表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋姫異聞録~Blade Storm~  作者: PON
第三章 大陸玉座
101/125

第九十八幕

前回のあらすじ

強すぎる前妻

 一人室内から出た伊邪那岐は下弦の月を視界に収めた状態で壁に背中を預け、来訪者を待ちわびていた。おそらく、彼の予想が正しければ屋敷にいる彼の関係者は全員が湯浴みをしているため、この場所に足を運んでくることはないだろう。


「夜分に訪問するのであれば少なからず礼儀をわきまえている人間。それに加えて目的を達するために送り込むのであれば気配を完全に絶てる人間。今の孫呉が抱えている人員を考えれば、妥当な判断だと言えるか」


 口にした言葉は誰に対して向けられたものなのか。答える人間は誰ひとりとしていない。ため息をついて体を壁から離した伊邪那岐はその場にかがみこんで拾い上げた小石を狙った場所へと投擲する。すると、小石が何かに弾かれる音と共に彼のもとへと気配が近づいてくる。視界の悪い闇夜、光源は空に浮かぶ月だけ。


 一閃。先程まで彼がいた場所に刃の軌跡が描かれる。動くのが少しでも遅ければ首が落とされていただろう。攻撃はそれだけにとどまらない。背後から心臓を狙った刺突。それを屈んで回避する伊邪那岐。聞こえる音はほとんど皆無。移動の際に生じる音、呼吸、獲物を振り抜く際の音。その全てが最小限に抑えられ、当然のように殺気を感じて動きを先読みすることもできない。


 それでも、その攻撃は全て空を切る。円界と奔流の複合技である俯瞰絵図を作り上げた彼に攻撃を当てるのは至難の業。武術とは弱者が強者に勝つために練り上げられたもの。その点を考えれば俯瞰絵図を習得し、それについてこられるだけの体を作り上げた伊邪那岐の武術の腕前は相当なものどころではない。


 戦闘において重要視されるのは速さ、重さ、技術の三点。速さでは諜報の鷹に勝てず、力による一撃の重さでは戦闘の獅子に勝てない。だから伊邪那岐は三番目に重要視される技術をひたすら磨いた。自分よりも速いもの、力のあるものに勝つための方法を。そして試行錯誤の末にたどり着いたのが俯瞰絵図による空間把握。どれほど速くて動くことができても人間の体の構造上、動きには制限がある。どれだけ一撃が重くてもその一撃には必ず溜めを必要とする。ならば、それを事前に把握して相手を自分の思い通りに動かすことができないのか? その為に作り上げた技術である俯瞰絵図。これを使用している彼に攻撃を当てるには彼の知覚速度を上回る必要がある。ただ、現実問題として彼の知覚速度を上回ることは不可能。故に、彼に触れることは叶わない。


「俺も間借りしている身、あまり大きな騒ぎにはしたくない。いい加減に諦めて引き上げてくれると楽ができるのだが、いかがだろうか?」


 彼の声に応える声は響いてこない。それを確認したからこそ、大きくため息を着いてから彼は瞳を閉じる。それを好機と判断したらしく、彼に襲い掛かる刃。しかし、次の瞬間世界は一変する。


「お前らの動きは大したものだよ。そのような動きを俺ができるようになるのにどれほど時間をかけたことか。だが、残念だったな。殺意を乗せず、ただの無機質な刃を振り回すだけでは俺には届かぬよ」


 右手に周泰から奪い取った長刀を握り、左手に甘寧から同じように奪い取った剣を握り、それぞれ主とは別の人間に突きつける。先程から彼へと攻撃を仕掛けていたのは甘寧と周泰の二名。孫策からの命を受けて動いたのであろう。でなければ自分の母親の屋敷にいきなり部下を送り込んだりはしない。


「それで、返答はどうなのだ?」


 彼の言葉を受けて奥歯を噛み締める周泰に唇を噛みちぎって血を流す甘寧。添えられている刃は首筋。少しでも彼が力を加えればそこからはとめどなく血液が噴出する。完全に相手の命を手玉にとった状態。それをため息をついて獲物を放り投げてあっさりと放棄した彼は、屋敷へと戻っていく。二人が理解できない言葉を残して。


「そう慌てるなよ、お前ら。直に刃を交えるのだから、今交えたところで意味はない。生きるも死ぬも、その時になってから考えろ。まぁ、あまり時間は残されていないだろうがな」


◆◆◆◆◆◆◆◆


「お主、こんなところにおったのか? いや、随分と探してしまったぞ?」


「酒樽片手に言う言葉ではないな、虎連。それとお前、少しは恥じらいというものを持て」


「おや? 儂の体を見て欲情でもしたのか? 若いのぉ、お主」


「慎みを持てと言っているのだ、俺は」


 甘寧と周泰の二人を退け、全員が寝静まったことを確認してから湯に入った伊邪那岐だったが、彼が確認したのは部下と妻たち。屋敷の主である孫堅がどこにいたのかなど確認すらしていなかった。だからと言って、一糸まとわぬ姿で大事な場所を隠すことなく湯に入ってくるのはいかがなものだろうか?


