第九十一幕
前回のあらすじ
2Gまでいて3で消えたやつが現れました
二日後。
孫策、周瑜の二名と建業にて別れた一行は伊邪那岐たっての願いとあってなぜか呉服屋に来てめかしこんでいた。
「あの、ご主人様? 流石にこれはやりすぎでは」
「私もそう思うのですが」
「伊邪那岐殿、謁見するわけでもないのに着飾る必要などあるのですか?」
「風ちゃんは、お洋服よりももっと欲しいものがあるのですけどぉ?」
女性であることよりも武人であること、軍師であることを誇りとしている四人は彼の願いであっても真意がわからないため素直に喜ぶことができない。
「あのなぁ、お前ら。お前らは武将や軍師である前に女人なのだぞ? 揃いも揃ってめかしこむことを忘れおって。着飾ることを忘れては元がいくらよかろうとも曇って見えてしまう。肩書きのようにいつでも捨てられるものにこだわっていては人生つまらぬものにしかならん」
だが、それこそが彼の悩みの種でもある。彼の部下の大半は女性であるにもかかわらず仕事に明け暮れ、その力をほとんどが仕事につぎ込んでいる。それは彼にとってみれば嬉しいことでもあるが、悲しいことでもある。彼は自分のために誰かに生きて欲しいと願っていない。自分たちの人生を思いっきり楽しんで悲しんで生きて欲しいと願っている。喜びも悲しみも分け合うためにはまず自分という器を磨かねばならない。それを疎かにしているように見えたからこそ、彼はこの四人を同行人として選んだのである。
「人生とは捧げるものではない、楽しむものだ。だからお前らももう少し自分を磨くことに気を使え。見目麗しい者たちに囲まれていたほうが俺としても嬉しい」
彼の言葉を受け、先程まで乗り気でなかった四人は顔を赤くしたり、頬を軽く指でかいたり、ため息をついたりしたものの納得が言ったらしく装飾品を選ぶために次の店へと移動を開始。そこから二桁に到達する店を周り、彼を除く全員が装いを新たにする頃には太陽が沈みかかっていた。
「ふむ、こんなところか」
「あの御主人様、今夜の宿はいかがされますか?」
着飾った四人を見て満足したように首を縦に振る彼に対し、心配そうに黄忠が声をかけてくる。彼にのせられて様々な店を回って買い物をしたおかげで今日一日の出費はかなりのもの。下手をすると滞在して居る間の金子が足りなくなってしまうかもしれない。
「宿のことは心配するな、俺にあてがある。それと金子のこともだ。これは俺の個人的な出費であって、この通り碧から預かった金子には一切手をつけていない」
そう口にして彼が懐から取り出して黄忠に手渡したのは大量の金子が収められた麻袋。そこに麟の文字が刻まれているところを見れば、彼の言葉が偽りでないことはすぐに理解できる。だからこそ彼女たち四人は二の句が告げない。
麟の財布を握っているのは彼の相談役を務めている馬騰。彼女がそれぞれの技能と功績を考慮して給料を決めて支給している。当然のように副王である布都も例に漏れず給金を受け取っているのだが、伊邪那岐の場合は少々異なる。彼の場合、給金は申請制で望む金額をいつだって手に入れることができる。それなのに、彼は生活が支障なく遅れる程度の給金しか常に申請して受け取っていない。具体的に提示するのであれば彼女たち四人が日ごろ受け取っている給金よりも少ない額。そこから捻出されたことを知らされれば誰が口を開くことができよう。
「お前ら揃いも揃って黙り込んで気分でも悪いのか?」
「「「「いえ、その」」」」
彼個人の出費だと考えておらず、思うままに買い物をしてしまった四人の表情は暗い。むしろ、先程までの舞い上がっていた自分を責めたい気持ちでいっぱいになってしまっている。
「なら別にいいが。とりあえずこの場所に行くぞ。できれば日が落ちてしまう前にたどり着きたい」
一人、彼女たちの心境が理解できていない伊邪那岐は地図を黄忠へと手渡して移動を開始。重い足取りをなんとか彼に気づかれないように四人も移動し、半刻もすれば目的の場所が見えてきた。
そこにあったのは荘厳を形にしたらこのような形になるであろう屋敷。一目見ただけで貴族、もしくはそれに準ずるものの住まいであることがわかる。そこに彼はいきなり関羽の獲物を手にとって投げつけた。投げつけられた青龍偃月刀は正門を大きな音を立てて砕いて進み、本殿の入口付近の石畳に突き刺さる。
「ごっ、ご主人様、いきなり何を?」
「慌てるな、毅然としていろ」
彼の暴挙によって次々と現れた兵士たちが彼らを取り囲むように獲物を構え、陣形を整えていく。四人はそれに対してそれぞれ身構えるものの、当の本人はつまらなそうに事の成り行きを見守っている。
「貴様らっ、ここがどなたの屋敷であるかを知っての狼藉かっ」
「知っているとも。だからどうかしたのか?」
「ここが孫呉の前国主、孫堅様の屋敷だと知ってこのような振る舞いをしたというのだな? ならば、貴様らに訪れる未来も分かっているなっ」
「「「「孫堅っ?」」」」
彼に向かって声を張り上げ、弓に矢をつがえる青い髪の女性。その声を聞いた四人は一斉に声を上げて視線を彼へと集中させる。
孫堅文台。
