第六十六幕
前回のあらすじ
劉備を連れて曹魏へ向かった伊邪那岐一行
「まさか、あの人が王だったなんて」
「でも、あの佇まいは紛れもなく王でした」
伊邪那岐が指名した三名と劉備を連れて旅立った翌日。諸葛亮と鳳統の二名は外出の許可を得て街を散策していた。監視は愚か護衛すら彼女たちにつけていない。よほど彼女たちを軽く見ているのか、部下たちを信頼しているのか。答えはわからないものの、ただ一つ理解していることは、彼女たち全員が劉備にとって人質であり、劉備にとって彼女たち全員が人質であるという事実だけ。
「それにしても、この街すごい活気がありますね」
「ええ、私たちの国よりも」
大陸中を駆け巡っている伊邪那岐の悪評。それをそのまま鵜呑みにすることは愚かだと判断し、自分たちの目と耳で確かな情報を得ようと街に出たふたり。そんな彼女たちの視界に入ってくるのは、活気に溢れている街並み、笑顔の絶えない民たちの姿。もしかしなくても似ているのだ、自分たちの主君である劉備が思い描いた世界の姿と。
「すっ、すみません」
「気にしなくていいよ。それよりも、お嬢さんたち見かけない顔だね?」
考え事をしながら歩いていたためか、諸葛亮は歩いていた男性にぶつかってしまう。
「はい。先日この地にやって来たばかりで」
「ああ、お前さんたちも受け入れてもらった民か」
「「お前さんたちも?」」
男性の言葉に疑問を覚え、口に出す二人。
「この国に受け入れてもらった民は少なくないってことだよ。かく言う俺も、陛下に救ってもらった口でね」
「「救ってもらった?」」
「ああ。俺は奴隷商に捕まってた。その地獄から救ってもらったんだ。本当に陛下には感謝してるよ。奴隷としてじゃなく、民として迎え入れてくれたんだから。ほかの奴らも多分おんなじさ。異民族として迫害されてた連中も、この地に流れ着いてきた奴らも。肌の色や言葉が違っても、陛下は分け隔てなく、こんな俺達を家族だって良くしてくれる」
男性の言葉に嘘はないように思える。事実として、そのあと話を聞いたほとんどではなく全員が、伊邪那岐のことを胸を張って自分たちの王だと口にしていた。
「悪評? ああ、隻竜王について回る噂のことだろ? 知ってるけどそれがどうかしたのか? 陛下の悪口は許さねぇぞ?」
「悪評ねぇ。どうせ、陛下のことを妬んで流したデマでしょ? 事実だったとしても、私らは胸を張って言えるよ。陛下は私らのために戦ってくれたんだって」
「悪評なんぞに踊らされる奴らはこの国にはおらぬよ。皆、陛下が成してきたことを自分の目で見て、自分で信じるものを決めておるからな」
「いつか大きくなったら、俺は陛下みたいに優しくって、強い人になるんだ」
「大きくなって陛下のお嫁さんになるの」
諸葛亮と鳳統の二人は、事実を素直に受け止めることができない。
この国の民たちは、自国の王についてまわる悪評すら受け止めている。それは、強固な信頼関係がなくてはありえない現象。そして、誰もが彼を愛し、尊敬の念を抱いているというのだから、悪い夢ならば早く覚めて欲しいくらい。
「朱里ちゃん、この国って」
「うん。雛里ちゃん、私も思ったよ」
「「私たちが目指してた国、そのものなんだって」」
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「まったく、陛下は優しすぎると思わない?」
「それは確かに、異論を唱えられるはずもない決定事項ですな」
兵の調練を見ながら、凶星と趙雲の二人は先日の一件について各々の見解を述べていた。あの場に伊邪那岐がいない状況で魏延が同じような発言をしていたとしたら、劉備たちが同じような態度をとっていたとしたら、あの場所は血の海に変わっていたことだろう。
「あっ、星~」
そんな彼女たちを見つけて声をかけてきたのは、公孫賛に張飛、魏延の三人。
「久しいですな、公孫賛殿」
「ねぇ、星。この人誰だったかしら? おちびちゃんは覚えてるんだけど」
「ええ~~」
「凶星、あなたも袁紹軍と戦った時に会っているはずですが?」
「全然覚えがないわね」
完全に公孫賛の存在は凶星の記憶から抜け落ちてしまっているらしい。
「それにしても、壮観だな」
「みんな強そうなのだ」
「ふん。この程度か」
三者三様の意見の先にある風景は、兵たちが切磋琢磨している姿。その数はおよそ二万。これでも全体の五分の一程度の人数でしかない。他は警邏、もしくは休息を割り当てられているのでこの場にはいない。
「そうそう、魏延とか言ってたわね? あなたこの場所だけでなく、この国で不用意な発言は慎んだほうが身のためよ?」
「凶星の言うとおり。其方の命が今あるのは陛下の温情あってこそ。心の広い我らが陛下に感謝するがいい」
「はぁ? どうして感謝しなきゃいけないんだよ。あんな奴に対して敬意を払う必要なんてどこにあるって言うんだ」
その言葉が意味するものを魏延は理解していない。先程までは穏やかだった空気は一変し、調練場全体が戦場に変貌したかのように殺気が蔓延し始めている。
「あなた、さっき私が親切で言ってあげたことを理解できてないみたいね」
「凶星、私に先を譲ってはいただけないだろうか?」
