第二十七幕
前回のあらすじ
凶星さんの心を射抜いた主人公
袁紹軍を退けてから時は流れ、伊邪那岐が最初に指定した期間まで残り二日となった頃。彼は、自室で暇を持て余していた。
凶星だけでなく、楽進、李典、于禁の三名、そして、袁紹に愛想を尽かし始めていた田豊という軍師。計、五名を加えた曹魏は、今や王朝とすら互角に戦えるほど、優秀な人材を抱えているといっていいだろう。それなのに、彼には、農村での戦い以後、まともな仕事が一切与えられていない。少しの雑務は与えられるものの、そんなもの、一刻もあれば終わってしまう。
「なぁ、風よ、俺は、何かしたのか?」
「自分で理解できていないところが、お兄さんのすごいところでもあり、ダメなところでもありますね」
碁盤を挟み、棒付きの飴を舐めながら、碁石を打つ程イク。実際、彼女に与えられている仕事は、伊邪那岐と比較にならないほどの量。それでも、彼女がこの部屋を訪れなかった日は、一度としてない。よほど優秀なのか、サボってこの部屋へと足を運んでいるのだろう。
「暇だな」
「いいじゃないですか、暇で。もっとも、お兄さんにこれ以上仕事をされてしまうと、風たちはお払い箱になってしまうのですよ~?」
「そんなことはないだろうに。華琳のことだ、お前らを手放すような真似をするとは思えん」
「そうですけど、不安は拭えませんよ~」
程イクの言葉を、彼は理解していないが、事実として、彼は村から戻ってすぐに、大きな功績を残している。
まずは軍部の強化。
楽進、李典、于禁の勇将だけでなく、田豊という軍師の加入。彼に自覚はないのだが、この四名は、伊邪那岐に見出されたと思っている節がある。だからこそ、彼女たちが加入した事の功績は、夏侯惇、夏侯淵の両将軍でもなければ、曹仁に与えられることもなく、彼に与えられている。
次に、軍隊の育成。
黄巾賊の加入もあり、兵力は整ってきたものの、それはあくまで数であり、訓練がほとんどされていない。そんな時、彼が導入したのが三部隊による交代制。一部隊は訓練、一部隊は休息、一部隊は警邏。それを一日ずつローテーションで回していく。そうすることによって、軍隊の強化だけでなく、士気の上昇、治安の維持。この三つを同時にこなすことができる。これを進言したとき、荀彧が苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべていたことは、彼の記憶に新しい。
そして、最後に袁紹軍からの上納品。
袁紹軍が山賊に偽装し、国境沿いの村を襲っていた事実を、本人につきつけ、それにたいしての賠償を得たこと。当初、シラを切っていた袁紹だったが、田豊の登場、兵たちの亡骸、旗を揃えられてしまっては、言い逃れができない。そこまで揃えてから交渉に出向いた曹操と伊邪那岐。ついてきた郭嘉と程イク、曹仁の三名は、表情一つ変えずに、次々と要求を口にして袁紹を脅す、腹黒さを隠しもしない彼に対して、若干引いていた。
「伊邪那岐、失礼するぞ。おっと、風もここにいたのか。ちょうどいい、一緒に来てくれ」
扉を軽くたたくことも忘れ、肩で息をしながら室内へと飛びこんできた夏侯淵。その様子からただならしい状況を読み取った二人の軍師は、彼女の失態を咎めることもせずに席を立ち、彼女のあとに続く。
三人がやってきたのは玉座の間。そこでは、苛立ちを隠そうともしていない曹操が玉座に腰掛け、その隣にいる夏侯惇は、何故か正座して、その首から、「私は悪いことをしました」という札をかけ、涙を流している。そして、もう一人、初老の男性が、膝をついて曹操と向き合っていた。
「遅かったわね、秋蘭」
「申し訳ございません、華琳様」
口にした言葉からも伝わってくる刺々しさ。どこを刺激すれば、目の前の曹操をここまで不機嫌極まりない状態にできるのか、少なからず伊邪那岐は興味を覚える。
「二人共、何を突っ立っているの。早くこちらに来なさい」
今にも怒鳴り散らしそうな曹操。そんな彼女の機嫌をこれ以上損ねるのは、非常にまずいと感じ、軍師の二人は夏侯淵の隣に立ち、曹操と共に初老の男性を見下ろす格好になる。
「秋蘭、何があった?」
「実はだな・・・・・・」
小声で口にした夏侯淵の言葉に耳を傾ける。
なんでも、彼女が言うには、曹操のもとに、今膝をついている初老の男性が、文官として仕官するべく現れたらしい。その知を試そうと、舌戦を繰り広げた曹操。最初は、打てば響くように答えていた初老の男性。その答えを聞いて満足の言っていた曹操。だが、途中から、初老の男性の発言からは理が消え、最終的には無茶苦茶な発言へと変わってしまった。そのことにいらつき始めた曹操は、自分が解釈を施している途中の竹簡を持ってこさせた。するとどういうことか、途中から、彼女の字ではなく、他人の文字へと変わってしまっていたらしい。あとは見ての通り、犯人である夏侯惇は正座をさせられ、曹操が解釈した竹簡を盗み見たであろう初老の男性に、彼女の怒りは募るばかり。
