第四十六幕
前回のあらすじ
続、二人っきり
「さてと、これからどうしたものか。何かいい案はあるか、蓮華?」
「残念だけど、私も途方にくれているところよ」
一夜明け、みんなとはぐれてしまった伊邪那岐と孫権のふたりは、彼女と旧知の間柄である張昭という人物を頼るため、近くの村まで来ていた。互いに獲物も持っていない二人。村に着くまでの間、野盗の類に出会わなかったのは、不幸中の幸いと言えよう。だが、さすがに頼ってきた人物が亡くなっていることは露知らず。墓参りをしたあと、途方にくれてしまっていた。
「路銀も心もとない。獲物もない。あるのは俺と蓮華の命ぐらいか」
「本当にね」
最低でも獲物さえあれば、野盗を見つけて路銀を得る。褒められた手段ではないが、この方法を採ることができる。しかし、それもできないとあっては、二人には取れる選択肢がほとんどない。
そんな時、二人の視界に一枚の立て札が入ってくる。書いてあった内容は、武闘大会のお触書。ただ、開催される場所は、この場所から遠く離れた洛陽の地。
「なるほど、賞金が出るのか」
「でも洛陽って、董卓が帝を傀儡として、圧政を敷いていると言われている場所よ。それに、ここから西にどれほど距離があるか。今から向かったとしても、この大会は終わってしまっているわ」
孫権の言うとおり、洛陽は今、黒い噂で絶えない。董卓が圧政を敷き、都を私物化している。十常侍が都の星権を握っている。噂が噂を呼び、どれが本当であるのか、判別することができないほどに。
「西に向かえば良いのだな?」
「ちょっと、伊邪那岐。あなた、私の話を聞いていたの?」
「どのみち、この地にとどまったとしても、迎えが来るとは言い切れない。なら、少しでも人の多い所に行って情報を手に入れたほうがいいに決まっている」
「それはそうかもしれないけど、馬もないし、歩いていくには遠すぎるわ」
「なに、問題はない」
そう口にして、いきなり孫権をお姫様抱っこの状態で持ち上げる伊邪那岐。
「ちょっ、ちょっと、いきなりなにをするのよ」
「何って、これから洛陽に向かう」
「えっ?」
「ああ、口は開かぬほうがいいぞ。舌を噛むかもしれないからな」
その言葉に孫権が返事をするよりも先に、伊邪那岐は駆け出す。
通常であれば、馬もなく、人を一人抱き上げた状態で都を目指すなど無謀もいいところ。だが、彼は歩法と呼ばれる特殊な移動術を習得している。その速度を表現するなら、全速力で走る馬の約十倍。しかも、馬と違って移動距離や高低差で失速することも、膝を痛めることもない。時間にしてみればおよそ二刻。たったそれだけの時間で、二人は洛陽の地に足を踏み入れていた。
「ふむ、ここが洛陽か。許昌とどちらが栄えているのやら」
汗一つかかず、孫権を抱き上げたまま都へと足を踏み入れた彼は、周囲を見渡しながら感想を述べる。そして、孫権といえば、めまぐるしく変わっていく景色に戸惑いを隠すことができず、完全に呆気にとられてしまって言葉も口に出せない状態。
「おろすぞ、蓮華」
「えっ、ええ」
「それにしてもお主、きちんと食事を摂っているのか? 道中、軽すぎて何度か落としそうになってしまったぞ。体調管理ぐらいはきちんとしておけ。そんなでは、子を産むときに大変だぞ」
「よっ、余計なお世話よ」
自分のことを女の子として扱ってもらい、嬉しい反面、彼の余計な一言で素直になることのできない孫権。長江での一件以来、彼の顔をうまく見ることができない。その感情が一体なんなのか。孫権自身もまだ、理解できていない。
会話がない状態で、武闘大会の会場まで足を進めた二人。その間、彼女は聞きたいこと、知りたいことがたくさんあった。だが、いざ言葉にしようとすれば戸惑ってしまい、うまく口を開くことができない。
「なぁ、蓮華」
「なっ、何よ」
「俺は、武闘大会というのは初めてなのだが。どこも同じように、こういった形式でやるものなのか?」
彼が指さして聞いてきたのは、武闘大会のルールを記した立札。そこに書かれていた内容を理解した瞬間、孫権の瞳は大きく見開かれる。
一つ、生死は問わない。
一つ、武器の使用を許可する。
一つ、報奨金は勝利者にのみ与えられる。
一つ、試合は将軍一人対出場者全員で行われる。