抑えてはいるものの、二人の雰囲気口ぶりからして怒りだけでなく、明確な殺意が伝わってくる。公孫賛が距離をとり、張飛と魏延の二人が身構えてしまうほどに。
「言っておくけど、陛下があの場で止めなければあなたたち全員、あの場で打ち首確定だったのよ?」
「もしくは拷問、慰安婦として兵たちに供物として与えられていたであろうな」
「ふっ二人共、冗談きついぞ?」
「怖いのだぁ~」
「私は冗談なんて口にしてないわよね、星?」
「私も冗談を口にしたつもりはない」
信じられず口にした公孫賛の言葉を当たり前のように否定する二人。そして、殺意と憎悪を隠すことなく、魏延へとぶつける。
「この国いる人間、全員が陛下に敬愛の念を持ってるわ。それこそ、陛下にふざけた口をきいたって知れば、誰であろうとあなたを殺そうと憎むほどに。勿論、私も含めて。だから、暴言を吐くのであれば私の前だけにしてね。その時は喜んで、あなたを殺してあげるから」
「この国の民は、陛下が成してきたことだけでなく、その存在を誇りに思っている。それに貴様はあろうことか唾はいた。我らの怒りが、貴様に理解できるか? できるというのであれば、もう一度陛下に対する暴言を口にしてみろ。私の手で貴様の体に直接教え込んでしんぜよう」
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「黄忠に厳顔だっけ? あんたらも物好きよね。何を好き好んで書庫になんて来たがるのか、私にはわかんないわ」
紫色の髪を持つ二人の美女、名を黄忠と厳顔というらしい。その二人を書庫へと案内した咲耶は、竹簡の内容に視線を向けている二人に対し、ため息をついていた。
「書とは、先人たちが残した知識を記したものですから」
「さよう。それを見ればこの国のことを理解する近道となる」
「そんなもの見ても、この国のことなんてひとっつも理解なんてできないわよ。だって、この国は去年できたばっかりで、ここにあるのは軍師や文官を育成するために大陸各地から陛下が取り寄せたものばかりだから」
「「育成するために?」」
二人が疑問に思うのも無理はない。知識を得るということは欲望を身に付けるということ。いつ自分に脅威が襲ってくるかもわからないこの時代で、獅子身中の虫を作り出すことになる可能性の方が高い。
「咲耶さん、いくつか質問させていただいでも?」
「ご自由にどうぞ」
「奴隷商を皆殺しにし、奴隷を全て我がものとした噂があるのですが、それは真実ですか?」
「半分真実で、半分デタラメね」
「「半分?」」
「そう、中途半端なのよ実際」
壁に背中を預け、咲耶は言葉を続ける。
「実際、奴隷商たちは皆殺しにしたわ。そりゃもう、向かってこようが、命乞いしようが、逃げようがお構いなしに。でも、陛下がしたのはそれだけ。奴隷だった人間がこの国の民になったのは自分たちの意思よ」
「自分たちの意思で?」
「そうよ。私も現地にいたもの。陛下はあの時、奴隷であった者たちにこう言ったの。「生まれた地に戻りたければ返してやる。俺の国に来たいのであれば、家族として迎え入れてやる。好きな方を選べ」それで彼らはこの国の民になることを選んだ」
咲耶は伊邪那岐が奴隷商を皆殺しにした際、天照に凶星、呂布の三名と一緒に同行している。その時、労働力として使えばいいと彼女は口にしたのだが、そのことについて彼に怒られたことは彼女の記憶に新しい。
「異民族を血の海に沈めたというのは?」
「それは完全に嘘。攻めてきた奴らを迎え撃ったのは事実だけど、誰ひとりとして殺しちゃいないわ。あの時は確か、かなり布都がお怒りだったわ。血管が切れそうなぐらいに。「皆殺しにするべきだ」って。でも陛下は、「やつらがこちらに向かってくるのには何か理由がある」って、そう言って酒を持って一人で話し合いに行って、話し合いでまとめてきちゃったの」
「「一人で?」」
「そう。無茶にも程があるでしょ? 敵対してる相手にたった一人で出かけてっちゃうんだから。あの時は私も含めて、あんたらとあった場所で朝まで陛下を正座させて説教したわ。いっつも一人で無茶して、心配するこっちの身にもなれっての、まったく。ああ、なんか思い出したらまたムカついてきたわ」
「嘘でしょう?」
「他の国じゃ、まずそんなことはないでしょうね。でも、この国では日常茶飯事よ? 陛下の無茶を私らが怒るのなんて。それに、私の言葉が信用できないなら街に行ってみるといいわ。元異民族に元奴隷、洛陽からきたやつらに、この地にもともといたやつら。いろんな奴らがごちゃまぜ状態でいるから」
二人は信じられないといった様子で口を開けている。そんな彼女たちを見て、咲耶はまるで自分のことのように嬉しそうに口にした。
「でもね、それが陛下の凄いところよ。誰とでも正面から、相手を見下すことも見上げることもしないで、会話して、誰にだって手を差し出す。本当、心を閉ざしてた昔が幻だったみたいに。そんな陛下だから、この国の民は陛下に対して敬愛の念を持ってるし、私たちも信頼してる。陛下だけは、私たちを決して見捨てたり、裏切ったり、そんなことしないって胸を張って言えるから」
随分と成長した主人公。
子供の成長を見守るような心境なのはきっと気のせい?




