人のことは言えないけど。

 高校二年生にして187センチの高身長で細マッチョの雰囲気イケメン。性格だって悪くない。

 しかしどうにもモテないらしく、いつも俺に愚痴を零している。

 

「おはよう、安達君」

「おっはよう美月さん。今日も美人、流石俺の天使。どう? もし暇だったら明日映画でも見に行かない?」

「美人じゃないし、貴方のでもないけど。あと、明日もバイトあるからごめん」


 むっつりとしたまま返されて、友之は黙りこくった。

 軽口にマジで返されて。しかも否定されて「あは、ははは」と苦笑いを浮かべている。

 友之が固まっていると「りのちゃーん」とクラスの女子に呼ばれた。


「行くね?」

「ん、おお」


 俺に一言残して美月はそちらに行ってしまった。友之のことは全然気にしていなかった。

 俺が悪い訳ではないが、どうにも申し訳ない気分になって、動けないでいる友之に声を掛ける。


「……友之、大丈夫か」 

「はは、大丈夫大丈夫。根来音さんに橘さん、桃江さんに七瀬さんに金森さん多々良さんそれに美月さん。クラスの綺麗どころにほとんど拒否されてるから今更ダメージはないって」


 それは大丈夫とは言わない。いや、打たれ強いという点では大丈夫なのか。

 というかちょっと待て。うちのクラスに多々たたらなんて女の子いないんですけど。


「おい、多々良って誰だ?」

「は? お前何言ってんだ? そこ、窓際にいるだろーが。ああ、透き通るような肌と艶やかな黒髪が今日もお美しい……細身で色素も薄くて、風が吹いただけで消えてしまいそうな儚い佇まい。完璧すぎる」


 窓際、風が吹きカーテンが揺れた。当然そこには誰もいなかった。

 よし、突っ込むのは止めておこう。掘り起こしてはいけないものが出てきそうだ。


「いやー、しかしこのクラスになってまだ一か月でよくそんなに声掛けられたな」

「そりゃ駄目だったらすぐさま他の子に行くからな」

「うん、分かったわお前がモテない理由」


 それ駄目だろ。

 声を掛ける → 駄目だった! → 間髪入れず次の子に。

 ナンパの基本だけどそれをクラスでやる奴がモテるわきゃねー。


「かなたぁ、女紹介してくれよ」

「いや、無理。そもそも俺だってもてねーよ。彼女いない歴年齢だよちくしょうが」

「……世知辛いなぁ」

「本当になぁ」


 何処かに理想的な小学生中学生はいないものだろうか。

 いや、いたとして付き合えるかどうかは別だけど。


「そういやさ」


 そこで急に真面目な顔をした友之が、ずいと体を前に出してきた。

 

