第百六幕
前回のあらすじ
復讐という焔は燃え上がる
一方で夜刀と黄蓋の二名にぶつけられた麟の将である趙雲、太史慈に姜維の三名は苦戦を強いられ肩で息をしていた。
「どのような策を用意していたかは知らないが、俺の真龍刀と相対するには貴様らの実力では早すぎたようだな」
優越感に浸った声を発する反面、戦士として無情な表情を浮かべた夜刀は自身の獲物を両手で握り締めながら三人を睥睨する。
夜刀に与えられた真龍刀、銘は夜刀神。
形状は両手でなければ扱えないほどの大鎌。柄の部分を分割することによって鎖鎌として射程を伸ばすことができるこの真龍刀だが、真に恐ろしい点はその能力。刃が影に触れることによって肉体にもそのダメージを伝える。切り結べば一方的に切りつけられ、射程範囲内では殺戮の犠牲者しか存在しない対人最強の真龍刀。彼を打倒するのであれば序列の上位に名を連ねる者たちのように彼よりも長い射程を持つか、彼の攻撃速度よりも早く移動することができなければならない。
「夜刀」
「わかっている、祭」
三人を見下ろす高所に陣取った夜刀と黄蓋の二人は、武において秀でている三人の将に対して言葉という名なの刃を叩きつける。
「儂の場所に来るまでには夜刀を打倒せねばならん。それが出来ぬお主らはこの場でいたずらに命を捨てるだけ」
「武人としての情けだ。今ひくというのであれば俺も深追いはしない。だが、これ以上挑んでくるというのであれば容赦はしない。先程までは戯れだということを、貴様らは理解しているはずだ」
強力無比な前衛に正確な射撃を放つ後衛。シンプルすぎる布陣であるが故に突破口を見つけるのは容易ではない。命を賭けたとしても彼女たちが二人を打倒することは困難を極めることだろう。天と地程の実力差。それでも、
「我々は引けぬ。この命を失うことになったとしても、陛下の望みを叶えるためにも、我々の望みを叶えるためにも」
「あたいらは逃げないよ。ここで逃げちまったら、武人として死ぬよりももっと後悔する。あたいの心が死んじまう」
「まだ、約束を果たしてもらってないからな。明日がどんな色を持って生まれるのか? それを一緒に見るまでは、絶対に逃げない」
三人に後退の二文字は存在しない。
彼らの主はいつだって絶望的な状況でも帰ってきた。恐怖に屈しようとする心に鞭打ち、震える身体を叱咤して前へと進んで。そんな彼を見てきたからこそ彼女たちは引けない。いつだって背中しか見えなかった。それは、自分たちが彼のいる場所に追いついていない証拠であり、言い換えれば守られている屈辱とも言える。彼女たちは願う。後ろではなく隣に立つことを。
「ならば、武人として貴様らに相対しよう。我が名は夜刀、孫呉の誇り高き将兵の一人にして、貴様らの名を墓に刻むものだ」
振るわれる攻撃速度は彼女たちの知覚反応速度を軽々と凌駕している。放たれた高さからして首が飛ぶことだろう。心にあるのは自身の無力さを嘆くものではなく、彼らの主と共に望みを叶えられない無念。
「悪いが、お前にこいつらを殺させるわけにはいかん」
死を覚悟した三人の耳に響いたのは烈火の如き激しい怒号。それと同時に船が大きく傾き、その場にいた全員が大きく体制を崩す。
「布都」
「見た顔だとは思ったが、ずいぶんと久しぶりの邂逅だな」
分割して伸ばされた大鎌の刃を踏みつけ、三人を庇うような位置で登場した布都は左肩に大剣を担ぎ、もう片方を夜刀に対して向ける。
「布都、是が非でも貴様には聞いておきたいことがあった。どうして貴様がそこにいる? 龍として里の人間に認められた貴様が大蛇と呼ばれたあいつになぜくみする?」
「そんなことが聞きたいのかお前は?」
「そんなことだと?」
「ああ、そんなことだ」
ため息をついて布都は視線を夜刀の後方に位置している黄蓋へと向ける。
「夜刀、どうしてお前はこの大陸でそこにいる女を妻として娶った?」
