2話 寒い
それからというと、私たちはささやかな日々を暮らしていった。
あの子を拾って1ヶ月目。
早いもので、あの子が来てから1ヶ月が経っていた。
あの子はしっかりと約束を守って生活をしてくれていた。まだ孤児院に行きたいと言い出す気はなさそうだったが、最初と変わったことがあった。まず、笑顔が増えてきたということだ。最初は何を話しかけてもぴくりとも動かなかった表情がだんだんと変化してきていた。真顔で過ごされるよりはマシだった。
それと、あの子から話しかけてくれることが増えたことも喜ばしかった。私からはなかなか踏み出せなかった。日常でする会話はあまり分からなかった。
仕事から帰ると今日は何があったのか聞いてきたり、自分はなんの本を読んだ、なんの絵を描いたか、など話したりすることが増えていた。
前もよく喋る子だったのだと思う。
しかし、大事な約束は守っている代わりに、意外にあの子はやんちゃ坊主のようで、家に帰ったら本棚がぐちゃぐちゃだったり、紙からインクがはみ出して机が汚れていたり大変なことが増えて頭を悩ませることもあった。
家政婦としての仕事が休みの日には、家を出て森に連れて行った。連れて行くと言っても森に囲まれてるのだから、目と鼻の先だったが。
普段、家から出られない代わりに、私が見ていられるときに思う存分遊んでもらうためだった。家に閉じこもっていたらストレスも溜まるし太陽の光も浴びられない。私がそう決めたとはいえ、随分ひどいことをしているなと当時もずっと考えていた。 まだ4歳だったのだ、本当はもっと遊びたかっただろうに。
そんな気持ちもありつつ、遊ぶとなると鬼ごっこかだるまさんがころんだか縄跳びくらいになるので、3分の2の確率で私も付き合わされるはめになる。正直言って休みたかったけど、体力はそれなりにある方だったので付き合ってあげていた。とはいえ、疲れはしていたが。
他にも森では、植物やきのこ、果物が書かれている本を片手に食料集めをした。この先、何があるか分からないから、どれが食べられるもので食べられないものなのか、1人で判断できるようにならなくちゃいけないと思ってのことだった。
*
「クララ、これうまそうなくだものみっけた」
「これは、前も教えたでしょ。火を通さないと食べられないからだめ。」
「これは?」
「このきのこも普通そうに見えるけど毒があるからだめ。もし間違って食べちゃったらこの薬草を食べてちょっとの間大人しくすること。分かった?」
「このきのこは大丈夫?」
「うん、大丈夫。毒々しい見た目だけど、食べてもなんともないから。よく分かったね、偉いじゃん」
……正確性は五分五分だった。多分。
「でも、クララみたいにできない」
「ねぇ、なんで私がこのきのこに毒があるって知ってると思う?」
「クララだから?」
「ぶぶー、正解は私があの毒きのこを食べたことがあるから」
「…ぇ」
「そして、なんでその薬草が効くのか知ってるかっていうと、あの毒きのこを食べた時に必死にそこら辺の薬草を食べたから」
そう言うと、この子は驚いたように呆気に取られた顔をしていたのを覚えている。
昔の小さかった私は、4歳のあの子より年上だったはずなのに、人に甘えてどれを食べたら駄目かなんて判断をしようとすら思ってなかった。1人に慣れてなくて、教えてくれたはずの生きる術さえも忘れて……。
苦しくて、苦しくて、このまま、目を閉じる選択をしてもいいと思ってたときだった。
「あんたは真似しちゃだめだよ。でもね、そうやって一つずつ失敗を重ねていくの……そしたらきっと次には、次の次には成功するかもしれないでしょ。それに、あんたには私がいるから大丈夫だよ」
「……うん!」
そんなことを考えながら教えていたら、息を呑むような声と共にこの子の元気な声が聞こえてきたんだっけ。
そのときの笑顔はとっても眩しくて、眩しくて……私は目を焼かれてしまいそうだった。
その顔を見てられなくて必死に話題を逸らそうともしていた気がする。
