第五十七幕
前回のあらすじ
布都、董卓の二人と合流できました
「俺と同格。そこまでの実力を隠していたというのか、天照が?」
「信じられないと言いたそうだな、顔に出ているぞ。まぁ、無理もない。お前は本気のあやつと手合わせをしたことがないのだからな。だが、忘れてはおらぬか? 俺やお前と違って、あやつは凶星と同じく先代の教え子だということを」
驚愕をそのまま口に出す布都に対して、伊邪那岐は静かな口調で答える。
天照と凶星の二人は、彼よりも年齢が五つ上ということもあり、今代の里長ではなく、先代によって鍛え上げられている。その実力が拮抗していたとしても何ら不思議はない。
「それに、天照がもし須佐男に負けたとしても、俺が途中で横槍を入れたあとで須佐男を殺せば何ら問題はない。お前はそこで静観するか、とっとと脱出してしまえ」
「本当にお前は変わった。ならば、お前が信じるように俺も天照を信じて待つとしよう」
微笑して口にした布都は、董卓を腕から下ろし、自身も伊邪那岐に習うように背中を壁に預け状況を見守ることにした。
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「くそったれのあばずれが。ちょこまかと動き回りやっがって」
「捉えられないてめぇが無能なんだよ、この××××××野郎がっ」
無数に放たれる鋼の糸。それら全てを回避し、天照は矢を放ち続ける。だが、彼女の真龍刀が弓という形状であるがゆえに、両手を使い、さらに弦を引き絞る時間がかかってしまうこともあって、お互いに決定打を与えることができず、一進一退の攻防は継続していた。
「確かにこのままじゃ埒があかねぇな。てめぇ程度には勿体ねぇが、いいものを見せてやるよ、醜女」
先に痺れを切らしたのは須佐男の方。彼の右手が奇妙な動きをした瞬間、地面から五人の姿が床を突き破って出現してくる。死体を操る力を須佐男の真龍刀が持っていることは天照も知っている。だが、そのうちの一体を見て、彼女は体を硬くする。
「てめぇ、その人がだれだかわかってやってやがんのかっ」
「当たり前だ。でもなぁ、死体になったとはいえ、俺様の道具として使われる名誉を与えられてんだ。感謝の言葉を送ってくれてもいいんだぜぇ?」
「本っ当に腐ってやがるな、思考だけじゃなくって性根まで」
五体の屍人人形。内四体は男性のもので彼女の記憶にはない人物。ただ、その中にいる一人の女性。
黒髪を腰付近まで伸ばし、両方の腰にひと振りずつの刀。生前浮かべていた温和な表情はなく、能面のように死の色を顔全体に貼り付けている。それでも見間違うはずなどない。昔の彼女にとってかけがえのない人物なのだから。
「大変だったぜぇ、マジで。防腐処理に復元作業。なにせ、墓を暴いた時には大半の部分が腐りかけて、体中に蛆虫が湧いてやがったからな」
「墓を、暴いただと?」
「おうよ。あのまま朽ち果てるのはもったいなさすぎるからなぁ。再利用ってやつだよ、それがたとえ先代里長だったとしても、な」
そう、須佐男が出現させた屍人人形の女性は、剣の里において先代の里長を務めた女傑。彼女と凶星の師匠であり、伊邪那岐を生んだだけで育児放棄をした人物。
「コイツは本当だったら、伊邪那岐相手に使うつもりだったんだが、てめぇにも少なからずこうかがあるみてぇだなぁ、あん?」
須佐男の下卑た笑みすら、今の天照の瞳には映らない。一瞬で四本の矢を放ち、四体の屍人人形を粉々に焼き殺した彼女。その瞳に映っているのは、かつて自分を鍛え上げてくれた師匠であり、伊邪那岐の母親。
彼女の姿を見た時から、天照の脳裏には過去、交わした言葉がこみ上げていた。
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「天照、あなたに一つだけお願いがあるの」
「なんでしょうか、お師匠様?」
「もし、この先私が死ぬようなことがあれば、伊邪那岐の力になってあげて欲しいの」
「伊邪那岐、ですか?」