「なんか最近、この辺りで変質者が出るらしいぞ」

「変質者?」

「ああ、そんな話先生らがしてた」


 実は、その話は俺も聞いたことがあった。

 俺の行きつけの小学校でも若い男の変質者が出没するという噂が流れており、少し気になっていたのだ。


「その変質者って、どんなヤツなんだ?」

「俺も細かいことまでは知らんけど、特にまだ何かをしたって訳でもないらしい。小学校を覗き見てたとか、そんな程度。まあちょっと注意しましょうくらいの話だよ」


 小学校を覗き見か。

 誘拐しようと物色でもしてるのか、それとも何か他の理由があるのか。

 なんにせよあまり気持ちいい話ではない。


「あんがとな、友之」

「あ? なにが?」

「いや、だから変質者の話。しばらく美月と一緒に帰るよ」

「ああ、その方がいいわな。しっかり守ってやれよ」


 変質者がどんな人物かは置いておいて、夜道が危ないってのは間違いなさそうだ。

 美月に何かあったら寝覚めがよくない。ちょっとばかり気にしてみるか、と俺は小さく頷いて見せた。



 ◆



「最近、よく送ってくれるね」


 今日もバイト帰りの美月と家路を辿る。

 適当に雑談を交わしながら歩いていると、美月は急に話題を変えてそう言った。


「そうか? まあ、美月と一緒に帰るのは楽しいしな」

「それは私もだけど。他にも理由はあるよね」


 表情を変えないままに答えるけれど、納得はしていない様子だった。

ここのところ毎日バイトが終わるくらいの時間に本屋へ行き、一緒に帰ろうぜーなんて言ってなし崩し的に家まで送っていた。勿論、以前聞いた変質者対策である。

 流石にあからさますぎた。美月は俺の方を、「絶対何かあっただろう」と確信を持った目で見つめている。


「……あー、友之から聞いたんだけど。最近変質者が出るんだってさ」


 しばらく沈黙が続き、耐えられなくなった俺は少しだけ肩を落して喋り始めた。

 ばれたら仕方ない。少しばかり恥ずかしいが、別段隠すようなことでもないし、俺はわりかし素直に白状した。


「俺がよく行く小学校の掲示板にも変質者が出るって注意書きがあった。大丈夫だと思うんだけど、何となく気になって」

「……へぇ、そうなんだ?」

「ああ。だからまあ、俺じゃ護衛役には足らないだろうけど、いないよりはマシだろ?」


 そこら辺過信はしていない。殴り合いの喧嘩なんか今まで一度もしたことのない俺が暴漢に襲われたとして撃退なんてできるとは思えない。

 だけどなんかあった時、美月が逃げるまでの時間稼ぎくらいは出来るだろう。護衛と言ったってその程度のものである。


「そっか、ありがとう」


 軽いというより、静かな感謝の言葉。まるで水面に垂らした水滴のようだ。

 表情を変えず、けれど目には優しげな色が映し出されている。


「いや、そんな大したことじゃないし、というか大した奴じゃない。悪いな、もうちょっと頼りになる男だったらよかったんだけど」

「ううん、十分すぎる」


 漏れる声は暖かでとても心地よい。 

 美月は少しだけ目を伏せて、どこか遠慮がちに言葉を続けた。


「でも吾妻が心配してくれるように、私も心配。変質者騒ぎが収まるまでその小学校に行くの止めた方がいいと思う」

「え? 大丈夫だろ、俺男だぞ?」

「“大丈夫だと思うけど、なんとなく気になって”。そこは実際にどうかって話じゃないから」


 俺のセリフを使っての反論に、小さく苦笑を零す。

 実際問題俺が変質者に襲われるかどうかじゃなく、もしかしたらを考えると不安だと美月は言ってくれる。


「心配性だな」

「吾妻のことだから」


 まったく有難い親友である。

 そろそろ梅雨になり、じめじめとした空気と近付く夏の暑さにじっとりと汗をかく。

 つまりは小学生が健康的な艶やかさを醸し出す時期だが、こうやって心配してくれる美月の心遣いを無駄にはしたくない。一か月くらいは我慢しよう、それならプール開きの時期には間に合うし。


「分かった、落ち着くまでは止めとくよ」

「うん、それがいいと思う」


 満足気に何度も頷く美月はどこか子供っぽくて、素直に可愛らしかった。

 何故か小さくガッツポーズしながら「よくやった、私」と呟いた理由は分からないけれど。


「そういや美月、明日もバイト?」

「ううん、土日は休み」

「ならさ、久しぶりに遊びに行かないか?」

「私の買い物に付き合ってくれるなら」

「勿論。ついでにどっかで昼飯でも食うか」


 美月がバイト始めてから2か月、こうやって遊びに出かけるのは久しぶりだ。

 俺はどちらかと言うと和食派なんだが、美月は生粋のジャンクフード好き。俺が誘ったんだから行き先は美月に合わせるべきだろう。

さて、昼飯は何処に行くかな、なんて思っていると。





 どごん、という鈍い音が響いた。






 唐突過ぎて一瞬頭が付いていかなかった。

 いきなり音が鳴って、気付いたら、いない。

 隣にいた筈の美月がいなくなっている。

 代わりに。


「………ゥゥ」


 直ぐ近くに化け物がいた。


「え?」


 なんだこれ。

 テレビの撮影? いやそれでもおかしいだろ。だってそれなら何で。


「あぅ……」


 美月が血塗れになって、コンクリートの壁に叩きつけられているんだ?

 緑色の肌をした化け物。多分、元は人型だったのだろう。そう思える程度には原型が残っているのに、物凄く気持ち悪い。

 だっていろいろ足りてないのだ。目が無いから鼻をひくひくと動かして辺りを探っている。足が一本ないから、『三つん這い』で動いている。緑色なのはよく見ると肌じゃない。皮膚が無いから筋繊維がむき出し、緑なのは筋肉だ。


「ウゥ……」

      「ォォォォォ」


 しかも一匹じゃない。同じような、いや同種ではあるのだけれどそれぞれ腕がなかったり頭が半分なかったり、足りない場所の違う化け物が更に出てくる。合計三匹の異形は明らかに俺を見ていた。


「うふ、うふふふふ、うふふふ」

 

