第百三幕
前回のあらすじ
続々とぶつかり合う者たち
「お~ほっほっほ。華琳さんも中々洒落た役割をくれたものですわね。褒めて差し上げなくもないですわ」
「麗羽様、そんなこと口にしてるとまたいじめられますよぉ?」
「猪々子さん、少しおだまりになってくださりませんこと?」
曹操から別働隊として配置された袁紹。彼女の副官として配置されたお馴染みの文醜は苦言を口にするが彼女の耳には入ってこない。そんな様子を見ながらもうひとりの副官である顔良はため息をつく。
「どうかしたのかよ斗詩? おなかでも痛いのか?」
「二人共気楽すぎだよぉ」
顔良は気楽な二人と対照的に胃に穴があいてしまいそうなぐらい顔色が悪い。伊邪那岐と同じように船に弱いというわけではない。単純に今回の役割に関することで彼女は気が重いのである。
別働隊。聞こえはいいかもしれないが、要するに厄介払いに近い。配置された人数も全体の二十分の一に満たない人数で、しかも主戦場からはかなりの距離がある。伏兵として配置するにしても使い辛く、増援にしては人数が足りなすぎる。ヘタをすれば戦に見せかけて殲滅される恐れもある。顔良からしてみればそちらが曹操本来の狙いであるようにも思えてくるので気が気でないのだが、袁紹と文醜の両名には彼女の負担が伝わっていない。
「なるほど。こんな場所にまで部隊を配置しているとは、曹魏もしくは孫呉にも切れ者が少なからずいるらしい」
「「「なっ」」」
自身の身長に勝るとも劣らない大剣をふた振り背中に担いで姿を現した布都。その姿を過去、自分たちの国を壊滅させた人間だと彼女たちの脳内が理解するのにほとんど時間はかからなかった。
「あなたは、あの時の」
「ふむ、どうやら見知った顔がいるようだが済まぬな。俺はあいつと違って人の顔を覚えるのが苦手だ。ましてや倒した人間の顔などいちいち覚えてはいない」
その言葉は完全な挑発。だが、流石に一度敗北を喫した相手に対して無策で挑むような愚行はしない。
「名乗りは最低限上げておけ、っというのがあいつの言い分故に一応口にしておこう。我が名は布都。隻竜王伊邪那岐陛下の右腕にして、貴公らを黄泉路へと送り出す者なり」
大剣を右腕一本で振り、布都は名乗りを上げる。その一撃で船の帆を二本とも切断したというのだから、その場にいた全員戦意をくじかれなかったのは不幸中の幸いといえよう。
布都に与えられた真龍刀、銘は布都御魂。
外見は彼の身長に勝るとも劣らぬ大剣で、その能力は切断。森羅万象存在するものすべてを分子結合、電子結合、金属結合問わずに分解してその刃を通すことのできる絶対切断を有した真龍刀。それが二刀一対で存在する唯一無二の布都の獲物。刃を受けること叶わず回避することが唯一の防御手段とされている為、布都が真龍刀を使って敗北したことは一度としてない。
「今の俺と出会ったのが運の尽きだ。俺はこれからあいつの指示通り、伏兵が配置されている場所をめぐってその全てを黄泉路へと送らねばならない。貴様ら全員、俺を呪うがいい」
それは、逃れられない死の宣告だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
崖の上から狙いすましたように正確に突き立てられる火矢。孫呉と曹魏の船団は火計が風の影響を大きく受けるが故に、風向きの変わりやすいこの土地では使いづらいものだと判断していた。
徐々にその勢いを拡大していく炎を自らが放つ氣弾で消し飛ばし、消火活動をしながら楽進は李典と于禁の二人とともに部下たちに指示を飛ばしていく。だが、そんな時彼女はなった氣弾が別方向から放たれた同質量のものに弾き飛ばされてしまう。
「この大陸で珍しい気功の使い手、師父から聞いていました。あなたが楽進殿ですね?」
「誰だ?」
「失礼。隻竜王伊邪那岐陛下の将、名を神楽と申します。以後はないかと思いますがお見知りおきを」
神楽は表情を変えずに淡々と言葉を口にして頭を下げる。
「そちらが李典殿と于禁殿ですね? ご安心ください。私一人であなたがた三人を相手にするつもりですので」
「「「はっ?」」」
神楽の言葉に三人の言葉が重なる。三人の目の前にいる少女は無手。実力がどうであれ自分たちを三人相手取って勝利できるほどの力量を有しているようにはとても出ないが見えない。
「無防備にも程がありますね」
横方向からの強烈な打撃を受けて帆に体を叩きつけられた于禁に遅れて響いてくる言葉。その姿を認識するよりも早く、今度は李典の体が甲板へと叩きつけられて船内へと沈む。ひと呼吸する間に二人を叩きのめした神楽に対し氣弾を放つ楽進。その氣弾が目の前で消失した光景を見て、彼女は認識を改める。目の前にいるのはただの少女にあらず、人の姿を保っただけの怪物であることに。
「先程のはそうやって消したのか?」
「はい。師父が教えてくれた技術の一つ、名を発勁というそうです」
自信と同じ戦闘技術を持つ人間と出会え、楽進の顔には自然と笑が浮かんでしまう。だが、それを見た神楽の表情は彼女とは対照的に醜悪なものを見たように表情を曇らせてしまっている。
「それは戦いを楽しむ者の顔。見ているだけで不快極まりないです」
「なんだとっ?」
「戦いとは命を奪い合うもの。だからこそ、そこには悲嘆と絶望のみ存在していいもの。戦いを愉しむという歪んだ感情を持つ者。師父同様に私が最も忌み嫌うものです」
