第八十五幕
前回のあらすじ
調子に乗った袁術が攻めてきました
「待て、警備の兵もいれば刻限にも少なからず余裕がある。お前が最前線に立つ必要などない」
「布都殿の言うとおりです陛下。紫苑さんに桔梗さんを中心として遠距離での戦闘を視野に入れれば、八千程度の戦力なら相手取っても持ちこたえることは可能です」
いきなり最前線に飛び出そうとする伊邪那岐に対し、あくまでも正論をぶつけてくる布都と馬騰。実際、警備の兵といっても正規の兵士。豪傑である麟の将軍たちに調練された彼らであれば袁術の兵を押し返すことは不可能ではない。
「なぁお前ら一つ問うておくが、城壁の警備兵たちが袁術達とぶつかった場合、どれほどの命が失われるかわかるか?」
「「それは」」
彼の言葉を受けて二人は言葉に詰まってしまう。戦闘になれば少なからず負傷者や犠牲者は出る。敵が城壁に到達すれば当然のように城壁も修復しなければならない。その際、別の敵が攻めてこないとは限らない。人にしても損耗にしても正確な数を把握することは戦闘が集結してからでしかわからない。
「ならば陛下、私に出陣の許可を」
「愛紗」
「宴の褒美にて一番槍を頂けるはず。この関羽の武、どうか国のためにお役立てください」
「まるで日頃は役に立っていないかのような口ぶりだな。だが、それは聞けぬ願いだ」
進み出て頭を垂れた関羽の願いを彼は一蹴する。
「何故ですかっ。陛下のお言葉が嘘偽りであったと私にそうくちになさるつもりですかっ」
「違う。俺はお前たちに嘘偽りを口にしたつもりなどない」
「なれば何故っ」
「お前にくれてやるのは戦での一番槍。だが、これは戦ではなく殲滅だ。それに、このような些事で武を誇ろうとするな。自分の腕を誇りたいというのであればしばし辛抱しろ。お前には必ず大舞台での一番槍という役目をくれてやる。その場でお前の力を十二分に発揮してくれ。あんな奴らにお前を使うのは勿体なさすぎる」
言葉を後に関羽の横をすり抜けた伊邪那岐はそこで振り返って口を開く。
「桔梗」
「ここに」
「城壁の部隊とお前の部隊を交代させて指揮を取れ。兵が足りないというのであれば紫苑の部隊を併合しても構わん」
「仰せのままに」
「牡丹、朱里、雛里」
「「「ここに」」」
「城壁内部での指揮はお前達に一任する。民を守るためだ、編成に隊列、陣形は問わない。好きにやれ。ただし、民の避難が最優先だ、わかったな?」
「「「はっ」」」
「碧は曹操とその連れを、布都は孫策とその連れを相手しておけ。俺を謀にかけたといってもこの国にいる間は客人。扱いに関してはそれなりに気を使え」
「「かしこまりました」」
「指示を受けていないものは半分が民たちの盾となれ。残りの半分は先に挙げた三名の指揮下に入り指示に従え。もっとも、お前らが刃を交えることはないだろうが用心は怠るなよ。それと、曹操に孫策」
彼の言葉を受けて二人が息を飲む音が響く。
「お前たちに特別に見せてやる。埋められぬ力の差というやつを」
◆◆◆◆◆◆◆◆
伊邪那岐が指示を出し終えてからおよそ一刻半。
曹操に孫策、両陣営を任された布都と馬騰の二人は彼女たちと共に城壁の上で一人城壁の外に出ている伊邪那岐を見下ろしていた。
「伊邪那岐のやつ、本当に一人で相手取るつもりか?」
「冥淋は相変わらず心配症ね。自信満々に言い切ったんだからいいじゃない、見せてもらいましょうよ」
一人で八千の兵を相手にするのは自殺行為。それを元軍師である伊邪那岐が知らないわけがない。そのことを踏まえたうえで周瑜は裏があると読み、孫策は彼女の心配をよそに楽しげに時間を待っている。
「苦労していそうだな、周瑜」
「主が主だからな。まぁ、それはあなたも同じような立場だと私は思うのだが?」
「ああ。お前の主と違って俺の主は自分の命を軽く見すぎているのだ。心配の種はいつになっても尽きない」
お互い行動するたびになにかしら迷惑をかけてくる主に対してため息をつくものの、その表情には一切の後悔がない。
「ひとつ聞いてもよろしいだろうか、布都殿」
「俺に答えられる範囲であれば」
「我々の陣営に夜刀という人物がいる。そいつが布都殿は軍勢を相手取っても勝利できる化物のような御仁だと口にしていた。そのあなたが何故前に出ない?」
「夜刀か、随分と懐かしい名前を聞いたな」
そう口にして布都は空を見上げる。空には雲一つなく快晴。それなのに彼の心の中は曇天そのもの。