 その後ろには、人影が控えている。


「お前達、その男は殺すなよぉ」


 薄汚れたローブをまとった男。こけた頬から病的に痩せ細っているのだと分かる。青白い肌と妙に大きい目が気持ち悪い。


「やぁっとみつけたぜぇ。お前の持っている、魔剣……おれぇによこせぇ、うふ、うふふふふ」


 それが理外に存在する者だと知るのには一秒もかからなかった。

化け物はこいつの命令に従っているんだろう。男の言った通り、微動だにせず控えている。

 そうして変質者の噂を思い出す。

 ああ、そういうことか。「やっと見つけた」と言うからには、あの男はここいらで“なにか”を探し回っていた。その姿が、変質者の噂の元となったのだろう。

 

「おぉい、なんか言えよぉ」


 馬鹿にするような笑みを浮かべる不審者を前にして、俺はやけに冷静だった。

冷静というか、最低だった。

美月が血塗れになっている。犯人が目の前にいる。俺は怒るべきだ。怒って勝ち目なんてなくても向かっていく。友達ならそれくらいはしなきゃいけない筈なのに、いやになるくらい落ち着いていて、頭の中ではたった一つのことを考え続けている。



 ───どうやったら、逃げられる?



 有体に言えば、俺は完全にビビっていた。

殺される。化け物はあの男の配下だ。だとすれば俺がどんなに抵抗したところで絶対に殺される。

 なら逃げるしかない。どうやって? 美月とは距離が離れてしまった。あいつを担ぎ上げて逃げる。殴り飛ばされた美月は位置が悪い。ちょうど化け物の後ろの壁でぐったりしている。


「な、なんなんだよお前! いきなり」

「一応言っとくがぁ、余計なことを言えって意味じゃないからなぁ? さっさと質問に答えろって言ってるんだよぉ」


 声が冷たさを増した。体が震える。なんだよこれ、なんだこいつ。


「魔剣……って、なんだよ」


 本当は興味なんてないけれど敢えて質問する。ただの時間稼ぎだ。

 考えろ、考えろ。あの化け物をやり過ごして美月の傍まで行く方法。そこから更に逃げる術。逃げるって決めたなら他の考えは必要ない。


「おぃおいぃぃ、誤魔化すなよぉ。分かってるんだぜぇ、お前が魔剣フィールを持ってるってのはあぁ。アガベアスールが造った魔剣。くくっ、俺が大切に使ってやるからさぁ」


 魔剣フィール? アガベアスール?

 何のことだと考えて、剣ではないが刃物なら一応持っていることに気付く。

 もしかして月刊Loマガジンのおまけでついてきたナイフのことか? あれくらいしか思い当たるのはない。

 そして、確かに俺は今あのナイフを持っている。

 あの夜から何故か気になって、ずっと鞄の中に入れてあるのだ。

 だから俺は答えた。


「……何の、ことだ?」


 知らないふりをする。もし俺の想像通りなら、持っていることがばれたら殺されて奪われる。

 こいつの狙いは俺達の命じゃなくて魔剣とかいうものだが、目的のものを奪えればそれでいい、というタイプじゃない。そういうヤツならそもそも美月を襲わなかった。渡したところで殺されるのがオチだ。


「嘘を吐くなって、言ってるだろぉがぁ。殺されたいのかなぁ?」

「いや、だから! ほんとに心当たりがないんだって!」


 アイツはどうやって知ったのかは分からないが、俺が魔剣とやらを持っていると知っていた。

 だけど俺が持っているという『確信』まではないらしい。なら、取り敢えずは今すぐ殺されることはない。俺から情報を取り上げるまで、その上で相手がこの問答に飽きるまでは、だけど。