当時の天照は伊邪那岐のことを知らず、その名前を聞いたときにも、そんな名前の人物がいる。その程度の認識しか持っていなかった。
「伊邪那岐はね、私の大切な、大切な息子なの」
「お師匠様の、息子?」
彼女の師匠は女性でありながら、里長を務めるほどの力量を持っている。だが、婚姻をしたことも聞いたことがなければ、子を身ごもったということも聞いたことがない。
「本当は私が育て、愛し、成長を見守るべきだということはわかっているの。でも、私は恐れた。血に染まり、怨嗟をこの身に宿しているくせに、自分が何食わぬ顔で、汚れた両手であの子を抱きしめることを」
その時、里長の表情は戦士のものではなく、紛れもなく母親のものであった。そして、悲しみと愛情の板挟みにあい、結論を出してしまった一人の弱い女性。
「私は、あの子を捨ててしまった。愛情を注ぐべき存在を、この手で守り抜かなくてはならない我が子を、自らにのしかかってくる恐怖に屈して、捨ててしまったのです」
「そのことは?」
「長老たち以外、誰ひとりとして知りません。おそらく、伊邪那岐本人も」
その決断がどれほど重かったのだろう。里長の瞳からはとめどなく涙が溢れ、地面に落ちて染みを作っていく。
「お会いには、ならないのですか?」
「会いたいに決まっているでしょう」
天照の問いに即答したものの、その次に出てくる言葉は彼女の心の中にある恐怖そのもの。
「ですが、会いに行けばきっと抱きしめてしまう。私を母とは知らぬあの子を。それだけならばいいのです。でも、私は怖いのです。幾千の兵を相手にするよりも、あの子に拒絶されることが何よりも怖いのです。自分可愛さに捨てた子に拒絶されてしまうことが。身勝手すぎる言い草だとは分かってはいるのです」
「ですが、お師匠様」
「だからこそ、あなたにお願いするのです、天照。弟を持つあなたならば、私の代わりにあの子の成長を見守ってくれると信じて」
随分と身勝手な物言いだと、当時の天照は思っていた。当の本人である伊邪那岐と出会うその日まで。
それから二年後、戦で里長は帰らぬ人となった。
剣の里では盛大に葬儀が行われ、当時里にいた人間は全員が参列して葬送の華を手向け、悲しみにくれていた。
そんな時、天照は初めて伊邪那岐と出会った。
背も低く年端もいかない少年。だが、他のものと違い少年の瞳に涙はなく、機械にも似た正確でいて、それでいて感情が全く感じられない。隣にいる大柄の少年が声を上げて泣いていることも相まって、その少年の異常さが特に際立って彼女には感じられた。
「いい加減泣きやめよ、火具土」
「だども、伊邪那岐、里長がぁ」
そこで彼女は初めて、その少年が里長から託された少年だということに気づくことができた。ただ、その場で声をかけることはせず、静観するだけ。
それから、絶界を用い何度も伊邪那岐の下へ向かい、彼女は観察を続けた。それがどれほどの日々続けられただろう。
「うっとおしいな、お前」
ある日、いきなり発せられた言葉と共に石礫が天照へと投擲されてきた。絶界を使っている相手に対してその位置を正確に把握して。あまりの出来事に反応の遅れた彼女は体制を崩し、気づいたときには伊邪那岐に刀を突きつけられ組み敷かれている始末。十に満たない少年に刀を突きつけられて組み敷かれるという失態に、彼女の瑣末な誇りはその時に完膚無きまでに粉砕されてしまったといっていいだろう。
「先代の葬儀があった翌日からよくも懲りずに毎日と。つきまとわれているこちらの身にもなってみろ」
「なっ」
「気づかれていないとでも思っていたのか、浅慮すぎるぞ」
絶界を把握できる技術である奔流。それを習得するまでに彼女は一年の歳月を捧げている。それを目の前にいる少年が習得しているというのだから、もはや悪い冗談でしかない。
「それで、一体何のようだ?」
「えっ?」
「お前が俺の周囲にいると気が散る。用があるのならすぐに伝えて去れ。ようがないのであれば今すぐ去れ」
刀を納め、天照を開放した伊邪那岐はつまらなそうにそう告げる。
「私は、先代よりあなたを託された天照という者で」
「必要ない」
