第七十七幕
前回のあらすじ
肉食系の一言に尽きる
一夜明けて出立の日の昼。
伊邪那岐たち一行は宮の正門で曹操たちからの見送りを受けていた。
「では、お互いの勝利を祈りましょう。しばしの別れね、伊邪那岐?」
「ああ、そうだな」
曹操からの別れの言葉にそっけなく応じる伊邪那岐。そんな時、正門に一台の馬車が現れ、彼の横に位置づけて停止する。手綱を握っていたのは神楽、そして彼女の主である布都が馬車から降りて姿を現してくる。
「待たせてしまったか? これでもかなり無茶をして飛ばしてきたのだが」
「そうだな、できればあともう少しだけ早く着いて欲しかった」
「お前、そこはせめて労いの言葉の一つや二つ口にしたらどうだ?」
「手綱を握っていた神楽ならばまだしも、荷車に乗っていた奴にかける言葉を俺は持っていないぞ?」
大きく肩を落とす布都をよそに彼はそのまま視線を神楽へと移動させ、
「頼んだ物を降ろしてくれ」
「御意に」
そのまま指示を飛ばす。そして指示通り荷台から荷物を下ろした彼女を見て、その場にいた人間、伊邪那岐に布都、神楽に天照の四人を除いて全員が言葉を失う。神楽が荷台から下ろしたのは三人の人物。そのどれもが両手両足を縛られ、口に何かを詰められているのか声を出すこともできない状態。
「嘘、どうしてここに?」
「どうしたもなにも、俺はきちんと口にしたはずだぞ? 俺は袁紹を討つと」
そう、自由を奪われ地面に転がされているのは袁紹、顔良、文醜の三人に他ならない。
「だからって、こんなに早く袁紹を落とすなんて」
「別に早くはないだろう? 入念に準備をし、決行しただけのこと。勝敗はただの帰結にすぎない」
「それにしたって、私の耳に入らないわけが」
「入らない状況を作り上げただけだ。誰も、王が国を留守にしているあいだに別の国を攻めるとは考えまい?」
彼は口にして、転がっている三人を見下ろす。
彼の策は曹魏を来訪する時点で開始されていたのである。袁紹が曹操へ向けて出兵したことを咲耶の情報から得て、それに合わせるように伊邪那岐は曹魏へと来訪。王を迎え入れることとなってしまった曹魏は、袁紹が到達することを想定して準備をしながらもどちらも疎かにできない状況。そうして曹魏の動きを封じることに成功した彼は、曹魏に到着するなり、歩法を習得している天照に本国の布都へと伝令の任を与えた。自分たちが曹魏へ来訪し、攻め込まれないとタカをくくっている袁紹の本拠地を襲撃しろと。
そして、袁紹の本拠地を落とした麟の面々はそのまま進軍し、背後を取った袁紹軍に勝利。結果として自由を奪われた三人が地面に転がっている。
「何か言いたげだな、袁紹?」
「あたりまえですわっ。正面から戦わず、国民を人質にとって勝利を掠め取るなどまっとうな人間の考えることではありませんわ。恥を知りなさいっ」
「一番流血の少ない方法を選んだだけのこと。それに、俺は正義を語るつもりはない。俺は俺の選択を正しいものとも思っていない。だが、これだけは間違いなく言えるぞ、袁紹。勝てば正義なのではない。勝たねば正義を語れぬだけのこと。つまり、勝たねば何も得られぬ。俺は勝つためであればいかなる策も手段も使う。俺が勝利を得るためではなく、民たちに俺が勝利を与えるために」
彼が袁紹の本拠地を先に襲ったのは、宮廷内の奸臣を皆殺しにして蓄えられた物資を民たちに分け与えるため。そして、民たちを救ったあとに間髪入れずに袁紹軍を背後から急襲するのではなく、人質を盾に取った交渉。元々、重税で苦しんでいる民たちの家族で構成されている袁紹軍。民たちが解放され、自分たちを迎え入れることまで口にされては袁紹たちを庇う理由など残ってはいない。
「天照からの報告によれば、貴様が従えていた兵士達は皆、抵抗することなく投降したらしいな。力で押さえつけていたからこそ、忠義の一欠片すら持てずにいたのだろう。貴様の成してきたことの結果だ。甘んじて受け入れろ、袁紹」
「くぅぅぅ」
袁紹はそれ以上言葉を口にすることなく、唇を噛み切って血を流しながら言葉を飲み込んでいる。彼女も王だからこそ耐えているのだ。これ以上言葉を口にすれば己の王道に泥を塗るだけの行為にしかならず、自分の過去を否定してしまうことになるから。
「あなた、最初からその為に?」
「もしも、万が一、そういったことを考えずに俺が動くとでも思ったか? 約定を守られる保証がないのであれば、相手を拘束しておける状況を作り上げる。軍師どもはわかっているようだぞ? 俺が己を囮として袁紹を攻め落としたことの意味を」
「どういうことなの?」
「伊邪那岐は、自分の命を策に組み込んだということです」
曹操の問いに対し、荀彧が悔しげに言葉を紡ぐ。