「ふふっ、いいかダメかを判断するには、まず見た目に惑わされちゃだめなの。私みたいにすっごく美人で可愛らしくても性格が悪い人はいーっぱいいるんだから、あんたも大きくなったら私みたいな美人には気をつけるんだよ」
「?……うん」
きっと意味は理解していないだろうけど──
「でも、クララはやさしいよ。ぼくにいーっぱいごはんくれるし、ねむるときはぼくのことだきしめてくれるし、いっつもぼくとあそんでくれるし……クララは優しいよ」
「……ありがとう」
こりゃ、今から将来が楽しみだ。レイは私が女の子と見間違えたくらいには顔が良い。きっと孤児院に行ったらモテモテだろう。
――なんて、そんなことを思っていた。今はどんな風に成長しているのかな。
その後も、木の実に薬草、山菜にきのこを籠いっぱいに収穫したところで帰路についた。目と鼻の先だけど。
それにしても、意外にもあの子は真面目に人の話を聞いていた。まだ正確性は五分五分……だったが、何が食べれなくて、何が食べれるのかきちんと自分で判断しようとしていた。そう、それでよかったのだ。まずは自分で、見て、考えて、決める。それが大事なのだから。
「クララぁ」
「ん?」
「ぼくおなかすいた」
「うん、私も」
「ぼくも夜ごはんてつだうね」
「うん、ありがとう」
***
あの子を拾ってから、半年が過ぎたころ。季節は雪が溶け始めたばかりの春だった。
秋にはあの子と沢山収穫したおかげもあって、冬は食糧に困ることなく過ごした。しかも子どもの体温は高い──つまるところ人間湯たんぽである。私は冬はもちろん、春だろうが夏だろうが寒さを感じるタイプなのであの子が来てからというもの、ものすごくあったかくてあの子の存在はものすごくありがたかった。
*
「クララー!起きてよー」
「んー、あともうちょっと」
家政婦の仕事が休みの日は、孤児院に行くことになっていた。せっかくの休みなのだから、もう少し寝かせてほしい。そう思っていた。普段からどれだけの時間を――「クーラーラー!」――……普段からどれだけの時間を、この耳元で騒ぐ子どもに費やしてたと思ってるんだか。
……今日のご飯減らしてやる。
休みの日の朝を迎える度に同じようなやり取りをして、同じようなことを思っていたような気がする。
半年も経てばすっかり元気っ子になっていた。
ぐっすりと気持ちよさそうに寝ていたあの子を起こさないで町に行ったとき、帰ると扉を開けた瞬間に抱きついてきて、大粒の涙をポロポロと流してきたことがあったので、それ以降、朝は一緒にご飯を食べて、あの子が見送るという流れができたというのに、肝心のあの子が起きない。なんてことが多々あった。なのに、休みの日ときたら、なんであんなに早起きだったのだろう。少々怒りを覚えたほどだった。
まあ、あの子ぐらいの歳の子にとって、家から出られないというのは相当ストレスだったのだろう。私も多少の罪悪感を抱いていたので仕方がなく付き合ってあげていた。
私がベッドの中で二度寝をかまそうとしている間も騒ぎまくるので観念して起き上がる、というのは休みの日の恒例だった。
他にも休みの日は、朝が苦手な私に代わって、包丁を使わずに朝ごはんをあの子が作るというのが恒例だった。
耳元で騒ぐ魔獣め、とでも言いたいところだったがこうやって率先して手伝ってくれるので口に出すことはなかった。
そんな、些細な思い出が今も脳裏に残っている。いつまでも未練がましく。
孤児院に向かうのはあの子を引き渡すからではなかった。
あの日は、どうして孤児院に行ったんだっけ……そうだ。シスターから、あの子用にもらった服を春も着回そうとしたのだが、少しサイズが小さくなっていたのだ。気温的にもサイズ的にも秋にもらったから春もいけると思ったのだが、子どもは私が思ったより早くどんどん大きくなっていくらしいのだ。
