第十二幕
前回のあらすじ
曹操すらも手玉に取る主人公
「済まなかったな、雪蓮の軽率な行動で、お前を縛ってしまって」
「気にするな。しばしの間だけだ」
曹操の陣営で、馬にまたがり、この場を去ろうとする周瑜は、同じく馬上で膨れている孫策を一度、視界に入れたあと、伊邪那岐に対して頭を下げる。
「ここだけの話だが、近々、文台様は隠居される。そうなれば、跡目を継ぐのは長女である雪蓮。お前の今回の功績を、私も雪蓮も知っている。こう言う言い方は、卑怯かもしれないが、私も、雪蓮もお前を待っている」
「絶対に、帰ってくるのよ、伊邪那岐。待ってるんだから」
「いいから、とっとと帰れ」
孫策と周瑜を見送り、本陣へと戻った伊邪那岐を出迎えたのは、将でも兵でもなく、曹操本人だった。
「随分、惚れられていたみたいね」
「出会って、そこまで時間を共にしていないというのに。軽率すぎる連中だ。あれでは、先が思いやられる」
「あなたの考えは別として、今のあなたは曹魏の軍師。それを肝に銘じておきなさい」
「曹操、あんに、お前は俺を自分のものだと言いたいのか」
そう口にして、曹操の横を通り過ぎようとした伊邪那岐だったが、その喉元に刃を突きつけられ、その歩みを止める。
「貴様、華琳様に対して、そのような口を聞くとは何事かっ」
「春蘭、控えなさい」
「ですが、華琳様」
「夏侯惇、手元がお留守だ」
忠誠心がゆえの出過ぎた行動をとる夏侯惇。その行動を咎めた曹操だったが、次の彼の言葉と、その動きに目を奪われてしまった。自分の軍の中核をなす、夏侯惇。その武には、全幅の信頼を置いている。その彼女が、自らの獲物を奪われ、その刃を一瞬の内に向けられていたのだから。
「先に言っておくぞ。俺が仕えるといったのは、曹操個人に、だ。それ以外に仕えているつもりは、俺にない。俺を殺したいのなら、好きにするがいい。ただ、殺そうと向かってきたなら、殺される覚悟も、当然、持たねばならんぞ、夏侯惇」
伊邪那岐が握った大剣を少しでも動かせば、彼女の命は奪われる。それをこの場にいる人間は理解している。そして、それを一番、この場所で理解しているのは、刃を突きつけられている、夏侯惇本人。
「ひとつ、勉強になったな、夏侯惇」
脂汗を流す夏侯惇だったが、伊邪那岐はあっさりと大剣を地面に突き刺し、彼女を恐怖から開放する。
「そう、怖い顔をするな。もし、俺に殺す気があったなら、刃を向けられた時点で、お前は骸と化している。もっとも、雇われてすぐに、雇い主から不興を買うほど、俺は馬鹿ではないつもりだ」
その言葉の先にいたのは夏侯淵。彼女は、夏侯惇に刃が突きつけられた瞬間から、弓に矢を継がえ、引き絞っていた。彼の死角から。そのことに、あらかじめ気づかれていたと、感じてしまった彼女も、姉である夏侯惇同様、額から流れ出る脂汗を忌々しげに拭う。
「部下を傷つけなかったことに関して、礼を言っておくわ、伊邪那岐」
「俺が虚言を口にしたと、そうは思わないのか?」
「あなたの腕に関して言うなら、稟と風、趙雲から少しだけ、話を聞いているわ。三人相手に、返り血も浴びずに、四肢を切断したと。半信半疑だったけれど、今のを見る限りでは、信じる価値はありそうね」
曹操の言うとおり、火具土を救うために、彼は一度、郭嘉と程イク、趙雲の目の前で、剣の腕を披露してしまっている。
「まったく、どいつもこいつも、俺を過大評価したがる。その目はガラス玉か、節穴か」
「さぁ、どちらかしらね?」
彼の言葉に対し、意地悪そうに笑みを浮かべる曹操。
「ふむ。仕方ない。曹操、ひとつ、お前に言っておくべきことがある」
「何かしら?」
「大方の予想はついているだろうに。あえて、俺の口から言わせたいのか、お前は」
「ええ、聞きたいわね」
彼女の言葉を受け、伊邪那岐は移動。全員の視界にはいる場所に移動した後、言葉を紡ぐ。
「この先、そう、遠くないうちに、此度の乱とは、比較対象にならないほどの乱が起きる」
「それは、どういうことかしら?」
「黄巾賊がなぜ、ここまで膨れ上がったか、それを考えれば、誰でもわかる」
その言葉は問いかけ。
現に、それに思い当たる節がある軍師たちは、揃って同じことを頭の中に思い浮かべている。
漢王朝の腐敗。
「今回の黄巾賊は、これから起こる出来事の序章でしかない。郭嘉の話によれば、奴らは、蒼天已に死す、黄天まさに立つべし、歳は甲子、天下大吉。この言葉が合言葉になっているらしいし」
そこで、伊邪那岐は再び移動して、曹操の正面にたつ。
「曹操、お前に覚悟はあるか。王朝を倒し、この大陸を血で染め、戦場にするという覚悟が。お前に志はあるか。王朝を倒し、古き体制を砕き、己を王とし、新しき時代を作るという志が」
「あるに決まっている。伊邪那岐、あなたこそ、今更、そんなことを問い、なんのつもりなのかしら?」
彼女の言葉を受け、真っ向から、瞳を見つめる伊邪那岐。彼の瞳に映ったのは、少女ではなく、玉座へと座る王の身姿。
「ならば、この戦、とっておきの策がある。兵の損耗を最小限に、戦果を最大にする策が。乗るか、曹操?」
「まだ、私を試しているのかしら、伊邪那岐。ならば、それは愚問。この曹操、既に覚悟も、志も持っている」
「そうか。なら、楽しめそうだ」
自身の天幕へと移動し、あすの戦に控え、睡眠を取ろうと伊邪那岐が動いたとき、その前を曹操が塞いだ。
「なんの真似だ、曹操?」
「華琳よ」
「うん?」
「孫策のことを真名で呼んでおいて、私のことを真名で呼ばないのは、失礼だと思わないのかしら、あなたは?」
「はぁ、わかった。華琳、一刻経ったら兵に、起こしに来るよう伝えておけ」
「ええ、わかったわ」
その横を通り過ぎる伊邪那岐。その背中越しに、彼女は言葉を投げかける。
「伊邪那岐、私は、あなたを惚れさせるわよ。それも、私に求婚するぐらい、メロメロにしてみせるから」
こんな有能な軍師、作者は怖くてそばになんて置けません