第七十一幕
前回のあらすじ
曹操とふたりっきりになりました
「さて、人払いを済ませたことだし。一体何から話しましょうか?」
「特に決まっていないのであれば、先に言っておきたいことがあるのだが?」
「奇遇ね。私もあなたに一言言っておかなければならないことがあるのよ」
二人きりになった玉座の間で、二人は同時に口を開き頭を下げた。
「あの時は済まなかった」
「あの時はごめんなさい」
「「?」」
互いに同じような内容、行動をしてしまったため二人して頭に疑問符を浮かべてしまう。
「あなたがなぜ謝るのかしら? 悪いのは私なのに」
「お前がなぜ頭を下げる? 詫びるのは俺の方だというのに」
「事情を聞いてもいいかしら?」
「ふむ。情報の共有は必要なようだな」
そして、二人はお互いに知り得た情報を統合していく。夏侯惇が形見の収められた箱を捨てる少し前に田豊に会っている事。伊邪那岐も同様に、形見の収められた箱を取り戻したあと、田豊にあっていること。彼が曹魏を去った翌日に田豊が姿を消したこと。様々な情報を交換し合い、二人は同じ結論を導き出していた。
「すべては、田豊の企みだったと? あなたもそう考えるわけね」
「ああ、目的がなんなのかまではわからないが。お前らの知る田豊と俺の知る犬遠理は、同一人物だと考えたほうがいい」
「幻術、ね。にわかには信じがたいけど、信じるしかなさそうね。対処の仕方はわかっているの?」
「残念ながら、対処法は俺もわからん。なにせ、文献にすら走り書き程度でしか残っていなかった程の代物。わかっているのは、一度かけた相手にはかけられぬこと。効果が一日程度しか持たないこと。この二つぐらいだ」
「なるほど、有益な情報感謝するわ」
それから静寂が支配してどれほどの時間が経ったことだろう。もしかしたら、数秒程度しか時間は経っていなかったかもしれない。それでも、二人にしてみればとても長い時間に感じられた。
「ねぇ伊邪那岐。こうしてお互いのわだかまりも溶けたことだし、戻ってくるつもりはない?」
「俺に今の立場だけでなくすべてを捨てろと? 相変わらず無茶なことを口にする。それに、答えの分かっていることを聞いて何か意味があるのか?」
「いいえ。分かっていたことだもの」
先に静寂を破ったのは曹操。ただ、彼女の言葉は冗談ではなく真剣そのもの。だから彼も本心を隠すことなく答える。その言葉が彼女を傷つけると知っていても。
「それにしても不思議なものね。まさかあなたとこうして王として言葉を交わす日が来るなんて。思ってもみなかったわ」
「俺自身、王になろうなどと思ってもいなかった」
「なら、どうしてあなたは王になったの?」
「俺を押し上げようとする部下たちに親友がいた。だが、俺が変わろうと思った一番のきっかけは、他ならないお前の言葉があったからだ」
問いかけに対し、意外な言葉が返ってきたため曹操は目を丸くする。
「私の言葉?」
「覚えていないか? 龍に乗って俺とお前、荀彧と夏侯惇の四人で万を超える大軍に出向いていった時があっただろう?」
「随分と昔のように感じるわね」
「あの時、俺の独白に対してお前はこう口にした。「それで私を信じられないというのは、この曹操に対して、侮辱以外の何ものでもないわ。あなたの瞳で、心で、頭で見定めなさい。私がどのような人物であるか。また、命を預けるのに足る人物であるか」胸を張って口にするお前を見て、そのあとのお前を見て俺は思ったのだ。自分に胸を張れる人間になりたいと」
思いがけない言葉で人は傷ついたり、喜んだり、涙して成長していく。口にした本人の記憶から消えても、受け取った側の心には残り続ける言葉がある。あの時、曹操が口説く為に口にした言葉は、間違いなく伊邪那岐が一歩を踏み出す勇気をもらった言葉。
「なら、今のあなたは自分に胸を張れているのかしら?」
「どうだろうな。お前以外にも劉備、孫策にあったが、つい他人と己を比べてしまって劣等感がそばにいる毎日だ」
「臆病なところは昔のままのようね」
「人間、そう簡単に変われるようなら苦労はせぬよ、曹操」
