Crimson Flow:2
転校生という身分だが別に真面目に授業を受ける必要はないのだけれど龍介は律儀にも授業をサボろうとはしなかった。
彼は基本的に勉強が好きだ。
けれど彼が人間ではなくなったのは大学卒業間近だったからその時点ですでに高校で学ぶような内容はとっくに終えている。
それでも――何度も同じような内容の授業を受けているにも関わらずつまらないとは思わなかった。
時代は常に移っていて、世の中の変化が少なからずそこにも反映されているから。
だから彼は面白いと思うのだ。
欲を言えば高校よりも大学に通いたいと思わないでもなかったが。
「おい!お前が転校生か?」
放課後の校舎裏で唐突に声がかかった。
「誰に断ってここ通ってんだ?」
「すみません。断りを入れないといけないとは知らなかったもので」
とぼけた答えに一瞬の躊躇があった。
「ま、払うもん払ったら通してやるよ」
「はぁ」
「通行料だよ、通行料」
金髪やら茶髪やら派手な頭のいかにも不良少年らしい男子5人に前後を塞がれ進むことも戻ることもできない。
ありがちな展開だ。
日も傾きかけているのにこんな所にたむろしている彼らはどれだけ暇なのだろうと龍介は表情には出さず思った。
「お聞きしたいことがあるんですが」
「はぁ?お前話聞いてた?金出せつってんだよ!」
「わかんねぇなら痛い目見せてやんよ!」
一人がはなった大振りのパンチは当たれば威力は大きかろうがかわすことは龍介にとって難しくない。
ほんの半歩ずれて体をひねった龍介が軽く肩を押しただけで、金髪の少年はそのまま校舎の壁に突っ込んだ。
「てめぇ!ふざけやがって!」
残りの四人が色めき立つ。
数分後。
痛い目を見ていたのは不良少年達の方だった。
「切り裂き事件の被害者の事で聞きたいことがあるんですが」
パンパンとわざとらしく両手を払って龍介は繰り返した。
この場所が不良のたまり場だということは有名な話だ。
転校初日の龍介の耳に届くくらいに。
そして、実は龍介は最初から彼らに会うためにここに来たのだ。
「彼らが事件に会う前に関わった人物はいませんでしたか?」
足元に転がる不良少年はうめき声を上げるばかり。
「痛い目みますか?」
「ま、待ってくれ!あ、あいつら、ウザい先公がいるって…」
もう十分痛い思いをした少年は慌てて答えた。
「教育実習の。黒崎とかいうやつだ。あいつにうるさく言われて頭きてたんだ」
「他に知っている事は?」
「も、もうねえよ!ホントだ」
「そうですか」
彼らが知っているのはそれだけだと龍介は判断した。
黒崎藍香の正義感の強さは体験済みだ。
黒崎藍香が犯人なのか?
先ほどの違和感といいどうにも彼女には引っかかる点が多かった。
藍香は教材倉庫で奮闘中だった。
明日の実験に使う教材を準備するためだ。
ほこり臭い室内でダンボールを漁っていると、ガラリと扉が引かれた。
「あ、ごめんなさい。誰かいるとは思わなくて」
藍香と同じく教育実習生の松原琴美だった。
真っ黒な髪を一つに束ねて分厚い眼鏡をかけて飾りっけが無い。
良く言えば真面目、悪く言えば地味で気が弱そうともいえる。
「松原さんも明日の準備?」
「え…ええ、明日使う教材を取りに」
琴美と話すのはほとんど初めてだった。
「この中から探すのはちょっと大変そうですね」
藍香は身長が170cm近くあるからなんだか大人っぽく感じられて、琴美はしどろもどろになりつつもなんとかはにかんだ笑みを浮かべた。
琴美は笑うと可愛らしい雰囲気になるんだ、というのは藍香の感想だ。
しばらく教材を探し回るガサゴソという音だけが部屋を支配していた。
目当ての物を捜し当てたのは二人ほぼ同時だ。
「すごく立派な世界地図ね」
琴美は小柄な彼女の背丈ほどもあろうかという地図のホコリを払っていた。
「最近は使われてなかったみたいです。でもこうやって地図を見ると思うんです。世界にはこんなにも沢山の国があるんだって。そして、その一つ一つの国に物語があって、人の歴史が国の歴史を作ってきたんです。私はそれを教わったから、私も教師になってそれを伝えたいんです!」
藍香にはそんな風に熱く語る琴美が意外でもあり、素敵だと思えた。
「あ、早くしないと怒らますね!私、行きますね。それじゃ」
「うん、じゃぁ。お互い頑張ろうね!」
藍香は教室の前で急ぎ足で去っていく琴美を見送った。
琴美は真面目なばかりかと思っていたけれど話してみると意外に柔らかい印象だと藍香は思った。
「さ、私も早く準備終わらせないと」
悲鳴が聞こえたのはその時だ。
それは、今、琴美が去っていった方向だった。
藍香は廊下に呆然と座り込んでいる琴美の姿を見つけた。
「松原…さん?」
その背中越しに赤く染まった床と倒れた人間が見える。
見覚えのあるセーターと変わったデザインのスカート。
うつ伏せで顔は見えないが教育実習生の長谷部杏奈に間違いなかった。
杏奈の赤く染めた派手な髪が自らの血で更に赤く染まっている。
「黒崎さん!長谷部さんが…あ、あれは確か…橘君…」
琴美は震える声で教育実習生の一人の名を挙げた。
「橘君?まさか実習生の橘要君!?」
「そう……私…怖くて…見ていることしか出来なかった…」
琴美はよほど動揺しているようだ。
同じ教育実習生の犯行を目の当たりにしてしまったのだとしたら無理もない。
「橘要はどっちに行ったの!?」
震える指先が示した方向へ藍香は駆け出す。
けれど廊下を曲がった先には誰の姿もない。
たぶんとっくに逃げてしまったのだ。
それ以上杏奈や琴美を放ってはおけず、藍香は元の場所へと引き返す。
そこには琴美の姿はなかった。
杏奈は元のままで倒れていて、今までと同じなら命までは奪われていないだろう。
けれど琴美を探すよりも杏奈を病院に運ぶのが先だった。