第五十五幕
前回のあらすじ
十常侍が血の海に沈みました
「それで、いつまで様子見を決め込んでいるのだ、お前は」
刀から手を離すことなく、伊邪那岐は御簾越しの帝から視線を外そうとはしない。そして、その声を聞き、御簾越しの帝が笑ったように見えたのは、気のせいではない。
「高みの見物を決め込み、戦場に己自身が立つことなく、他人の命が奪われていく様を見ることがそんなにも楽しいのか?」
「くくっ、随分な言い草じゃねぇか、お前。俺様と同じ人でなしのくせに。自分は違うとでも言いたげだなぁ。でもまぁ、お前はそんなくだらないことを決して口にはしねぇよなぁ、伊邪那岐」
その声と共に御簾が切り裂かれ、件の人物がようやく姿を現す。
逆立てられた茶色の髪に下卑た笑み。腰にふた振りの刀を差してはいるものの、その両手には豆などが一切なく、すべての指には鈍く光を放つ銀色の指輪がはめられていた。
「須佐男、やはりお前か」
「その口ぶりじゃ、予想はしていたが確信は持ってなかったみてぇだな」
玉座に座り、彼を見下ろす男。
その名は須佐男。剣の一族において序列の三位を務め、態度、口ぶりからしてわかるように自分以外の誰ひとりとして君臨者として認めない傲慢な存在。それ故に里長からどの役職を与えられることもなく、ただその戦闘能力の高さから序列へと名を連ねることになった異端の男。
「参考までに聞いておくけどよぉ、お前、どの当たりで俺様が絡んでるって気づいた? 他の序列に名を連ねてる能無し共なら、俺様がここにいるって事すら気づかねぇ。現に、布都の阿呆は俺様がここに居ることに気づいてなかった。なのに、どうしてお前は気づきやがったんだ?」
「教えて欲しいのか?」
「ああ、是非とも聞きたいねぇ」
須佐男の言葉を聞き、伊邪那岐はひとつ咳払いをしてから言葉を口にする。
「考えてみれば簡単なことだ。十常侍は権力を持つために帝を傀儡とし、董卓を盾として用いることによって配下のものすら手駒とした」
「ああ、そんで?」
「そこまでなら、俺もお前が絡んでいるとは考えなかっただろう。だがな、おかしいのだよ、決定的なまでに」
「決定的なまでに、だと?」
「ああ。なぜ、十常侍は足並みを揃えていられる? ほかの九人を蹴落せば、あるいは亡き者とすることができれば権力は己一人のもの。そう考えない輩がどうしていない? そういったことを他の人間が考えていると、不安を抱えている人間がどうしていない?」
権力を欲するのであれば、自分と同格、もしくは格上の存在は目の上のたんこぶ。どうにかして消し去りたいと考えるのが自然。だが、彼の言うとおり十常侍たちは足並みを揃え、誰かを陥れたり足を引っ張ったり、そういった行為をすることなく十人が十人、全員で政権を担っていた。
「そこまで考えて俺は思った。もしや、十常侍は結託して誰かを打倒しようとしているのではないかと」
「妄想の域をでねぇな」
「その通りだ。だが、権力を欲する者たちが足並みを揃えるために必要なのは、目標と敵、この二つに他ならない。そのどちらかは確実にあると俺は確信していた。だから、布都を使って試した」
「お前、何を試した?」
「十常侍の意見が割るか、否か。割れたなら俺の考えは外れ、まとまっていたなら当たり。まぁ、どちらにしろ十常侍を殺せればそれで良し。どちらに転んだとしてもこちら側に損は出ない」
「くくっ、いいねぇ。途轍もなくいい」
彼の言葉を聞いて、須佐男は声を上げて笑い出す。ただ、その笑みは人の心を波立たせ、不安へと叩き落とすおぞましいもの。
「やっぱりお前は最高だ。他人の命を虫ケラとも思っちゃいねぇし、目的を果たすためならどんな手段だって用いる。親友だって口では言っておきながら、そいつすら自分の目的のために利用しやがる。いいねぇ、実にいい。お前は最低で、最悪で、実に俺様ごのみの悪党だよ」
「お前に褒められても嬉しいと思えないのが不思議だな」
「はっ、可愛げがないのが欠点だが、それも些細なことだ。どうだ伊邪那岐、俺様と一緒にこの大陸を支配しねぇか? ほかのやつらは贔屓目で見てもダメだが、お前だけは別だ。お前は使える。今なら、特別待遇で俺様の次の地位をくれてやる」