女性の言葉通り、孫呉が袁術によって強奪される以前の国主であり、孫策の母。その武は今の時代の武将たちの憧れであると同時に神がかったものとして伝えられているほどの豪傑。
そんな人物の屋敷にいきなり現れただけでなく無礼以外の何ものでもない行動をした伊邪那岐は、先程から両手を使って指折り数え、その数が二十を超えた時点で大きくため息を吐き出していた。
「取り囲んで陣形を整えるまでに時間をかけすぎだな。おまけに練度もそれなりであって高くない。これで何を守った気になっているのか、逆に俺が問いかけたくなってしまうな。お前らは一体何から誰を守っているのだ?」
「知れた事。孫堅様を数多の危機から守っているのだっ」
「この程度の雑兵で何を守れるというのか。曹操の屋敷に同じことをしたなら貴様らのかけた時間の四分の一程の時間でもっと質の良い奴らが出迎えてくれるぞ? あやつは隠居して正解だな。随分とぬるくなったものだ、これでは戦場で生き残ることなど出来はしない」
「貴様っ、それ以上口を開いてみろ、即座に額に矢を突き立ててやるぞっ」
「はっ」
青い髪の女性の言葉を鼻で笑って彼は言葉を続ける。
「言葉を発したというのに射てこない。言葉を違えること、それ即ち武人にあらず。見ての通り丸腰の相手である俺を射殺そうとすることもまた同じ。どちらにしろ、貴様は貴様自身の手で武人としての己を殺すこととなった。さぁ選ぶがいい。言葉を違えて誇りを殺すか、矢を放って誇りを殺すか」
その言葉を受けて目の前の女性は奥歯を噛み締める。彼の言葉通り、彼女にもはや選択肢は残っていないし、後戻りすることもできない。自分の命を晒すことによって相手の誇りを殺す。彼以外、真似ることはできても決して実践しようと考える人間はいないだろう。自分の命を晒すという前提条件があまりにも危険すぎるから。
「全くこのような時間に何事かっ」
人をかき分けて現れたのはこの屋敷の主である孫堅本人。事態を理解していない状況で現れた彼女は周囲に視線を巡らし、一人の人物に視線を留め、その顔色を変化させる。
「お主、どうしてここに?」
「どうして? それをほかならぬお前が俺に問うというのだからおかしなものだな、孫堅。よかろう、あえて答えてやる」
彼は楽しげに唇の端を釣り上げ、謳うように告げる。
「皆もよく聞くがいい。我が名は伊邪那岐、麟の国主にして隻竜王の悪名を頂きし者。此度は過去、俺の首を刎ねようとした愚か者、孫堅文台の首をいただきに参った」
言葉は水滴となり、水面に波紋を起こすように兵士たちの心に恐怖となって浸透していく。それもそのはず、目の前に現れた人物は列強たる麟の王にして大陸中で悪の代名詞にも使われている隻竜王。彼の悪名に悪評を知っていてなお恐怖に抗えるほどの精神的訓練を受けているものは、この場で彼の配下しかいない。
「っというのは挨拶がわりの冗談だ。先程のことは、この屋敷を守る人間の力量を把握する為のもの、敵意はない」
「お主が言うと冗談も冗談に聞こえないぞ?」
「ふむ、曹操を真似てみたのだがうまくはいかぬか。まぁそれはともかくとして、孫堅、頭の中まで隠居したのか? この屋敷はお粗末すぎるぞ」
「そうか? これでもなかなか将来が楽しみなやつらを集めているんだが」
「甘いな。俺が万全の状態であればそうだな、四半刻かけずにこの屋敷にいる人間、お前を含めて殺すことが可能だ。加えて言うなら、俺の国には今言ったことを実行することができる部下が複数名いる。隠居した身といえど、お前には利用価値が多々ある。娘たちに迷惑をかけたくなければ問題点を洗い出して改めることだ」
「相変わらず厳しいやつだな、本当に。しかも言い返せないぐらいの正論ときたもんだ」
苦笑いを浮かべ、孫堅は全員に武器を下ろすように命じる。だが、彼女の言葉に従わない者が一名ほど。伊邪那岐に対して弓を構えた青い髪の女性だけは、依然として敵意という視線の矢を彼に対して向け続けている。
「瑪瑙、儂は獲物を下ろせと命じたぞ?」
「ですがお館様っ」
「二度は言わんぞ、獲物を下ろせ。下ろさぬというのであれば、儂自らお前の体に教え込む必要が出てくる。それをお前は望むというのか、太史慈?」
「くっ」
納得が言っていないことは誰の目から見ても明らか。それでも太史慈と呼ばれた女性は弓を下ろす選択肢しか選べない。それが自分の誇りを殺す行為だとしても。
「太史慈といったか、自分の誇りを殺すことをよしとしない武人は、この場でお前だけだな。誇れよ、お前は言葉を違えてはいない」
「なっ」
「お前の敵意という矢は紛れもなく俺の額に突き刺さった。実物が刺せなかったことを悔やむのであれば好きに挑んでくるがいい。暇潰し程度に相手をしてやる」
去り際、太史慈へと言葉を投げかけていく伊邪那岐。その後ろ姿を見送り、彼女は口を開く。
「お館様、あの御仁とはどういった関係で?」
「瑪瑙は難しいことを聞いてくるな。生憎、儂にもあやつとの関係はよくわかっておらん。憎しみをぶつける相手、敵国の人間、かつて刃を交えた者、どれもこれもしっくりとは来ない。一番近いのは酒飲み相手といったところかのぅ」
この世界、扉は壊すものという暗黙のルールでもあるんでしょうか?