以上、四つのルールが記載されていた。簡潔に説明すれば、勝負方式は何でもありのバトルロイヤル方式。普通であれば、武器は刃を潰したものを使用し、一対一。それなのに、この武闘大会は、命をかけることを前提として行われると、明言している。
「嘘でしょ」
「ああ、すまんが、武闘大会の申し込みはここであっているのか?」
「ええ、あっておりますよ」
「では、一名ほど頼む。参加者は俺だ」
「ちょっと、待ってください。今のは取り消しでお願いします。一体何を考えているのよ、ちょっとは待ちなさいよ、伊邪那岐」
ルールに驚いている彼女を気にもせず、参加申し込みをしようとする伊邪那岐をどうにか、孫権は止めることに成功。
「何をそんなに慌てているのだ、蓮華?」
「あなたこそ何を考えているのよ。こんなの武闘大会でもなんでもないわ。ただの、将軍の武をひけらかすだけの催しよ」
「それで?」
「分かっていないわけじゃないでしょ。これは将軍の武を、見せつけるための生贄を探しているだけの見世物。報奨金を払うつもりなんて毛頭ないのよ」
彼のことを心配して憤る孫権だったが、当の本人はため息を付くだけ。
「それで、参加するのかい、しないのかい?」
「参加する。名は伊邪那岐だ」
「あなたねぇ」
止める孫権だったが、彼の意思は固く、とうとう、彼女は彼の参加を止めることができなかった。そんな孫権を安心させるように、彼は彼女の頭を撫でながら、口を開く。
「なに、心配するな。相手も俺も一人。勝てぬ道理はない」
「だからって」
「まったく、姉と違ってお前は心配症だな。俺は負けぬし、死なぬよ。一人でこのようなところに来たのならともかく、誰かに見られているところで、無様は晒せぬからな」
◆◆◆◆◆◆◆◆
伊邪那岐が通されたのは、金属の檻を連想させる闘技場。その石畳の上には、ボロをまとった者達が多く、観客席を見てみれば、ニヤケ面を隠しもしていない貴族たち。確かに、孫権の言ったとおり、この場所は純粋に武を競うための大会ではなく、将軍の武を見せつける、生贄として差し出された者たちの逃げ惑うさまを見る。そういった人間の醜い嗜好が、形を成しただけの場所。
参加者という名目の生贄に選ばれた者たちの手には、一応程度の刃物が握られてはいるが、それを扱うほどの技量を持つ者はいない。そういった者を選んで、この場所に招き入れたのだろう。自分たちが殺戮を見て、愉悦に浸るために。
「我が名は華雄。いざ、勝負」
歓声とともに、檻の中へと入り名乗りをあげる銀髪の女性。その手には槍が握られており、彼が腕前を見たところ、この場で彼女に勝てる見込みのあるものはまずいない。それでも、参加者たちは無謀にも果敢に女性へと向かっていった。
あるものは首を刎ねられ、またあるものは胸を突かれ、一人ずつ確実に命を落としていく。逃げ惑うものにも一切容赦することなく、銀髪の女性は愉悦に浸りながら、骸を大量に積み上げていく。湧き上がる歓声。観客席の人間、全員がこの一方的な虐殺を楽しみ、歓迎していた。
気づけば、残っているのは、挑むことも逃げることもしなかった伊邪那岐ただ一人。残りは一刻も経たずに、全員が生贄として、欲望を満たすためにその命を奪われてしまっている。
「残りは貴様だけだぞ」
よほど、自分の実力に自信があるのだろう。全身、返り血にまみれながら、銀髪の女性は笑いながら、槍の穂先を彼へと向けて吠える。そんな彼女を煽るように、観客席では、殺せ、殺せの大歓声。ただ一人、心配そうに彼を見つめる孫権の姿が、彼の瞳に飛び込んでくる。
そこで彼は、ため息をひとつついてから、自分に与えられた獲物を投げ捨て、銀髪の女将軍へと歩み寄り、槍の穂先に触れるか触れないかの距離で脚を止める。
「華雄といったな」
「ああ」
「一つ問うが、お前、これが楽しかったか?」
「武術とは人を殺すための術。それを存分に振るえるのだ。楽しいに決まっているだろうが」
「なるほど。やはり、貴様程度に獲物は不要だ」
その言葉とほとんど同時、彼の右拳が華雄の顔面に真正面から叩き込まれ、彼女の体は宙を舞い、一撃のもとに意識を絶たれた。
「一度頭を冷やし、己の腕を磨き直してから出直して来い、青二才」
かわいそすぎる華雄。
きっとそのうちいいことあるさ




