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第十二話 百鬼王眼(ヒャッキオウガン)後篇

「……と言うことです、分かりましたか!」


 はーい、と声を揃えて応えるクラスメイト達。なんでこんな時だけ息が合うのかなーと思わなくもないが、取り敢えず誤解が解けたようなので一安心である。

 その為に昼休みの半分を使ってしまったが、まあ安くついたと諦めよう。


「いやー、大変だったなぁ、かなた」

「一応言っとくけど鉄平さんが元凶だからね? なんでそんな普通な態度でいられるの?」

「まあまあいいじゃないか、楽しかったし」

「そりゃ傍目で見てる分にはそうだろうけどさ」


 あらぬ風評被害を受けるこっちの身にもなってくれ。

 しかし鉄平さんは悪びれず笑うだけ、思わず俺は溜息をついた。

 腕の中にいるフィールちゃんが、ぺたぺたと俺の頬を叩く。慰めてくれてるのか、構ってアピールなのかは分からないが何となく和んだ。


「ところでよ、フレイムたん」

「なに、父さん?」

「あっはっはっ、魅力的な笑顔見せてくれてるとこ悪いんだけどな。俺、いつまで正座し手りゃいいんだ?」


 ちなみにここまでの会話中、鉄平さんはずっと正座している。

 その真ん前に椅子を置き、足を組んでフレイムは座っていらっしゃる。惜しげもなく美脚を晒す彼女は、正座で動けない鉄平さんと合わせれば、どう見ても女王様だった。勿論アダルティな意味での。


「キザキ様、よい恰好ですね」


 ぐらしえ☆リヴィのキャラを忘れて、すっごくたおやかな笑みを浮かべるリヴィエールちゃん。この娘ほんとに鉄平さんの嫌ってるなぁ。


「うるせーよ。で、実際んとこいつまで……?」

「反省するまでじゃない? あたしだけにならいっぱいかけてくれてもいいけど、かなたにも、りのにも迷惑かけたんだから。相応のおしおきがないと治まりが悪いでしょ」


 言いながら鉄平さんの太ももをつま先でつんつん。

 怒っているのか楽しんでいるのか。ああいや、鉄平さんを見てる目は穏やかだから後者だな。それでも鉄平さんにおしおきなんてしてるのは、間違いなく俺や美月の為だろう。

 別に自分は怒ってはいないけど、俺や美月を騒ぎに巻き込んだから形だけでも罰則を。そうやって後々に“しこり”を残さない、ってなところか。

 さすが異世界組の良心フレイムたん。その気遣いに惚れてしまいそうだぜ、外見がもうちょっと若かったら。


「いやあ、フレイムたんちょっと落ち着こうか。ここ教室だから。そういうことされるとクラスの皆にお父さんの家族内地位低いって思われちゃうから」


 それに関しては既に手遅れだと思います。

 なんせ皆一様に生暖かい視線送ってくれちゃってるからね。


「なんつーか。俺としてはだな、こうやって恋愛事で騒ぐのも高校の楽しみかと」

「へえ、それが言い訳になるとか本気で思ってるんだ?」

「あおぅ!? ちょ、やめて。ちょっとぐりぐり止めて! マジで足痺れてんの! 地味に痛い! ああぁん!?」


 フレイムたん、つま先で鉄平さんの太ももをぐりぐり。

 じゃれ合ってるようにも見えるけど、鉄平さん意外と表情が切羽詰まってる。楽しそうに笑うフレイムはやっぱり若干Sっ気があるんだろう。出来れば知りたくはなかったけど。

 

「おい、かなた。見てないでヘルプ。ダチだろ? 助けてくれ」

「そこで俺に救援求める辺り鉄平さんスゲーよ」

「本当に、キザキ様は恥知らずですね」


 魔法少女にまで見下げ果てた目で見られる鉄平さん。

 ていうか一応言っとくけど俺も被害者だからね? 一番被害デカいからね?

 なんせ俺、今日一日で「前妻の娘を健気に育てて二人の美少女から求愛されてる男、裏で自分を想う少女達をソープに沈めようとしてる」なんてキャラになってしまった。

 誤解は一応のこと解いたが、なんかあったら「あー、やっぱりあれ本当の話だったんだ……」みたいなこと言われるのは明白である。中々難儀な高校生活になりそうだ。

 それはそれとしてフレイムに踏まれている鉄平さんをクラスの男子が羨ましそうに眺めているのは何故だろう。

 なんだこいつらMか、このクラスMの集団なのか。ちなみに筆頭は勿論のこと友之である。取り敢えずお前は涎をふけ。


「ていうかかなたも被害者でしょうが。助けを求めるよりまず謝る。勿論りのにもね」


 娘の威圧に負けて頭を下げるパパさん。どこの家庭でも父親って立場低いんだなー、と思ってしまう一幕である。

 

