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恋姫異聞録~Blade Storm~  作者: PON
最終章 少年の描いた世界
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第百七幕

前回のあらすじ

実力差は無情でしかない

 雷雲が空を覆い尽くして少ししてから戦場にいる人間全員が、この天変地異を誰が引き起こしたのかを知る。ある者は恐怖を持って、又ある者は悲しみを持ってその姿を見つめていた。


 術式を用いて空中に浮いている御雷と風を操り空中に浮いている伊邪那岐。両者の姿を見て全員が全員、言葉を失ってただ二人の戦いに視界を強制的に固定されていた。片方はほぼ無傷、もう片方は肩で息をしていてその身に無数の刀傷を刻まれている。


「ご主人様っ」


 夏侯惇を打ち負かし、勝利を高々と宣言しようとしていた関羽の喉から発せられたのは絶叫にも似た悲しい響き。彼女の瞳に映る伊邪那岐の姿は既に満身創痍もいいところ。全身の傷からの出血で顔は既に土気色。いつだって雄々しく、それでいて表情を変えずに背中だけで語る姿はそこに既にない。その姿を見た瞬間、彼女はすぐさま駆け出していた。


「主殿っ」


 同じく孫策に勝利し、自らの汚名を返上することができた華雄の視界に飛び込んできたのは敬愛する人物の姿。ただ、彼女の記憶にここまで劣勢に追い込まれている彼の姿は記憶されていない。彼が苦戦する相手に自分が挑んだとしても勝機はない。そうと知っていながらも彼女の足は前へと進んでいた。


「師父っ」


 楽進に李典、于禁の三名を相手取ってなお勝利目前だった神楽の瞳に映るのはただ一人尊敬の念を失わない人物。自分に生きる目的と生き抜く力を与えてくれた父親にも勝る人物が傷だらけになっている。心が締め付けられる景色を一変させるために彼女は戦場を後にする。


「伊邪那岐さんっ」


 火計の指揮を取るために別の場所にいた劉備。袁紹の領地と同じような天候の変化で彼女はまさかとは思った。だが、それを実行させないために自分以外の妻たちを彼の周囲に配置していたはず。それなのに、現実は無情にも彼女の瞳一人の人物を映し出す。力になれなくてもいい、足でまといになってしまうかもしれない。それでも、彼女は自分の心を抑えることができずに足を踏み出す。


「里長だとっ」


「馬鹿なっ。どうしてこの時を狙って」


 今まさに刃をぶつけ合おうとしていた夜刀と布都の二人。お互いの真龍刀が一撃必殺の能力を持っているから長期戦はありえない。お互いにできた隙を両者とも理解している。この機を逃せば確実に相手を仕留める機会が失われてしまうことも理解している。それでも、夜刀は黄蓋とともに自分の主のもとへと急ぎ、布都は自分との決別を選んだ親友のもとへと急ぐ。


「最悪すぎるでしょ、いくらなんでも」


「里長がどうしてこの場所に」


「でも、今はそんなこと言ってる場合じゃない」


 伊邪那岐の静勁によって自由を奪われていた凶星、天照に咲耶の三人は体に痛みを与えることによってどうにか自由を取り戻して外に出てきた。そんな三人につきつけられた現実。事態は既に一刻の猶予も残されていない。彼が苦戦する相手、過去自分たちを従えていた圧倒的な強者。それがどうだというのか。愛する男を救うために命をかけられずしてどうして妻を名乗ることができる? 口に出さずとも三人が足を向けた先は同じ場所でしかない。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「随分と息が上がっているようじゃのぅ。まぁ、無理もあるまい。遮断を使うための代償として払った左脇腹の傷に鬼神狂化。どれも体に負担を強いるものじゃからなぁ」


 高らかに歌い上げるように口にする御雷。事実として彼女は未だ一太刀すら伊邪那岐の刃をその身に受けてはいない。対する伊邪那岐は彼女の刃を体中のいたるところに受けて大量の出血で纏っている黒の衣もボロと化し、肌を覗かせている。


