第百二十一幕 夜の終り、明日の始まり4
前回のあらすじ
丸投げするなんて随分と主人公らしくない
伊邪那岐が人として生きる道を提示している一方で、彼を救うことを任された人間たちは闇雲に力を振るうだけで途方に暮れていた。考えてみれば誰でもわかることなのだが、彼がどこに消えたかも分からずに力を振るったところで彼を救うことはできない。第一、彼女達が有している真龍刀には次元空間を切り裂く能力がない。
「まったく、最後まで意地の悪い問いかけをしてくれる」
「最後までひねくれる必要なんてねぇはずなのになぁ」
真龍刀の力を使ってどうにかして彼に到達しようとしている女性陣に対して呆れた視線を向けながら布都と火具土はその場に腰を下ろす。彼がどういった意図を持って最後にあんな言葉を残して消えていったのかを既に二人は理解している。だからこそ彼女たちが気づくまで手を貸すことなく見守ることを選択していた。
「お二人が随分と落ち着いているところを見ると、お二人は兄様の言葉に隠されていた意味を理解しているようですね。さすがといいますかなんといいますか、僕としてはいい加減に自重していただきたいです」
ため息をつきながら現れたのは先程まで負傷者の収容及び救護を一手に引き受けていた月読。彼が姿を見せたということは戦闘が完全に集結したことを意味している。
「月読、お前はあいつをあまり深い意味で知らんみたいだな。あいつは元々我が儘で好き勝手に振舞う自己中心的な人物だ」
「んだ。蛇になってからか知んねぇけど、あいつは自分を押し殺し始めちまっただけのことだぁ。良くも悪くもおらぁは昔のあいつが戻ってきてくれて嬉しいだぁよ」
いつ頃からだったか二人の記憶にも曖昧にしか残っていないが、伊邪那岐は元々感情表現が下手なだけで決して自分という存在がないわけではない。嫌なものは嫌、やりたくないことはやりたくないとはっきり口にする。
「そういうものですか?」
「そういうものだ。だがまぁ、きちんと考えなければ答えを出せない問題を残していくあいつの底意地の悪さだけは改善させなければならんな」
「まったくもってその通りだ」
答えた布都に対して相槌を打ってきたのはどこから話を聞いていたのか、真龍刀を肩に背負いながら姿を見せた夜刀。
「あいつと俺は別段親しいわけではないが、流石にここまでまどろっこしい方法をとるとは思ってもいなかった。筋金入りのひねくれ者だな、あいつは」
「夜刀殿、それはどういうことでしょうか?」
「言葉通りの意味だ。疑り深いひねくれ者で、その割に寂しがり屋の子供。本当の意味であいつが何を考えているのかさっぱりわからん」
「それは残念だが俺も同意できるな」
「おめぇさんらは頭いいのに馬鹿だなぁ」
豪快な笑みを浮かべながら口にする火具土の言葉を受けて三人は愕然とする。三人が三人、愚鈍だとお世辞にもいい評価を与えられずにいる人物が実は一番伊邪那岐という人物を的確に捉えていたから。
「あいつの根っこはいつだって変わんねぇ。あいつがいつだって願ってたことはおらぁ達みたいに戦しかできねぇ人間が生まれないようにすること。その願いがようやく叶うって確信できたからあいつは笑ってただ。あとは、それにあいつらが気づくことができるかどうかだ」
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『関羽、てめぇに俺様はどうしても聞いておかなきゃならねぇことがある。てめぇはどうして父様の思いに答えなかった?』
「それは」
全員が答えのわからない問題に対して手探りで答えを探している最中、関羽は自分の気持ちに対する答えを見つけるために銀と共に伊邪那岐を救うために門へと飛び込んだ時のことを思い出していた。
『その髪飾り、父様から贈られたもんだってのはすぐにわかったぜ? でもてめぇはそれをずっと着けなかったな。他の奴らが喜んで着けてるやつをどうしててめぇは着けなかった? 何かしら理由があるんじゃねぇのか?』
「私は陛下の臣下だ。他の奥方様たちとは違う。このような物を贈っていただけたのは確かに嬉しいことだが」