「それで、俺に一体何のようだ?」


「いやなに、義理の息子になるやつと腹を割って話そうかと」


「酒癖の悪い奴と同じ湯に入って語り合いたくはないのだが?」


「まあまあ、そう言わずに」


「真琳!?」


 孫堅の声を受けて視線を移動させてみれば、いつの間に入ってきていたのか曹嵩までも一糸まとわぬ姿で湯に体を沈めている。絶界を習得しているわけでもないのに彼に気配を感じさせていなかったことからその力量を測ることはできないが、いい加減慎みを持つ女性に出会いたいと思う彼だった。


「お主も俺に何か用があるのか?」


「ええ。義理の息子と少しお話がしたいと思いまして」


「はぁ。別に構わないが場所ぐらい考えろよ、お前ら」


 湯から上がろうとした彼だったが、流石に二人に肩を掴まれてしまっては引き返すしかない。仕方なく肩まで湯に浸かった彼は、心ばかりの配慮で瞳を閉じる。


「それで、何が聞きたいのだ?」


「あなたの本当の目的について」


「本当の目的?」


「ええ。華琳ちゃんからあなたの目的がこの大陸を一つの国とすることだとは聞いています。でも、私にはそれがあなたの本当の目的とは思えないのですよ。やっていることが回りくどすぎますから」


「儂も同感じゃな。手っ取り早く纏めるのであれば武力による制圧を行ってしまえばいい。それができる力をお主の国は持っているのだから。だが、お主はそれをしていない。聞いた話では袁紹の領地を落とした時も、甘い汁を吸っていた奸臣以外手にかけていない。お主は何がしたいのだ?」


 引退したとはいえかつては国を収めていた領主の二人。娘たちとは別の視点を持って彼の目的を探ろうとしている。事実として彼女たちの言葉は正しい。大陸を一つの国にするだけなら孫堅のやり方が一番時間をかけずに済む。それに、多くの犠牲者を出すことで相手が強大だと印象づけることもできる。だが、彼はそれをしていない。悪評は大陸中を駆けまわっているものの、そこには明確な目的があり、不必要な死人が出たことは一度たりともない。


「俺の目的はお前らが口にした通り、大陸を一つの国とすることだ。それに間違いはない。ただ、強いて言うのであれば俺が望んでいるのは、血で血を洗う日常から脱却し、互いに手を取り合うことのできる世界」


「「なっ」」


 彼女たちが驚きの声を上げてしまうのは無理もない。この群雄割拠の時代、その一角を担っている人物が絵空事を心から願っているというのだから。それも、劉備のように現実を知らない人間ではないのだ。ここに居るのは現実の残酷さ、理不尽さを十二分に理解して国を導いている王。


「永遠にできるものだとは俺自身も思ってはいない。だが、一時でもそれが可能にできれば、出来るという事実は残る。その事実さえ残ってくれればあとは、未来を生きていく人間に選択肢を残せる。欲を言えばその先を見てみたいと思うが、それは贅沢というものだろうな」


 まぐれ、偶然。切って捨てる言葉はいくらでもある。それでも、一度出来たことがもう一度できるとは限らない。もう一度できないと言えないのと同じように。彼の望みはそれ。自分ができなくてもいいのだ。自分の生きた時間、生きた意味と技術を誰かに託すことができれば。


「そのために必要なのが、互いに協力しなければ打倒できないほどの強力な敵。俺はそれになるために悪を成す。英雄になる奴は誰でもいい。いっときでもこの大陸に住む人間が全員笑顔になれるというのであれば、俺の命なんぞくれてやる」


 その言葉が湯で血行が良くなっていたはずの二人の顔を青ざめさせる。自分の死を受け入れることのできる人間は、世界に多少なりともいる。だが、自分の死を利用した策を思いつく人間は多くない。それも、自分を悪に貶めて平和を願う人物がいることなど信じられるはずがない。