「ほんとごめんね、父さんが」

「もういいって、とりあえず落ち着いたし」


 そう言って笑みを浮かべれば、 鉄平さんへの態度とは打って変わって、心底申し訳なさそうにフレイムは肩を落とす。

 しゅん、とした様子は活発そうな外見だけに、普段より随分子供っぽく見えた。


「あー、かなた、りのちゃん。俺からもすまん。流石に調子に乗り過ぎた」 

「いや、ほんとそこまで気にしてないってば。……というか、鉄平さん良かったの? フレイムが俺に惚れてるだのそういう話、嫌がりそうなもんだけど」


 俺の発言に、鉄平さんは勝ち誇ったように口の端を釣り上げる。

 勿論今も正座したまま。強気な表情が堂に入っている分、非常に格好悪かった。


「おいおい、お前秀才キャラ気取ってるくせに俺の最初の挨拶忘れたのか? いいか、俺の好きなAVはスク水か競泳水着で緊縛系、後寝取られ系全般……傾向は和姦寝取られ一択だっ!!」

「おーい、君んとこのパパさんなんかほざいてるけど」

「ほっといていいよー、時々発作が出るだけだから」

「あおぅ!? すいません、ちょっと調子のりましたっ!」


 フレイムの追撃。鉄平さんはビクンッと体を震わせ、すぐさま謝罪し頭を下げた。

 アンダースローからの低めストレートよりはるかに低い腰である。

 言ってる内容も大概だし。もうね、外見が渋めのおじさんだけにこの人の残念さが際立つよ。

 しかし一転真面目な顔をして、鉄平さんは俺をじっと見る。そういう顔は普通にいい男だった。

 

「い、いやな、冗談なしで言うとだな? まあ、かなたのことはそれなりに評価してんだよ」

「へ?」

 

 それは、ちょっと意外だった。

 なにが意外って、鉄平さんは筋金入りの親馬鹿でフレイムたん萌えである。そんなお人から、冗談の中とはいえ「フレイムのお相手にしてもいい」とまで評価されているとは思ってもいなかった。


「それは……俺、結構鉄平さんの評価高かったんだなぁ」

「ん、ちょっと違うぞ? 評価は“俺の”じゃなくて“フレイムたん”のだよ。お前相手ならフレイムたんもそんなに嫌がらないからちょうどいいって話だ」


 速攻で俺の考えは修正された。

 そりゃあ、どうにも反応し辛い。つまり鉄平さんは、冗談はノリで言ってるけど、フレイムは俺と“そういう関係”だと思われても怒らない = お前のことを憎からず思ってるよ、と言っているのだ。


「あー、そこんどうでしょう、フレイムさん」

「そこ掘り下げんな、ばかなた」

「だよなぁ。つーかなんか語呂良いあだ名つけないでくれる?」


 いや、確かに馬鹿なこと聞いたとは思うけどばかなたってなんだ、ばかなたって。

 まあでも、怒る気にはなれない。だってぶっきらぼうな調子のフレイムは、ふいっと視線を逸らしてしまった。それが照れ隠しだなんてことは、誰が見ても分かった。ちょっと照れるが、確かにそれなりの好意は持たれてるらしい。色っぽい意味での好意ではないだろうけど、有難い話ではある。 


「大変だね、吾妻」


 そんな中で、美月だけがあまりにも無関心。俺達のやり取りを眺めながらぼんやりとアーモンドチョコなんぞを頬張ってやがる。


「他人事みたいに言ってるけどお前も話の渦中にいるんだからな? 二股相手として」

「大丈夫、私は愛人でもいいから」

「勘弁してくれよ……」


 飛び出てくる危ない発言。

 それを耳にしたフレイムは、不思議そうに小首を傾げた。


「ていうかさ、りのってかなたのこと好きなの?」


 教室から音が消えた、そんな気がした。

 勘違いじゃなくて誰もが声も出さず身動ぎひとつしない。

 フレイムの剛腕、直球速球ど真ん中な一言がミットに投げ込まれたのだ。クラスの誰もが聞き耳を立てていた。


「それは、私も気になっていました。随分と仲がいいみたいですし、その、なんといいましょう。男女の、そういう……?」


 更に追撃、リリーフエース・リヴィエールちゃんの登板である。

 案外とミーハーっぽい反応で、なんというか目が輝いている。女の子がコイバナ好きなのは異世界でも変わらないのか、幼げな瞳はワクワクという擬音が聞こえてきそうなくらい好奇心に満ち満ちていた。