「大体の事情はわかった。それで、お前は俺に何をさせたいのだ、華琳?」
「この男に最後のチャンスをあげたのよ。あなたたちを知において、屈服させることができたなら、此度の罪は問わないと」
「また、面倒なことを押し付けおってからに」
ため息を一つ付き、隣に程イクを見てみれば、寝ていた。船を漕いでいる様子を見れば、誰でも、容易にわかるぐらいに。
「起きろ、風」
「はっ、寝てませんよ?」
「どこからどう見ても寝ていただろうが。それで、話は聞いていたな?」
「はい。お兄さんからどうぞ」
「お前まで、俺に面倒事を押し付けるつもりか?」
「いえいえ、風はそんなことしませんよ。ただ、風が見たところ、あの人、風の問にギリギリで答えられそうですけど、お兄さんの問には答えられそうに見えないので。先にやってもらえたら、楽ができるな~とか、考えてないですよ?」
「心の声はしまっておけ」
これ以上程イクと問答をしても無駄だろう。それに、これ以上時間をかけてしまえば、曹操の怒りの矛先が自分たちへと向けられないとも限らない。
「仕方ない。問うぞ、お主の考える天才とはなんだ?」
階段を下り、男の前まで移動した伊邪那岐は初老の男性に対して問いかける。
凡庸な問い。そう、初老の男性は判断したのだろう。顔に心が覗かせるように、唇の端を少なからず持ち上げている。ただ、そう思っているのは、初老の男性だけ。伊邪那岐を少なからず知っているこの場の人間は、そうは捉えない。彼が、こういったありふれたことを問うときは、いつだって、自分たちの考えとは別方面からの視点で見た、考え方を口にするのだから。
「天才とは、天により、才能を与えられたものにございます。そこにおられる、曹操殿のような」
だからこそ、初老の男性は迷うことなく口にする。その際、曹操を持ち上げるというゴマすり行為も忘れてはいない。
「なるほど、それがお主の考える天才か。ならば、凡庸と変わらんな」
そんな初老の男性の言葉を鼻で笑い、彼はつまらなそうに見下ろす。
「お主の言う、天により才能を与えられたものを、天才というなら。皆、この世に生を受けた瞬間、何かしらの才能を与えられている。そう考えるなら、この世は天才で溢れかえっている計算になる。凡庸と、なんの違いがある?」
その言葉は、初老の男性の言葉を、認めながらも、完膚無きまでに否定する言葉。
「俺の知る天才というやつは、お主の考えているものとは違う。天才とは、己の才を磨き、天に認めさせたもののことを指す言葉。才能を誰もが持っていると考えるなら、それを磨き上げる方法を研鑽し、認めさせたものこそ、特別だと言えるのではないか。お主の認めた曹操も、天に己を認めさせたからこそ、あの玉座に座っている、違うか?」
はっきりと口にし、初老の男性へと問いかける伊邪那岐。それに応えることができず、初老の男性はいきなり立ち上がると、一目散にその場から走り去ってしまう。
「俺は、何かおかしなことを言ったか?」
返答も得られず、あまつさえ逃げ出されてしまった彼は、視線を曹操へと移動させ、問いかける。するとどうだろう、先程まで不機嫌さを隠すことすらしていなかった彼女が微笑している。その隣にいる夏侯淵もしきりに首を振っているし、程イクはまた、船を漕ぎ出していた。
「天に己の才を認めさせたものこそ、ね。中々いい解釈よ、あなた達もそうは思わない、秋蘭、風?」
「ええ、まさにその通りかと」
「お兄さんらしい解釈ですね~」
どうやら、三人のお気にめしたらしく、彼は胸をなでおろす。ただ、気になっていることをそのまま口にしてしまうのは、彼の悪い点といえよう。
「それで、春蘭はいつまでそうしておくつもりなのだ?」
「すっかり忘れてたわ。あなたの処罰を」
先ほどの微笑が嘘だったかのように、意地悪い笑みを浮かべ、夏侯惇を見下ろす曹操。
「お仕置き、では春蘭が喜んでしまうだろうし。何か、いい案はあるかしら?」
「桂花にでも聞いてみればよかろう」
そんな他愛ない言葉を投げかけることのできる間柄。初めて出会ったとき、誰がこんなことを予想できたことだろう。
だが、そんな暖かい時間へ、決して続きはしない。
続かせようと努力したとしても、小さな亀裂さえ入ってしまえば、あっけないほど脆く、崩れ去り、歩み寄ることすら、できないほどの溝を作り上げてしまうのだから。
幸せと感じられる時間ほど長くは感じられないのが、
人間の不幸なところだと思う




