第二幕
前回のあらすじ
江東の虎と呼ばれるエピソードに巻き込まれてしまった主人公
「それでは、お主は、旅の者だと?」
「大まかに言えば」
死体を放置したまま、酒を飲み交わすという光景は、シュール以外の何物でもないが、甘寧、孫堅の二人と打ち解け、この世界のことを少なからず聞くことのできた少年は、力なく空を見上げる。
「えっと、思春でいいんだっけ、虎連はこのまま国に帰るみたいだけど、お前はどうするの?」
なんでも、甘寧は先ほど船に乗っていた、少年に斬り殺されてしまった男に使えていたらしく、行く場所がないらしい。
「其方こそ、どうするつもりなのだ?」
「俺、俺ねぇ」
問われて考えては見たものの、少年にはこれといった目的がない。あるとすれば、焼け落ちゆく城で、女性に告げられた願いだけ。ただ、それも、夢だったのか、現実だったのか、不確かすぎて目的と呼べるほどの下ではない。
「よければ、二人共、儂のもとに来ぬか?」
孫堅の提案は、まさに、渡りに船。甘寧はその提案に乗るつもりらしく、彼女に対して両手を合わせて礼をしている。これから使えるべき主に対しての臣下の礼なのかもしれない。
「じゃあ、少しだけ厄介になるかなぁ」
多少の知識は得たものの、土地勘もなければ、あすの食事にありつけるほどの金子も持っていない。なら、少しばかり、雇われてみるのもいいかもしれない。そんな風に少年が思って口を開くと、孫堅はなぜか近寄ってきて。
「名を、聞いても良いだろうか?」
「それは、私も是非に」
彼女の言葉に追従するように、口にする甘寧。
よくよく少年がこの世界に来てからのことを思い返してみても、誰かに名前を名乗った覚えはない。
「そういえば、名乗ってなかったな。あんまり、名乗りたくないんだけどな。俺の名は、伊邪那岐。参考までに言っておくと、俺が名前を教えた奴は、敵しかいない」
少年、伊邪那岐が今まで生きてきた中で、名乗ったことは数えられるぐらいしかない。皆、剣の一族というだけで、彼個人に対する扱いも決まっており、名を聞いてくる人間は誰ひとりとしていなかったからである。これは、すぐに手放してしまう武器の名前など、知っていても無駄という、そんな概念が働いていたようにも思える。
「あとは、お前ら見たく、姓も字もない。真名なんてもってのほか。伊邪那岐って名前が、俺を表す全て」
酒を一気に煽る伊邪那岐だったが、二人の視線は彼から外れようとしない。
「その、技は、どこで身につけたのだ?」
甘寧からの質問に、伊邪那岐は首をかしげる。どうやら、岸へと着くまで、彼は、二人から浴びせられる質問に答え続けなければならないようだ。
「里で一通りの基本は、習った。あとは、戦いながら、だろうな」
答えながらも、彼自身、自分の言葉に自信が持てていない。確かに、記憶をたどれば、基本の技であったり、足運びであったり、そういったことを習った覚えはある。ただ、それは、習ったというよりは、聞かされたといったほうが正しい。実際、戦場で実践できたものは、数えられるぐらいしかなく、彼と同い年の人間は、何人も目の前で息を引き取っている。むしろ、戦場で技を覚えたといったほうが正しいかもしれない。
「歳は、いくつじゃ?」
「多分、十六、だった気がする」
この質問に対する彼の答えも曖昧。生まれた日を覚えてもいなければ、そこからの年月も数えていない。元服の祝いだけは、里で行われたので、十五を超えたことだけは確かといえる。
「その歳で、これほどとは」
「そんなに驚く程のことか?」
「参考までに聞いておくが、お主、どれほどの戦場を経験しておる?」
「数えられる数でないとだけは断言できるな」
両手の指で数えられるぐらいの戦場など、若輩者ですら鼻で笑うことだろう。一人で国を墜とすことができて、初めて、彼の里では一人前だと認められる。もっとも、このことを二人の前では口にしなかったが。流石に、口を大きく開けて、彼の言葉に反応した姿を見てしまえば、それ以上のことを口にすることをはばかれる。
「それにしても、この世界は外見年齢がおかしくないか?」
伊邪那岐が問うものの、孫堅と甘寧は首をかしげるだけ。彼が疑問に思うのも無理はない。孫堅の外見年齢は、ほとんど甘寧と変わらない。つまり、彼より少しばかり年上にしか見えない。だが、彼女には、驚くべきことに、孫策、孫権、孫尚香と、三人の娘がいるというのだから。彼でなくとも、疑問に思ってしまうことだろう。
「さて、岸も見えてきたことだし、儂の娘を紹介しようかのう」
岸が見えてきただけで、まだ到着していないのに気の早い孫堅。そんな彼女に習い、立ち上がった二人だったが、酒を飲みすぎたせいか、甘寧の足取りはどこか頼りない。
「酒、弱いな、思春」
「私が弱いのではなく、二人が強すぎるのだ」
それは、いいわけではなく、紛れもない事実。彼らの周囲には、からになってしまった酒樽が片手の指の数ほど、転がっているのだから。
「お~い、雪蓮、蓮華、小蓮。母が今、帰ったぞぉ~」
出迎えるように、岸で立っているのは二人の女性と一人の少女。皆、孫堅と同じく桃色の髪であることから、彼女らが酒を飲みながら聞かされた孫堅の娘に間違いないだろう。ただ、その後ろ。そこにあった人影を見た瞬間、伊邪那岐は船から跳躍し、一足先に陸に上がったと同時に駆け出していた。
一瞬遅れて、響くのは剣戟の音。
伊邪那岐の刀と、男の刀とがぶつかりあった音。
「お前が、どうしてここにいる?」
「それは、俺も聞きたいんだがな、伊邪那岐。死んだはずのお前が、どうしてここにいる?」
鍔迫り合いも束の間、互いに弾かれるようにして距離をとった二人。ただし、二人は何食わぬ顔をしているものの、周囲はたまったものではない。なにせ、いきなり戦場に叩き込まれたのと変わらないのだから。
「死体も確認できていなかったから、死んだとは思ってもいなかったが。まさか、こんな場所でお前と出会えるとは思っていなかったよ。この、面汚しが」
「俺も、お前とここで出会えてよかったよ、夜刀。お前がここに来てるってことは、帰る方法も、当然、あるってことだからな」
追っ手現る?