第七十六幕
前回のあらすじ
伏線をあんまり口にしないでよ占い師さん
その日の夜、もはや恒例行事となってしまった伊邪那岐へのお説教。お説教を始めたのは華雄と張遼の二人だけだったのだが、途中から姜維に司馬懿が加わり、最後には劉備と関羽も加わり、六人からのお説教が終わる頃には既に時刻が変わろうとしていた。
「陛下、また何かしら無茶をされたのですか?」
そんな時、部屋へと足を踏み入れ顔を見せたのは、曹魏につくなりすぐさま仕事を与えられて別行動をとっていた天照。
「お一人で街に行かれてしまったのです。それも、我々を欺いて」
「なるほど。それでこのような状態になっていると」
「ここまで来ると監視の一人や二人、つけといたほうがいいんとちゃう?」
「そうですね。国に戻ったら布都に進言しておくことにしましょう」
「そこまでのことかぁ?」
「陛下が可哀想です」
「あなたがたは何一つ理解していないのです」
張遼、華雄、天照の三人の話に異論を唱えた姜維と司馬懿の二人だったが、次の瞬間血相変えて大声を上げる天照に圧倒されてしまう。
「陛下は目を話せばすぐに無茶をなさってしまうお方。事実としてそのせいで右目を失っているのですから」
「そうやで、二人は知らんかもしれへんけど「ちょっと行ってくるって」敵地に一人で獲物も持たずに行ってしまうんやで?」
「日々の政務に関してもそうなのだ。我々が休んでいたとしても、ご自身は休まれずに仕事を続け、次の日お会いになれば休んだと平気な顔で嘘をおつきになる」
三者三様。ただ、彼女たちが口にしているのはかつて彼が行ってきたことを脚色していない事実。その為伊邪那岐は口を挟むことなく、そっと耳を両手で覆い隠すように塞いでいた。
「なんだろう、この気持ち? 三人の言ってたことが正しいことのように思えてきたんだけど」
「私めも同感です。聞いた話をそのまま鵜呑みにするわけにはいきませんが、陛下にはご自愛して頂かないと」
「俺の味方はおらぬのか?」
「「「「「当たり前です」」」」」
五人の息があった言葉を受け、彼はもはやため息を付くしかない。
「それで、お前が戻ったということは終わったということでいいのか?」
「はい、万事滞りなく。明日の昼には成果が確認できるかと」
「「「終わった?」」」
伊邪那岐と天照の会話を聞いて早速疑問符を頭に浮かべる張遼、華雄、姜維の三人。ただ一人司馬懿だけが、以前の彼の言葉を覚えていた。
「陛下、終わったとはまさか?」
「お前は他の奴らと違って頭の回転が早くて助かる。だが、それはまだ心の内に留めておけ。答え合わせは明日の昼ぐらいにしてやる」
「御意に」
その会話に隠された内容を知っている天照だけが、司馬懿の才能を認めていた。限られた情報から真実を見抜く洞察力、この一点において彼女は麟に残してきた者たちを含め、誰よりも長けているかもしれないから。
「そう言うわけだ。明日にはここを発つ。だからここから早く出て行け」
「私たちがいては困るのですか?」
「寝ておらぬから眠いのだよ、俺は」
何かしら口にしようとする部下たちを全員室内から追い出し、扉を閉めた彼は懐にいる銀をベッドの上に寝かせて包装された小さな箱を代わりに懐へと収める。
「さて、いい加減眠いことだし早めに済ませてしまうか」
◆◆◆◆◆◆◆◆
曹操の寝室。
時刻が深夜ということもあってその入口は警邏の兵で固められ、ねずみ一匹侵入することはできないだろう。もっとも、侵入したところでその先には曹操本人という壁が存在しているのだが。
伊邪那岐自身、過去にこの部屋に訪れたことは一度たりともない。月読は一度だけ招かれて入ったことがあるが、彼は招かれても応じたことはなかった。そんな場所にあっさりと侵入した彼はため息を一つ。
