第百十五幕
前回のあらすじ
怪獣大決戦?
『よお、人間ども。くそったれな雁首揃えやがって情けねぇったらありゃしねぇ。父様はてめぇらのそんな面が見たくて命賭けたわけじゃねぇぞ、ボンクラ共』
戦場に現れた突如として現れた聖獣の力を借りて亡者たちを押し返していく人間たち。その本陣に彼らが見たことのあるものが姿を現す。白銀にたなびく体毛、成人男性を余裕綽々で上回る巨大な体躯。伊邪那岐の常にそばにいた聖獣、銀が姿を現していた。
『こちとら昔馴染みのやつらに声かけて、下げたくもねぇ頭下げて力借りてんだ。てめぇらが我先に諦めてどうすんだ? ああん、このグズども』
その声は完全に人間を見下しているというのに、誰ひとりとしてその心に不満という感情が生まれてこないのは不思議でしかない。
「白虎がどうしてこんな場所に?」
『どうしてもこうしてもねぇよ。こちとら父様を死なせねぇために大陸中駆けずり回ってたんだっつ~の』
疑問の声を上げる犬遠理をよそに、ため息を大きく付いて銀は歩み寄ってくる。
『それで、現状はどうなってやがる?』
「現状って」
『聞かれなきゃわかんねぇのかよ? 俺様が聞く現状っつたら一つしかねぇだろうがっ。父様はどうなった?』
銀の言葉に誰もが言葉に詰まってしまう。それだけで彼にはおおよその現状が理解できたのだろう。つまらなそうに鼻を鳴らす。
『そうか、父様は死んじまったんだな。本当に、どうしようもねぇぐらいにお人好しで、どうしようもねぇぐらい救えねぇ阿呆がっ』
それだけ口にして銀は全員に対して背中を向けて歩いていく。
「どこに行くつもりだい?」
『決まってんだろ? 俺様は父様を死なせねぇために大陸中駆けずり回ったんだ。それを、死んじまってるからはいそうですかって諦める俺様じゃねぇんだよ』
「肉体は信長に奪われて、魂があると思われる伊邪那岐伊佐那海は信長の手の内。何か策でもあるのなら、力を貸して欲しい」
額を地面にこすりつけて土下座しながら犬遠理は銀に願い出る。
『いいこと教えてやるよ、人間。神様ってやつは救うから神様って呼ばれるんだ。幸い、父様の魂のありかに俺様は目星が付いてる。仕方ねぇから一人だけ連れてってやる。ほかのやつらは死に物狂いで足掻いてろ』
「なら、私が」
「あたしが」
我先にと手を挙げていく剣の一族たち。だが、そんな彼らを見て銀は首を振る。
『てめぇら真龍刀の一族は連れて行けねぇな。連れて行ったところで魂と肉体がバラバラになって帰って来れなくなる』
「どうしてっ」
『どうしてもこうしてもねぇよ。てめぇらは作られた存在だ。それだけでもやばいのにお前らはこっちの世界に来ちまった。次に世界を超えたら魂自体が耐えられずに消滅しちまう』
銀の言葉を受けて犬遠理は苦虫を噛み潰す。
この大陸の人間と違って剣の一族は一度世界を超えてきてしまっている。世界を超えるという負荷に言葉通り耐えられない。
『ついでに言うと、てめぇらは既に俺様とは別の神の加護を受けてる。俺様が守ってやることもできねぇ』
「それってどういう意味よ?」
『真龍刀使ってた割に理解してなかったのかよてめぇら? 真龍刀それぞれに神の名が付けられてるのは伊達や酔狂じゃねぇ。真龍刀の真は神の意、龍は魔の意。てめぇらが持ってるそれは、神の力を持って魔を葬るための刀だ。もっとも、今となっちゃその力すら使えねぇけどな』
「使えないとはどういうことですか?」
『てめぇらの真龍刀は簡単に言っちまえばへその緒で親と繋がってる胎児だ。親である大本を抑えられてちゃ力なんか使えるはずもねぇ』
鼻を鳴らす銀の言葉に誰もが打ちのめされている中、一人の女性が獲物を右手に携えながら近づいてくる。
「ならば、私を連れて行っていただきたい」
「愛紗っ」
『たしか、関羽っつたな? この大陸の人間だったとしても、俺様が行く場所に行けばてめぇの命は保証できねぇ。百回やって一回成功するかしねぇかっていう大博打だ。それでも行く覚悟はあるのか?』
生唾を飲み込んで関羽は恐怖を感じてしまう。成功率があまりにも低い為、自分の命を無意識のうちに天秤にかけてしまう。救うこともできずに自分が死んでしまう光景を想像してしまう。しかし、銀の言葉に含まれていたものが彼女の脳裏に刻まれた記憶を呼び起こす。
それは、孫呉へと渡る船の上で龍と遭遇したときのこと。彼も銀と同じような事を確かに口にしていたではないか。あの時、彼はこう口にして自分たちの闘志に火をつけた。
「俺はお前達に期待していない、期待とは不安が伴うからこそのもの。俺の心に不安はない。百回やって一度しか成功しないというのであれば、その一回をお前たちが必ずたぐり寄せると俺は疑っていないからだ。恐れるな、怯むな、お前達が誰とともにいるかを思い出せ。お前たちが民を守るために培ってきた武は、あの程度の巨大なだけの存在に屈するものではない」
