第六十二幕
前回のあらすじ
女性陣の戦いは加わりたくねぇし、関わりたくないです
「ふぅ、生き返るな」
宮の大浴場、そうは言っても民も入ることが可能なので公衆浴場とほとんど変わらない場所で、伊邪那岐はようやく肩の力を抜く。時刻が遅いということもあって、利用者は彼以外におらず貸切の状態。そこで、ゆっくりと瞳をとじ、彼は物思いにふける。
この一年間、王位について半年。
この間に様々なことがあった。奴隷商の組織を壊滅したこと、攻め入ってきた異民族と話し合い、この地の民として迎え入れたこと。他にも数多くのことが起こり、大小含めてしまえば数えることも大変なぐらいに。
「誰ぞ?」
「お前と共に湯に入るのは久しぶりだな、伊邪那岐」
戸が開く音が聞こえたので声をかけてみれば、姿を現したのは布都。その鍛え上げられた体にはほとんど傷というものがなく、あるのは右頬に付けられた深い刀傷ぐらいなものだろう。
「お互い、今では身分というものがあるからな。こうして語り合う時間も皆無に近い」
「後悔しているのか?」
「後悔など、常に隣にいる。手に入れたもの、失ったもの。それぞれが大きく、忘れることなどできようはずもない。まぁ、要するにうまく折り合いをつけて付き合っていく必要があるということだ」
「お前らしいものの考え方だ」
隣に腰を下ろしてきた布都は、湯で顔を洗う伊邪那岐を見て微笑する。
傷を負わない人間などいない。誰であろうと大小問わず、それと向き合って生きていかなければならない。伊邪那岐の傷はひときわ大きく、深い。体に無数に刻まれたものだけではなく、心に刻まれたものも。それでも、泣き言一つ口にせず、膝を折ることもなく前を見据えている存在が自分の親友だと口にできるのだから、布都の心は晴れやかになってくる。
「それで、一体何のようだ?」
「なんの用とは?」
「知らばっくれるな。俺を探していたのだろう?」
「湯ぐらい、ゆっくりと浸かっていたかったのだが。お見通しというわけか」
布都は微笑し、星空を見上げながら口を開く。
「物資が足りない」
「だろうな。俺も頭を悩ませている」
「二ヶ月ほど前に奴隷商の組織を壊滅させ、多少の回復は見込めたが、それを上回る国民の増加。これが一番大きい」
「だが、あれをそのまま放っておくわけにも行かなかっただろう?」
建国して間もないこの国。
他の領地と比べて物資の流通量が圧倒的に少ない。治安の問題が解決され、上抜きに修正されてきてはいるものの、それでもまだ足りない。基本的にこの国には貯蔵されている資源がほとんどない。遊牧民族が主体ということもあり、あまり貯蔵する習慣がなかったこともこの件に関しては大きな要因の一つといえよう。
「しかし、それももう少しの辛抱だ。先程、視察に向かわせていた咲耶が戻った。これより、動く」
「ほう。それで、お前はどう動くつもりだ?」
「既に蒲公英を使者として曹操に使いは出した。交渉をまとめ次第、袁紹を討ち、領地に民、物資を全て頂く」
「袁紹を、劉備ではなくか?」
布都は眉根を寄せて聞き返す。
袁紹は圧倒的な物量を有し、この大陸で一、二を争うほどの強国。対して劉備は公孫賛と同盟を組んではいるものの、大陸にある国のうちでは弱小に入る。それに、袁紹の領地へ向かうためには劉備、公孫賛の領地を通行する必要があるのだ。
「劉備は落とされる。こればっかりは、運がなかったというしかないな」
「劉備が落とされる、だと?」
「考えてみろ、あやつらの領地は袁紹と曹操の領地、二人の目と鼻の先だ。袁紹か曹操、どちらが動いたとしても片手間で片付けられてしまうだろう」
「ならば尚の事、落とされる前に落とすべきではないのか?」
「お前の言っていることもわかる。だが、劉備、公孫賛の領地を落としたその後、どうする? 流石に二つの大国を相手にして勝つ策を捻り出せるほど俺は万能ではないぞ」
劉備、公孫賛の領地を攻め落とすことは、この国にしてみても容易なこと。だが、問題となるのは攻め落とした後。これは他の領地でも同じことが言えるが、奪い取った領地を統治することには時間がかかる。それをしている間に敵に攻め入られてはせっかくの領地拡大も意味がなくなってしまう。だからこそ、伊邪那岐は攻めることができる領地をそのまま放っておいた。いたずらに領地を拡大するよりも、自国の地盤をしっかりと固めることを選択して。
「ふむ。まぁ、舵取りはお前の役目。好きなようにやればいい。俺はそれに力を貸すだけだ」