どこまでも不遜に玉座で足を組み、伊邪那岐を見下ろす須佐男。
「答える前にひとつだけ聞かせろ。お前は他の連中と同じく里長の命令で俺を殺しにこの世界へと来たのではないのか?」
「何を聞くかと思えば、くだらねぇ。俺様の偉大さを理解してねぇ里の連中、里長、序列の連中、その他大勢の言葉なんざ俺様に届くわけねぇだろ? 俺様がここにいるのは、里長の命令聞く振りして自分の国を手に入れるためだ」
「なるほど、お前らしい」
吐き捨てるように答えた須佐男の言葉に偽りはない。元々、この男には忠誠心もなければ同族意識もない。あるのは溢れかえるほどの野心だけ。
「では最後にもう一つ、本物の帝はどこにいる?」
「本物ならここにいんだろ? 偽物だったら地下牢にだいぶ前にぶち込んでやったから、今頃くたばってるんじゃねぇの」
口にしてまたもや笑い声を上げる須佐男。
「そんで、お前の答えはどうよ、伊邪那岐? 生きたまま俺様に自分の意志で仕えるか、この場で操り人形の死体になって俺様の手足となるか。好きな方を選んでいいぜ?」
須佐男の真龍刀の銘は素戔嗚尊。
両手の指につけた十の指輪から射出される鋼の糸によって敵を切り刻み、その鋼の糸を脳に直接つなぐことによって、自身の意のままに他人を操ることを可能とする。そして、脳に直接繋げられたものは死人であっても、その能力を生前のまま損なうことなく行使する彼の忠実な下僕となってしまう。
「どちらも選ばぬ」
「は~ん、ってことはだ、決定権は俺様にあるってことでいいってわけだ。なら、反抗の意思が現れねぇように、俺様の手足となることに、大・決・定♪」
「早計だな、須佐男」
「あん?」
「選択肢というものは選びとるだけのものではない。自らの手で切り開き、作り出すものだ」
「はっ、偉そうに口にしても俺様の真龍刀相手に真龍刀を現時点で持ってねぇ、もしくは持ってても喚び出してねぇお前じゃ、切り開けるわけなんざねぇだろうがっ」
「ああ、この場合、選択肢を切り開くのは俺でもお前でもない」
「訳分かんねぇことを、命乞いのセリフ口にするならもうちょっとましな言葉を選べってんだよっ」
伊邪那岐の目の前へと迫る無数の鋼の糸。その一本でも彼の脳髄へ到達すれば、彼はその能力を損なうことなく須佐男の忠実なる配下へと身を落とす。だが、彼の配下にそれを良しとするものなど誰ひとりとしていないことに須佐男は気づいていない。
「悪いな須佐男。俺は昔と違って、孤独ではないのだ。放て」
その言葉に含まれていたのは確信。
言葉に少し遅れて須佐男へと強襲してきたのは一本の矢。だが、その矢がただの矢でないことはすぐに彼にも理解できた。慌てて伊邪那岐へと向けていた鋼の糸を防御と、矢の軌道をそらすため割く。矢が宮の壁に着弾したとのと同時、宮の屋根が爆炎とそれによって生み出された爆風で消し飛んだのは一瞬のこと。
「ご無事でしょうか、伊邪那岐様」
「ああ、大事ない。それにしても、これは少しばかりやりすぎだろうに」
「申し訳ございません。少し力が入ってしまいました」
伊邪那岐の無事を確認するために姿を現したのは、天照。それもそのはず、先ほどの矢は彼女の真龍刀によって放たれたものだから。
天照大御神。
弓の形をした真龍刀であり、どのような矢を継がえ放ったとしても同じ効力を発揮する。真龍刀の中で最大級の攻撃範囲と威力を持ち、汎用性にも富んだ真龍刀。効果は見ての通り、矢が着弾した場所を中心に爆炎と爆風を巻き起こし周囲を火の海へと変える。
「ご無事で何よりです。それでは、失礼いたします」
その言葉と共に、珍しく顔に満面の笑みを浮かべた天照は勢いよく伊邪那岐の頬を右手で叩く。叩かれた伊邪那岐は、この場が戦場であることすら忘れて一瞬だけ呆けてしまう。
「伊邪那岐様、貴方様は既に我らの主。その貴方様が我先に命をなげうつ行動をとるとは何事ですかっ。貴方様の命は既に貴方様お一人のものではございません。我ら全ての命と共にあるということをご自覚ください。皆が皆、貴方様の軽率な行動ゆえにこの二ヶ月、心を痛め続けたのですよっ」
激昂と共に泣き崩れ、彼の着物を掴みながらその胸で涙を流し始める天照を見て、流石の彼も言葉をすぐに口に出すことはできずにいる。