 光対風。

 自然界に存在する力を己の支配下に置く彼らの戦いに割り込めるものは存在しない。それ故に二人の戦いは図らずとも一騎打ち。完全なる実力対実力の戦場。そこには狡猾なる策も張り巡らされた罠も入り込む余地がない。


「それでもまだ妾に届いてはいない。聡明なお主のことじゃから理解しているはずじゃ。妾に到達することが不可能だというぐらい」


 歴史上だけでなく自然界に光よりも早い速度は存在していない。そして速度は威力として置き換えられ、今伊邪那岐が人の体を維持していることのほうが異常と言える。速度の領域で音にまで踏み込んだ彼だが、光の領域にはどうあがいたところで到達し得ない。俯瞰絵図を用いていることでどうにか致命傷は避けられているものの、窮地という立場は一向に好転せず悪化の一途をたどっている。


「まぁ、まだ諦めないその根性だけは賞賛に値するが、このような状態になればお主はどうするのじゃ?」


 言葉とともに振るわれた刃が伊邪那岐の右腕を二の腕半ばから切断。遮断の行使によって既に痛覚を切り捨ててしまっている彼に痛みはない。ただ勢いよく吹き出す血液が彼の命を音を伴って削っていくだけ。落下してく自分の右腕を無視して真龍刀だけ残った左手で握り、彼は荒れた呼吸をどうにか整えようとしながら視線を御雷へと向ける。


 遮断を使うために自らつけた左脇腹の出血は収まらず、鬼神狂化を用いたことによる体力の急激な減少。加えて御雷の攻撃の威力を殺すことができずに体中の骨は砕け、健はちぎれかけている。極めつけに右腕が切断された。通常の状態を十と表現するのであれば現状は一もいいところ。通常の状態であったとしても勝機は皆無に近いというのに、これでは万に一つの可能性すら奪われたと同義。


「諦めてしまえば楽になるというのに。本当にお主は苦難の道を歩むのが好きじゃのぅ。勝機の薄い戦いに身を投じるほど愚かではなかったとは思っておったが、妾の思い違いであったか?」


 彼女の言葉が伊邪那岐の脳内を揺さぶる。

 復讐を諦めてしまえば楽になれる。戦いを諦めてしまえば楽になれる。願いを手放してしまえば楽になれる。そう考えなかったことは今まで一度だってない。諦めることには慣れてしまっている。助けを求めて伸ばした手が掴まれたことなど数えられるぐらいしかないのだから。それでも足掻く。いつだって壁にぶつかってその壁を越える方法を模索して来たのはほかの誰でもない彼。


 繰り出した一撃が虚しく空を切り、すれ違いざまに受けた一撃によって左肩から血が噴き出す。もはや真龍刀を握っているだけで精一杯だというのに、彼は決して真龍刀を自分の意志で手放したりはしない。いつだって無情に突きつけられる現実に彼は慣れてしまっている。あがきもがいたところで凡人にはどうやっても超えられない壁が存在することも彼は知っている。


「何がそこまでお主を意固地にさせるのか、妾には皆目見当もつかん。それに、妾が作り上げた愛弟子がここまで堕落した姿をこれ以上は見るに耐えん」


 かろうじて体をねじったものの彼ができたのはそこまで。御雷の一撃によって彼の両太ももは裂傷を刻まれ、機動力も完全に殺されてしまったと言っていい。これでは次の一撃を回避することもできず、完全に彼の命運は絶たれてしまったと誰もが理解できる状況。大量の出血で意識が朦朧としてきた中、彼は忘れていた言葉を思い出す。


◆◆◆◆◆◆◆◆


「自分よりも強い相手に勝つ方法? あんた、いつも自分より強い相手に勝ってんじゃん」


「いや、そうではなくて。自分が手も足も出ない相手に勝つ方法だ」


「そんなのあるわけないでしょ?」


 過去、鈿女と交わした会話。あの時は布都にどうしても勝てず、彼は日夜布都に勝つための方法を模索していた。引き分けには持ち込めるが勝利を得ることはできない。それは自分の技量が布都に届いていないことを意味しているのだと。