服なんて服屋があるのだからそこで買えばよかったのだろうが、あの子を預けようと孤児院に行った次の日、シスターに「余ってるから」と貰ってしまったのである。雪が降り始めるような寒い季節になったときも、「このサイズの服は誰も着ないから」と貰ってしまった。
それに加え、孤児院に行ったときにシスターに「その服はもう小さいので、新しい服を渡しますね。来週また来てください」と言われたこともあった。
……シスターの教会もそんなに豊かなわけじゃないだろうに。しかし、ここで断って仕舞えばせっかくのシスターの厚意を無碍にしてしまうことになった。シスターのあの子に対する気持ちをなかったことにさせないために行っていたのだ。
それに、シスターは私の気持ちを薄々察していたのかもしれない。子どもを育てることに、子どもと暮らすことに憚られてる……いいや、そんないいもんじゃなかったあの気持ちを。だからこそ、シスターはよく気にかけてくれていたのかもしれない。
だが、シスターに貰ってしまうばかりでは流石にこの子を拾った責任者として申し訳がなかったので、食材をお裾分けすることにしていた。あの子はよく食べる方だったが、私は元々そんなに食べる方じゃなかったことやあの子のおかげできのこや木の実、果物の収穫が増えたので2人では腐らせてしまうほどににあったのだ。それに町の人からも、あの子の心配をして食材を分けてくださる方が沢山いた。ありがたく受け取っていたが、それを無駄にすることは絶対にいけないと思い、よこなが――ではなく、ありがたく孤児院の子どもたちにお裾分けさせてもらっていた。
「クララさん!」
「シスター!」
もう何十回と顔を合わせているのに未だに私に隠れようとしていたっけ。だから、毎回と言っていいほどあの子に挨拶をするように促していた。町の大人たちや孤児院のみんなとはすぐに打ち解けたのにおかしいものだなと思っていた。
「こ、こんにちは」
「はい、こんにちは」
「それと?」
「あの、えっと……これみんなに、」
「服を頂いたり、孤児院にくるとみんなが遊んでくれたりするからそのお礼です」
「まぁ、そんないいのに!」
「受け取ってください。この子の気持ちですから」
「それにわたしも孤児院で見てくれている間休めますから」
なかなか受け取ろうとしてくれないシスターにボソッと耳打ちする。こう言えば優しいシスターは受け取ってくれるだろう。
事実、孤児院にいる間は私の束の間のおひとり様タイムだったので、正直ものすごく助かっていた。
「ふふっ、ありがたく頂戴します。お二人の行為に心からの感謝を─神のご加護があらんことを」
「クララ!遊んできていい?」
「いいよ」
「そうだ、クララさん」
「はい、何でしょう」
「提案があるんですけれど──レイくんをうちに預けてみませんか?」
「……と、いうのは?」
「クララさん、レイくんを預かってからというもののあまり、まともに休めていないんでしょう?」
「いえ、そんなことは」
「顔がお疲れですよ」
「あはは…」
シスターにはなんでもお見通しなのだ。正直にいうと、ものすごく休みたい。というか1人の時間が欲しい。子どもとはいえ赤の他人と暮らすのはすごく気を張っていたし魔法をフル稼働していたからとても疲れていた。週5日の仕事に加え、休みの日は溜まりに溜まった家事と日が暮れるまであの子と森で遊ぶか孤児院まで連れてくるかなのだ。
他にも疲れてる原因はあるのだが、これはシスターの知らないところなので内緒にしておこう。――なんて思っていたのを覚えている。
今更だが、なんであのとき思いつかなかったのが不思議なくらいだ。私があの子の自由な時間を奪っていたというのに。
「完全に孤児院に預けるのはではなく、孤児院の生活を体験してみたらどうかしら──ということなの。クララさんが朝、お家を出るときに一緒にレイくんも出かけて孤児院に預けるの。それで帰りはレイくんを迎えにきてもらって一緒に帰ってもらう。次の日が休みだったら、そのまま孤児院に泊まらせてしまえば、クララさんも1日くらいゆっくり休めるでしょう?」
「シスター……」
