第六十三幕
前回のあらすじ
強力な力には誓約がつきものってことです
「報告、確かに受け取った。道中大変だっただろう、兵共々ゆっくりと休んでくれ」
「いえ、そのお言葉だけで十分です、陛下」
片膝付き、報告を終えた馬岱。
「皆のもの聞いたな? これより俺は曹魏に向かい、交渉をまとめてくる。供をするのは天照、火悲、霞の三名。他の者たちは布都、碧の指示に従い準備を進めてくれ。これより、我らは戦火を灯す」
その声を受け、全員が臣下の礼を取り、声を上げる。
麟国、玉座の間。玉座の間といっても、他の国と違い簡易的な椅子が設けられているだけで、御簾もなければ階段もない。他人を見下ろすことを嫌う伊邪那岐が玉座を作ることを拒んだが故に。
「軍議の最中、失礼いたします」
「何かあったのか?」
「はっ。陛下を訪ね、劉備、公孫賛の陣営が民を連れて参りました」
「なるほど、追い返せ」
飛び込んできた兵士に対して指示を飛ばしたのは伊邪那岐ではなく布都。その声は伊邪那岐以上に冷たく、有無を言わさぬ程に重たいもの。
「ちょっと待ってよ。桃香たちは友達よ? 理由も聞かずに追い返すなんてあんまりじゃない」
「訪問の使者も送らず、いきなり現れるようなやつらと交わす言葉などない。仮にも王を名乗る相手。これに応じれば、相手よりもこちらが下だと思わせてしまう。そのような事態だけは絶対に避けるべきだ」
「だからって」
反論を口にするものの、咲耶自身も布都の言い分を十分に理解している。
一度下だと認識されてしまえば、その認識を覆すことは容易ではない。ましてや相手は伊邪那岐と同じ王。安易に応じてしまえば、最悪属国という扱いを受ける未来が待っているかもしれない。
「二人共少し落ち着け。それで、民を連れてきたと言っていたな? 数がどの程度かわかるか?」
「はっ。およそ六戦程度かと」
「なるほど。詠、食料にはまだ多少の余裕があったはずだな?」
「まぁ、このままいけば半年持つぐらいはあるけど?」
「ならば良し。恋、凶星の二名は民たちの護衛、咲耶と天照は劉備たちを迎えに行け」
「「「「はっ」」」」
伊邪那岐の指示を受け、動き出す四人。
「正気か、伊邪那岐? こちらにもあまり余裕があるわけではない。それに、曹魏へ向かう件、袁紹の件、どちらも先送りにできる問題ではない。ここでこれ以上の厄介事を背負い込むことは得策ではない」
「わかっている」
「ならば何故?」
「あやつらがどんな問題を抱え、この地に向かってきたのかは分からん。だが、民を見捨てる理由にはならん」
「甘すぎるぞ、伊邪那岐」
「そう言うな。それに、少しばかり面白いことを思いついた。試してみる価値はある。最悪、奴らを斬り捨てて民を救えればそれでいい」
◆◆◆◆◆◆◆◆
半日かけて民たちを宮に収容したあと、劉備たち一行は別室へと通され王の姿を待ち侘びていた。
「いきなり押しかけちゃったけど、助けてもらえてよかったよ」
「そうだな、隻龍王なんて悪名が轟いてるからどんな怖いやつかと思ってたけど、案外いい奴なのかもな」
劉備と公孫賛は脳天気にも茶を口に運んでいるものの、軍師である諸葛亮、鳳統の表情は暗い。
訪問の使者を送ることなく、あまつさえ民を引き連れて現れた他国の王を迎え入れる。どのような要求を突きつけられてもこちら側に拒否する権利などあるわけがない。それ以上に、どうして迎え入れてもらえたのか、その真意が見えてこない。
「朱里ちゃん、雛里ちゃん、さっきから顔色が優れないようだけれど、大丈夫?」
そんな浮かない二人に声をかけてきたのは、紫色の髪を腰まで伸ばした妙齢の美女二人。
「紫苑さん」
「二人とも心配のしすぎじゃ。いざとなれば桃香様を含め、この場にいる全員、儂が命をかけてでも守ってやる」
「桔梗さん」
明るく笑う美女と、豪快に笑う美女。そんな二人を見て多少勇気をもらえたものの、軍師の二人は不安を杞憂として捨て去ることはしない。なにせ相手はあの隻龍王なのだから。
隻竜王。
奴隷商の巣窟を襲い、奴隷商を皆殺しにしてその奴隷を全て我がものとした人物。それだけでなく、攻め入ってきた異民族を全員血の海に沈めた人物。その名について回るのはいつでも悪評。流れてきた噂では血も涙もなく、ひたすらに強欲な人物と言われている。
「陛下がお会いになるそうだ」
そう口にして現れたのは華雄。その言葉と共に室内にいた全員に緊張感が迸る。だが、そんなことをお構いなしに室内に一人の人物が現れ、許可を得ることもなく椅子に腰を下ろす。その人物に見覚えのあった劉備は思わず声を上げてしまう。
「伊邪那岐さん。ってことは、伊邪那岐さんはこの国の王様に仕えてるんですか?」
「久しぶりなのだ、お兄ちゃん」
和気あいあいと、知己の人物に声をかける劉備たち一行だったが、
「無礼者がっ」
華雄の一喝を受けてその場で体を固くする。
「火悲、そう騒ぐな。耳が痛い」
「ですが、この者たちの厚顔無恥さは目に余ります」
諌める伊邪那岐だったが、華雄は引き下がろうとしない。
「陛下の名をみだりに口にするなど言語道断。あまつさえ、仕えているだと? 貴様たちの目は節穴のようだな。よく聞くがいい。この方こそが我が国、麟の国王にして大陸中にその名を轟かす偉大なるお方。隻竜王、伊邪那岐様にあらせられるぞっ」
