第五幕
前回のあらすじ
夜刀さんをボコった主人公
「このような展開になるとは、流石に予想していなかったな」
夜刀との戦いから一夜明け、伊邪那岐は牢の壁に背中をあずけながら、天を仰ぐ。
彼が手を挙げた女性は、孫呉の将軍、名を黄蓋というらしい。
雇い入れる前の将と、長年仕え続けてきた将とでは、待遇に差があって当然。命を狙われたからといって、それが免罪符になるわけでもなく、結果として、伊邪那岐は刀を奪われ、両手両足に枷を付けられて拘束されてしまっている。その場で抵抗しても良かったのだが、それでは、孫堅に対する彼の心象が悪くなるばかり。そう考え、彼は素直に投降した。幸いにも、死罪ではなく、監禁。拷問を受けることもなく、身につけていた刀を奪われた以外、衣服も奪われてはいない。
「さて、どうなることやら」
彼の予想を述べるなら、夜刀と黄蓋の意識がもどるまで、およそ半日。それから、二人の言い分を聞いて、自分の処遇が決まるといったところ。つまるところ、彼は今、待つという選択肢しか選べない。
「あっ、やっぱりここだったんだ」
睡魔にその身を委ねようとしていた伊邪那岐の耳に、能天気な声が響いてきた。面倒だとは思いながら、右目だけ開き、現れた人物を確認する。
腰まで届く桃色の髪、健康的に焼けた褐色の肌。美女と表現して間違いないであろう人物だが、その奥底には凶暴な肉食獣が身を潜め、僅かにでも隙を見せれば、喉を食いちぎられそうなほどの、獰猛さが瞳から覗いていることがわかる。
「何の用だ?」
「なによ、その態度。せっかく、顔を見に来てあげたっていうのに」
「それなら、もう、用は済んだな。さっさと去れ」
明らかに不満な気持ちを態度だけでなく、言動からも発する美女に対し、伊邪那岐は、やはり、関わるべきではなかったと、後悔。そして、これ以上関わりを持ちたくないと、拒絶の意思を示す。
「うわぁ、そういうこと言うんだ。あっ、そうそう、私の名前は孫策って言うの。以後よろしく」
「以後などない」
会話を続けてしまえば、相手のペースに乗せられてしまう。そう考えている伊邪那岐は、あえて会話を打ち切る方向へと持っていく。だが、孫策は、相手がつれない態度をとっても、己の目的を果たすまで、この場所から動こうとはしない。
「ねぇ、聞かせてよ。あんた、あの時、どうして夜刀と祭を殺さなかったの?」
「祭とは?」
「ああ、ごめん。うっかりしてたわ、祭っていうのは、黄蓋の真名よ」
その場にしゃがみこみ、この場から動く意思はないと、伊邪那岐に対して示す孫策。そんな彼女を見て、彼は簡単に折れてしまう。このまま、黙っていたとしても、彼女がこの場からいなくなるという可能性が皆無、そう判断したが故に。
「確かに、あの場で二人を殺すことはできた」
「じゃあ、なんで?」
「あいつらが、本当に、俺を殺すつもりで来たのであれば、そうしていただろう。だが、一人は、夫のため。一人は、女のため。己のためではなく、互いを守るために向かってきた。そういった奴らは、あまり斬りたくない。理由としてあげればこんなところだろう。もっとも、俺が本当に殺されると判断した場合、躊躇いながらも斬るだろうがな」
思考しながら言葉を紡いでいく伊邪那岐。その表情は、変わらずにねむたげでやる気のかけらも見出すことはできない。ただ、孫策は彼の言葉を、笑うでも嘲るでもなく、黙したまま聞いていた。
「へぇ」
「答えたぞ。とっとと去れ」
「いやっ」
理由を答えたら、この場を去るという伊邪那岐の予想を軽々と裏切り、舌を出して笑う孫策。