『ことだが?』
「私には陛下の隣にいる資格がない」
関羽は伊邪那岐を慕っている。その感情は既に臣下としてものから一人の男性へと向けるものへと変わってしまったことも彼女は理解している。だが、所詮それはかなわぬ願い。彼女は武将であり、彼は王。結ばれることを決して望んではいけない。
『はっ、資格がどうのこうのって言い訳口にしてやがるだけかよ。聞いて損しちまったぜ、通りでてめぇが俺様をよびだせねぇはずだ。心に蓋してやがるやつに俺様たちは決して力なんざ貸したりしねぇ』
「何を言っている?」
『勿体つけてちゃ理解できねぇぐらいにてめぇは脳筋みてぇだから、仕方なく俺様が猿にでも理解できるぐらいに会話のレベルを落としててめぇに教えてやる。劉備に麒麟、曹操に朱雀、孫権に青龍、例外みてぇに思える孫策と周瑜に玄武。魂に聖獣とのつながりを持つ奴らが偶然で一箇所に揃うわけねぇんだよ。あいつらは父様に触れることで知らず知らずのうちにてめぇ自身の魂の奥底に眠る奴らの存在に気づけた。最も気づいただけじゃ俺様たちは手を貸すほどお人好しじゃねぇ。てめぇもしっかり聞いてたはずだろ? 神様ってやつは救うから神様って呼ばれるんだ。あいつらが父様を心の底から救いたいって願って、そこに俺様が根回ししてようやくだ』
銀は会話のレベルを下げると口にしたがそれでも関羽には理解できていない。
『聖獣が父様に惹かれたのか、魂に聖獣とのつながりを持つ奴らが父様に惹かれたのか、正直に言っちまえばどうでもいい。ようは、剣の一族以外で父様から髪飾りを受け取った奴は魂に聖獣との繋がりがある。そんでもって、てめぇに当てはまるのがこの俺様だ』
鼻をつまらなそうに鳴らして銀は続ける。
『なんでそんなことを今口にしているかって思ってんだろ、てめぇ?』
「ああ」
『単純な話、予感じゃねぇな予測ってやつか? 俺様の予測が正しければ父様を救うためには俺様の力だけじゃ足りねぇ。父様を守るために龍をぶった切るぐらいの覚悟と力を持った人間、要するにてめぇの力が必要になる』
「私の力が?」
『理解してねぇのか? 父様をここから救い出したとしてもそれじゃ父様を救ったことにはなりゃしねぇってことを』
銀の言葉が関羽の心に突き刺さる。この場所から彼を救い出してすらいないのに銀はその先のことを考えている。彼女自身も考えていなかったわけではない。彼の心は勝機を保てるかどうかの瀬戸際にまで孤独という名の毒に蝕まれている。
『わかってるみてぇだな。だからこそとっておきの言葉をてめぇにくれてやる。愛ってやつはなんでも救っちまう、てめぇら人間が生み出した奇跡なんだぜ?』
「それで、ご主人様は救えるのか?」
『救えるさ。むしろそれで救えなかったら他にどんな手段を使ったとしても父様を救う手段なんざ残されてねぇっていえるぐらいだ。だからよ、癪だがてめぇに俺様の力の一部を残してやる。使えるか使えねぇかはてめぇ次第だ』
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「なぁ愛紗、お前はこの戦が終わったらどうするつもりだ?」
「この戦が終わったら、ですか?」
それは『龍戦』が開始されるよりも前のこと。修練に励んでいる関羽のもとへと現れた伊邪那岐はこう口にした。戦すら始まっていない状況で終わったあとのことを考えられるわけもなく、その時関羽は首をかしげてしまった。
「まだ戦も始まっていないのに終わった時のことなど考えられてるはずもありません。陛下もつねづね言っておられるではありませんか、先のことを考えるよりも今のことを考えろと」
「お前、人の言葉の揚げ足を取るなよ」
その場に腰掛け、天を仰ぐように視線を移動させて彼は言葉を紡ぐ。
「良くも悪くもこの戦が終われば大陸は一時の平和を得ることができると俺は考えている。そうなれば武人が武人でいる必要性がなくなってくる。武に全てを注ぎ込んだ人間たちが生きづらい世の中になるだろう。だからこうして聴いているのだ」
