第七幕
前回のあらすじ
孫策、周瑜と共に脱獄した主人公
東を目指して進む一行だったが、
「暇ねぇ」
「ええ、暇ね」
街に辿り着かなければ、野盗にであったりもしない。何事もなく進むことほど退屈なものはない。
「ねぇ、伊邪那岐もそう思わない?」
「そういえば、聞いておきたいことがあったんだが」
先程から会話しているのは二人だけ。気になって話を振ってみたところ、その瞬間、二人の体は固まった。いや、馬にまたがっているので若干振動してはいるが。
「寝てる?」
「ええ、寝ているわね」
馬の速度を合わせ、隣につけて確認してみるものの、伊邪那岐は一向に反応を示さない。頬を指でつついても、手をたたいて音を上げても、反応がない。瞳を閉じたまま、呼吸はしているので、死んではいないが、確実に意識は手放している。
「普通、馬に乗ったまま眠れる?」
「普通は、眠れるはずがないのだけれど」
起きるかと思い、声を張り上げて、彼を挟むようにして会話をする孫策と周瑜。それでも、伊邪那岐はまぶたを動かすどころか、反応を示すことすらない。
「ちょっと、試してみようかな?」
「何を?」
「昨日の昼、夜刀相手に凄かったから、私でも勝てないかもって。少しばかり自信喪失しちゃってたのよね」
「それで?」
「今なら、勝てるんじゃないかと」
「眠っている相手に対して?」
「常駐戦場って言葉があるじゃない」
にこやかな笑みを浮かべ、剣を鞘から引き抜く孫策。だが、完全に抜ききるよりも先に彼女の動きは停止させられてしまう。その喉元に、いつ抜いたのか、それ以前に、いつ起きたのか。伊邪那岐の刀が突きつけられていたから。
「ああ、悪い。寝ぼけてた」
大きなあくびを一つ。大して悪びれることなく、伊邪那岐は突きつけていた刀を鞘へと戻す。何事もなかったように振舞っているものの、空気はそれに応えてくれない。周瑜は瞳を大きく見開き、孫策は冷や汗をかいてしまっている。
「二人共、何をそんなに身構えている。俺が寝ている間になにか、あったのか?」
自分が起きたことによって、この空気が形成されているとは露知らず。伊邪那岐は、とぼけるわけではなく、二人に対して問いかける。
「ねぇ、冥淋。今の、見えた?」
「雪蓮、あなたには見えたの?」
「ううん」
「あなたに見えないものが、私に見えるわけ無いでしょ」
首を振る孫策と、彼女の言葉を聞いて、ため息をつく周瑜。
「ねぇ、さっきのは、どうやったの?」
「さっきのとは?」
「私の首に刀を突きつけた動き。自慢じゃないけど、私も少なからず武に関してだけは、胸を張れる。でも、さっきの動きは、目で追えなかった」
孫堅の娘である孫策。戦場を周瑜とともに、何度も駆け抜け、少なからず、自信を積み重ねていた。それをもってしても、反応できない。その技術に、武人として興味を持たずにはいられない。
「目だけで捉えようとしているからだ。それでは、永久に捉えることなどできない」
「どういうこと?」
「雪蓮、目隠しをして戦ったことは?」
「ないわ」
戦場で自身の視界を閉ざして戦うことなど自殺行為にほかならない。それでなくとも、視覚情報は、人間が外界から受ける情報のおよそ八割を占めているから。
「なら、耳が聞こえず、鼻も聞かない状態で戦ったことは?」
「それもないわ」
「なら、諦めることだ」
「それって、どういうことよ」
不満げに口にする孫策。甘やかすことは良くないと、知っているはずの伊邪那岐だったが、ついつい、口が軽くなってしまったのは、彼自身、暇を持て余していたからかもしれない。
「俺が生まれた里では、暗行という、修行過程がある。目、耳、鼻が効かない状態で、普段と遜色のない動きをするための修行だ。それを収めれば、およそ、自分を中心とした半里ぐらいの円内のことは、全て把握できる。まぁ、俺も、その状態に慣れるまでひと月ぐらいかかったな」
彼が口にした、慣れるまでとは、戦場で人を殺せるようになるまでの期間。日常生活を行えるまでの期間ではない。刀をその状態で普段の状態と同じように使えるようになるまでの期間を指している。ただ、そのことまで理解できていない孫策は、あんぐりと口を開いてしまっていた。
「これは、円界という技術で、その中でも、相手に気取らせることなく行動する絶界という技術も存在する。俺は、鷹ではなく、蛇だったから、この技術は習得していないが」
「鷹、蛇とは?」
「ああ、里で割り振られる役職のようなものだ。鷹は諜報員、蛇は軍師、獅子は武将といった具合だな」
厳密に言えば、この三つに当てはまらない龍という役職も存在する。この龍というのが、最上位の役職であり、上記にあげた三つの役職を規定水準以上にこなせる者にのみ、この役職が与えられる。
「それぞれ、求められる能力が違うからな。俺に、鷹や獅子は向いていなかったというところだろう」
「ならば、その里で兵法を習ったということか?」
「大まかには、な。もっとも、書物を読んで、知を深めていた時間の方が長い気がするが」
そんなことを話しながら、馬を進めていた三人の視界にようやく、求めていた景色が姿を見せてくれる。
「「「街だ」」」
次回は、あの三人が登場します