第五十二幕
前回のあらすじ
董卓救出戦の内容を口した伊邪那岐と、
そんな彼と国を作りたいと口にした布都
「なかなか面白い冗談を口にするな。酒に呑まれたか?」
「冗談ではない。至って俺は真剣だ」
軽い冗談だと、聞き流そうとしていた伊邪那岐だったが、口にした布都本人は至って真剣で、酔っ払って冗談を口にしたわけではない。
「国を作るといったな、国を盗るのではなく」
「ああ。盗るのではなく、作る。俺たちならば、それができると確信した。本当は、此度の件が終わってから口にするつもりだったが。俺としたことが興奮しすぎて、つい口に出してしまった」
「己に正直なのはお前の美点だが、同時に短所でもあるな」
「違いない」
盃を合わせ、互の盃に入った酒を互いに飲み干す二人。
「布都、お前の言いたいことも願いもわかった。それは、なかなかに楽しそうな遊びだ。だが、だからこそ聞いておきたい。なぜ、お前が王ではなく、俺を王にしようとするのだ。お前が王となり、俺が支える。そういう選択もあったのではないのか?」
「まったく、お前というやつは自分という人間のことを一番理解していないようだな」
伊邪那岐の言葉に対し、ため息をついてから盃へと酒を注ぐ布都。
「伊邪那岐、お前の考える王というものは一体どういった存在だ?」
「王とは、国を支える柱にして、民たちの奴隷。己の力を持って道を指し示し、そのことに関する罰をその身に受けるもの。持つべきは覚悟と力、そして明確なまでの意志」
「それで、そのことを知りながら、お前は俺の方が王にふさわしいと口にするのか?」
「違うのか?」
自分の盃に酒を注ぎながら、今度は逆に伊邪那岐が問いかける。布都は、一族の里にいたとき、龍という役職につき、皆から認められるほどの力、知恵を有している。
「伊邪那岐、お前がそう口にするのなら、お前の瞳には俺がそう言う姿で写っているのだろう。だがな、俺とお前では決定的なまでに違う点が一つだけある」
「聞こうか」
「己を犠牲にできるかどうかだ」
その言葉を聞いて、一瞬だけ伊邪那岐は動きを止める。口にした布都も、同じように悲しげな眼差しで動きを止めていた。
「俺は、大切な人のためであれば犠牲となることは厭わない。だが、お前は違う。守ると誓った人たちのためであれば、命を投げ出すことすらする。犠牲とする順位の一番先に自分を持ってくる」
「それが何だというのだ?」
「まだ気づかないのか、伊邪那岐。お前は、己を傷つけることによって誰かを守れる強い男だ。今までも、そしてこれからも。傷つくことを良しとし、己を汚すことすら簡単にして、だれかの命を救う優しい男だ。だからこそ、お前は人を魅了する。自分は茨道を歩き、他の者たちには平坦な道を歩ませる。お前がどう考えてそういった行動をとっているのか、俺には理解できない。だが、その姿を見た者たちが、お前のことを愛したり、敬ったり、そういった好意を抱かないわけがないだろう。そんなお前だからこそ、人が集ってくるのだ。お前の力に成りたい、お前の傷を癒したいと願う者たちが」
その言葉を聞きながら、伊邪那岐は口を挟むことなく、盃を傾ける。
「先にお前が口にした王の姿。それはありのままお前に当てはめることができる。そして付け加えるなら、王として必要なのは、覚悟と力、明確な意思だけでなく、誰かの為に己を犠牲にすることができる心根だ。俺にはそんなものがない。だが、お前は持っている。育ててきたといってもいい」
「俺のことを持ち上げすぎだ、布都」
「自分の価値を卑下するな、伊邪那岐。それはお前の悪い癖だ。お前の右目は何のために失った。お前の体の傷は何のために負った。全ては、部下を、民を、己が失いたくないと守った誇り高きものではないのか。傷だらけの体で、それでも己にすがってくるものを見捨てないお前は、否、お前こそが王となるべき人間だ」
伊邪那岐の言葉に苛烈なまでの反応を示した布都は、一気呵成と言わんばかりに言葉を吐き出し、己の心の内を彼にぶつけてくる。
「布都、お前の言葉は俺個人としては純粋に嬉しいものだ。そして、お前の提案も胸躍るものだ。だが、今は心の内にしまっておけ」
「何故だっ」
「順序の問題だ。お前の願いは二つ。優先するべき順位を間違えれば、待っているのは破滅のみ。今はまず、董卓を救うことだけ考えておけ。もうひとつの願いは、この件が終わってから、ゆるりと皆で考えれば良い」
◆◆◆◆◆◆◆◆
時は戻り、汜水関の攻撃から五日後。北方、馬騰の領土。