彼の言葉通り戦いがなくなれば武人の必要性はなくなる。そうなってしまえば武器を持って戦うことしかできない人間はどうすればいいのか?そのことが気がかりな彼は関羽だけでなく他の臣下たちにも同じ疑問を投げかけていた。彼自身、戦火に好き好んで自分を投じてきた人間。戦が無くなってからの生活を想像したことはあるがあくまで想像でしかない。
「だから陛下は孫呉であのようなことを口にしたのですね」
「?」
「覚えてはおられませんか? 私たちに対して陛下は私たちを連れ回して「お前らは武将や軍師である前に女人なのだぞ? 揃いも揃ってめかしこむことを忘れおって。着飾ることを忘れては元がいくらよかろうとも曇って見えてしまう。肩書きのようにいつでも捨てられるものにこだわっていては人生つまらぬものにしかならん」とおっしゃりました」
「そんなことを俺は言ったか?」
「ええ、確かに」
首をかしげる彼を見て関羽は苦笑してしまう。
自分がついていくと自分の意志で決めた主は戦に重点を置いていない。戦の先にあるものを常に見ているくせに目の前に迫ってきている問題も見落としてはいない。彼自身が目指しているものを彼女は推測すら出来ていないが、目の前の人物はまさしく王と呼ぶにふさわしいのではないかと思ってしまう。
「まぁ、すぐに結論を出すようなものでもないか。お前が口にしたように目の前の戦に集中する必要もあるし」
「そうです。それでなくとも陛下はまだ誰とも結納を済ませておられないのですから、戦が終われば国を挙げて祝わなければ」
彼女自身口にして自分の心に棘を刺す。彼は妻を娶ってはいるものの祝言を一度たりとも上げていない。部下の祝言は自分のことのように喜びながら上げているというのに。彼女は想像してしまう。自分が花嫁姿で彼の横に立つ姿を。だがそれは願ってはいけない願い。彼女は武将であり彼は王。かつて使えた主である劉備ですら祝言を挙げていないというのに自分がそこに立てる資格はない。要するに遠慮してしまっている。
「それも確かにやらねばならんが、どうも実感というやつが薄くてな」
「実感、ですか?」
「ああ。俺はこの両手を血に染めて生きてきた人間だ。数え切れない恨みを背負い、それを利用して憎しみを育ててきた人間だ。そんな人間が幸せになんてなっていいものなのかと自問自答してしまうのだ」
切なげな言葉が彼自身だけでなく関羽の心まで締め付けてしまう。それと同時に彼女は理解したくない現実を理解してしまう。彼は手を差し伸べてきた人間を救おうと傷を負い、血を流してでも救おうとする。だが、他でもない彼自身が自分自身を救うことを諦めてしまっている。罪人であろうと王であろうと、誰だって幸せになっていいはずなのだ。それなのに諦めることで彼は幸せを遠ざけてしまっている。
「どうして諦めてしまわれるのですかっ」
「諦める?」
「そうです。幸せになることに権利も資格も必要なはずがありません。陛下は我々を救ってくれただけでなく、次の戦で大陸に住む者たちを救おうとされている。そんな人間が幸せになってはいけないはずがありませんっ」
言葉になって溢れ出てきたのは彼女の心の叫び。幸せになって欲しい。その相手が自分でなかったとしても、彼にだけは幸せになって欲しい。悪評を喜んで受け取り、自分の名に泥を塗って、自分を傷つける選択肢を選び続けてきた彼だけは幸せになるべきなのだと心の底から願っている。
「だったら、お前が俺を幸せにしてくれ」
「えっ?」
「まぁ、期待せずに待っている。それではな」
◆◆◆◆◆◆◆◆
あの時の彼が何を思っていたのか、関羽には理解できていない。銀の言葉に含まれていたものですら理解できていない。それでも、彼女は彼を救いたいと願っている。だからこそ彼女も覚悟を決める。
「我が儘と言われてしまえばそれまでのこと。ですが、ご主人様がそれを望まれるのであれば私は部下としてでなく、一人の女としてそれに応えましょう」
劉備の幸せを願い自分の想いに蓋をし続けてきた。彼女が幸せであれば自分も幸せなのだと錯覚しようとしていた。それがたとえ自分の心に嘘をつき続ける行為だとしても受け入れ続けることが正解だと。