私としてはものすごくありがたい。ものすごーくありがたい。
最初のうちから孤児院にもっと多くの時間居させてたら今頃は他のみんなと楽しく暮らしてたかもしれない。
もっと早く気づくべきだったことに、今更気づいてももう遅かった。
「わたしとしてはものすごくありがたいです。でも、やっぱりあの子に一回話をしてみないと」
「そうよね。私あなたの疲れた顔を見るたびにものすごく心配するの……それに後悔もするの。あのときやっぱり強引にでも預かってればあなたにこんな顔させなかったのに!って。……でもね、私こうも思うのよ。あなたがあの子に暮らそうって言ってくれて良かったってね。確かに、今のあなたは疲れた顔をしているかもしれないけれど──前より生き生きとした顔をしてるもの!私、ここにきてレイくんがあなたの話をする度に嬉しくなったのよ!レイくんがあなたに、あなたにレイくんがいてくれて良かったと」
「……わたし1人じゃあの子をここまで育てられなかった。シスターや町のみんなが支えてくれるおかげですよ」
「いいえ。そうだというのならそれはあなたが良い人だからです。常日頃から人々を支え、笑顔をもたらしてくれるあなただからです」
「…………シスター・エイリシュ、私にはもったいないお言葉です。ありがとうございます……!」
「あなたが街に赴けば、みんながあなたに声をかける。あなたもそれに笑って答えてくれる。そんなあなたがみんな好きなのですよ」
「…………」
その言葉に私は前と同様笑って答えることしかできなかった。
「──どうか、今この時間だけはあなたの心が安らぎますように」
シスター、それに町の人たちも……みんなの方こそ人が良すぎる。その騙されやすさが心配だ。
人を買い被り過ぎてる。私はそんな高尚な人間じゃない。あの子だって、きっと家の扉の前じゃなくて町中にいたら私は見捨ててるような人間ですよ。
きっと、今の私もそうだ。何一つ変わっていない。
シスターの言葉は時々、理解できなかった。今となっては確かめようとも思わないけど。
「ねぇ、レイ」
「なあに?」
「孤児院のみんなともっと遊べるってなったら嬉しい?」
「え!うれしいよ!はっ…!?」
「別に孤児院でずっと暮らせって言ってんじゃないよ。シスターがね、」
シスターの話をレイに話した。
すると、最初は喜んで、その後は悲しそうな顔をして……寂しげで複雑そうな顔をしていた。
「でも、そしたら、クララ…1人」
「だぁいじょうぶだよ、私はもう大人だからね。それに…」
「ん?」
「ううん、なんでもない」
1人でいることは慣れているから――。
「あんたはどうしたいの?」
「みんなともあそびたい……でもクララもいっしょがいい」
「どっちも…はなしだ。」
「……じゃあ、クララといっしょ――」
「まあ、この話はゆっくり考えよっか。ごめんね、意地悪なこと言って」
「ううん、ぼくはクララがいっしょならそれでいいよ」
「そっかぁ……」
「あ、」
「ん?どうしたの?」
「あの鳥、でっかい鳥」
「あの鳥がどうかしたの?」
「前もこの前の前もみた!」
「うーん、この森に棲みついているんじゃないかなぁ。危ないことはしてこない鳥だから大丈夫だよ」
孤児院からの帰り道、いつものように手を繋いで2人で森へと帰っていたとき、空を指さして何かに気付いたようにこの子が反応した。
最近、窓の外から空や森を眺めていると大きな鳥を見つけるのだと嬉しそうに話している。
そのとき上空にいる鷹が大きく2回鳴いた。
「しぃ…」
「んぐっ」
「口を閉じて、動かないで」
(結界が発動する木まであともう少しだってのに……。野犬か、この距離ならっ)
「いい?今から合図するから私が1って言ったら、家まで全力で走るの」
「……クララは?」
「私は大丈夫だから」
「3」
「2」
「1」
「キューナス」
あの子が走り出したと同時にあの子に魔法を付与する。これであの子は結界がある範囲へと野犬……もとい魔獣化した野良犬に気づかれずに行くことができる。