状況は似ている。それよりもかなり確率の低いかけであることも自分自身で理解している。ならば、彼女の取りうる選択は一つしかない。
「恐怖がないといえば嘘になる。だが、私は自分が死ぬことよりもご主人様がいない世界の方が耐えられない。そのためであれば、この命、いつなんどきであろうと賭けてみせる」
『いい面構えじゃねぇか、関羽。そこまで口にしたてめぇを死なせたとあっちゃ、俺様が父様に顔向けできやしねぇ。特別だ、背中に乗せてやる』
銀は背中に関羽を乗せると疾走を開始する。目指すは信長の背後に存在している巨大な髑髏の門。
「銀、あれに向かうのか?」
『ったりめぇだ。いかに俺様が聖獣の一角をになってるっつっても、世界を跳躍できるほどの力を阿呆みてぇに行使することなんざできやしねぇ。ちょうどあそこにいいもんがあるんだから利用させてもらわねぇ手はねぇだろ?』
亡者の群れを銀は爪を用いて、関羽は獲物の青龍偃月刀で切り開いて進んでいく。
『ぶっこむぜ、関羽。待ってろよ、父様。俺様がくだらねぇ運命を自慢の爪でビリビリに引き裂いて、新しい世界ってやつを見せてやるからよっ』
一迅の彗星と化した一人と一匹は、迷うことなく門の中へと飛び込んでいった。
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「それで、お前はどうして俺を救った?」
「どうしてとは?」
「悪いが俺は善意を素直に受け取れるほど純粋ではない。裏があると邪推してしまうのだ。誰もが誰も己の目的を叶えるためであれば平気で他人を裏切る場所で育ってきたからな」
伊邪那岐の言葉を受け、始光はやれやれといった感じで言葉を吐き出す。
「あなた相手に隠していても仕方ないですね。私は救って欲しいのです。もうひとりの私であり、信長に支配されてしまった終闇を」
彼女の言葉とともに一瞬世界が光ったかと思えば、彼の目の前に先程までいた世界の映像が映し出される。そこには確かに、信長と共に黒い九頭竜の姿が存在している。しかし、それよりも彼の心を掴んで離さなかったのは、亡者の群れから逃げることなく挑み続けている者たちの姿。かつて敵対していた者たちが轡を並べ、ともに大陸を守るように戦うその姿は彼が願っていた絵図。
「朱雀に麒麟、玄武に青龍、かつて私とともに生まれた者たちが力を貸しているようですが、いつまで持つことやら」
「どういうことだ?」
「私と終闇はほかの聖獣と格が違うのです。どれほど集ったとしても格の違いを覆せるほどの力は生まれません」
始光と終闇は星獣で他の者たちは聖獣。神の力と星の力では大きな隔たりが有り、星の力の前では神々とて無力。人が神に勝てないのと同じぐらいに。
「一つだけ方法があります」
「大方それが本題なのだろう? とっとと話せ」
「私と融合することであの世界へと戻ることができます。ですが、分かたれたものが元に戻るということがどう言う意味を持つか、あなたであれば理解できるはずです」
壊れたものは二度と元の形に戻ることはない。同じものを用意したとしてもそれは似通ったものというレッテルを貼られ、本物になることはできない。元に戻そうという時点で変質を意味している。故に、始光と融合した場合、その瞬間に伊邪那岐という存在は変質して決して元に戻ることはない。
「他に方法はないのだな?」
「はい」
「わかった。なら、それを実行するしかあるまい。もとより俺は死んだ身。生者の未来を作れるというのであれば、是非もない」
覚悟などとっくの昔に決まっている。決別を選んでしまった時点で彼は彼のいた場所には決して戻れない。誰が許したとしても、彼自身がそれを許そうとしない。鈿女を失った自分を決して許すことなく、自分の成長を頑ななまでに否定してきた彼。手放してしまったものを再び抱きしめる我が儘を彼は決して許せない。
『ちょっと待てや、父様。選択肢ってやつは押し付けられたものを選ぶんじゃなくって、てめぇ自身の手で切り開くものだろうがよっ』
声と共に世界に亀裂が入り、亀裂から傷だらけの白虎と関羽が飛び込んでくる。
「銀?」
『おうよ。話は聞かせてもらったぜ、始光。でもな、お前の提示した選択肢以外の選択もここにはあるってことを忘れてやがるぜ?』
「ご主人様っ」
銀の背中から降り、関羽がすぐさま伊邪那岐に対して抱きついてくる。その体は幾多の傷を負い、出血で立っているのもやっとのように見えるというのに。
「愛紗? お前がどうしてここにいる?」
「ご主人様を救いに来たのです。鈿女様は生きておいでです。ご主人様がご自身を責め続ける理由はもはやないのです」
はっきりと断言する。
だが、彼にしてみればそれは大きな問題ではない。生きていることは結果論でしかない。彼が鈿女を救えなかった事実は残っている。そして、自分がそのことを理由に伸ばされた手を振り払ってしまったことも。
