第二十二幕
前回のあらすじ
絶望的な状況に追い込まれた曹魏の面々
夏侯惇、夏侯淵、曹仁の三人に背を向けて歩き出した伊邪那岐だったが、預けていた馬を引き取るため、一箇所だけよっておくべき場所があった。
彼の予測であれば、袁紹軍の兵力はおよそ一万。村を襲いながら進行しているところを考慮すれば、常勝によって士気も上がり、兵糧も十分。加えて、それを指揮しているのが、彼の知っている凶星であれば、五千の兵力に先ほどの三人を加えただけでは、善戦することはできたとしても、勝つことはできない。そこに、彼が加わったのであれば、結果は変えることができるが、彼にはあの三人と一緒に戦うという選択肢はない。
戦うのであれば常に一人。
相手が英傑の率いる強力無比な軍であっても、万を超えるほどの大軍勢であったとしても、誰かと共に戦うという選択肢を彼は取らない。いや、取ったことがない。周りが敵しかいないのであれば気兼ねはいらない。ただ、そこに味方がいたとすれば、事情が変わってくる。裏切り、伏兵、人を信じていない彼は疑心暗鬼を振り払うことができず、まず、その原因となる味方を排除することを最優先としてしまう。
「あんたはいつもそう。もっと、誰かを頼りにしたってバチは当たらないわよ?」
かつて、彼が里にいた時、人を寄せ付けようとしていなかった彼に対し、物怖じすることなく、声をかけてきた一人の少女がいた。少女は、表情をあまり変えず、感情を表に出すことを嫌っていた伊邪那岐に対して、いつも、声をかけ、世話を焼いては小言を口にしていた。
「確かに、あんたは一人でも強いわ。それこそ、序列に選ばれるぐらいに。でもね、一人でも強いあんたが、誰かを信じて一緒に戦うことができれば、もっと強くなれると思うの。火具土や布都の二人だけじゃなくって」
考えてみれば、この少女だけが、二人の親友以外に伊邪那岐を変えることができた。
少女は誰に対しても、自分を偽ることをしなかった。ありのままの自分でぶつかり、傷つき、泣いて、そして、また立ち上がる。その姿は、自我の弱い彼の瞳に眩しいぐらいに写り、そうありたいと、彼に思わせたこともあった。
「なぜ、今になって、思い出したのだろうな」
少女はもう、この世にいない。戦場でその命を落とし、帰らぬ人となっている。それが、幻であればいいと、何度彼は願ったことだろう。だが、少女の最期の言葉を受け取り、形見を持っている彼は、もう、そのことを望めない。
「それで、いつまで下手な尾行を続けるつもりだ、お前ら?」
彼が声をかけると、姿を現す、楽進、于禁、李典の三人。
「この地には、曹仁、夏侯惇、夏侯淵。曹操が信を置く者たちが集っている。そいつらの前で武功を上げれば、仕官することができるはず。俺に、もう、用はないはずだが?」
彼女たちの目的は、曹操に仕官すること。その目的を叶えられる人物は、彼が挙げた三名であり、彼よりも、彼女たちの発言力が強いのは明白。
「あなたは、見捨てるのですか?」
楽進の、激情を押し殺した言葉。それに続くように、
「うちらは、ここで戦う」
「村の人たちを救うのぉ」
于禁と李典も己の心の内を曝け出す。
「だから、お前たち武人というやつを、俺は好きになれん。どうして、どいつもこいつも、逃げることをよしとしない。戦って、傷ついて、何が得られる?」
馬に跨り、懐から取り出した竹巻に筆を滑らせ、文字を書き終えた伊邪那岐は、それを閉じることなく、楽進へと放り投げる。
「これは?」
「お前らが聞いていたかどうか、定かではないが、この策は、以前、俺が使った策だ。だからこそ、それを防ぐための策も用意してある」
策士であれば、自分が策を用いたとき、それにたいしての不安要素を忘れない。次に、的に同じ策を使われた時の、対処法はすぐに用意しておくべきもの。
「なんで、これをうちらに?」
「お前らが、まだ正式な軍人ではないからだ」
「軍人じゃだめなのぉ?」
「ああ。軍人ではダメなのだ」
伊邪那岐は馬の調子を確かめるように、少しだけ馬を歩かせながら続ける。
「軍に知識を与えることが悪いとは言わない。だが、それでは、ただ救われるだけ。ただ救われただけの人間は、そこから前に進もうとしない。だからこそ、救われるのではなく、自分たちで道を切り拓くことをしなければならん」
救われただけ、助けられただけ。そんな人間は、自分たちが救われて、助けられて当然。そう思ってしまう節がある。軍はそんな人々を救う、助ける、守るのが役目。だが、それだけでは、いっこうに軍にかかる負担は減らず、増すばかり。足りない部分を頼るのはいい。だが、頼りきってしまってはいけない。
「お前らは、まだ、正式に曹魏の軍門に含まれていない。だからこそ、お前らが、村人に声をかけ、村人と共にこの村を守るのだ。それにこそ、意味がある」
「一緒に、戦ってはくれないのですか?」
「そや、ここまで知恵が回るんなら、力、貸してや」
「お兄さんがいれば、心強いのぉ」
伊邪那岐の言葉を受け、受けたからこそ、食い下がってくる三人。それに対して彼は首を横に振る。
「どうして、ですか?」
「俺には、俺のやるべきことがある。おそらく、この地にいる人間で、俺以外にこの仕事をこなせるやつはいないだろう」
「それって、なんやの?」
「それって、なんなのぉ?」
二人の問いに、答え、伊邪那岐は馬を走らせる。その言葉は、この場にいた三人が驚くべきものであり、同時に、彼が自分たちに見切りをつけたわけではないと、確信を得るに十分すぎるほど。
「俺は、これから、凶星を殺しに行ってくる」
そろそろ、主人公に本気になってもらいましょう