第二十五幕
前回のあらすじ
凶星と戦い、絶賛ピンチ中
「そうよ、それよ。私は、それが見たかったのよ」
襲いかかってくる伊邪那岐の一撃をふた振りの刀で受け止め、彼女は喜びの声を上げる。先程までは、片手間で受け流すことができた斬撃だったが、今は違う。出血を気にせず、両手で刀を握った彼の攻撃は、先程と違って重く、彼女でも、そう簡単に受け流すことはできない。
体を動かすほどに傷んでいく伊邪那岐の体。だが、その攻撃の威力、精度、速度、それらが先ほどよりも飛躍的に上がり、磨きがかかっている。
遮断。
己の痛覚を遮断することにより、痛みによる集中力の散慢を防ぐ技術。そして、この技術の恐ろしいところは別にある。痛覚を遮断する。それは、動かなくなった場所であろうが、強引に動かすことを意味する。健が千切れようとも、骨が砕けようとも、体に繋がってさえいれば、強引に動かせる。死に体になったとしても、戦うために編み出された、剣の一族の秘奥に当たる技術。
互いに、もはや相手の攻撃を避けようともしない。ただ、相手を斬りつけ、自分が死ぬよりも先に、相手の命を奪う。それだけを優先して動く。無数に飛び散る血潮、骨の白が視界に飛び込んできても、刃を振るう動作は決して鈍りはしない。
体を相手と自分の血で、朱に染めながら、二人は刀を振るい続ける。
「いい、この感覚。自分が生きてるって実感できる、この感覚。滾るほどに、濡れるわ。あなたもそうでしょ、伊邪那岐?」
距離をとって問いかける凶星だったが、彼は反応を示さない。ただ、その瞳に静謐にして、極寒の殺意だけを宿して。
「もっと、もっと、もっと先があるんでしょ。私に、それを見せてよ。これ以上ないってぐらいに、感じさせてよ」
その言葉とほぼ同時、彼女の周囲にいた兵たちの体が文字通り、爆散する。死んでいた者たち、成り行きを見守っていた者たち問わず。次々とその命を散らせていく。そんな中、戦場で流れた全ての血液が彼女の右手へと集結し、黒い刀身を持つ、ひと振りの刀が姿を現す。
真龍刀。
剣の一族において、一人前とみなされ、序列へと名を連ねた者のみが持つことを許される、里の秘宝。ひと振りごとに独自の意思を持ち、刀自身が持ち主を決めることもあり、それは、使い手の意思を汲み取り、姿を変え、替えのきかない最強の武器となる。
「天津凶星、あなたは、初見よね?」
彼女の真龍刀、天津凶星は、血を吸った分だけ、威力、高度を高めていく。この地で流れた血だけではなく、彼女が戦場でどれほど、この真龍刀に血を吸わせてきたか、伊邪那岐は知らない。
軽くひと振り。
その一撃を、体をひねって回避した伊邪那岐。表情にこそ出していないものの、視界に映った威力を認めたくはなかった。だが、戦場で、相手の実力を認めなければ、自分の死がその分だけ近づく。もっとも、彼が認めたくないのも無理はない。軽く振っただけで、背後の山が抉られたのだから。
「どう、凄いでしょ? これを出したからには、私の勝ちは確定。唯一の心残りは、あなたの真龍刀を見れなかったことぐらいかしら」
「青いな、凶星」
陶酔するように口にする彼女の言葉に、淡々と、ようやく伊邪那岐が言葉を返す。
「負け惜しみ、かしら?」
「受けなければいいだけだ」
確かに、彼の言うとおり、どんな攻撃であろうと、回避できるのであれば、脅威にはなりえない。だが、先程まで二人の攻撃手数、威力、速度、精度、それらが拮抗していた。その状態が今、崩れたというのに、彼の表情からは焦りというものが読み取れない。出血量からして、自分が圧倒的に不利な状態だというのに。
「今から、それを証明してやる」
その言葉を体現するように、次の瞬間、凶星の右腕から血が噴き出す。伊邪那岐の斬撃によるものだということは、彼女もすぐに理解することができた。だが、明らかにおかしい。