その言葉には不思議と拒絶の意思が含まれていない。それを感じ取ることができたからこそ、天照は言葉を口にすることができた。
「先代がどれほどあなたのことを気にかけていたか」
「そんなことは知らぬ」
「葬儀でも涙を見せませんでしたね。先代があなたの」
「母なのに。そう続けるつもりか?」
危うく怒りで口を滑らしそうになった彼女だったが、その先を当の本人に告げられてしまい、二の句が告げられなくなってしまう。
「どうして知っているのか? 顔に出ているぞ、お前」
そんな彼女を見てため息をついた伊邪那岐は、腕組みをして背中を木に預ける。
「里長が最後の戦に行く時、俺を訪ねてきてすべてを明かした。それだけのことだ」
「ならば何故、あなたにとって里長とはその程度の存在なのですかっ」
「それが、あの人が最後に口にした言葉だからだ」
「えっ?」
「俺は泣かなかったのではない、泣けなかったのだ。人前で涙を流すべからず。流したのならば、そこにつけ込まれる。だから葬儀の場では泣かなかった。その代わり、家に戻ってから馬鹿みたいに泣いた。おかげで、涙は当分出そうにない」
それは彼女が知り得なかった事実。目の前の少年が嘘をついているという可能性は十分に考えられる。だが、不思議と少年の言葉からは嘘が感じられない。
「母は幸せ者だな。皆に泣いてもらえただけでなく、こんなにも思ってくれる娘がいるのだから」
「私が、娘?」
「誰かの代わりを他の誰かが務めることはできない。その言葉、俺は偽りだと思っている。たとえ、血が繋がってなくとも俺の代わりにお前という娘に愛情を注ぎ、技を伝えた。母は、俺の母にはなれなかったが、お前の母になることはできた。そういうことだ」
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「あなたには感謝しておきます、須佐男。おかげで、大切なことを思い出すことができました」
「はっ、気でも狂ったのかよ。狂うにはまだはぇえぞ?」
天照の心境を理解していない須佐男は、彼女の言葉を鼻で笑う。だが、それでいい。あの時に彼女が立てた誓い、託された言葉は誰かに伝えるべきものではない。彼女が、彼女自身の心に刻み込んでおくべきもの。
「先代、私はあの言葉を忘れたことは一度たりともありません。安心してお眠りください」
その言葉と共に、天照は弓を左手から右足へと付けて上空へと跳躍。右手一本で弦を引き絞り、三本の矢を放つ。その全てが残った屍人人形へと突き刺さり、彼女の肉体を忌まわしき支配から解放し、続けて五本の矢を継がえる。
「てめぇ、育ての親を木っ端微塵かよ。随分なひとでなしじゃねぇえか、ええ?」
「屍人は屍人。残すべき思いと言葉を受け継ぐ者がいるのであれば、その役目は既に終えています。土へと帰るのが道理。ですが、報いは受けて頂きます」
放たれる五本の矢。
その全てを屍人人形を操ることができなくなった須佐男は、鋼の糸で防御する。視界は塞がれ、相手である天照が攻撃手段を変更してきたことを考慮しても、未だ範囲と手数では上回っている。だが、その慢心は背中へと突き刺さった矢によって打ち砕かれ、負け惜しみの言葉を口にするよりも早く、須佐男の体はその場で爆散する。
爆風を利用し、優雅に着地した天照は肉片と化した須佐男を見ることなく、その場に背を向けてすぐさま歩き出す。彼女にいろいろなものを託し、授けてくれた母へとの弔いの言葉を口にして、主のもとへと。
「母様、ご安心ください。伊邪那岐様は勿論のこと、私も元気に毎日を過ごせております。ですから、見守っていてください。あなたの、母様の愛してやまない息子と娘は、その場で足踏みをして止まるものではなく、傷を負っても前へと進める強さを持つほどに成長した姿を」
マジでパねぇっす、天照姉さん。
ちなみに年齢を明かしておくと、以下のようになります。
須佐男 29歳
夜刀 26歳
犬遠理 25歳
天照、凶星 21歳
布都、火具土 19歳
咲耶 18歳
伊邪那岐 16歳
月読、神楽 14歳