「好きだよ、吾妻は私にとってとくべつなひと。男女のそれじゃないけど」


 それでも平然と答えるのが、美月の美月たる所以。

 基本的にこの娘、空気を読まないのである。


「やっぱり好きなんですね! ……あれ、男女のそれじゃない?」

「つまり男としては意識してない?」

「男として見れない、という意味でなら」

「ん、一緒じゃないそれ? なんで言い換えたの今? というか、愛人でもいいのに男として見てない? ……んん?」


 美月の難解な物言いにフレイムもリヴィエールちゃんも眉をしかめている。

 っていうかね、教室でそんなガールズトークしないで? 折角沈静化した男子の物騒な気配が再燃しそうだから。ていうか既にしてるから。

 という所で昼休み終了のチャイムが鳴る。


「あ、チャイム……ごめん、そろそろ行くわね」


 俺からフィールちゃんを受け取って、フレイムは一度二度あやすように体を揺する。浮かべた表情は穏やかで、すごく“お母さん”していた。

 フレイム、いいお母さんになるよ。

 そう言おうと思って、寸での所で止めた。

 彼女が魔剣なら、子供を産む機能なんてないのかもしれない。いや、十中八九ない。

 今の姿をカルディアは「魂の具象化」と言っていた。つまりは俺が見ているフレイムは、非物質を一時的に物質としているに過ぎないのだろう。だから俺は思い浮かべた言葉を口には出来なかった。


「おー、なんかこっちこそ騒がしくて申し訳ない」

「いいって、大半以上父さんのせいなんだし。それじゃね。今日もデートだから早く帰ってきなさいよ!」

「なに言ってくれてんのキミ!?」


 最後の最後に燃え盛る炎の中へと爆弾を落とし、フレイムは颯爽と去っていく。見惚れるくらいの後ろ姿に、俺は精一杯の呪詛を送った。

 紅焔の魔剣は伊達じゃない。当然の如く目を見開き、なにやら情念の焔を燃やすクラスメイト。

 昼休みはこれで終わり。午後の授業が始まるまでの数分で、クラスの皆の誤解を解く大仕事をこなさなければならなくなってしまった。

 ま、無神経なことを言おうとした罰だ、甘んじて受けよう。

 ぱんっ、と両手で自分の頬を叩いて気合を入れる。そうして俺は絶対零度の視線に再度立ち向かうのだった。


 



 ◆





 おっさんによって引き起こされた茶番の幕を引き、学校が終われば今日も今日とてフレイムとのデート。

 彼女のすらりと伸びた綺麗な足で何度も何度も失神させられて、何ラウンドやったのか分からないくらいの回数をこなした後、気怠い体を引きずって俺は帰宅した。

 夕ご飯を食べてお風呂に入って、ようやっと眠れると床に就く。

 あまりの疲れからか俺は直ぐに眠りについた。


「ふぎゃああああああああ、ふわぅあう、あああああああぅあああああああああああああ!」


 そうしてけたたましい泣き声で俺は目を覚ます。

 時刻は深夜二時を少し回った所。

 今日の昼休みは誤解を解くのにもの凄い頑張った。当然フレイムとのデートも全力だ。肉体的にも精神的にも疲れている。

 でも赤ちゃんはそんなことまで考慮してはくれない。

 今夜もフィールちゃんは何が悲しいのか、見ているこっちが泣きたくなるくらい泣いている。


「はーい、どう…したのぉ。ふぃーるちゃぁん」


 寝ぼけ眼を擦り、泣いているフィールちゃんを抱いて二度三度揺する。

 顔を真っ赤にして、いやだいやだと体をよじる。大丈夫、大丈夫だからねと何度も声をかけて、優しくあやして二十分ほど。まだぐずっているけど、ようやく少し落ち着いてきた。


「ふぇえ」

「どうした。何か辛い? どっか痛かったり痒かったりする? ああ、もしかして昼のデートし過ぎで辛いのか?」


 泣き止まない、ということはないのだ。

 俺が抱っこしてこうやって少し揺すってあげるれば泣き止んでくれる。

 けれどもう一度ベビーベッドに寝かしつけて、


「ふぇ、ぅああああああ、ふぎゃああああああああああ!」


 一時間もしないうちにまた泣き始めてしまう。

 ここ数日、そんなことを繰り返してばっかりだ。

 俺はのそのそとベッドから這い出て来て、さっきと同じようにフィールちゃんを抱っこする。もうこれで、何度目なんだろうか。

 

「なぁ、フィールちゃん。なんで泣いてるんだ? 教えてくれよ……」


 答えてくれる訳がない。

 分かっているのに聞いてしまった。真っ暗な部屋の中でフィールちゃんの泣き声だけが響いていた。






 ◆





「……吾妻、顔色悪いよ?」


 数日経ち、放課後は美月と並んでまったり下校。

 鉄平さんにリヴィエールちゃんも用事があるということで別行動だ。


「んぁ、まあ、授業中ちょっと寝れたからだいじょぶ」


 さすがに連日寝不足で辛くなってきた。強がりを言っても欠伸の方は止められず、返す言葉にも力がない。

 相変わらず美月はむっつり無表情だけど、随分と心配してくれているのが空気で分かった。


「一日くらい夜、代わろうか?」

「あんがと。でもそれじゃ根本的な解決にならないだろ? 調べたんだけど、赤ちゃんが泣くのは不快が理由なんだってさ」


 お腹が減ってるとか、おもらしして気持ち悪いとか、そういう理由があるから泣く。

 ならフィールちゃんも相応の理由があって泣いている。なら、美月に代わってもらって俺がゆっくり眠ることは解決にならない。あの娘が泣く理由を知ることは、父親の責任だろう。