そして、私は首から下げてる笛を鳴らし上空にいる鷹に合図する。
魔犬くらいなら私でも倒せるが、あの子の前で魔法を見せて興味を持たれると後々大変そうだし、一つの魔法を使いながら、もう一つの魔法を使うというのはとても疲れる。だから、でっかい鳥──もとい私の使い魔である鷹を呼び出す。ちなみに名前はフィオル。
魔犬がフィオルによって倒されたことを確認してあの子の後を追いかける。
家に入って、早々質問された。
「あれって…まじゅう?」
「そう。見るのは初めて?」
「……うん」
この国では通常、魔法は10歳の頃から使用可能になる。なんでも、10歳で魔力量が決まり安定するのだとか。
10歳になると住んでる領地の魔法協会の支部に行き、魔力量を測定し、記録してから、魔道具――杖――を1人一本もらうことができる。みんな、その魔道具で普段の日常生活を送っている。生活を送る上で簡単な魔法は親や孤児院のシスターなど大人たちから教えてもらうが、もっと魔法を使いたい、学びたいという子どもは10歳から魔法協会が運営する魔法使い養成学校に身分に関係なく入学することができる。条件は色々あった気がするけど。
私を育ててくれたおじいさんが魔法に精通していたので、その人に教えてもらった私は普通な人よりは魔法ができる方だろう。
私の目の前に座ってるこの子は10歳見たんだが、しかし、あくまで使うのが禁止というだけで教えることはできる。でないと、10歳になり急に杖を得ても使えないからだ。
なので、私もそれに倣って色々と教え始めている。
魔法を使うとわずかに魔素というものが発生する。それは微量なものであまり人体には影響がない。しかし魔素が溜まりやすい地域がある。魔素を取り込むと魔力が汚染される。魔素に侵されたものたちの総称を魔物という。倒されると文字通り消えてしまい、自然エネルギーとして還り、自然魔力として人間の体内に還る。要は循環だ。
魔素によって多少、凶暴性は増すものの、戦闘力は体の持ち主によって左右される。だから野犬程度ならば、私でも割と簡単に倒せる。
だから、その魔素を浄化する力を持つ光魔法の使い手は重宝されていたり、魔法機関が研究に取り組んだりもしてるらしいのだが、そこら辺はまだ説明しなくてもいいだろう。
魔力とは、魔物とは、魔法に関することを少しずつ教え始めた。最近、魔獣について教えたところだった。タイミングが良いのか悪いのか。
子どもはみな、10歳になるまでに習うべきことだ。だからこそ、私も教えなくちゃいけない。
この子は意外にも飲み込みが早く、食べ物の判断よりも先に魔法についての知識が身についているほどだ。
魔法以外にもこの国についても少しずつ教えている。
この国は王政国家だが、大魔導士様は王と同じくらいの権威を持ち、魔法協会は「国家の一機関」だが、独立性が高いとか。しかし、代々大魔導士は王の相談役とかで協力関係にあり国家との仲は良好だとか。
他にも魔法協会は魔導機関と魔法使い養成学校を運営していたり、最近次代の大魔導士って言われてるどっかの公爵がイケメンだとかイケメンじゃないとかもう成人したとかしてないとか、街に行くとそんな噂ばかり聞く。そんなに若いときから注目を集めてたら大変そうだなと他人事に考えていた。
いずれこの子は魔法使い養成学校に入学してもらう予定なので、先に知っておいて損はなさそうなことは教えた。まだまだ時間はあるのだから、一回で理解できなくてもゆっくりとこれから何度も教えていけばいいだろう。
魔法はともかく国の成り立ちや歴史については昔から苦手だったからあまり覚えてないというか曖昧だ。
まぁ、知らないより曖昧でも知っている方がマシだと思った。
知っておいて損はない。知識というのは時には権力にも勝る。知識や情報というのは生きる術になることを、まだ幼いあの子に教えていた。
「けが、してない?」
「大丈夫だよ」
「クララ、まほうつかえたの?」
「まあね。あんたも私が教えてるんだから使えるようになるよ」
