第八話 フレアとの約束
「たしか、アークのパーティがダンジョンに向かうって言ってたのは、3日後だったな」
英雄アークのパーティが、”月光の魔石”があるという大山脈ふもとのダンジョンに3日後に向かうと冒険者ギルドで盗み聞きした俺は、準備を始めることを決意する。
「よし、準備だ! とにかく準備だ! 特に防具が必要だ! 強い魔物の攻撃にもびくともしない、鉄壁の防具が必要だ!」
俺は心の中で何度も復唱する。何? 武器はいらないのかって? 当たり前だ! 俺の攻撃力の無さはピカイチだ。いや、もはや芸術の域だ。
もちろん英雄になるためには強力な武器が必要だ。だが今の俺にはラノベの主人公によくある「実は攻撃力も桁外れ!」みたいな隠しスキルは、残念ながら搭載されていない。だからこそ、攻撃よりも防御力を磨くのだ。まずは、死なないような防御力を手に入れることが重要なのだ。
そんなことよりもだ、準備のためには俺には重要なミッションがあるのだ! そう、防具を買うためには金だ!金、金!推し活も、防具も、結局は金がものを言うのだ。この世界に転生してからというもの、親のスネをかじり続けることにかけては、俺は既に英雄レベルの成果を出していると自負している。だからこそ、今回は金策の必殺奥義、両親への”土下座外交”で勝負するしかないのだ!
俺は、朝食を食べ終えて仕事に行く前の父さんと母さんの前に、まるでスケート選手が氷上で滑り出すかのような、美しく、そして情熱的な姿勢でスライディング土下座をキメた。床と膝との摩擦熱で、かるく目玉焼きができるかもしれない、そんな渾身の一撃だ。
「と、父さん! か、母さん! このインテンスに、ど、どうか、どうかもう一度だけチャンスをください! お、俺は、もう引きこもりません! 冒険者として、生まれ変わって英雄になりたいんです! そ、そのためには、どうしても、どうしても、新しい防具が必要なんです! ど、どうかお金をください! お願い、お願い、お願いです! 無駄なことには使いません!」
「あんた、また推し活とか言って、何か怪しいことを企んでるんじゃないでしょうね? フレアちゃんにも心配かけるんじゃないよ。」
「う、わかってるよ。そ、それに、今回は本気で頑張ろうと思ってるんだ。」
母親は、いつものように訝しげな目を向けてくる。その目は、まるでレントゲンでも当てられているかのように、俺の心の奥底を見透かしているかのようだ。ぐぬぬ、恐ろしい。
鍛冶屋をやってる俺の父は、まさに鍛冶屋の親父といったムスッとした顔のままでいる。その顔は、長年鉄を叩き続けたせいなのか、まるで岩のように固く、何を考えているのか全く読み取れない。正直、俺の必死の訴えを聞いているのか、聞いていないのかすらわからない表情だ。まさにポーカーフェイス。というか、むしろ無表情な鉄仮面。感情という概念が存在しないんじゃないかと疑うレベルだ。
「何を考えているんですか、父さん! 早く返事をしてください!」と心の中で叫びながら、俺はひたすら父の次の言葉を待った。その間にも、俺の膝は床にめり込みそうになっていく。
……と思ったら、父の固い唇がゆっくりと開いた。
「うむ……分かった。お前がそこまで言うのなら、今回だけだぞ。」
おおおおおおおおお!!!!! 俺の情熱的な訴えに、ついに父の頑なな心が動かされたのだ! 俺は感動のあまり、スライディング土下座から、最上級のうつ伏せ土下座に移行しそうになる。
「と、父さん! ありがとう!!!」
俺は感謝の言葉を叫びながら、再び額を床に擦り付けた。
「だが、金は出せん。現物支給だ!」
「え!?」
父の次の言葉に、俺は思わず固まった。現物支給? まさか、父が自作した、全身から火花が散っているような、いかにも重そうなゴツい鎧でも渡されるのか? そんなの着たら、身動きも取れずに魔物の餌食になってしまう……
「俺の仕事場に転がってるやつがあるから、それを使え!」
かくして、俺は両親の財布の紐をこじ開けることに失敗した。いや、成功とも言えるのか? 金ではないが、防具は手に入るのだ。まぁ、防具を手に入れられるなら、なんとかなるか。タダより高いものはないというが、今回ばかりは信じたい。
もしかしたら、父は俺のために、とんでもないお宝防具を隠し持っているのかもしれないし! いや、きっとそうだ! だって、俺の父は、口数は少ないが、実は熱い男だからな!(と、勝手に信じているぞ父さん!)