「愛するから、そばにいたいと願ったからだ」
「それだ」
「なんだと?」
「俺が伊邪那岐と共にいるのはあいつのそばにいたいと願ったから。それ以外の理由なんぞ大抵後付けにしかならん。愛するものを救ってもらった恩義がある。目的をくれた恩義がある。そんなものは突き詰めていけばどうでも良くなってしまうのだ。俺は、あいつと共に生きたいと願うから、この場所に立っているのだ」
里の皆に認められてきた。聞こえはいいが、別の言い方をすれば距離を置かれてきた。誰もが布都のことを特別だと、自分たちとは違うと距離を置いて行くことが当たり前となり、彼の心中にはいつも孤独が顔を覗かせていた。それでも彼が孤独という闇に飲み込まれずにいられたのは伊邪那岐がいてくれたから。
彼は他の人間のように布都を特別視することなく、いつだって正面から彼のことを見据え、笑うことなく彼の悩みを聞いてくれた。愛するものを助けたいと願い出たとき、「手を貸すのは当たり前だっ」と叱咤してくれた。布都がこの場所に立っていられるのは彼がいてくれたから。天才と呼ばれていた彼を一人の人間として接してくれ、他愛のないことでも真剣に向き合ってくれる親友がいてくれたから。
「答えた代わりに、俺もお前に訪ねたいことがある。お前は、あいつを見て何も感じなかったのか?」
「伊邪那岐を見てだと?」
「そうだ。聞くところによれば、お前は一度あいつと死合っていながら生き延びている。お前だけでなく、お前の妻も」
過去に夜刀は確かに布都の言葉通り伊邪那岐と死合、敗北したにもかかわらず存命している。そこに何の意味があるのか、同じ教えを聞いてきた夜刀が知らないわけがない。
「多少、変わったぐらいの印象しかない」
「変わってなどいないよ、あいつは。そう感じたのであればお前があいつの心に少なからず触れることができたという証明だ」
同じ一族である二人は徹頭徹尾、敵対した相手はたとえそれが一族の人間であろうと殺せという教えられている。その教えを伊邪那岐も受けている。そう考えればここに夜刀と黄蓋、二人の命があることがおかしいのである。
「あいつは俺たちの中で一番、痛みも喪失も理解している。お前らのどちらかを殺せば、どちらかが悲しむと思ったから殺さなかったのだろうよ」
布都の言葉を聞いた二人に過去の言葉が蘇る。
「里の傀儡として俺を斬りに来たというのなら、情報を聞き出してから殺すつもりだった。だが、好いた女のために戦うというなら、この場で斬るのはいささか無粋。お前を打ち負かすことにしよう」
伊邪那岐は確かに夜刀に対してこう口にした。そこには、かつての自分と重ね合わせてしまった悲しみと憧憬が含まれていたなどどうして理解できよう。彼は既に守りたかったものを失ってしまっている。されど、目の前の男にははっきりと守りたい女が生きてそばにいる。後に彼が孫策に対して二人を殺したくなかったと口にしているように、彼は敵であっても情を持って接していたのだ。
「少し長話になってしまったな。お互い、守りたいものに譲れぬ望みがある。ならば、もはや言葉は不要としよう」
夜刀の獲物から足をどけた布都は彼から距離をとって大剣の切っ先を向けてくる。それに対して夜刀も刃を布都に対して向ける。過去の彼であれば布都を相手にするということを自殺行為だと判断してひいたことだろう。だが、今はひかない。後ろに自らの愛する大切な妻がいる。戦士としての誇りは捨て去ることができても、妻を捨てることは己を捨てることよりも辛いことを彼は知ってしまっている。
「布都、確かに貴様は俺よりも強い。それは十二分に俺も承知している。だが、相手が自分よりも強いからといって背中を見せるつもりは毛頭ない」
「ああ、知っているとも。だから、俺も正面からお前と向き合うと決めたのだから」
男たちは退けぬ戦いに