「フィールちゃんが不快を感じて泣くんだったら、それを取り除いてやらないとな。でも魔剣は食事も排泄も必要ないって話だし……後は病気か、痒み痛み? 単純に泣き癖とか。もしかしたら毎日の訓練が負担なのかも。でもデート一日休んでも相変わらず夜泣きは止まんなかったし、んー、分からん」

「……ごめん、あんまり力に為れそうにない」

「いや、美月が手馴れてる感じだったら逆にビビるから」


 仲良い同級生が実は育児得意でしたって、つまり経験があるからで、ぶっちゃけ軽いNTR感がある。

 俺は鉄平さんと違いそういう属性ないので、はっきり言ってきつい。まあ美月に恋人が出来たのなら、笑顔で祝福するつもりではいるけど。


「……じゃ、ばいばい」

「おー、また明日な」


 分かれ道で手をふりふり。美月が自宅への道を歩いて行ったのを確認してから、俺はフレイムに会いに行く。

 今日も今日とてデートにいそしみ、だけどやっぱり上手くはいかず、へとへとになって家へと帰る。着いた頃には時刻は八時を回っていた。


「ただいまー、姉さん」

「お帰り、かな君。ご飯出来てるよー」


 本当、有難い。連日遅いのに何も言わず、姉さんは俺の好きなものを取り揃えてくれている。疲れてるのが分かっているからで、でも止めはせず、ただ俺を慮ってくれる。


「姉さん、ありがと」

「んー、なにが?」

「なんでも。いつも、いつだって俺は姉さんに感謝してるって話」

「ふふ、変なかな君」


 嬉しくなったので並んで一緒に皿洗い、終わった後は肩を揉ませて貰った。姉さんはすごく喜んでくれて、「次は前の方をお願いできる?」と言ったので、笑顔で断りお風呂に向かう。

 前ってどこ? なんて聞く訳もない。帰ってくる答え如何によってはこれからの姉弟関係がフワッフワしたものになってしまう。


「お帰りなさい、カナタ」


 そうして風呂上り、フィールちゃんと共に部屋へ戻れば何故かカルディアが正座で待っていた。


「おい、どっから入った」

「……? 普通に上がらせて貰いましたが」

「いや、姉さんなにも言ってなかったし。玄関からは入ってきてないだろ?」

「ああ、すみません。私の中では普通の手段で、ですね」


 つまりカルディアの中では不法侵入も普通の範疇な訳か。

 ちくしょう、油断ならねえ。

 

「うぅ?」

「ああ、フィールちゃんごめんな。よし、ベッドにいこっか?」


 抱っこされたままってのも負担だろう。一直線にベビーベッドへと向かい、そっとフィールちゃんを寝かせる。

 ぷにぷにのほっぺを指で突けば、くすぐったそうに身じろぎする。ああ、本当に可愛らしい。こうやっている時は本当にいい子なんだよなぁ、問題は夜泣きだけで。

 そうして俺がフィールちゃんを寝かせた所で、計ったようにカルディアは声をかけてくる。


「さ、立ち話もなんですから、腰を下ろしてください。今お茶を準備しますので」

「そうかい、ありがとう。ちなみになんで俺の部屋に電気ポットとコーヒーメーカー増えてるの?」

「……コーヒーや紅茶よりジュースの方がよろしかったですか? それならテッペイを走らせますが」

「いや、止めてあげて。後、分かってて惚けるって結構ひどいと思うぞ俺は」


 俺の胸中なんぞ察してるだろうに天然のフリっていうのはタチが悪い。

 指摘されたカルディアは悪びれることなく大人びた笑みを見せる。整った顔立ち、線は細く、カルディアは純粋に綺麗だ。幼さを残した儚げな佇まいは、繊細なガラス細工を思わせた。