「俺が前に出ない理由は、陛下が前にいるからだ。陛下は誰かが自分の盾になることをひどく嫌う。だが、敵がいつも前から来るとは限らない。背後に内部、どこからでも敵が湧き上がってくる可能性はある。その敵を討ち滅ぼすのが俺の仕事。だから、陛下が前にいる以上俺には陛下の後ろを守る必要がある」
布都の決意は硬い。己が傷つくことを良しとしている伊邪那岐だが、それを容認しているのは彼だけであり、臣下の者たちはそのことを認めてはいない。だからこそ、彼が受け取る傷を少しでも減らそうと布都は決めている。
「なかなかの忠義ね。褒めてあげてもいいわよ」
会話に加わってきたのは曹操。その表情は珍しく目の前の人物に対して敬意を払っているらしく多少硬い。
「陛下への忠義で私と同等なのは布都殿ぐらいのものですから、当然といえば当然です。陛下と轡を並べるというのであればそのお体は勿論のこと、御心すらお守りする覚悟が必要となってくるのですから」
「碧殿」
「でも不思議ね、この国には呂布がいるのだから彼女を最前線に立たせれば袁術のような小者はすぐにでも尻尾を巻いて逃げると思うのだけれど。そうしないのは何か理由があるのかしら?」
曹操の言は正確に的を射ている。
呂布奉先。
この大陸で生活している人間であればその名を聞いただけで裸足で逃げ出す。一説では単騎で数万の軍勢を押し返したとまで言われている武人の代名詞。事実として曹操は彼女を欲し、孫策は彼女を恐れた。並び立つものがいないほどの天下無双。そんな人間を前線に投入しない理由がない。
「恋には火具土と共に陛下より与えられた最優先命令があるからな。うかつに動かせば俺や碧殿であっても陛下に半殺しにされかねん」
「最優先命令とは?」
「それは」
周瑜の言葉を受けて布都は言葉につまる。口にしていいものなのか悩んでいるらしい。
「民の安全を守ることです」
そんな彼の心情を理解してか、馬騰が代わりに言葉を紡いでいく。
「恋さんに火具土さんはもはや我が国の守りの要。いかに前線が窮地に立たされようとお二人を戦地に収集することを陛下はよしとはされぬでしょう」
「でも、戦で負けちゃったら終わりでしょ?」
「戦の敗北と人生の敗北は違います。王であるおふた方の価値からして意味は同じのはず。ですから曹操殿に孫策殿にはお分かりいただけないでしょう」
「それは、華琳様に対する侮辱ととっていいのかしら馬騰?」
馬騰の言葉に苛立ちを覚えた荀彧はすかさず突っ込んでくるが、彼女の言葉を受けた本人はそれを否定するように首を横に振る。
「「戦での勝敗を覆すことは容易であるが、人生の敗北である死を覆すことはかなわない。故に俺は、戦での敗北は受け入れても民や兵士が人生の敗北を甘んじて受け入れることは認められない」陛下の言です。再三にわたって私も布都殿も陛下を説得しようと試みましたが、その全てが失敗に終わっています。なぜだかお分かりになりますか?」
馬騰の問いを受け、孫策と曹操は首をかしげてしまう。
「陛下の思考は私たちが正直に引いてしまうほど残忍にして冷酷、益と損を天秤にかけた徹底された現実主義。ですが、陛下の根源にあるのは幼い子供。過去にどのような経験をなされたのか私にはわかりませんが、陛下の中には私たちを相手取っても絶対に譲れないものというものが確かに存在している。それが、おふた方とは違うのです」
それが目の前にいる二人の王と彼女の主である伊邪那岐の相違点。勝利や名誉は二の次、彼が最優先としているものは命。彼はそれを守るために成功法を取らずに悪に手を染める。誰よりも人を陥れ殺す方法に長けているというのに、自分を第一に考えれば無傷で終わりを迎えることができるというのに、自分が一番傷を負うことでより痛みの少ない方へ、より血が流れぬ方へと皆を導いていく。彼自身も己の抱えている矛盾に気づいている。だが、その矛盾を抱えているからこそ、ここまで強烈に民の心を惹きつけたのかもしれない。彼は手の届かない存在ではなく、人の心を理解している存在なのだと。
「袁術の軍勢が見えたぞ」
視界に映るのは騎馬が上げる土煙。
「お手並み拝見ってヤツね。いい機会だから存分に見せてもらうわよ。私たち相手に啖呵を切ったあんたの実力。そして、麟という国の柱の生き様ってやつを」
でも主人公って確か二万の軍勢を相手にしたことがあったような?