「でも」

「なんだぁ?」

「あ、いや」


 何か思い当たることがあった、というようなそぶりを見せながら、摺足で少しずつ位置を調整する。体が震えているのは武者震いということにしておいてほしい。

 正直に言えば怖い。こんな化け物を前にして怖くない筈がないんだ。

 でも美月を見捨てるのはもっと怖いし、あいつがいない日常なんてさらに怖い。


「そういえば……」


 鞄を開けて漁る。ローブの男は怪訝そうな目で見ている。いいぞ、その調子でもう少し呆けていてくれ。じりじり、じりじり。少しずつ体をずらす。

 そして心の中で願う。どうかあの男が有能でありますように。

 有能で、化け物の躾がちゃんとできており、あの男が次の命令を下すまでは『その男は殺すな』を守り続けてくれますように。


「おおっと手が滑ったぁぁぁぁぁぁぁ!」


 心の中で神様に祈りながら、盛大に鞄の中身を男に向かってぶちまける。鞄も一緒に投げ付けてやった。

 勿論それだけじゃ相手の視界を奪うことなんてできない。

 だから俺は、本当は使いたくなかったが、切り札を放った。


「こいつは、おまけっ!」


 宙を舞う。月刊Loマガジン。

 ナイフだけじゃない、授業中読む為にLoマガジンをちゃんと鞄に入れておいたのだ。 

 ただ物をぶちまけた程度じゃ少し弱い。

 だから俺は今月号のベストショット、美月りのちゃんを下のアングルから撮った、くっきりスジのページを開けたままLoマガジンを投げ付けた。

 これなら相手が男である以上必ず目を奪われる……なんてことは勿論ない。俺もそこまで馬鹿じゃない。

 ただ時間差で広げた本を投げ、僅かな時間視界を遮っただけ。その間に俺は全力疾走する。狙うは化け物と化け物の間、僅かな隙間。其処を一気に走り抜ける。


「あぁ!?」


 咄嗟のことに苛立ったような声が上がる。

 いいぞ。苛立て、冷静になるな、後手に回れ。こっちは化け物に並び抜き去った。あとちょっとで美月の所にいけ、


「『ベネディクト』!」


 るという所で、吹き荒れる爆風。背中に走る衝撃と共に俺は吹き飛ばされた。


「あぎゃああああああああああああ!」


 情けない声を出しながら地面を転がる。痛い。当初の予定通り美月の所までは行けたけど、はは、俺すっごくかっこ悪いな。


「舐めたマネしてくれるねぇ、ボクぅ……」


 いつのまにか男は構えている。

 ベネディクトというのはあの剣、なのだろうか?

 なんというか妙な造形の黒い短剣。装飾がごてごてとついていて、剣としてはあまり役に立ちそうにない。

 それに構えると言っても剣道とか時代劇で見る構えじゃなくて、釣竿を動かすように手首でくいくいと動かしているだけだ。

 案外あれは剣じゃなくて杖なのかもしれない。さっきみたいな風を起こす、魔法の杖だ。


「あぁ、もおいいわ。お前の死体漁るから」


 あ、タイムリミットだ。

 これでもう俺は殺されない、という唯一の優位が消えた。


「ぅ……」


 近くで呻く美月の声。まだ生きてる。なら一緒に逃げないと。

 考えろ。考えろ。助かる方法。でもどんなに考えても案が出てこない。


「畜生、ちくしょぉ……」


 なんでだ、なんでこんなことになってんだよ。涙が出そうになるけど、せめてもの抵抗に精一杯男を睨み付ける。


「んん~、いい目だねぇ」


 男はにたにたと笑っている。

 嗜虐的な、他人を見下すこと自体に快感を覚えている目だ。


「でも残念、そのまま死になぁ! さあ、ガキを殺せっ!」


 動き出す三匹の異形。襲い掛かる化け物達がまるで肉の壁のように見える。俺はフラフラだけど、何とか体を起こし美月の前に立つ。守れるなんて思ってない。でも体が勝手に動いた。

 ああ、俺此処で死ぬんだなぁ。いやだなぁ。もっとやりたいことあったのに。

 下らないことを考えている最中も化け物は止まらない。

 そうして俺の命は此処で潰え、




「薙ぎ払え、『フレイムタン』」




 突如として現れた、喪服姿の男。

 振るわれた炎を模った刀身。


「ォオオオオオオオ」


 放たれたのは燃え盛る炎。

 地面から立ち昇る業火は波だ。寄せて返す波のように炎は襲い掛かり、三匹の異形を容易く飲み込む。そして炎が消え去った時には、やはり波にさらわれたかのように、化け物は影も形もなかった。


「悪いな、邪魔して」


 俺には何が何だか分からなかった。いったいどこから現れたのか、喪服の男が急に出てきて完全に化け物を掻き消してしまったのだ。

 なんだこれ、夢でも見てるのか?

 俺の混乱を余所に、くるりと一回肩を回し、勝ち誇った笑みを浮かべて男は言う。


「安心しろ。一応味方だ」


 言葉の調子は軽く、だけどその背中はやけに大きく見える。

 いきなりすぎる事態に、俺は声さえ発せない。呆然と眺めている俺の方に男は首だけで振り返る。


「自己紹介が遅れたな。俺は木崎鉄平……」


 そうして、何処か痛みを感じさせる苦笑を浮かべた。


「異世界の勇者様だ……ま、“元”が付くがな」





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