「ふふ、少し悪戯が過ぎましたね。ですが私はこの外見ですから。とぼけた小娘の立ち振る舞いは、存外役に立つのですよ?」

「うわ、性格悪ぅ」


 ただ問題はあまりにも細工が磨き上げられ過ぎて、刃物のような鋭さを持ってしまっていることだろう。

 見た目なら14歳くらいの綺麗な少女、その上ちっぱい。完全に俺好みの容姿なのに触手が動かないのは、彼女があまりにも“女らしい”からだろう。

 現実的な打算主義、割りに我が強く自分本位。リアルの女性ではなく、古典的な創作物に登場する“したたかな女”像というのが彼女にはぴったりくる。


「おしいなぁ。外見は完全ストライクなのに、なんというか触手が動かない」

「褒め言葉として受け取っておきます。ところで、食指では?」

「触手で合ってるよ。勃つか勃たないかの話だから」

「ああ、私には欲望を持って行動を起こす程の魅力はないと。女としてはプライドが傷つきますね。色仕掛けが通用しないと言うことですから」

「カルディアにとって女って手段なのな?」


 同性に嫌われそうな性格してるなぁ、こいつ。

 でもまあ、こうやってある程度手の内を晒してくれているのは、“取り敢えずの信頼”を得ようと考えているからだろう。

 そして同時に、信頼を得る為にはある程度本音で、という最低限の良識を持ち合わせているということだ。

 そこら辺、性格悪くても下衆ではないから普通に接する分には案外楽しい。散々言ってるけど、俺はカルディアのことが決して嫌いではなかった。


「そうだ。カルディアって、アガベアスールの娘さんなんだって?」

「フレイムですか……本当に、あの娘は」


 口の軽い……、そう言わんばかりの溜息である。

 表面上は一緒に買い物行ったりとかしてるのに、なんともドライな関係の二人だった。


「まあまあ、誰から聞いたかはいいじゃないか。それよりフィールちゃんのこと、少しでも教えてくれないか?」


 実は夜泣きに悩まされてて、と俺は言葉を続ける。

 話を聞いただけで何か解決を出来るとは思わないけれど、今の俺はより多くを知らないといけない。カルディア達のこと、世界復興機構ゲインのこと、魔剣にエデュロジン。それに勿論、フィールちゃんのことも。

 俺の質問に、一瞬だけカルディアは微妙な顔をした。聞かれたくない、というよりは何と答えればいいのか分からない、そういう素直な戸惑いだ。


「それは構いませんが、大して力にはなれないと思います。アガベアスールは……父は。魔剣フィールを完成させ、程無くして亡くなりました。私は、父がフィールを手にしている姿を見たことが無いのです」


 絞り出した言葉に、隠しきれない敬愛が滲んでいる。

 だから俺は殊更軽い態度で返す。


「雑談程度でいいさ。そう言えば、お父さんがこんなこと言ってた、くらいの。雑談なんだから、話したくないことは話さなくていいし」


 フィールちゃんのことを話すことは、同時にお父さん……アガベアスールを思い出すこと。

 それを強要するつもりもない。肩の力を抜いて、だらけた調子でそう言えば、俺の意図を正確に把握したカルディアは小さく、本当に小さくだが素直な笑みを見せてくれた。


「では、そのように。フィールは長い間、マリーの部屋……ああ、マリーというのは私達に協力している占い師で、特に失せ者人探しの類を得意とする少女です。その娘の管理する倉庫に、魔剣フィールは安置されていました」

「倉庫に?」


 意思を、人格を持つ魔剣なのに、倉庫に安置。

 引っ掛かりを覚えて眉を顰めるも、澄ました顔でカルディアは話を続ける。


「ええ、誰もフィールを扱えるものはいませんでしたし、大魔導師アガベアスールの遺作というだけで金銭的な価値があります。マリーの部屋ならおいそれと盗み出されることはありません。フィールを守る意味でもそこが適していたのです」

「まあ、そうか。ゲインにも狙われてたんだしなぁ」


 とは言え、そこら辺は事情を深く知らない俺が突っ込んじゃいけないところだろう。

 彼女は彼女で数少ない選択肢から、それでも最善だと思える道を選んできた。そうやってここまで来た筈だ。

 顔を顰めた俺を見ても何の反応も見せないのがいい証拠。

 多分俺が何を言おうと彼女は平然としている。どんな正論も感情論も罵倒も意味がないくらい、考えて踏ん張って貫いてきた。

 なら彼女のこれまでを知らない俺が、何を言えるというのか。


「じゃあ結構長い間、マリーの部屋に? ていうかマリーの部屋って嫌な響きだな。白黒で出来てそう」

「……そうですか? ああ、いえ。確かに長かったですね。もう五年になります」


 五年、かぁ。

 それでもやっぱり長いとは思ってしまう。父を失くして、誰も使淹れに為れないまま、一人倉庫の中で過ごした五年。フィールちゃんは一体どんな気持ちでいたんだろう。

 と、そういうことを考えるのもカルディアに失礼だ。頭を振って余計な思考を追い払い、真っ直ぐに雪原の少女を見る。 


「とすると、カルディアは9、10歳くらい?」

「そうですね。まだまだ幼く、父に甘えてばかりでした」


 零れる笑み。この娘は、本当にお父さんが大好きだったんだろう。

 アガベアスールの話をする時だけ、表情が緩む。もしもお父さんが生きていたなら、もっと穏やかで優しげな女の子に育っていたのかもしれない。


「聞かないのですね」

 

 しかしすぐに笑みは消え、雪のように冷たい表情が戻る。

 意味ありげな視線を投げかけられ、でも俺は知らないふりして惚けて見せた。


「ん? なにが?」

「父が死んだ原因。死んだ正確な時期。テッペイたちと知り合った経緯。話を総合すれば、二十年以上前に滅んだであろうロアユ=メイリを私が祖国と呼んだ理由。敵の所在をぼかすような言い回し。ネクスを操る術を調べないのは何故か。知りたいことは多くあると思いますが」