神楽の蹴りを腕で受け、そのまま反撃に転じようとした楽進の体が彼女の予想を裏切って浮いてしまう。その隙を見逃すはずもなく、空中で体制を変えるという離れ業をやってのけた神楽の蹴りによって楽進は甲板の上をバウンドしながら転がされてしまう。
「数の利を活かすこともできず、目の前に現れた敵の技量を正確に把握することもできない。私が口にするのもなんですが、未熟以外の何者でもない。あなたがたは師父から何も学ばなかったのですか?」
「師父とは?」
「誰のこっちゃ?」
「誰なのぉ?」
「失礼、言葉が足りていなかったようです。私の師父は伊邪那岐様。戦闘技術、思考、様々なものを私に教え、与えてくれた敬愛すべき方です」
神楽の言葉を受けて三人は愕然とする。目の前にいるのはかつて三人に圧倒的な技量を見せつけた人物の弟子だというのだから。しかし、今の三人は曹魏の武将。知己の人物が関わっていようと引くことはもってのほか。
「隊長のお弟子さんだったとは。だが、それを知ってもこちらにも引けぬ理由がある」
「そやっ、うちらかてこの戦に命かけとるんやっ」
「絶対に負けないのぉ」
立ち上がる三人を睥睨し、神楽はようやく懐から自身の獲物である鉄扇を引き抜く。
「意地を張るのは勝手、引けぬ理由があるのも承知の上。ですが、此度の私はそれを容認できるほど余裕がありません。ですから、陛下がよく口にされていた言葉をあなたがたに送り、早々に終わらせていただきます。自らの非力さを恨み、永久に這いずりなさい」
◆◆◆◆◆◆◆◆
「流れは完全にこちら側となった頃か。そろそろ、俺が動いても構わんだろう」
視界に映るのは火の手を上げる船団。耳に響いてくるのは勇ましき戦士たちの咆哮と傷を負った者たちの悲嘆。命を奪い奪われる戦場は正しくこの世に顕現した地獄。それを作り上げた本人である伊邪那岐は椅子から立ち上がり歩を進めようとする。
「伊邪那岐様、どちらへ行かれるおつもりですか?」
「少しばかり曹操のところまで行ってくる」
天照の言葉に返答した彼だったが、その時に異変は起こる。本陣で待機していた彼の三人の妻である天照に凶星、咲耶の三人が揃って彼に対して獲物切っ先を向けてきたのだ。同じように周瑜に孫権、孫堅と曹嵩の四人も彼の行く手を阻むように獲物を構えて苦悶の表情を浮かべている。
「これは、なんのつもりだ?」
「申し訳ありませんが、いくら伊邪那岐様の望みとあってもそれだけは断固として阻止させていただきます」
「悪いけど、今回ばかりは貴方を戦場に立たせる訳にはいかないのよ」
「あんたはここでおとなしく戦が終わるまで諦観してるのよ。この戦場はあたしたちが請け負ったものなんだから」
疑問の声を上げた彼だったが妻たちはそれぞれの願いを胸に一歩も引かない。この場所を一歩でも引いてしまったら、愛する人が手を伸ばしても届かない場所へと旅立ってしまう。永遠の別離など受け入れたくないのだ。
「大方予想通りの対応だな。だが、本当の意味で大事な人間を失いたくないと願うのであれば、両手両足を使い物にならぬようにして拘束しておくべきだ」
悲しげな表情でつまらなそうに口にした彼の言葉からは温度を感じない。そこから予想される答えは明快。彼が自分たちを排除してでも動くと宣言したことにほかならない。だからこそ彼女たちも緊張を高め、いつ動いたとしても対応できるように感覚を張り詰めていったのだが、次の瞬間には彼女たちの体は室内の壁に叩きつけられてしまっていた。
「これは、まさか」
「ああ、おそらくお前が予想としているものだろうよ、凶星」
彼が用いたのは布都が宴の二日目で武将たち全員を一瞬で舞台から弾き飛ばした技術で、その名を静勁。この技術は発勁の応用技であり、自身の体内で練り上げた氣を体外へ放出するのではなく、自分以外の他者の体内の氣を乱れさせて斥力を発生、自身は動くことなく周囲にいる人間を弾き飛ばす。もしくは相手の氣を乱れさせることによって体の自由を奪う高等技術。
「流石の俺も愛した女を殺せるほどに冷酷にはなれん。お前らはそのまま戦の終わりを見つめていろ」
一歩ずつ遠ざかっていく彼の姿。その姿を三人の妻たちは動かない体に鞭を打ちながら見つめるだけしかできない。彼の行く手を阻もうとした四人も同じく静勁によって自由を奪われて床に体を這わせている状態。
自分たちの無力さをここまで呪ったことが今まであっただろうか。愛する人間を助ける手立ても持たず、止めることもできない。そしてその場にいた人間はようやく彼の傷に気づくことができた。彼は今までずっと、心にこの受け入れることのできない大きな闇を抱えながら生きていたということに。
「こんなことをいまさら口にしたところで無意味でしかないのだが、最後に交わす言葉となるだろうから口にしておく。俺は幸せだったよ。俺を愛してくれる母たちに妻。親友に部下。とてもではないが、俺の墓に入りきらないほどのものを俺はお前たちからもらってきたのだと思う」
一度だけ振り返った彼の顔を見れば涙がこみ上げてくる。胸を締め付けられるぐらいに切なげな微笑。優しすぎた少年は王としての責務を全うするために、自身の望んだ世界を実現するために、今まで勝ち取ってきたもの全てを代価として捨て去ってしまったのだ。
「欲を言うのであれば、鈿女に会うよりも先にお前たちに会いたかったよ。そうすれば、いや、そんなものはあくまで希望的な観測でしかないか。さらばだ、できることなら俺を忘れて幸せになってくれ」
動き出してしまった主人公