釈迦を使っている彼女は、円界による相手の察知ができている。それは俯瞰絵図を使っている伊邪那岐も同じ。だからこそ、先程までの攻防は押されることも、押し切ることもできなかった。それなのに、今の一撃に、彼女は反応することができなかった。絶界を彼が使えるのなら、まだ納得はいく。彼女は彼と違って奔流を習得できていないので、絶界を使われてしまえば、反応ができなくなってしまうから。だが、彼は絶界を収めていない。そう、彼は絶界を使うことができないのだ。
「お粗末だな」
「またっ」
今度は左足から血が噴き出す。この一撃にも凶星は反応できていない。それは、快感と同時に恐怖が込み上がってくる瞬間。均衡は既に崩れ去ってしまっている。圧倒的な自分の有利を確信したばかりだというのに。
「円界は、絶界という弱点を抱え、それを、奔流で補わなければならない、不完全な技術。俯瞰絵図を使えるのなら、話は別だが。俺の今使っている技術は、その、俯瞰絵図でも、捉えることはできぬよ」
声が聞こえた方に振り返る凶星。そうすれば、そこに伊邪那岐の姿はある。だが、次の瞬間、彼女の体は刀によって切り裂かれ、彼の姿を見失う。
「まさか、でも、それって」
「合点がいったか?」
「知覚範囲外からの、移動術」
「ご名答」
歩法の一、伸脚。
円界、奔流の知覚範囲外から知覚範囲外へ移動する高速の移動術。その動きは瞳に映ることはなく、触覚で感じる流れすらも、移動し、過ぎ去った後にくる。絶界を収めることができなかった伊邪那岐が、試行錯誤の末に編み出した、戦場において、他の追従を許さない圧倒的な技術。
「こんなに、こんなに、差があるなんて」
「驕る者は、常に学ぶものに足元を掬われる。里長の言葉を忘れたか?」
がむしゃらに真龍刀を振り回す凶星。だが、その攻撃はもはや、伊邪那岐に掠ることさえしない。そして、それが意味するのは実力の差。
姿を見せずに相手を殺すことができる伊邪那岐。それを、察知することもできない凶星。勝敗は既に決したかに思えた。それなのに、彼はあえて姿を現し、自分と彼女の刃が互いに届く距離で足を止める。
「なんのつもり?」
「なに、このまま殺すのは容易いが、それでは、お前は納得しないと思ってな。一度きりだ、純粋な死合に付き合ってやる」
その言葉は、次の一撃で勝負を決めようという言葉。それも、小細工なしの真剣勝負で。
「「いざ、尋常に勝負」」
二人の声が重なる。
振り下ろされる凶星の真龍刀。それを逆袈裟で迎え撃つ伊邪那岐の刀。速度はほぼ互角。そう思えた瞬間、彼の斬撃が加速し、彼女の真龍刀が触れるよりも速く、彼女の体を切り裂く。
「嘘、でしょ」
真龍刀を手放し、倒れゆく凶星はその技の名前を知っていた。知っていたからこそ、その言葉を口にせずにはいられなかった。
殺戮技巧の極み、水鏡。
相手の一撃に速度を合わせ、相手の獲物が自分に触れる刹那、自身の攻撃を急激に加速させ、相手を斬り捨てる技。カウンターとよく呼ばれるが、この技はそれほど簡単ではない。相手の攻撃に自分の攻撃を寸分違わぬ速さで重ねる技術、そして、それを一瞬で加速させ相手を斬り伏せる技術。水面に映った相手のように、相手を斬ることが叶わず、自身のみが斬られる。速度、技術、恐怖に打ち勝つ心、そのすべてが揃って始めてものにできる技。
だからこそ、この技を収めている人間を凶星は知らなかった。序列一位の布都ですら、この技を収められていない。それなのに、目の前の人物は、その技を披露したというのだから、悪い冗談としか言い様がない。
「悪くない、太刀筋だった」
「くっそぉ」
彼の言葉を受け、己と相手の力量差を見せつけられた凶星は、悪態を付きながら、意識を手放すしかなかった。
満身創痍なくせして、強がる主人公。
男の子には意地があるんだよ?