 惚けた意味はあんまりなかった。

 見事なまでに、俺が疑問に思っていた点を図星してくれる。

 こうまで見透かされるといっそ清々しい。でも正直なところ、今はそこまで聞く気はない。


「確かに疑問はいっぱい。でも俺の手もいっぱいなんだ。そんなに突っ込んで聞いても対応できないし、何より相応の信頼を積み重ねず懐に踏み込むほど無粋じゃないよ。べ、別に、あんたに気を使ってる訳じゃないんだからね!」

「はい、知っています」

「うわ、ノリ悪ぅ」


 でも空気はよく読んでくれるから、カルディアのことは嫌いじゃない。

 おちゃらけて見せたけど、俺の内心はちゃんと理解してくれている。それを少しだけ緩んだ口元に知ることが出来た。


「もうちょっと、ジョークに付き合ってくれてもいいと思うんだけどなぁ」

「済みません、あまり慣れていないもので」


 実際、そこまで聞く気はない。

 そういう深い話は、カルディアを疑っている今の俺には聞く資格がない。そこら辺の分別くらい弁えている。

 もしもそれを聞くことがあるのならば、俺が彼女の力になりたいと思った時だけ。

 俺は現状自分と美月、その周囲の安全とフィールちゃんを育てることだけを目的にしている。

 そんな中途半端な男でいる間は、彼女の内面に踏み込んではいけない。


「お詫びと言ってはなんですが。少しだけ、余計な話をしましょう」

「え、いや……いいのか?」

「先程の発言は信頼に値します。ですから、その対価だと思っていただければ」


 俺の言葉を逆手にとっての物言い。断らせないようにするのは、感謝の念の表れだろう。

 そうまで気を遣わせては、断るのも気が引ける。

 佇まいを直し、俺はカルディアの言葉に意味を傾けた。


「貴方の聞きたいこととは少しずれがあるかもしれませんが、魔剣フィールは生涯最高の傑作となった……父はそう誇らしげに語っていました。光を操る二極の魔剣だと」

「ああ、数持ちの魔剣ってやつ?」

「はい、十剣、八太刀、六奇刃、四霊剣、二極、弧剣。計三十一の魔剣は、父が造り手ずから育てた名剣。その中でも最後に作られ、あらゆる魔剣の頂点に位置するのがフィールです」


 そこが、おかしい。

 なら、なんでフィールちゃんが二極なのか。二極、その名称通りなら対となる魔剣がある筈で、なのに頂点。フレイムに話を聞いた時も疑問に思ったが、製作者の娘からの言葉だと余計におかしく感じる。

 そしてそれは俺だけではなかったらしく、カルディアもまた薄く目を細めた。


「……貴方は私を疑っている。ですが、これに関しては一切の嘘も誤魔化しもしません。信じてくださいますか?」

「ああ信じる。そういう前置きってことは、カルディアも変だと思っていた訳だ?」

「当然でしょう。私はアガベアスールの娘。あの人の、最も近い場所にいた人間です。だというのに、フィールの対となる魔剣を知らないのです。同時に、孤剣がどのようなものであるのかも」


 素直に受け取るならば、並び立つものがいないフィールこそが孤剣と呼ばれる。

 しかし実際に与えられた称号は二極。そして彼女が二極であるならば闇、影……その手の対になる魔剣が存在しなければならない。

 カルディアは俺と同質の疑問を抱き、同じくその答えを得ることが出来ていない。

 数持ちの魔剣は三十一。

 内訳は当然十、八、六、四、二、一となる。

 今の物言いからすると、そのうちでカルディアが知らないのは二極の片割れと孤剣のみ。

 そしてその二振りを無視して、最高傑作と呼ばれるフィールちゃん。

 どう考えても合理的ではないフィールちゃん自身とその周辺に、カルディアは疑念を抱いているのだろう。


「“魔剣フィールはネクスを無に帰す最後の希望。彼女を使いこなせれば、何もかもが上手くいく。”父の言葉を信じ、私はフィールの使い手を探していました。私も魔装技師ですから、あの娘の内に宿る力くらいは読み取れます。フィールが最上級の魔剣であることは間違いありません」

「でもネクスをどうにかできると言い切れるかというと、“ちょっとそれは”って感じ……なんだよな?」


 ぴくりとカルディアの眉が動く。

 確かにフィールちゃんは最上級の魔剣、その名に相応しいだけの力を有しているんだろう。

 だけど成長し切っていない彼女しか知らないアガベアスールが、“何もかもが上手くいく”と断言するのは違和感がある。

 もしかしたらアガベアスールがフィールちゃんを使えば、一人と一振りでネクスを全滅することが出来たのかもしれない。

た とえば、こちらの世界で言えば核弾頭クラス。一発で形勢を逆転させるチート級のポテンシャルがフィールちゃんにはある、と考えられない訳ではない。


「はい、その通りです。一騎当千の勇者とて、万を億を超える軍勢を相手取れる訳がない。個は群に飲み込まれるが必定でしょう」


 でも現状それだけの力は読み取れず、成長し切った所でネクスの全てを駆逐できる程ではない。

 少なくともカルディアはそう考えている。

 それでもフィールちゃんを希望と語るのならば。

 魔剣フィールには、大魔導師アガベアスールの娘でさえ知らない“なにか”が在るのだ。


「つまりフィールちゃんには、力が強い以上の“なにか”がある筈。ああ、そっか。鉄平さんの役割は護衛か監視だと思ってたけど、フィールちゃんの調査でもあったのか。とするとベビーシッター・フレイムたんもカルディアの思惑通り?」