「警邏の質を見直すように忠告だけしておくべきか? だが、それを教えてしまえば俺がこの場所に来たことが明るみになってしまうな。悩むところだ」
天幕付きのベッドに歩み寄れば、そこでは静かな寝息を立てている曹操の姿。当然といえば当然なのだが、彼女は今髪を下ろしている状態。以前、髪型を整える道具が壊れた際、彼女は室内から出てくることを頑なに拒んだ。それを今、彼は見下ろしている。
「こういう時は顔に落書きするのが定番なのだが、果たして何を書いたらいいものか?」
「他人様の寝室に無断で訪れただけでは飽き足らず、その顔に落書きまでしようとするのは一体どういった了見なのかしら?」
「なんだ起きていたのか、つまらん」
「あなた、本当に一体何しに来たのよ?」
ため息をついてベッドから体を起こして明かりを点けようとする曹操。だが、それを阻むように彼はその手を抑える。
「なんのつもり?」
「このままで聞いてくれ。できれば俺は、今の顔を誰かに見られたくはない」
「そう。それで用件はなんなのかしら? できれば手短に済ませて欲しいのだけれど」
彼女に促され、伊邪那岐は懐から包装された小さな箱を取り出し、彼女の手に握らせる。
「これは?」
「髪飾りだ。本当は簪の方が良かったのだが、どこにも見当たらなかったからな」
「開けてもいいかしら?」
「俺が室内にいなくなってからゆっくりと開けろ」
そうして彼は用は済んだと言わんばかりに背中を向ける。
「これを届けるためにここに来たというの? 別に明日でも良かったのではないの?」
「特別な意味合いがあるのだよ。そいつと時刻には」
「特別な意味合い?」
その言葉を聞いて彼女は首をかしげる。それが見て取れたのだろう。彼はいよいよ観念したように言葉を紡ぐ。
「俺のいた国では、髪は女の命にして、夜は女の時間とされている」
「言っている意味がわからないのだけれど、説明する気があるのかしら?」
「ああ、もう。だからだな、俺の生まれた里では代々古い決まりごとがあるのだ。女の時間に簪を贈る。これは、己の命をそこに留めておくという願いを込めたもの」
「どういう意味なのかしら?」
「お前、絶対に楽しんでいるだろう?」
「なんのことかしら?」
いつもの彼ならいざ知らず、現在の彼は完全に曹操に主導権を握られてしまっている。だからこそ、彼はいよいよその言葉を告げる。
「ようするに、夜に髪を留めるものを男が女に贈ることは、俺の里では求婚を意味する行動なのだ」
「えっ?」
「翌日、贈られたものを女性がつけていれば誓約となる。その間、男はその女性に近寄るべからず。そう言う決まりごとなのだ」
恥ずかしいのか、最後のほう彼の言葉は完全に早口。
「なるほどね」
「だから俺はこの場を去る」
「待ちなさい」
その言葉と共に手を取られ、強引に振り向かされた伊邪那岐の視界に入ってきたものは、彼が選んだ髪飾りをつけた曹操の姿。
「私が、あなたのそんな魅力的な誘いを断るとでも思っていたの?」
「いや、あの、そのだな」
「自分に自信を持てずにいるのは相変わらずのようね。安心しなさい、今日、あなたに自信をあげるから」
「ちょっと待て。俺は部屋に戻らねばならんのだぞ」
「ふふっ、言い訳は聞かないわ。私を選んだあなた自身の選択を後悔するのね。いえ、絶対に後悔はさせないけれど」
「言葉の意味がわからん。どうやらお互い疲れているようだ。さっさと休むことにしよう」
そんな彼の言葉に賛同するように、ただし舌なめずりをした蛇のように妖艶な表情を浮かべて曹操は告げる。
「そうね。一緒に休みましょう♪」
食べるのか食べられるのか?