「うん、やっぱり、私の目に狂いはなかったみたい」
「狂っているようにしか見えんがな。俺は眠い。お前に付き合うのは面倒以外の何ものでもない。俺の安眠のために、とっとと帰ってくれ」
「いやっ。さっきもそう言ったでしょ?」
そう口にした孫策は、立ち上がり、牢の前にふた振りの刀を置く。見間違うはずなどない、幾多の戦場を共に戦い抜いてきた、伊邪那岐の獲物。
「取り引き、しましょ。あんたにも、決して悪い話じゃないわ」
「内容によるだろうに」
「雪蓮、そこで何をしているっ」
今まさに、彼女がこの場所に来た目的を口にしようとした瞬間、一人の女性がたしなめるような声を上げて、姿を現した。
腰よりも長い黒髪、切れ長の瞳に黒縁のメガネ。孫策を獰猛な肉食獣と例えるなら、彼女は、ひっそりと身を潜め、獲物が気づく前に仕留めようとする捕食者。どちらも、危険度で言えば同じぐらいだが、策をひねり出せる分だけ、後者のほうが厄介と言えよう。
「冥淋こそ、どうしてここに居るのよ。母様と軍議をしてたんじゃなかったの?」
「文台様との軍議なら先ほど終わった。そこの人物の処遇も含めて」
「うわぁ、じゃあ、なおさら急がなきゃ」
冥淋と呼ばれた女性が現れてから、孫策の様子は、いたずらを発見されてしまった子供のように、あどけなく、それでいて、悪びれていないものへと変化している。
「あのね、私、曹操に会いたいのよ」
「雪蓮。あなた、自分で何を言っているのか、わかっているの?」
「わかってるに決まってるじゃない」
楽しげに口にする孫策に対し、冥淋は頭を右手で抱えてしまっている。
「母様の脅威となる人物。だったら、いずれ、争うことになるのは必然。その前に、一度この目で見ておきたいの。曹操という人物を」
「それはわかったけど、この場にいる理由は?」
「そんなの簡単よ。こいつに、私を誘拐してもらって、曹操のもとまで連れて行ってもらうの」
「何を馬鹿なことを」
冥淋だけでなく、伊邪那岐もため息をつきたくなってくる。
「だからね、取り引き。ここからあんたを出してあげるし、獲物も返してあげる。その見返りとして、私をここから連れ出す。悪くないでしょ?」
「本気でそう考えている時点で、悪い冗談だ」
軽く首を鳴らし、両方の瞳を開いた伊邪那岐は冥淋へと視線を向ける。
「お前、先ほど俺の処遇が決まったと言っていたな。教えてくれ」
「ああ、お前は、明後日、斬首刑と決定した。あと、私の名前は、周瑜だ」
「そうか」
長年仕えてきた将軍に手を出し、それでも、即座に刑を執行しなかったのは、孫堅なりの温情だろう。
「ほら、ここにいたら、あんたは死ぬの。だったら、私の提案に乗りなさいよ」
「まったく、こちらに来てから、ロクな女に出会わんな」
文句を口にし、体を震わせる伊邪那岐。すると、両手両足の枷が音を立てて砕け散る。
「戦場で死ぬならまだしも、己に恥じることをしていない罪で、死罪。それを受け入れられるほど、俺はまだ、生きちゃいない。仕方ない。孫策、お前の取り引きとやらに応じてやる」
「そうこなくっちゃ」
笑顔で、牢の鍵を開けようとする孫策だったが、それを手で遮り、刀を拾い上げた伊邪那岐は、二人に下がるように指示。
「脱獄というのであれば、鍵を開けられるのは不自然極まりない。内通者がいると疑われるのは当然だ。なら、こうして出たほうがいい」
一閃。
鞘に刀が収まった音が響くのと同時に、牢の柵が音を立てて崩れ落ちる。
「さて、じゃじゃ馬の拙い策に乗ってやるとするか」
ゴーイングマイウェイな孫策