「はい、カナタの言う“なにか”を知ることは最優先。その如何によっては、今後の方針が変わってきますから」


 もともと下手に隠す気はないらしく、割合素直に白状してくれた。

 カルディアの引いた図面は分かった。話した理由も納得だ。

 彼女の目的はつまり、フィールちゃんが持つ世界を滅ぼす勢力に対抗できるほどの“なにか”を知ること。

 彼女は俺の気遣いの対価に、自分達の当面の目的を晒してくれた。

 それを理解し、ちょっとだけ気が楽になった。

 俺達を騙してどうこうしようとしていたのかと思えば、実のところカルディアも現状手探り状態だったわけだ。

 いや、微妙に真実を隠しているのは間違いないんだけど。

 まあそれはそれとして、今の話を聞くと、少なからずカルディアは問題を抱えている。

 大したことではないと言えばそうなんだけど、一応伝えておこう。


「……でもさ。フレイム、そこら辺のこと絶対理解してないよ?」


 何が問題って、調査役に自覚がないってのが問題。フレイムは、そりゃもう献身的にフィールちゃんの世話をしてくれている。

 あの献身が、笑顔が、優しい目が演技だとしたら俺は間違いなく女性不信になる。それくらいフレイムはまっすぐだった。

 ぶっちゃけて言うと、何も考えず熱心にお世話役をやってくれているのである。


「そもそもあの娘には意図を伝えていません。知ったら間違いなくぎこちなくなりますから」

「だよなぁ、いい子だけどいい子過ぎて腹芸できそうにないし。んじゃ、フィールちゃんの傍にいて、何か変なことがあったら教えてください、くらいのもん?」

「正しく、その通りです。敏くはありませんが、木石ぼくせきよりは多少マシでしょう」

「ひどいなオイ」


 こいつら本気で仲悪いんだな。

 一応世界の危機に立ち向かう仲間なんだから、もうちょっと歩み寄れないものなのか。

 あと、敏くないってのも微妙に外している。案外フレイムたん頭が回るよ? カルディアの行動にも疑問を抱いていたし。


「って、なんかフィールちゃんのこと聞くつもりが変な方に話がいっちゃったな」

「そういうこともあるでしょう。私としては寧ろありがたいですが。カナタと親交を深められたので」

「親交、ねえ」


 まあ、間違ってはいないか。

 カルディアの思惑を知って、俺もそれに協力できると確認できた。一応お互いの理解は深まって、同じ目的がある以上当面の協力体制は揺らがない。

 俺がやらなきゃいけないことは二つ。

 一つ、フレイムとのデートで一発ぶち込む。

 二つ、カルディアと一緒にフィールちゃんのことを隅々まで調べる。

 それ以上のことは後回し、ゲインの動きには注意して、ってな感じだ。

 

「まあ実際、多少は仲良くなれたかな?」

「ええ、本当に。私達、相性がいいと思いませんか?」

「ああ、案外そうかもな。考え方も似てるみたいだし」

「そう言ってくださって嬉しいです。出来れば、末永い付き合いになるといいですね」

「あはは、カルディアみたいな美少女にそんなこと言われると照れるなぁ」

「うふふ、それは私もですよ、かなた」

 

 うん、やっぱり親交が深まったというのは間違いない。

 なんせこんなに和やかな会話ができるんだ。お互いにっこり笑顔、実際俺達は結構馬が合うような気がする。勿論、皮肉じゃなくて。

 演技染みたやり取りの中にも、少しだけ。ほんの少しだけど、友達同士の会話のような気安さがあった。

 あはは、うふふ、と一頻り笑い終えて、時計を横目で見たカルディアはすくりと立ち上がる。

 