「華琳よ」
「?」
「あなたには私の真名を預けたはず。わだかまりもなくなり、ここに居るのは私とあなたの二人だけ。きちんと真名で呼びなさい」
その言葉を聞いて、いつもどおりため息をついてから彼は彼女が望む形で答える。
「あいも変わらず我儘な王様だな、華琳は」
「己を偽っていては王とは呼べない。王とはいついかなる時も己に嘘をつかない。違っているかしら?」
「まったく。返す言葉がないのが悔しいところだな」
そこで思い出したかのように彼は口にする。
「そういえば、華琳。お前のところに関羽というやつはいるか?」
「ええ、いるけれど。それがどうかしたの?」
「土産がわりにそいつをくれ」
「いやよ。それにどういう風の吹き回し? 劉備にでも頼まれたの?」
「確かにあいつにも頼まれたが。俺の義理の妹、名を咲耶というのだがそいつが関羽と友人らしくてな。本当の意味で頼みを聞いたのは咲耶の方だ」
「どちらの頼みであっても」
そこで彼女は一度言葉を区切り、何かしら悪戯を思いついた子供のように無邪気な笑みを浮かべる。
「どうかしたのか?」
「ひとつだけ条件をあなたが飲めば、関羽を渡してあげてもいいわ」
「嫌な予感しかしないが、とりあえず条件を聞かせろ」
「それはね・・・・・・」
◆◆◆◆◆◆◆◆
「陛下、それはなにかしらタチの悪い冗談でしょうか?」
「うち、よく聞き取れなかったみたいやから、もういっぺん言ってくれへん?」
「あたいは別にいいと思うけど。正直、どの当たりまで本当なのか聞きたい」
「私めにもわかるように、もう一度お聞かせ願えますか?」
「いや、だからな? 明日一日曹操に付き合うことになった。そうすれば俺に関羽をくれるらしい。だから俺は了承した。それだけのことだ」
「「「「いや、なんで?」」」」
「あやつがどうしてそのような条件を出したのかは、俺にもわからん。だが、一日俺の時間をくれてやるだけで関羽をくれるというのだから、別に構わんだろう?」
「「「「いや、なんで?」」」」
伊邪那岐は理解していない。彼女たちは曹操が出してきた条件に対して異を唱えているわけではない。敵国の王に出された条件をあっさりと飲んでしまった彼に対して異を唱えているのである。
「そういえば、陛下は曹操殿と面識があったみたいですが?」
「ああ、お前らには話していなかったな。俺は一時、期間限定という条件付きでこの国で軍師をやっていたことがある」
「「「「嘘っ」」」」
「嘘ではない。ちょっとしたいざこざがあってこの国を俺たちは出たのだ」
「なら、真名は?」
「曹操を含めて全員受け取っているが?」
この場に天照がいたのであれば彼の言葉に助け舟を出したことだろうが、現在彼女は伝令の役目を請負い、単身での任務を与えられこの場を離れている。
「どのみち、あと二日はここに滞在しなければならない予定。暇を持て余すのも、買い物するもよし。お前らも少し骨休めをしておけ。なに、金の事なら心配するな。牡丹に金子は預けてあるから、好きに使っていいぞ」
納得の言っていない部下たちをよそに、勝手に彼は話を進めてしまうが、
「ほんまっ? 陛下は太っ腹やね」
「あたいもちょうど欲しいものがあったんだよね」
「陛下のご命令とあらば」
即ぶつ的な三人は素直にその話に乗ってしまう。ただ、室内から出ていこうとする伊邪那岐に対し、一人だけ彼の言葉に違和感を覚えた司馬懿はその言葉の意味を知りたがり、問いかけてきた。
「陛下、しなければならないとは、一体?」
「なに、じきに分かることだ。それと、このことは他の奴らには内密だ。騒がれてしまっては元もこうもない」
彼女の疑問に対し、微笑しながら応えた伊邪那岐は言葉を吐き出すとともに背中を向ける。
「さて牡丹、ついて来い。これから、土産をもらいにいく」
「関羽を、ですか?」
「ああ。それと一緒に少しばかり説教をする必要がある。王になるための道を、自分たちで閉ざしてしまった馬鹿に対して、な」
(・3・) アルェー?
劉備はどこに消えたの?