私がさっきあの子に使った魔法は、魔法を齧っている人なら誰でもできるやつだ。イタズラ用に使われてる場合が多いけど、赤子の泣き声を響かせないようにしたり密談に使ったり……一時的に音を抑えるだけの簡単なもの。
効果は長く続かないし、私は人1人ぐらいが精一杯だ。魔力に問題はないが、技術がない。
「おっきい鳥さんは?」
どうやら、窓から私がフィオルに合図するところを見ていたらしく聞いてきた。
「あの鳥さんは私の使い魔、フィオルだよ」
「かっこいいー!クララすごーい!」
使い魔についても簡単にだけど、説明しているから興味津々に目をキラキラさせて、喜んでいる。
(まぁ、鷹を間近で見ることはないもんね)
褒められているフィオルはというと、もういなくなっていた。
使い魔と契約している人、全てがやっているわけではないけど、私は使い魔がどこにいるか大雑把に探知できる契約もしている。フィオルは羽に、私は左肩にその刻印がある。この刻印は見れないように消すこともできるから露出は問題ない。まあ普段は露出の露の字もない格好をしているけれど。
首から下げている笛を吹けば、魔力を感知して遠いところからも来てくれる。
フィオルはおじいさんからの付き合いで関係性もそれなりに長い。おじいさんが亡くなったあとも、私と契約してくれる変なやつだ。私は使い魔は基本的に自由に行動させている。といっても、いつもは家の上空を飛んでたり森の中にいたりする。しかし、この子と暮らし始めた最初は怖がらせないためか、夜にしか近づくことはなかったけど、今はあの子を見守る務めをしているらしい。私は何も言ってないんだけどね。
おしゃべり相手に契約する人もいるが、私がフィオルと契約したのはフィオル自身が持つ魔力も高く、色々と生活する上で役に立ってくれているからだった。
これが私たちの毎日だった。仕事から帰ると夕食を作って、食べながらレイと話をした。休みの日は朝から森に出て沢山遊んで、沢山勉強した。夜はレイを抱きしめるように二人ベットに寝た。
他にもあの頃には、この国の常識だけでなく、生活をする術を教えるようになっていた。日々、できることが増えたと喜ぶあの子が今でも思い浮かぶ。
魔法を使えるのは10歳からだが、バレなきゃセーフなので森の中で練習させることも増えた。
暮らし始めた当初は魔法は危ないからと教えることはなかったけど、一年がたった頃にはそうも言っていられなくなって、急に色んなことを詰め込み始めたのに面白いと楽しそうに学んでいた。
あの頃、街に行くとどうにも嫌な噂を聞いていた。どっかの領主さまの息子が女探しに躍起になっているという……。
*****
そして、あの子を拾ってから大体2年が経ったころ。 唐突に私たちの日々は終わりを告げた。いいや、既に予感はしていた。
生活する術を教え、この国のことを教え、あの子は幼いながらに十分1人で生活できるくらいにはなった。
森から町まではまだ1人で行ったことはないけど、1人で買い物もできるし孤児院にも行けるようになった。シスターの提案に乗って孤児院に泊まることもあった。他にも簡単な料理ならできるし、洗い物もできるようになった。忙しくしている私に変わって家事をしてくれることも増えた。きのこや果物が食べられるかどうかの判断も、もう間違えることなくできるようになった。
孤児院の子どもたちだけでなく町の人たちとも楽しそうに交流している。
性格はさらに活発になり、よく笑顔を見せてくれている。少し口答えが増えてきたくらいだった。
きっと、私がこんな森の中に住んでいなかったら、あの子はもっと子どもらしく自由に過ごせていたと思う。
そんな毎日を過ごしている反面、町に行けばトラさんからこういう話を聞くようにもなった。どっかの伯爵が女性探しに近くの町まで来てること。
田舎町な分、噂が出回るのは風よりも早い。特におしゃべり好きの多い人たちのことだから伯爵様の噂もいち早く掴んでいた。