「済まなかったな、天照」
「私の命は、過去救っていただいた時より貴方様のものなのです。伊邪那岐様がご無事で、本当に、本当によかったです」
「悪かった。反省はしている。だからいい加減泣き止んでくれ。俺はなぜだか女の涙には逆らえぬ。いい女が相手ではなおさら」
天照の涙をその手で拭ってやる伊邪那岐だったが、彼女の顔に朱が指し別の意味で抱きついていることにはまったくもって気づいていない。それでも、決して気を抜くような真似をせず、彼女を抱きかかえたまま跳躍し、宮の天井から脱出。大広間まで移動する。それを逃さぬように追いかけてくる鋼の糸。
「てめぇら、俺様の存在無視していちゃついてんじゃねえェよ、カスどもがぁ」
獣の咆哮に似た大声を上げて姿を現した須佐男。その体は煤によって着物が若干汚れてはいるものの目立った外傷はない。ただ、その目は血走り今にも噛み付いてきそうなほどの怒気が放出されている。
「まったく、しぶといやつだな。あれで死んでいてくれれば楽ができたというのに」
「伊邪那岐様、これを」
呆れている伊邪那岐に天照が渡してきたのは、形見の簪が収められている小さな箱。それを懐へと収め、須佐男と対峙しようとした伊邪那岐だったが、その歩を止める。彼の前には伊邪那岐から離れたばかりの天照が立っていたから。
「先ほどの無礼に対する謝罪を含め、あれは私が片付けます」
「俺は俺を思って行動したお前を咎めるつもりはないが?」
「それでも、私にやらせてください。もっとも、これは私のわがまま。伊邪那岐様が命令を下すというのであれば、私に逆らうつもりは毛頭ございません」
天照の言葉を聞き、ため息を一つ付いた彼は改めて言葉を口にする。
「わかった。ならば、天照。あれはお前が片付けよ。ただし、決して死ぬことは許さぬ。良いな?」
「有り難き幸せ」
「おいおい、何勝手に決めちゃってくれてんだよ、てめぇら。序列五位のクズごときが俺様の着物台無しにしやがって、目の前で呼吸することにすら許可取らねぇといけねぇてめぇが、どんだけの罪を犯したかわかってんだろうなぁ、あぁ?」
歯を剥き出し獣の笑みを浮かべながら言葉を口にする須佐男だったが、対する天照の反応はほとんどない。伊邪那岐ほどでもないが、彼女自身も感情表現が苦手なのである。ただ一点を除いて。
「××××野郎程、口汚いものなのですね」
次に彼女の口にした言葉を耳にして、そばにいた伊邪那岐は頭を抱える。彼女が口にしたのは間違いなくスラング。それも、普段の彼女であれば決して口にすることなく、縁が全くないと言ってもいいぐらいに口汚いほどの。
「あんだとっ、この売女風情がっ」
「てめぇ程度のチンピラが、私の主の前に立っているだけで吐き気がする。苛立つ心を抑えきれない。今すぐてめぇの×××を切り取って、てめぇの小汚ねぇ×××にぶち込んでやるから、覚悟しろよ××××野郎」
その口から吐き出される言葉に伊邪那岐はげんなりし、須佐男はあまりの天照の変貌ぶりに驚きを隠せない。
「天照」
「なんでしょうか、伊邪那岐様?」
「お前のような女人があまり口汚く罵るな。あと、相手はあれでも年上。最低限の敬意ぐらい払って、名乗りぐらいしてやれ」
「わかりました」
あまりの口汚さに声をかけた伊邪那岐だったが、彼に対する反応はいつもと変わっておらず、あっさりと彼の言葉に従う。そして、一度咳払いをしてから、正式に天照は目の前の敵に対して名乗りを上げた。
「我が名は天照。かつては剣の里において序列五位を頂きしもの。ですが、そんな肩書きは最早私には不要。今の私は、伊邪那岐様の忠実なるしもべにございます」
「俺様の名は須佐男。この大陸の覇者になるべき存在だ」
「あなた程度が覇者になれるなど、妄想虚言もいいところ。まぁ、現実を見る度胸のない弱者は、そのような場所に逃げ込むしか居場所がないのでしょうけれど」
「吹くじゃねぇかよ、売れ残りがぁ。たった今決めたぜ、てめぇはこの場でぶち殺した後、俺様の性処理奴隷に確定だぁ」
互いに隠しもしない怒気を纏いながら、片方は指を鳴らし、もう片方は弓を携える。
「「いざっ」」
天照姉さん、実はちょっとアレなのです