「布都お前、考えるのが面倒になっただけだな?」
そして二人は同時に声を上げて笑い出す。
「そういえば伊邪那岐、聞きたいことが一つあるのだが?」
「今更改まって聞くようなことがあったか?」
「お前、妻を娶る気はないのか?」
その言葉を聞いて、伊邪那岐の体はゆっくりと湯船に沈んでいく。たっぷりと二分ぐらい経って、ようやく湯船から顔を出した彼はそのまま立ち上がって口を開く。
「藪から棒に。あまりのことに一瞬固まってしまったではないか」
「そうか? なんでも聞け。そのような口ぶりだったのは俺の気のせいではあるまい?」
「だからといって、いきなりすぎだろうがっ」
「だが、王となったからには世継ぎは絶対に必要なものだ。国を大事に思うでのあれば尚更。幸い、お前を好いてくれている女性はたくさんいる。英雄色を好むという言葉もある。正室、側室問わずに娶ってしまえば良いではないか?」
布都の口にすることは正しい。王となったのであれば、その志を次ぐべき後継者は絶対に必要なもの。ただでさえ時代は乱世。いつ命を落としたとしたとしてもおかしくはないのだから。
「それは、できぬ」
「何故だ? 鈿女のことがあるからか?」
「違う、鈿女のことは関係ない」
そこで伊邪那岐は迷うような素振りを見せたあと、重い口を開いた。
「俺の命はもう、長くない」
「なんだとっ? それは一体どういうことだ」
湯から立ち上がり、伊邪那岐の肩を両手で捉えて逃さないようにする布都。その表情は怒りと哀しみの半々といったところ。
「真龍刀の反動だ」
「真龍刀の、反動だと?」
「お前が知らぬのも無理はない。それと、これから口にすることは一切口外禁止だ。誰が相手であろうと口にすることは許さぬ」
布都の手を払い、湯へと体を沈めた彼は言葉を吐き出していく。
「俺の真龍刀、伊邪那岐伊佐那海は全ての真龍刀の雛形。これを元として改良したのがお前たちの真龍刀であることは知っているな?」
「ああ」
「俺の真龍刀は、強い。そのことを十分お前も知っているはずだ」
「それも知っている。早く結論を話せ」
彼の言葉を聞こうとは思っていても、とてもではないが布都は冷静ではいられない。
「お前は疑問に思ったことはないか? 改良したものが何故、劣化したのかと」
「それは」
伊邪那岐伊佐那海を元として作り上げられた真龍刀。だが、複数作られたにもかかわらず、その性能は原型となった真龍刀に及んではいない。
「あれは劣化ではない、まさしく改良型だ」
「どういうことだ?」
「伊邪那岐伊佐那海は強大な力を行使できるが故の欠陥品だったのだ。契約者の魂を喰らわなければその力を発揮することができない。その点を排除し、契約者への負担を極力排除したのがお前らの真龍刀だ」
「魂を喰らって、力を発揮するだと?」
「さよう。文献にもほとんど記載されていなかったから調べるのは大変だった。おかげで分かったことは、三度使えば確実に命を落とすということだ」
「お前、何度使った?」
「里で一度、この地に呼び寄せて一度。あと一度使えば、俺は確実に命を落とす」
「そのことは、誰も?」
「言っただろう? 口外禁止だと。お前以外にはまだ、誰ひとりとして話していない。話す気もない」
そう口にして、湯船から出て去ろうとする伊邪那岐。その方を掴んで布都は強引に振り向かせる。
「ならば、あと一度使わなければ、お前は少しでも長く生きられるというのだな?」
「それも分からん。既に二度使った身。寿命がどれほど残っているかなど、俺にも見当がつかん」
「お前というやつは」
布都は顔を伏せる。ただ、顔が見えずとも湯船に落ちる雫で彼の表情は手に取るように分かってしまう。今、布都は泣いている。目の前の親友は、体と心に傷を負い続けただけでなく、命まで削りながら前を向いている。それを支えることしかできず、痛みを理解することもできない歯がゆさ、無力さ。それが涙となってこぼれ落ちていく。
「布都、俺の為を思うのであれば泣くのではなく、笑ってくれ。涙は、いずれ生まれてくる自分の子供のために取っておけ。俺はそのほうが嬉しい」
「無茶なことを、口にするな」
「心配するな。そういったところで無理なようだな。だからこそ、敢えてこの場で言っておく。俺の後継者はほかならぬ、お前だ。お前は、俺の屍を越え、誠の王となってくれ」
裸の付き合いが、思わぬ真実を口にする場所に