トラさんとは「クララちゃんは若いから伯爵様に言われても着いていかないでね~」なんて冗談交じりに会話をした。
町の人も「クララは特徴に当てはまんねぇから玉の輿は諦めな」とか「こんな年寄りだらけの町に来るこたぁねえよ」なんて話をするようになった。
この街に住んでいる若い女性といえば、わたしかシスター(?)しかいなかった。
町の人曰く、伯爵様は黒い髪に赤い目を持つ女性を探していると言う。黒い髪の女性は少なくはないものの珍しい。それに加え、赤い目を持つと言うのはなかなかいなかったので、見世物にするために探してる悪趣味なやつじゃないかなんて話もあった。
どんどん町中で噂が広がってきているのに気づいてることに気づかないふりをしながら日々を過ごしていった。
あの子も孤児院で噂を聞いてきたのか「クララは結婚に興味なんてないもんね」と態とらしく聞くことが何回かあった。もちろん結婚には毛ほども興味がないので、その度に返事していた。
こういうところは鋭いのか少し不安にもなった。
でも、お願いだから、子どもらしくこのまま鈍いままでいてほしい。――そう、願いながらも胸のざわつきを抑え込んで、あの日は送り出した。
こういう甘えが良くなかったのだと思う。
*
「……レイ」
「ん?」
「今日孤児院に泊まってくれない?」
「いいけど、どうして?泊まる日じゃないよね」
「実は今日ものすっっごく疲れちゃってて……1人で大きなベッド使いたいな〜と思って」
「またゴロゴロするの?」
「ゔっ……だめぇ?」
「だめじゃないけど……」
「そう!じゃあ、いいってことよね」
「なんか今日のクララおかしくない?」
「気のせいでしょ。ほらほら、さっさと準備して」
この子と生活も早いものでもう2年。2年もあれば、軽口を叩くようにもなる。2年もあれば……子どもはひどく成長する。
「なんか今日荷物多くない?」
「そう?いつもと変わらないよ」
「でもいつもより重く感じるんだけど……」
「あ、そうそう。あと、これ。」
「なにこれ」
「シスターに渡して欲しいの。」
「分かった」
あの日のシスターの提案を受け入れ、孤児院に寝泊まりすることは当たり前となっていた。同年代より大人びているであろうレイは面倒見もよく自分の身の回りのこともできるようになっていた。
「ねぇ、レイ?今日は1人で孤児院まで行ける?」
「なんで?……行けるけど」
「ほらぁ!いつまでも私と一緒じゃレイも成長できないでしょ?だからたまには1人で行ってみないと!前までだったらレイ1人で行かせるのは危険だったけど、今のレイは私と同じくらい森に詳しいし道だって覚えてる。そうでしょう?」
「う、うん…」
「それに無事に孤児院まで辿り着けたら、これからは私がいなくても好きに街に行けるよ」
「それは、嬉しいけど……」
「でしょ、じゃあほら練習だと思って!」
「うん」
「行ってらっしゃい、レイ」
「行ってきます、クララ」
1人で森から町までは行ったことがないからか、緊張と嬉しさが混じったようにルンルンで森の中を駆け抜けていった。
何かあればフィオルがいると知っているレイは、私がレイを成長させるために行かせたとでも思っていることだろう。
私はあの子が進む、その光景を見守っていた。
十数分経ったころだろう、森の中にいるお客さんに声をかける。
冬が近づいているというのに、汗は止まらなかった。きっと、この先を知っているからだろう。
「――律儀に待ってくれるなんていい人達なのね……出てきていいですよ」
上手く結界の範囲外にいた、お客さんが目の前に現れると同時に吹き荒れる風と鈴の音が鳴り響く。結界の中に私とレイ以外の魔力を持った誰かが入ってきた合図だ。この音が、私には酷くうるさく聞こえていたから、町の近くまで行っているはずのあの子には聞こえてないことを祈るばかりだった。
(どうかあの子に聞こえていませんように)
「要件はなんでしょう。わざわざこんな田舎町の辺鄙な森の中まで」