「俺は復讐に生き、お前たちを偽り続けた弱者だ。そんな俺が戻ったところで戦況は変わらん」
「変わります。ご主人様がいてくれる事実こそが重要なのです」
「神の力を得た信長に俺一人加わったところで何ら変化はない。俺は今から、神の力を得てお前らを救う。それで満足しろ」
「できません」
頑として関羽は聞き分けない。
「私は、私たちは神の力を得て変わってしまったご主人様に帰ってきて欲しいわけではありません。今のご主人様に帰ってきて欲しいのです」
「何をわけがわからんことを」
「愛しているから」
その一言を受けて伊邪那岐は絶句してしまう。涙に濡れた関羽の手を振りほどくことは今の彼であればたやすくできる。それなのにできない。
「ご主人様の過去に何があったのか、無礼を承知で口にしますが興味などありません。私の知っているご主人様はそんなところにはいないのです。私の知っているご主人様は、私たちを救ってくれたご主人様は、私たちと出会ったその時からしかいないのです。私は、私と共にいた時間でご主人様を愛し、傍にいたいと願ったのです」
過去をなかったことになど誰にもできない。だが過去を知らないものにしてみれば、その人間は出会った時から始まる。関羽だけではない。この大陸で彼がであってきた人間は彼がどんな人生を歩んできたかを理解していない。理解する気もないかもしれない。彼女たちにとって伊邪那岐は、自分たちの知り得ている時間を共有してきた彼でしかないのだから。
「ご主人様が自分を責め続けていることは、私にはよくわかりません。ですが、私の知っているご主人様は、ご自身の傷を他人に与えて悲しませるような方ではありません」
彼は知らない。自分が鈿女を失って傷ついたという事実を知っていたというのに、自分という存在を軽視し続けてしまったが故に、彼女たちがどれほど彼を必要としていたのか。彼女たちにとって彼がどれほど大きな存在であったかを。
『なぁ、父様は覚えてるか? 俺様と初めて会ったときのことを』
「ああ」
敵愾心を剥き出しだった銀は、伊邪那岐の伸ばしてきた手を力任せに爪で引っ掻いた。それでも彼は手を差し伸べることをやめず、最後には根負けした銀が彼の手につけた傷を舐めて涙した。
『あそこにいる奴らは、父様を必要としてる。全員が全員じゃないだろうが、あそこにいる奴らの手を引っ張ってきたのは父様だ。自分を許す云々は置いといて、責任を取るぐらいのことはしてもいいんじゃねぇか?』
瞳に映るのは自分が関わって道を変えてきた者たち。自分と同じ明日を見ようと集ってきた者たち。
『父様の体がねぇって言うなら、俺様の体をくれてやる』
「白虎っ?」
『始光、口に出さなくってもてめぇにはわかってるはずだ。こんだけの傷だ、俺様も流石に自分の命の残りぐらいは理解してる。てめぇの命の使い方ぐらい、てめぇで決めていいはずだ』
聖獣に死は存在しない。死が存在しない代わりにそれまでに得た知識や記憶をすべて捨て去って生まれ変わる。
『なぁ、父様。俺様は正直、人間どもの事情なんざどうだっていい。でもよぉ、ひとつだけ我慢ならねぇことがある。父様が天下取るはずだった世界を横から奪い去られることだ。俺様は、どこのどいつだろうが父様から奪っていくやつだけは許せねぇ。だからさ、俺様と一緒にあのバカをぶちのめしてやろうぜ?』
「お前はそれでいいのか、銀?」
『後悔してねぇかって聞かれたら若干困っちまうぜ? でもよ、俺様は父様を失って灰色の永遠を生きるよりは、父様と一緒に虹色の一瞬を生きてぇんだよ』
「わかった」
『ははっ、父様は泣き虫だな。この先俺様いねぇんだから心配だぜ』
憎まれ口を叩きながら最上級の笑顔を浮かべた白虎がその姿を光へと変えていく。それを見送る伊邪那岐は、誰に見られていたとしても今と同じように涙を流すことだろう。自分を犠牲にしてでも生きて欲しいと願われたのは二度目。二回目だからといっても決して慣れることができるわけではない。
「まったく、どいつもこいつも。俺はただの人間で、世界を変える力など持っていないというのに、期待ばかり寄せてくる。だが、悪くない気分だ」
関羽を両腕で抱き上げ、涙を振り払った彼は覚悟を決める。自分のために力を残し、体まで与えてくれた者がいる。帰りを待っていてくれるものがいる。期待を寄せてくれているものがいる。
「こうなればやけだ。どいつもこいつも俺に期待するというのであれば、その期待以上の成果で答えてやろうではないか。俺は俺でしかない。俺らしいやり方なんぞわからんが、銀に顔向けできる結果ぐらいは見せてやるとも。救ってやるさ、それが神だろうと人だろうと。俺が俺であるために」
銀、あなたどれだけ伊邪那岐のこと好きだったんだよ