獲物を握り締めながら彼女は一歩前へと踏み出す。
戦場に出るのとは別の意味で彼女の心臓は早鐘を打つ。面と向かって口にできたというのにそれをほかの人間に対して堂々と宣言するためにはどうしたって勇気が必要。それでもこの言葉にだけは嘘をつきたくないと願う。多くの人間がそうであったように自分も彼に惹かれ、いつの間にか恋をしていた。
気がつけばいつだって彼のことを考えていた。そばにいるときだけでなく離れているとき、戦場で戦っている時、自分の命がかかっている状況であっても。
自分たちを置いて敗北してしまったときは心臓が張り裂けそうなほどに声を上げ、頭の中が一瞬で真っ白になってしまった。自分に力がないから彼を救えなかった。理不尽な現実をどうにか覆せないかと必死になって何かしらの手段を考えた。
息を大きく吸って少しずつ吐き出す。何度繰り返しても心臓の鼓動は加速するばかりで速度を落とすことを覚えてくれない。でもそれでいい。自分を押さえつける必要はもうない。彼に自分の想いを伝えられた。後はそれを堂々と口にしてしまえばいい。幸い、ツキは彼女に味方してくれている。だから、顔を真っ赤にしてかっこよくなくてもいいから精一杯の気持ちを彼女は口にする。
「陛下の妻たる方々、申し訳ございません」
関羽が口にした言葉を最初は誰ひとりとして理解できていなかった。妻である自分たちこそが彼を救うのだと誰ひとり疑っていなかったから。
「陛下の、伊邪那岐様の正室の座は私が頂きます。自分の気持ちを偽り続けることはどうにも無理なようです。私は、伊邪那岐様を臣下としてではなく、一人の女として愛していますから」
その言葉はまさに宣戦布告。
命のやり取りをする戦場でもここまで緊張したことはかつてなかった。だから罵倒されることも中傷されることも受け入れて口にしたというのに、誰も彼女を笑おうとしない。全員が理解しているのだ。彼に対して向けられる愛情は抑えようとして押さえ込めるほど簡単なシロモノではないことを。
『心は決まったみてぇだな? ったく、随分と長いこと待たせてくれたもんだぜ。俺様に感謝しやがれ、てめぇみてぇにウジウジしてやがる女にカッチョいい言葉をくれてやったこの俺様に』
髪飾りに光が灯ると同時に彼女の耳には聞きなれた声が響いてくる。
『遠慮することも諦めの一つってことだ。てめぇも父様の言葉に心を動かされた人間の一人だって言うんなら二度とてめぇの心を偽ろうとするんじゃねぇ』
「わかっている。いや、ようやくわかった」
『くくっ、いい答えだ。遠慮はいらねぇから俺様の残してやった力、全部つぎ込んで父様をとっとと救ってきやがれ』
髪飾りから溢れた白光が膨大な光を放ちながら形を形成していく。
白く、それでいて銀色の光を放つ体毛。雄々しきその体躯は他を圧倒し、牙と爪は敵対するものを容赦なく叩き伏せる陸の王者。誰もがひれ伏して許しを請うであろう風格、そこには伊邪那岐の常にそばにいた聖獣、白虎の姿があった。
「我が名は関羽。大陸に住む者たちを救おうと願った優しき王、傷だらけになっても自分を偽り続けた少年、ただ一人を救うために真龍刀を取る者なり。我が魂、我が力となりてその姿を示せ『白虎』」
言葉とともに白虎が彼女の獲物と同化していく。数秒たって出来上がったのは龍だけでなく虎まで彫り込まれて光をまとった彼女の真龍刀である四聖剣、虎龍偃月刀。
『俺様が守護するのは鋼。爪と牙は時空だろうが運命だろうが関係なく切り裂く。父様をあんまり待たせるんじゃねぇよ、母様』
銀の言葉が全員の耳に響いて、その衝撃に更に加えるように関羽の言葉が響く。
「皆様方に私が教わった言葉を送っておきます。愛は誰であっても救うそうです」
一拍おいて顔を真っ赤にしながらも彼女は自信満々に言い放つ。
「私が、陛下を愛で救います。側室の方々は悔し涙を流していただいて結構。妻である方々には申し訳ありませんが、私の一人勝ちです」
その瞬間、世界に光が差した。
本日四回目の更新でこの物語もようやく終焉を迎えます