第五十一幕
前回のあらすじ
大陸全土を巻き込んでの謀を仕掛けると告げた主人公
「訊くぞ、お前らは、無関係な人間の命を犠牲としてでも、董卓を救うつもりはあるか?」
伊邪那岐が口にしたことは、正論。それ故に、現実を直面させられてしまった者たちは、言葉に詰まってしまう。これはあくまでも自分たちの問題。無関係な人間を巻き込むことは間違い。そんなことは、とっくの昔に理解している。だが、その命を犠牲にして董卓を救うことができるのであれば。理性と道徳を片側に、欲望と願いをもう片側に載せ、心の中で天秤は激しく揺れ動く。
「俺は、彼女を救う。そのためにいくつの命を捧げようとも、構わない」
「最初っから、布都、お前の考えはわかっている。だから、お前に意見は求めていない。他の者たちに訊いているのだ、俺は」
「自分は、布都殿の副官。支えるべき主が救いたいと願うなら、それに従うのが自分の勤めかと」
意気揚々と口にしたものの、彼に一蹴されてしまい、大きく肩を落としてしまう布都。そんな布都を見ないようにして、先程まで沈黙を保っていた神楽が口を開く。
「その忠義、見事だ、神楽よ」
「師父の教えの賜物です」
神楽は、布都の副官として日頃から彼と一緒にいるものの、彼女自身は剣の一族ではない。彼女は、大阪冬の陣にて、務めを果たし、里へと帰還する際に伊邪那岐と布都の二人が戦場にて拾った孤児。そのまま、二人に出会うことがなければ餓死するしかなかった神楽。それを拾い、己の知略、武術を伊邪那岐は彼女へと叩き込んだ。それ故に、彼女は主である布都、師である伊邪那岐には絶対の忠誠を誓っている。
「うちも、やる」
「霞?」
「うちは、詠みたいに頭が良いわけやない。救う過程、結果でどんだけ犠牲が出るかなんて、想像もつかへん。でも、救う手段があるんやったら、うちはそれに乗る。後悔するんは、救ったあとでええ」
「だそうだ、賈ク。お前はどうする?」
「やるよ、僕も。どうせ、犠牲が出るんだったら、月だけは救いたいから」
「皆、答えは出たようだな。ならば、話を続けるぞ」
全員の意見が一致したことを確認して、伊邪那岐は言葉を続ける。
「連合が向かってくる道筋は、おそらく、汜水関に虎狼関を越える道筋。ここで、連合軍の戦力、王朝側の戦力を削ぐ」
「どうしてそんなことが言えるのよ。相手がどこから攻めてくるなんてわからないのに」
彼の意見に対して異を唱える賈ク。彼女の言葉は最もであり、周囲を的に囲まれている状況で、相手がこちらの思い描く道筋を通って攻めてくる保証などどこにもない。
「簡単なことだ。相手は連合、王朝を倒し、次代の大陸の覇権を手に入れたいと願う者たちばかり。そんな奴らが、バラバラに攻められると思うか? そんなことをすれば、互いに足を引っ張り合うだけの結果しか得られない。それぐらい、あいつらとてわかっていることだ」
誰かが突出してしまえば、そこを攻められる。彼らは一枚岩ではないが故に、周囲を囲んでいるという利を活かすことができない。誰かに利を取られることなく、後に戦う者たちの力量を見据える。そう言った捕食者たちの群れが連合。だからこそ、彼らは足並みを揃えて攻めてくるしかない。それも、王朝よりも自分たちの力が上だということを、大陸で生活する民たちに誇示しながら。
「それに、この二箇所の関は潰しておきたい。そう考えるのが自然だ」
汜水関に虎狼関。洛陽へと続く場所に設けられた堅牢なる要塞。これを、王朝を倒したあと、自分の勢力ではない別の勢力に奪われたら。そう考える者たちがおそらく多い。なら、いっそのこと奪われないように壊してしまい、後顧の憂いを断っておく。
「納得したみたいだな。続けるぞ。この二箇所の関を使って、空城の計を仕掛ける」
「「空城の計?」」
彼の言葉に、聞き覚えのない賈ク、張遼の二人は揃って声を上げる。ただ先程まで、打てば響くように答えていた彼は、あえてこの場で説明をしようとはしない。それは何故かと言うと、
「そんなところで聞き耳を立てず、堂々と姿を現せばよいではないか。それとも、後ろめたい思いでもあるのか、蓮華?」
宴で眠っていたはずの孫権が、意識を取り戻し、こちらの軍議に対して姿を隠し、聞き耳を立てていたからに他ならない。