「私達の目的はあなたですよ。麗しいお嬢さん?我が主より貴方様をお迎えに上がるよう仰せつかってます」
「何のことだか分かりません。わたしはただこの森にひっそりと暮らしているだけです。人を使いに寄越すような身分の方は存じ上げません。」
「いいえ、私たちが探しているのはあなたです。オリーブ色の瞳に、肩まで伸びた鮮やかなブラウン色の髪」
「探しているのは黒髪で赤い目の女性だったのでは?それに、その特徴に当てはまる子は沢山いますよ。本当にわたしでしょうか?なにかお間違えでは?」
「いいえ。特徴は確かに違いますが、我が主が探し求めている方は貴方です――様」
耳元で怪しい男が呟く言葉にやっぱり、と確信を抱く。このことを知っているのは、僅かにしかいないのだから。
早めに行かせて良かった。嫌な予感というのは存外当たるものなのだなぁと何故か落ち着いている頭で考えていた。
「はぁ……断ると言ったら?」
「あなたさまに拒否権はございません」
「これだから、しつこい男は嫌われるのよ」
「主人の命ですので」
(男が3人……いける)
目の前に1人、背後に2人。囲まれるような陣形を取られていた。
太ももに隠し持っているナイフを確認する。
魔法よりどちらかと言えば体術が得意な私は、相手の位置を確認して、倒せる隙を模索していた。
一気に距離を詰め、右の肘を右後ろの相手に打ち、怯んだもう1人の仲間に左手でナイフを振りかざす。
前にいた男に回し蹴りをしようとして――寸止めした。
目に飛び込んできたのはレイの姿だった。
「――おっと、この子の命がどうなってもいいんですか?」
「く、クララ!」
「レイ!なんで、ここに」
(あと1人いた……!)
おそらく、魔法で気配が分からないようにしてたのだろう。4人目の仲間が、レイの首にナイフを回して人質に取るような形になっていた。
おそらく戻ってきたのだろう。
(これだから魔法は苦手なんだ)
「ぁ…ぼく、やっぱり……クララと一緒が良くて」
あの子の優しさを、今は、今だけは受け止められない。
レイが帰ってくるのを見抜けなかったのも、もう1人仲間がいるのを見抜けなかったのも……これも私の甘さが招いたことだった。
だって、
(私も、レイと一緒がいいから)
「…………はぁ、降参。だから、あの子には手出ししないで」
ナイフを落とす。
「もちろんです。元より貴方の御身は丁重に扱えと言われておりますので」
「だからって4人がかりで来なくてもいいのに」
気味が悪いほどに丁寧で気持ちが悪い。
「クララ!」
「……」
「孤児院に行きなさい。怖い思いさせてごめんなさい。この人たちとは少し遊んでただけ。私の知り合いなの。ちょっとふざけっちゃっただけ。でも、用事ができちゃってこれから出かけなくちゃならないの。私はすぐ戻ってくるから。明日、レイが戻ってくるときには私も家にいるから……」
「……だから、行って。お願いだから」
いかないで。お願いだから。
「約束だよ!!」
「うん」
「約束だからね!!!」
「うん」
「そこのおじさんたちと遊んだら次は僕とも遊んでね……!」
「……うん」
「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
そういうとレイは踵を返して、森の方向へ歩み出した。
「フィオル」
バレないようにフィオルにレイの後をつけさせる。
これで何かあっても町までは辿り着けるだろう。
あの場は1人で切り抜けられるからとフィオルには、最初からフィオルにレイの後をつけさせるべきだった。そうしたら、家まで戻ってくる前にフィオルが止めてくれていたかもしれない。
結局、私は、自分の身が一番可愛いのだ。
できない約束をして、裏切った。
守ることもできずに、責任を放棄した。
中途半端な――だけを植え付けた。
私はいつまでもただいまという元気な声を待っている。
*****
「あぁ……あぁ、あぁ!!」
(相変わらず甘ったるい嫌な声……)
「会いたかったよ!僕のクララ……」
「っ……!」