「では、負けたままでいいのか?」


「いいわけないでしょ。やるからには必ず勝ちなさいよっ」


 頭に拳骨を振り下ろし、鈿女はため息混じり彼に対してこう告げたのだ。


「勝つ方法を模索するんじゃなくって、何に勝つかを考えなさいよ。腕でも速度でも勝てないならそれ以外で。それ以外でも勝てないんならもっと別の何かを。自分が自分に胸を張って勝ったって言えるものを見つけなさいよ」


◆◆◆◆◆◆◆◆


 そう口にして再び拳骨を振り下ろしてきた鈿女。過去の情景を思い出した彼は知らず知らずのうちに笑みを浮かべていた。絶望的な状況は今も継続中だというのに。


「気でも狂ったのか、お主?」


「少しばかり走馬灯を覗いてきただけだ。おかげで、貴様に勝つ方法をようやく思いついた。いや、思い出したといったほうが正しいかもしれないな」


 顔の左反面についていた髑髏の仮面が落下し、素顔を露わにした彼の表情は確かに笑っていた。それも勝利を確信した笑みを。


「妾に勝つ方法じゃと? なかなかに面白い冗談を口にするものじゃな」


「俺は冗談をいたずらに口にしたりはしない」


 真龍刀を左手一本で正眼に構え呼吸を整える。


「俺は、次の一撃に命を賭ける」


 彼の言葉に嘘はない。現状を分析すれば誰でも同じ見解に至ることは妥当。彼が動ける時間は残りわずかにして、攻撃を防ぐにしても打って出るにしてもあと一度が限界といったところだろう。


 愉悦に浸っていた御雷だったが、彼の言葉を聞いて表情を引き締める。遊びという名の実力査定は終了。次の一撃で全てを終わらせると彼女の周囲の空気が代わりに語ってくれている。


 事実だけを述べるのであれば御雷は心の底から喜んでいた。弟子として彼女が迎え入れたのは布都と伊邪那岐の二人だけ。技術という水を垂らせばすぐに吸収する布都と違い、伊邪那岐は岩のように技術をすぐに吸収できずに弾いてしまう。前者を天才と呼び、後者を凡人と呼ぶ。里の人間誰ひとりとしてこの言葉を疑うことはしないだろう。だが、彼女の見解は違っていた。


 確かに布都のように教えたことをすぐさま実行に移すことができる才能は稀有。教えている身でありながら彼の才能に嫉妬してしまったこともある。それに比べて伊邪那岐がどれほど無様であったことか。覚えも悪ければ力も速度もない。布都がすぐにできることを彼は一週間以上かかったこともある。それでも彼女が彼を見捨てることをしなかったのには明確な理由がある。


 敗北を知り、挫折を知り、諦めを知る。

 それでも努力することを辞めずに前へと進むものを誰が馬鹿にすることができるというのか。里の者たちは表面だけを見て彼のことを嘲笑、あるいは罵倒することだろう。しかし、彼女は笑わない。笑えないのではなく笑わない。


 己を知れば百戦危うからず。

 自分に出来ること出来ないこと。恐怖に絶望、嫉妬に羨望。負の感情を人一倍知りながらそれに飲み込まれずに受け入れてしまえる人間。布都と伊邪那岐、敵対するのであれば迷わず彼女は後者のほうが怖いと断言する。己を知って尚絶望に飲み込まれない凡人、あがき続ける秀才。諦めることを知りながらもそれをよしとしない。それがどれほど怖い才能であるか彼女は知っている。


 布都を皆は天才と持て囃し、伊邪那岐を凡人と蔑む。与えられる過大評価と過小評価。前者は隠すことができず後者は隠すことができる。だから彼女は布都を序列の一位に据え、伊邪那岐を十位に置いた。手放すには惜しすぎる才覚を二人が持っていたから。