後で鍛冶の仕事場に向かう約束をして、部屋に戻ると、今日もフレアの可愛い声が家の外から聞こえてくる。
「インテンスー 今日は冒険者ギルドに来るのー?」
ほんとに「くっ、かわいいぜ」案件だ。いや、こんな状況で可愛いとか言ってる場合じゃない。俺は英雄になるため、”セブンスタージュエル”を集めるため、そして推しのために、今日の準備は外せないのだ。俺は家の外に出てフレアに冒険者ギルドに行けないことを説明することにした。
「す、すまん、フレア。今日は、大山脈のふもとのダンジョンに向かうための準備で、父さんの仕事場に行かなきゃいけないんだ。」
「アンタ、ほんとにあのクエストやるの? やめときなよ……あのダンジョン、噂ではゴブリンキングどころか、もっとヤバい魔物が出るとか言われてるのよ? 報酬もそんなに良くないのに……」
フレアが心の底から心配してくれているのがわかる。その声には、本物の優しさが滲み出ていた。いや、マジで心配してるんだな。普段ディスってくるくせに、こういう時はちゃんと優しいんだから、全く罪な幼なじみだぜ。
しかし”セブンスタージュエル”はうさんくさいとは言え、英雄になるためにもすがる藁なのだ。俺は、英雄になってルナちゃんを取り戻した時の笑顔を脳裏に思い浮かべて、決意を固める。
「う、うん。あのクエスト、やってみようと思って……」
俺がはっきりそう答えると、フレアは少し呆れたような顔を見せたが、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「まぁ、めずらしくアンタがやる気になってるならいいけどさ。だけど、無理はしないって約束してね。絶対よ?」
そう言って、フレアが上目遣いで下から俺を覗き込んできた。その可愛さに、俺の心臓はキュンと音を立てる。いや、「くっ、かわ」案件だろ、これは。
こんな可愛い顔で心配されたら、どんな無理難題でも「はい、喜んで!」と答えてしまう。これ、世の男どもはみんな勘違いするやつだろ。これで「やっぱアタシには、英雄アーク様しか勝たんわ〜!」とか言ってるんだから、本当に罪な女だ。
そんなことをぶつぶつと心の中でつぶやいていると、さらに念を押される。
「インテンス! 無理しないって約束して!」
その真剣な眼差しに、俺は思わず生唾を飲み込んだ。
「わ、わかった。約束するよ……」
俺は震える声でそう答えると、ようやくフレアに太陽のような笑顔が戻ってきた。
「よし! じゃぁ、私もおじさんの鍛冶屋に行くね!」
「え、え!? な、なんで!?」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げた。なぜフレアまで? 仕事はいいのか? それに、ダメ出しとかされそうで勘弁してほしい。父さんの仕事場で、どんな”現物支給”が待っているのか、想像するだけで胃がキリキリと痛み出すのに……
「インテンスがちゃんと準備するか見張ろうと思って。」
ダメ押しとばかりに、甘い声でそう言われては断ることもできない。いや、むしろ断ったら拳が飛んできそうだ。
そもそも、フレアは言い出したら聞かない性格だ。何を言っても無駄だろう。まさにギャルは理論で動かない。
「仕事はいいのか?」と聞こうと思ったが、その言葉を口に出したら、間違いなく俺の顔面にパンチが飛んでくるだろう。そう、まるで「余計なことを言うな!」と言わんばかりに。余計なことを言うのはやめておいた方が身のためだ。
こうして、俺はフレアの監視付きで、父さんの鍛冶屋へと向かうことになった。俺の”英雄便乗作戦”は、まだ始まったばかりだというのに、前途多難である……