伊邪那岐の命を受け、虎狼関を後にした神楽は早馬を用い、ようやく領主である馬騰がいる中枢までたどり着いていた。
「あらあら、どちら様かしら?」
馬を隠し、絶界を用い、この地にいる人間の知覚外を行動していたはずの彼女だったが、いきなり声をかけられて体を硬くする。視線だけで相手を確認してみれば、そこにいたのは黒髪で眉の太い一人の女性。温和な笑顔を浮かべてはいるものの、彼女の絶界をあっさりと看破したことを考えれば、その腕はかなりのものと判断できる。
「あらあら、ダメダメよ、お嬢さん。人に声をかけられたなら、きちんとお返事しないと」
その言葉とほぼ同時、神楽は声を失ってしまう。なぜかと問われれば、すぐにでも答えることができる。彼女の体は、一瞬の内に宙を待っていたから。ただ、どのような方法や武器を使ったのか、彼女にその判断を脳内で下している時間はない。受身をとって着地はしたものの、目の前の女性に対する警戒心が一気に限界点まで急上昇。主である布都、師である伊邪那岐。その二人が相手であったとしても、ここまで彼女は相手を警戒したことはない。二人は確かに強いし、彼女の想定している以上の動きを軽々とするが、そこにあるのは訓練を前提としたもの。その二人と同レベルの身体能力を有している敵と、単身で対峙したことが彼女にはない。
「あらあら、なかなかなお手前で。でもね、やっぱり尋ねられたなら、口を開くべきだと思うの」
「くっ」
またもや投げられて宙を舞う神楽。ただ、二度目ということもあって、ようやく彼女も自分がどうやって投げられているかを理解することができた。武器も使っていない。目の前の女性は、ただ、自分の腕力のみで神楽を投げている。しかも、彼女の円界をすり抜けるということを平然とこなしながら。
宙を舞いながら、次の一手をどう打つべきか。そう思考していた神楽だったが、突然、背後から拘束され、地面へと叩きつけられてしまう。しかも、その首筋に刃を突きつけられ背中を踏みつけられるという、逃げ場を完全に奪われるという屈辱的な状況。
「まったく、ねずみがチョロチョロと。って、ひょっとしてあなた、神楽?」
「わかったのであればどいていただきたいですね、凶星」
「それは無理な相談よ。この場所は現在、私たちが世話になっている領主のもの。いくら顔見知りであったとしても、簡単に開放するなんてそんな馬鹿な真似を私がすると思うの?」
神楽を押さえつけたまま凶星は正論を口にする。先程まで彼女を投げていた女性は、成り行きを見守っているのか、手を出してくる様子はない。それを確認した上で、神楽は口を開く。
「では、こう口にしましょう。私がこの場に来たのは、師である伊邪那岐の命。あなたたちの主である方の使いです」
「伊邪那岐の? あいつ、今何してるのよ?」
「それが聞きたいのであれば、私を解放し、領主である馬騰のもとへ案内してください。話はそれからです」
交渉の価値ありと判断した神楽は、伊邪那岐の名前を口にする。彼の名前は、剣の一族であれば誰にとっても有利に交渉を進められる強力な手札と変わる。
「そう、じゃあ、ここで話しなさい」
「あなたは私の言葉が理解できていないのですか?」
「あなたこそ、私の言葉が理解できていないみたいね。あいつの弟子でも、人の言葉や心理を読むことに関しては、まだまだお子様。いい、私はこう言っているの。領主の馬騰はあなたの目の前にいる。だからとっとと話しなさいって」
その言葉を聞いて、神楽は先程まで対峙していた女性へと視線を移動させる。
「あなたが、この地の領主、馬騰だというのですか?」
「あらあら、私目当てのお客様だったのですねぇ」
とてもではないが、目の前の女性から噂通りの覇気を感じることはできない。だが、完全に武において子供扱いされてしまっては、認めるしかない。そう判断し、彼女は口を開く。
「我が名は神楽。布都を主とし、伊邪那岐の一番弟子」
「あらあら、ご丁寧にどうも。私は馬騰。この地を収めている領主です」
「このような姿で現れた非礼をお詫びいたします。ですが、此度の件は火急の用。ご容赦願います」
「それで、何の御用なのかしら?」
「はっ。この地への亡命を許可して頂きたく、馳せ参じた次第。叶えて頂ければ、こちらは貢物として、王たる証の玉璽、八万の兵、それを扱うことのできる勇猛なる将、軍師を差し出す所存。つまり、これらすべてをあなた様は手に入れることとなります」
馬騰さんの返答やいかに