「いつから、気づいていたの?」
「俺がこいつらにどれほどの犠牲が出るかについて答えているぐらいだ」
「ほとんど最初から、ってことよね、それ」
「ああ」
姿を現し、その場で言葉を紡ぐ孫権。今は一緒にいるものの、伊邪那岐が連合の敵についたとなれば、彼女とは敵対する関係。だからこそ、彼女はその場を動くことができない。彼女の素性がこの場でバレれば、首を跳ね飛ばされる可能性がないとは決して言い切れないのだから。
「安心しろ、蓮華。お前は、この戦が始まるのとほぼ同時に、孫呉の連中のもとへと返してやる」
「「えっ?」」
彼の言葉に声を上げたのは賈クと孫権の二人。前者は彼の言葉の中に捨て置けない内容が含まれていたから。後者は、完全なる敵地にいるというのに、自分の安全を保証するという彼の言葉に疑問を抱いてしまったから。
「もっとも、俺の策の一部として、だがな。だから、お前らも蓮華に危害を加えようとするなよ。こいつに危害を加えるということ、それ即ち、策の成功率を自分たちで下げる行為と同じなのだから」
彼の真意はその場にいる人間、布都を除いて誰ひとりとして理解できていない。だが、その言葉を理解できる人間であれば、孫権に危害を加えようとは思わないだろう。敵であっても利用できるのであれば、董卓を救う為に利用する。そういった思いを抱いている人間しか、この場所にはいない。
「だがまぁ、お前らの不安はもっともだ。蓮華は部屋にて軟禁状態にしておく。外界の情報を遮断しておけば、お前らとて安心だろう」
「まぁ」
「それなら」
不承不承、納得はいっていないものの、彼の言葉を信じ、従うように言葉を口にする張遼と賈ク。
「ならば、今宵の軍議はこれまでだ。日を置いて、再び軍議を行う。ただ、この場に全員が集うことはもうないだろうが」
「どういうことやねん、それ?」
「考えれば誰でもわかることだ。不穏分子が一箇所に集まって何か話し合っていると知れれば、いかに勘の鈍いやつでも、何か企んでいると気づく」
「なるほどなぁ」
「それと張遼、先ほど口にしていた武将二名、後日、なるべく早めに俺と引き合わせてくれ。そいつらの技量、性格、人柄を早めに把握しておきたい」
「任しときっ」
こうして、その日の軍議の幕は降りた。軍師である賈ク、武将である張遼。その二名から、であったばかりの人物であるはずの伊邪那岐が信用足りえる人物であるという結果を残して。
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「お前は優しいな、伊邪那岐」
「藪から棒に、何を小っ恥ずかしいことを口にしているのだ、お前は」
軍議を終えて半刻後、月を酒の肴に伊邪那岐と布都の二人は盃を傾けていた。そんな時、軍議で孫権を庇う発言をした彼を思い出し、布都は言葉にしたのだ。
「お前と共にいたとしても、相手は孫呉の中核たる人物。正しい判断ができる人間なら、あの場で殺しておくのが正解。それなのに、お前は彼女を救った」
「だからあれは、策の一部として必要だったから」
「そうだとしても、だ。それに、知恵の回るお前のことだ。彼女を利用しなくても、また、別の策を用いることは可能、違うか?」
その言葉を聞いて、伊邪那岐は黙り込んでしまう。布都の言っていることが、彼の隠していた考えをしっかりと射抜いていたから。
「華雄の件にしてもそうだ。お前なら、叩き伏せるのではなく、殺すことも容易だった。それを生かした、何故だ?」
「それは」
確かに、布都の言っていることが正しく、伊邪那岐は自分がどうしてそのような行動に出たのか、理由を説明することができない。
「伊邪那岐、俺はこの地に来て、愛するべき人と出会い、お前と再会することができた。そして、童の時に抱いた、小さな願いがこの地でならば叶えることができると、今日、確信した」
「お前の願い、か。聞かせてもらっていいか?」
「ああ」
そして、布都は立ち上がり、彼の正面に立って、歯車を回し始めた。
「俺とお前、二人でこの地に国を作る。王は、伊邪那岐、お前だ。俺がそれを支える。それこそが、俺が抱き続けてきた願い。叶えてくれるか、伊邪那岐?」
運命は加速し続ける