「お主」


「ああ、蓮華と冥淋にはまだ言うなよ。そのうち俺の口から話す」


「他の妻たちはそのことを?」


「華琳には口にしていないが、他の妻は全員知っている。俺の口から直接話したからな。おかげでその日は説教で眠ることができなかったぐらいだ」


 何気なく語るが、言葉を受けた二人の心中は怒涛の変化の渦中。屋敷に来た時から先ほどまでの様子を見る限りでは、三人の妻は彼にベタ惚れもいいところ。その彼女たちが説教したというのだから、彼女たちの願いはかなり切実なものだったと推測できる。それでも伊邪那岐は折れていない。


 体の傷を見れば二人とて戦場に身を投じた人間、彼がどれほど困難な戦場から生還したか推測することはできる。固く閉ざされた右目、目を背けたくなるような裂傷、火傷の痕、大小数え切れない刀傷。そんな傷を体に刻んだ人間が生きたいと願っていないはずがない。それなのに、自分の命を手放してでも願っていることがある。そこに存在しているのは苛烈なまでに強固過ぎる覚悟。自分の娘と比較してしまい、二人は言葉をすぐに紡ぐことができない。ここに居るのは誰よりも現実を知っているくせに、絵空事を現実にしたいと願っている矛盾した心を持つ少年。だからこそ、強烈に他人を惹きつける。自分には無理だと諦めてしまえることを、この少年であれば可能としてしまうのではないかと希望が持てる。男性であればその志に惹かれ、女性であれば母性本能をくすぐられてしまう。天照がかつて口にした媚薬という表現はあながち間違ってはいない。


「お主は、死ぬことが怖くないのか?」


「あなたは死ぬことが怖くないのですか?」


 奇しくも二人が口にしてしまったのは同じ言葉。


「怖いさ。死ぬことが怖くない人間なんているわけがないだろうに」


 そこでようやく彼は瞳を開いて空を見上げて口にする。


「だが、死ぬことよりも俺は怖いことを知っている。俺が誰かを縛りつけてしまうことだ。死者の呪縛からは逃れられない。俺がそうであるように、そいつを思っていれば思いの深さに比例して人を縛りつけてしまう」


 ため息を付き、彼は言葉を続ける。


「本当は、誰も娶るつもりなどなかったのにな。俺のことで傷つく人間は少ないに越したことはない」


 自虐気味に口にした言葉。その言葉が二人の心には心臓が握りつぶされそうなほどに切なく響く。彼は優しすぎる。もう少し我侭に生きても、振舞ってもいいのに、自分たちの娘よりも年下の少年はそれを知らない。無償の愛を与えられることなく育った少年がこれほどまで優しく、悲しすぎる成長を遂げたという事実。すんなりと受け入れてしまうには抵抗がありすぎる。


「お前らには済まない事をしたと思っているよ。自分たちの娘が死に行く男に嫁ごうというのだから。俺は母親というものを知らないが、こういう時は止めるか、怒ってもいいのではないか?」


 彼は自分を責める。人の心が誰に惹かれることが罪になるというのか。それを二人の目の前にいる少年は、自分の罪として受け入れてしまう。


「辛かったのですね」


「どうだろうな。このような経験をしたことはないから俺には判断しかねる」


 曹嵩が口にしたのは彼の今までの人生に対してなのだが、当の本人は見当違いのことに考えを回している。


「苦しかったのだな」


「耐えられるものは苦しみとは言わぬよ。苦しみとは、どうやっても耐えられないことを指す言葉だ」


 孫堅が口にしたのも曹嵩と同じく彼の人生に対しての言葉。だが、当の本人は二人の言葉の意味が理解できていない。辛い、苦しい、そういった感覚が頻繁に襲いかかってきた日常しか経験していない彼の感覚は自分を守る本能で麻痺してしまっている。


「そう言えば、母親を知らないと言いましたがどう言う意味ですか?」


「言葉通りの意味だが?」


「その言葉通りの意味がわからんのだ」


「母親という言葉、意味は知っている。だが、俺には母親がそばにいたことが一刻ぐらいしかない。だから母親がどういったものなのか、俺は知らんという意味だ。この話を碧にしたとき、「だったら、私が陛下の母親になってあげますよ?」と冗談を口にされたな」


 微笑しながら口にした彼だったが、次の瞬間には右側から孫堅に、左側から曹嵩に腕を取られてその豊満な胸を押し付けられていた。


「なら、私があなたのママになってあげます」


「なら、儂がお主の母になってやろう」


 そんな二人に対する彼の反応はやっぱり二人の予想通りで、孫堅も曹嵩も返される言葉など気にせず、すでに心を決めていた。


「御免被る」




未亡人であっても容赦なく落とす主人公!?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