 弟子の成長を素直に喜びながら御雷は構えに入る。

 真龍刀の力を差し引いたとしても、彼女の一撃に反応できた時点で伊邪那岐の実力は序列の誰よりも伸びている。他の序列の人間、里の人間全員を比較対象にしたところで彼女の見解は変わらない。真龍刀を使用している現在の状況でここまで敵対した人間が生存していること自体が異常なのだから。


「「さらばだ」」


 御雷が繰り出してきたのは殺戮技巧外伝、荒蛇刺突。彼が試行錯誤の末に編み出した彼唯一のオリジナル。刃と刃が触れ合うと判断していた彼女はその瞬間、頬を暖かい何かが伝う感触を知る。これは、彼女が目の前の人間にできる最大限の敬意。


 だが、こともあろうに刃は触れ合うことを拒み、彼女の突き出した刃は滑らかに伊邪那岐の左胸に吸い込まれていった。ならば彼が握っていた刃はどこにあるのか。視界に映るのは落下していくひと振りの刃。刃と刃が交錯しようとする瞬間に彼は自分の獲物を投げ捨てていた。


「賭けは、俺の勝ちだ」


「馬鹿なっ、どの口がそのような戯言を口にするっ」


 言葉と同時に血を吐き出しながら口にする彼に対し、怒りを抑えられない御雷は怒鳴りつける。刃と刃での語り合いを彼は拒んだ。最後の最後で彼は自分から逃げたと、彼女の思考が判断していた。


「俺は、次の、一撃に、命を賭ける。そう、口にはしたが、誰も、俺自身の、一撃とは、言っていない」


 吐き出される言葉は既に途切れ途切れ。しかし彼女はその瞬間、背骨を直に握り締められる程の悪寒を感じる。彼は確かに次の一撃に命を賭けると口にした。されどもいま口にしたように自分のとは一言も口にしていない。ならば、


「まさかっ、」


「気づくのが、少し、遅れた、ようだな。薙ぎで、もしくは、落としで、来ていれば、俺の、負け。だが、お前は、突きで来た」


 左胸に突き刺さった刀を残った左手で力強く握って彼は口にする。

 どんなに強力な力であってもそこには必ず付け込む隙が存在する。そう彼に教えたのは他の誰でもない自分自身。彼は知っていたのだ。武尊御雷がどれほど強力な真龍刀であってもそこに必ず弱点があるということを。


 光は温度差が存在すれば屈折して直進することができない。だから彼女の真龍刀はあえて真空状態を彼女の周囲に作り上げることによって光の速度での移動を可能にしていた。遮蔽物があれば光は届かない。届くにしても限界が存在する。そこで彼が用意した遮蔽物が自分自身の肉体。


 誰が予測できることだろう。怒りに身を任せていたように見せかけ、復讐心で冷静さを完全に失っていたように見せかけていたことこそが彼の策であることに。


 恐怖は気づけばすぐ目の前に存在していた。真龍刀を握られてしまった御雷は次の一手に動くことができない。それ以前に目の前の途方もなくただ恐怖することしかできない才能に直面して正気ですらない。絶対的な実力差を強引に覆す策、必要であれば自分の命を捨て去る取捨選択、そして死に至るその瞬間まで冷静さを失わぬその精神性。目の前にいるのは名づけた通り大蛇。気配を殺してひたすら好機を待ち、目の前に現れた瞬間には全て手遅れ。蛇に睨まれたカエルとは今の彼女の状態を示すのにこれ以上はない。


「俺に、お前は、もう、殺せ、ない。だが、命とは、別の意味で、殺させて、もらう」


 気づいたときには振るわれていた小刀。伊邪那岐が自分の左脇腹を刺したその刃が切り落としたのは小さなもの。落下していくのは御雷の右手の親指。戦場に身を置いた人間においての生命線。それが今彼女の目の前で落下していく。この瞬間をどれほど彼女が悔やみ恨んだことだろう。今、戦士としての御雷は殺されてしまったのだから。


「これで、俺の、復讐は、終いだ」




命を奪うことだけが復讐ではない

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