第十一幕
前回のあらすじ
曹操に、自分のもの宣言されちゃった主人公
「華琳様、正気ですか」
「正気に決まっているでしょ、桂花。それとも何、あなたは私の決定に異論があるとでも?」
「ちょっと、待ちなさいよ、曹操。伊邪那岐は、とっくに私の、孫呉のものよ」
「あらっ、孫策、何、寝言を口にしているのかしら? 寝言は寝てから言うものよ」
曹操の発言により、先ほどの殺伐とした空気から、一気に騒がしい空気へと変貌した空間。その場所で、事の発端となった本人、伊邪那岐は素知らぬ顔をしていた。
「ちょっと、伊邪那岐。あんたからも曹操になんか言ってやりなさいよ」
「そうね、それはいい案ね。伊邪那岐、あなたの口からはっきりと孫策に言ってあげなさい」
二人の言葉を浴びて、引くに引けぬ立場に追いやられてしまった伊邪那岐。すると彼は、少しの間だけ、腕を組み、瞳を閉じてから、ようやく言葉を口にする。
「俺は、誰に仕えるつもりもないぞ」
「嘘でしょ?」
「なんですって?」
彼の言葉に、二人して異論を唱えてくる。
「俺は今までの人生、もっとも、戦場に出るようになって六年の間だが。雇われたことはあっても、誰にも仕えたことはない」
「それって、どういうことよ?」
真っ先に口をはさんできたのは孫策。それに対し、伊邪那岐はあらかじめ用意していたと、そう、誰もが思うぐらい自然な口ぶりで告げる。
「俺は、生まれ落ちてから、今の今まで、そこにいる火具土と、もう一人。そいつら以外、信用したことがない。それは、今も変わっていない」
「信用できる人物でなければ、仕える価値はない。そういうことかしら?」
「まぁ、そんなところだ」
曹操の言葉に、相槌を打つように伊邪那岐は答え、続ける。
「今まで、確かに何度か、こういった申し出を受けたことは、ある。だが、俺はその申し出に一度たりとも、答えたことはない。俺は、そこまで人を信用してはいない。常に、損失と利益を考えながら行動してきたからな」
それは、二人にとってはある程度予想できた返答。
そして、その言葉は、軍師として生きてきた人間が、相手側から重宝されるには十二分すぎるほど。常に、損失と利益を考えることは、誰であろうと難しい。それが、軍師として、国を支える立場になるのならばなおさら。目先の利益に踊らされず、その先に待つ、損失。そういったことを常に考え、天秤にかけ、答えを導き出さなくてはならないのだから。
「なら、あなたから見て、私は、信用に足る人物に写っているのかしら?」
「それは、分からぬ。もとより、俺は人をすぐに見抜けるほど、観察眼に優れていなければ、結論を急ぎ、自滅する馬鹿でもないからな」
彼の言葉を聞いて、ますます笑みを濃くする曹操。その表情は、言葉に出さずとも、目の前の人物を手に入れたいという、欲望がにじみ出ている。
「ますます、欲しいわね、あなたが」
「だから、上げないって言ってるでしょ」
曹操の言葉に異を当然のように唱える孫策。彼女だけでなく、周瑜の目からして見ても、この場で伊邪那岐を、曹操に渡すのは好ましくない。事実として、彼女も彼の軍師としての資質に敬服してしまっている。
「ふむ。ならば、曹操。俺がこれから出す、条件を全て呑むというのなら、一時的にだが、お前に仕えよう」
盛り上がっていた曹操と孫策の言葉が、伊邪那岐の言葉を受けて止まる。
「ちょっと、伊邪那岐」
「黙れ、雪蓮。これは、俺と曹操、二人にて取り決めすること。今のお前に口出しする権利はない」
早速、口をはさんできた孫策だったが、彼に言われてしまえば、黙るほかない。
「その条件を呑めば、あなたは、一時的とはいえ、私に仕えるというのね?」
「ああ、二言はない」
「なら、口にしてみなさい。聞いてから、判断するわ」
「賢明だな」
「褒めても、今は何も出さないわよ」
微笑した曹操に対し、伊邪那岐は、その場にいる人間、全員に見えるように、右手の指を三本立てる。
「一つ、俺を雇う際、火具土も共に雇うこと。ただし、扱いは俺の私兵で構わん」
「火具土というのは?」
「入口に立っている大男のことだ」
この場に来てから始めて、会話を振られた火具土。慌てた様子の彼を見て、彼女は即座に告げる。
「呑みましょう。その条件」
「一つ、仕える期間は一ヶ月。期間終了後、再び仕えるかどうか、判断させてもらう。仕える価値がないと判断すれば、そのまま去る」
「一ヶ月。随分と短いのね」
「曹操ともあろうものが、それほどの時があって、俺を惚れさせられないと?」
「口がうまいのね。いいわ、その条件も呑みましょう」
これで、曹操は伊邪那岐の出した条件、二つを承諾。あと一つ承諾すれば、一時とは言え、彼は曹操の下へ仕えることになる。これは、彼と行動を共にしてきた、孫策、周瑜の二人にしてみれば、面白くない展開。たとえ、この旅の目的が、曹操にあうということだけだったとしても。
「あと一つね。述べなさい、伊邪那岐」
言葉を急かす曹操。そんな彼女に対し、珍しく笑みを浮かべた伊邪那岐は、最後の条件を告げる。
「一つ、孫策、周瑜の両名が、この場に現れたことをなかったことにし、無事、無傷で二人を国へと返すこと」
その言葉を聞いて、その場にいた軍師たち、全員が息を呑む。曹操自身も、その言葉を聞いて、唇をかんでしまっている。
訪問することも告げず、突然現れた敵。それを先ほど、余裕を持って対応した曹操だったが、あと少し、孫策が踏み込み、武器に手をかけようものなら、首を刎ねるつもりでいた。それができる大義名分がこちら側にはある。彼女からしてみれば、この場で、二人の首を刎ねてしまえば、後の争う相手が減る。得になることしかない。
「どうした、曹操? 顔色が悪いぞ?」
そんな彼女の胸中を読み切っているかのように、返答を問う伊邪那岐。
彼は、今、曹操という人物を見定めている。先程、損失と利益を、常に天秤にかけて生きてきたと、彼は告げた。それを今、目の前にいる、曹操に対して、問いかけているのだ。目先の利益を優先して、孫策、周瑜の首を刎ねるか、後の利益を考え、伊邪那岐という軍師を取るか。
「答える前に、ひとつ聞かせなさい。あなたは、どこまで読んでいたのか?」
「さぁな。ただ、あえて答えるとするなら、不用意に、己の手の内を晒すほど、俺は愚かではない。それぐらいだ」
その言葉を聞いて、曹操は決心する。一国の王だけでなく、その場にいあわせた者たち、全ての思考を手玉にとった人物を見据えながら。
「その条件、呑みましょう」
曹操さんに一時的に仕えることになりましたとさ