「さよう。策において一番確実にして安易に組み込めるのは己の存在。俺はそれを使って袁紹だけでなくお前の視線も戦場から移動させた」
彼の言葉を受けてその場にいた全員が息を飲む。彼の言葉を簡単に解釈するなら、自分の命を一番危険な位置に晒し、勝利を得たというのだ。
彼は命が大切だという意味、事実をこの場にいる誰よりも理解している。だが、そこに自分は含まれておらず、いつだって最初に手放してしまえる。だからこそ、策を事前に打ち明けられた馬騰はその場で涙を流し、彼を咎めたのである。そしてそれは、過去彼の部下たちが危惧した要因は未だに排除されていないことを意味している。
「さて、約束通り袁紹はお前にくれてやるし、孫呉に攻める際には一度だけ横槍は入れない。あとはお前が俺に魅せる番だ、曹操」
「自分は高みの見物をしながら、こちらの結果を待つというのね」
「別に高みの見物を決め込むつもりはない。ただ、お前がそう思うのであればお前が俺のいる場所よりも下にいるだけのことだ。せいぜい迅速に駆け上がってくることだな」
「くっ。桂花、すぐに策を練り直すわよ。風と稟にも伝えなさい。これより曹魏は孫呉に対して戦を仕掛けると」
早速部下たちに指示を飛ばしていく曹操を尻目に、麟の面々は次々と馬車へ乗り込んでいく。
「必ず、あなたを手に入れてみせるわよ、伊邪那岐」
「せいぜい足掻いて、俺を愉しませてくれよ、華琳」
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「三日間の滞在は曹操と袁紹の目を己に向けさせるため。そういう意味合いがあったのですね?」
「ああ。天照を伝令に出したとはいえかなりの距離があったからな。こちらが兵を動かしている間、奴らの視界を狭める必要があった」
「なるほど、勉強になります」
神楽が手綱を握る馬車内で、先日、司馬懿が聞きたかったことに答える伊邪那岐。さすがに人数が多くなってしまった為、二台の馬車に人員を分けて彼らは国へと向かっている。乗っているのは彼に司馬懿、布都と姜維の四名。他の五人はもう一台の馬車に乗っている状況。
「彼女たちは?」
「曹魏に着くまでの間に部下にした姜維と司馬懿。二人共俺の見たところかなり優秀なようだから、思わぬ拾い物ができた」
問いかけてきた布都に対して新入りの二人を紹介すれば、彼はすぐさま二人を頭の先からつま先まで観察し、
「確かに即戦力として期待できそうだな」
自分の考えを偽ることなく口にする。
「それで、民や兵たちは?」
「兵達の損耗は俺たち側も、かつての袁紹側もゼロ。民たちは物資を受け取り歓喜し、兵たちも救世主が現れたと歓迎してくれている」
「なるほど、それは重畳」
「だが、問題がないわけではない。兵士の数は足りているものの、それを指揮する将に軍師の数が圧倒的に足りない。今は碧殿がなんとかまとめてくれている状況だが、早めに対策を打たねばならん。それに、劉備たちの件もある」
いかに有能な将に軍師といえど、指揮をする人員には限界というものが存在する。多すぎれば混乱を招き、少なければ部隊としてうまく機能しない。
「それについては既に手を打ってある。案ずるな」
「ほう、それは是非とも聞かせてもらいたいものだな」
「うむ。本当は戻ってから口にするつもりだったが、お前には先に話しておく。俺は、劉備を妻に迎え入れ、あいつら全員を旗下に加える。あそこには埋もれさすには惜しい人材が多いからな。ほら、解決だろう?」
「なるほど、いい案だ」
彼の言葉に相槌を打った布都だったが、一瞬だけ遅れて立ち上がり大声を張り上げる。
「あれを妻に娶るだと? 冗談も休み休み言え。確かに俺はお前に妻を娶れといったし、人員の不足も深刻な問題だ。だが、だからといってあれがお前にふさわしい女には、俺にはとてもではないが見えない」
「五月蝿いぞ、布都。それに正室側室問わずに娶れと言ったのはお前だ。ふさわしいかふさわしくないかは俺が決めること。違うか?」
「だからといって、急すぎるぞ」
「時はいつだって止まらんよ」
そして彼は視線を外へと向けて布都に対して口にする。
「俺たちの国がどこまででかくなるか。大陸を一つにまとめることができるか。俺は一歩を踏み出し、決断した。もはや引き返すことは不可能。俺を止めたいというのであればいつでも王を代わってやるぞ?」
「ふぅ。問題は山積み。王になった人物は自分のことを顧みない。だが、お前こそ忘れたのか? 俺は地獄に落ちることになってもお前を見捨てたりはしないと口にしたことを」
「ならば、目の前の問題からひとつずつ片付けるしかあるまい?」
「違いない」
そうして二人は自分たちの拳を力強く合わせた。
やっぱりえげつない主人公の策