その声はまさに怒号と言いかえていいほどの声量を持ったもの。そして、その声を受けた室内の人間は呆気に取られてしまい、動くことを忘れてしまった。
「なあ火悲、俺はそんな風に呼ばれているのか?」
「陛下、まさか知らなかったのですか?」
「ああ、まったく」
自分についてまわる評判を一切気にしていない彼は、蔑みや中傷を込められ、畏怖と共に口にされることの多い、自分のもうひとつの名を全く知らなかった。それを知り、あまりの無頓着さにため息をつくものの、華雄はすぐに表情を引き締める。
「それで、お前らは何の用でこの地に来たのだ?」
「愛紗ちゃんを、助けてるのに力を貸して欲しいんです」
机を叩き、身を乗り出してくる劉備。そこにいるのは王ではなく、一人の少女に過ぎない。それを見て伊邪那岐はため息を一つ付き、別の人間に尋ねる。
「お前では時間を無駄に使うだけだ。諸葛亮、もしくは鳳統、どちらかが話せ」
「はい。私たちの国は先日、曹操さんの軍勢に戦いを仕掛けられました。ですが、戦力差は明らか。そこで、関羽将軍が自身を囮として私たちの退路を確保してくれたのです」
「曹操さんは以前から関羽将軍のことを気に入っていました。ですから、捕虜になることはあっても、殺されることはないかと」
「なるほどな」
二人の説明を受け、伊邪那岐は軽く首を鳴らしてから言葉を口にする。
「一つ問うが、なぜ民たちを連れてきた?」
「みんなと一緒に幸せになるって、愛紗ちゃんと約束したんです」
「そうか」
言葉を区切った彼は立ち上がり、その瞬間、先ほどの華雄の怒号がそよ風程度であったと思えるほどの声を叩きつける。
「この痴れ者どもがっ。兵でもない民たちを貴様らのわがままで連れ回したというのか。恥を知れっ。民は貴様らの愛玩動物では断じてない。その者たちに痛みを強要するとは何事かっ」
彼の言葉は正論にして楔。数々の戦場を超えてきたであろう劉備たちであっても、今の彼に言葉を投げかけることは難しい。振る舞いではわからなかった。雰囲気が変わっているわけでもなかった。だが、目の前にいるのは紛れもなく王。それも、民のことを真剣に考えた上で、彼女たちに怒りをぶつけてきている。
「お前らの望みは理解した。そして聞こう。その望みを叶えるにあたって、こちらに何を貴様らは差し出す?」
瞳を見るだけでこみ上げてくる恐怖という感情。室内にいる人間全員が、彼の圧倒的なまでの王としての姿に飲み込まれてしまっている。この人間と敵対することは、自分たちの死を意味するとすぐに理解できてしまうほどに。
「問うぞ、諸葛亮。物資もなく、金子も領地もない。その貴様らが俺の国に何を代価として差し出す?」
問われ、諸葛亮は震える体を支えることで精一杯。彼の言うとおり、代価として捧げられるものを彼女たちは持っていない。ただ一つを除いて。
「助けて、くれないのかよ」
「甘えるなよ、公孫賛。今はお互い立場が違う。それとも何か、貴様らは無償で、俺の国の民たちに傷つけとぬかすつもりか? お前たちのわがままを叶えるために? そのようなことで動くものがこの世のどこにいる」
言葉は静謐。だが、投げかけられた公孫賛の体には押しつぶされるような威圧感が襲いかかり、彼女はその場で膝を折る。
「私の命じゃダメですか?」
「「桃香様っ」」
捧げることのできる唯一の代価を彼女は口にする。だが、その願いすら今の伊邪那岐には届くことはない。
「足りぬ。言ったはずだ、今は立場が違うと。お前の命など、民の命をかけるほどの代物ではない。貴様ら全員の命だろうがそれは同じこと。命が等価値であるなど、大切なものを知らぬ人間の戯言でしかない。俺にとっては民の命の方がはるかに重い」
そこで劉備は気づく。自分はまだ王になるための階段を上っている途中であり、目の前の人物は王として生きると決めている。力も覚悟も、言葉さえも重みが遥かに違う。同じ場所に立つためにどれほどの歳月がかかるか、想像もつかないほどに。
「だが、俺も鬼ではない。貴様らが俺の要求を飲むというのであれば、関羽は救ってやる」
その言葉は空から垂らされた蜘蛛の糸。だが、かつて彼は公孫賛に対して自害することを要求している。そのことを知っている彼女たちはすぐにその返答をすることができない。
「即答しないところを見ると、多少は成長したようだな。俺の要求は全部で三つ。一つ、今後一切、劉備が王を名乗らないこと。一つ、貴様たち全員が我が国の軍門に下ること。一つ、関羽を救ったあとも民たちはこの国の民として扱い、貴様らに返さないこと。以上だ」
その言葉はまさに、断頭台の刃そのもの。彼の言葉を端的に解釈するなら、「貴様の国を全て捧げよ」っと、彼は口にしているのだ。事実、劉備たち一行だけでなく室内にいる華雄も顔色を蒼白へと変えている。隻竜王の名がふさわしいほどに容赦なく、当然のように慈悲がない。受け入れようが、受け入れなかろうが、劉備の王への道はこの瞬間尽きたと言えるのだから。
「返事は明日の朝まで待ってやる。よく考えて結論を出すことだ」
さぁ、劉備さんの結論はいかに?