「長居してしまいましたね、そろそろお暇させて頂きます」

「そっか、あー送っていった方がいい?」

「いいえ、これでも暴漢程度なら粉微塵にできますから」


 発言がバーバリアンすぎる。

 優雅な立ち振る舞いでくるりと背を向け、カルディアは窓を開けて軽やかに去っていく。

 とん、とん、と屋根から屋根へ。まるで少女マンガの怪盗ものを見ているような気分になる。 

 夜を往く彼女は星明りの下どこか幻想的に見えて、でも結局どうやって入り込んだのかは分からなかった。

 多分教えてもくれないだろうなぁ、そんなことを考えながら俺はぼんやりと彼女の背中を見送った。





 ◆




「ふぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


 真夜中、またもけたたましい泣き声で俺は目を覚ます。

 当然ではある。話を聞いただけで夜泣きが止まるなんてある訳ない。俺は目を擦ってベッドから這い出て、いつものようにフィールちゃんを抱っこする。

 しばらくあやしていると、泣き止んで。

 少しずつ眠りに付こうとするこの娘の顔を、俺はじっと眺めていた。


「五年か、長いよなぁ」


 カルディアから聞いた話を思い出す。

 アガベアスールはフィールちゃんの生みの親。でもこの娘は生まれてすぐ父を亡くした。

その後、誰もこの娘の使い手になることは出来ず、倉庫に入れられた。

 誰にも触れられず、女の子として愛でられことはなく、剣としての存在価値も認められず。

 大魔導師アガベアスールの最高傑作と謳われながら、この娘は誰にも必要とされなかった。

 そうして過ごした五年の歳月、フィールちゃんは何を思っていたのか。

 長い長い眠りに、どんな夢を見ていたのだろう。


「なぁ、フィールちゃん。もしかして、寂しかった? 暗い部屋にいると、一人きりになったみたいで、だから寂しくて泣いてた?」


 誰にも必要とされないことが、たまらないくらい寂しくて

 だから勝手に倉庫を抜け出して、俺のところに来た?

 自分の考えを、はんと鼻で嗤う。そいつは流石に少女趣味が過ぎる。

 ああ、でも。

 誰もフィールちゃんの使い手にはなれなかった。

 その心に触れることは、できなかった。

 彼女はずっと一人だったんだ。


「うぅ」


 可愛らしく声を上げるフィールちゃん、抱き締める力をほんの僅かだけ強める。

 もしもフィールちゃんが暗い倉庫の中、五年という年月をたった一人で過ごしたというのなら。

 自分が特別だと、自惚れる気は毛頭ないけれど。

 それでも、この娘にとって俺は、初めて自分を必要としてくれた誰かで。

 初めて触れた、暖かさだったのかもしれない。


「……なんて、な」


 ちょっと感傷的になりすぎたかな、と苦笑を零す。

 いつの間にかフィールちゃんは泣き止んでいて、俺の目はすっかり冴えていて、もう一度眠ろうという気にはなれなかった。


「あーあ、こりゃ明日も寝不足だ」


 そんな愚痴をこぼしながら、俺はフィールちゃんを抱っこしたまま自分のベッドの上に座り込んだ。

 そして窓の向こうに広がる夜空を眺める。

 どうせ眠る気が無いのなら、もうちょっとフィールちゃんと一緒にいよう。

 見上げれば星の天幕。

 沈み込むような夜空には、瞬く沢山の光がある。

 一つ、二つ、三つ四つ。

 切りが無いけど、少しずつ。ぼんやりと星を数えて朝を待つ。

 腕の中にはすやすやと寝息を立てる可愛い娘。


「……大丈夫、寂しくないよ」


 ちゃんと、一緒にいるから。

 泣き止んで、穏やかに眠るフィールちゃんの耳元でそっと呟く。

 なんだ、眠れないのだってそんなに悪くない。

 星を数えて、気付けば時間は過ぎる。

 時には、こんな夜もいいかもしれない。

 

 静かに笑って、もう一度夜空を見上げる。

 敷き詰められた星に、何故だか少し穏やかに笑えた。






















「ん、あ。やべ、少し眠ってた」


 結局俺は、そんなことを繰り返して夜を明かした。

 遠く聞こえる雀の声。眠ってたといっても朝方になって僅か十分。二十分というところ。疲れは全然取れてない。体も瞼も重いけど、なんだか少しだけさわやかな気分だった。

 重いと言えば、腕も随分と重い。

 そりゃそうだ。いくら軽いとはいえ、フィールちゃんを一晩中抱っこしていたんだ。腕が重くなるのも当然だろう。

 そうして俺はフィールちゃんの方に視線を向けて、


「え」


 いっしゅん、しこうがとまった。

 フィールちゃんがいない。

 ナイフに戻っている訳でもない。

 腕の中に、俺の知っている可愛らしい赤ん坊はいなかった。

 なんで、と問うことも出来なかった。腕は相変わらず思い。赤ん坊を抱っこしていた時よりも、重みは増えている。


「んー……」


 腕の中に、赤ん坊はいなかった。

 代わりに、女の子が眠っている。

 金糸の長い髪、波のない海を思わせる紺碧の瞳。白くきめ細やかな肌。

 年齢は七歳くらいだろうか、小学校低学年。幼げな少女は、全裸で俺の腕の中にすっぽりと収まっていた。

 固まった俺の代わりに、女の子が身じろぎした。

 目を覚まし、ゆっくりと重い瞼を持ち上げ、ぼんやりとしたまま俺の方に目を向ける。

 目と目が合って、ゆるゆると、柔らかく少女は笑う。


「おはよーございます、パパ」 


 フィールちゃんは、どうやら成長期だったようです。





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