Crimson Fang:エピローグ
指示されたのはなんとトイレの窓だった。
確かにそこが一番人目に付きにくい場所に出られる。
だからその決して通り抜けやすいとは言えない窓から外に出る他なかった。
龍介の助けを借りて何とか外に出て藍香は路地裏にひっそりと救急車が止まっていたことにも驚いたが、更に目を見張ったのはその色だ。
それはまだ朝日の届かないその場所の薄闇に溶け込むような漆黒だったのだ。
「お願いします。僕もすぐに向かいます」
救急車に迅を乗せ、龍介が声をかける。
中から顔を覗かせた見分けが付かないほどによく似た顔のナースが二人、元気よく返事を返した。
黒い救急車が音もなく走り去る。
見送って龍介はためらいがちに振り返った。
「巻き込んでしまい申し訳ありませんでした」
龍介の声は暗い雲みたいで、今にも雨が振り出しそうに悲しく響いた。
「どうして架牙深君が謝るの?」
龍介の瞳の奥の悲しい色に藍香は胸が締め付けられるような思いがするのだ。
「迷惑なんてかかってない。私は君の力になりたかったの。…力になれなかったけど…」
語尾は朝靄に溶けて消えていく。
「夜は終わりました。あなたは光の下に戻って下さい。もう――」
「もう会えないなんてことないよね?また…会えるよね。ううん、会えるわ、きっと」
もう会うことはないのだと言おうとした龍介の言葉を藍香は遮った。
龍介は一瞬泣き笑いみたいな表情を浮かべ、背を向ける。
「それじゃあ」
藍香の言葉を否定しなければならないと思うのにそれが出来ず、龍介はただそう告げた。
深く関わってはいけないのに、どこかに人との関わりを求めている。
闇の世界でしか生きられないのに、いや生きられない故に光に焦がれているということ。
龍介はそんな自分を必死で心の奥底に封じ込めようとしていた。
何日もたたないうちに街は日常を取り戻した。
予備校は廃校が決まってあとは片付けを残すのみ。
真相は闇の中にしかない。
人知れず戦いは今日もどこかで繰り広げられているだろう。
それは実は目と鼻の先で起こっているのだけど、人間達は気付いていないだけ。
藍香は知っている。
闇に属する生き物は人間と隣合わせに生きていることを。
けれど知らなかったこともある。
自分のような闇の血を引く存在を狩る者がいるのだということ。
秩序を保つための狩りではなく、ただ憎悪の対象として追い詰めて狩る。
闇に属するというだけで存在することは許されない。
彼らは光で闇を塗りつぶすことが出来ると信じているのだろうか。
光があるところには必ず影が生まれ、表裏一体であるというのに。
いや、実を言えば闇を狩る者もまた半ば闇に染まった存在であり、光の中で生きることができない者達と言えるのかもしれない。
そんな光と闇のはざまで時には追われる者となりながら龍介は生きてきたのだろうか。
彼は現れたと思えば消えてしまう。
けれど彼に告げた通りきっとまた会えると藍香には確信めいたものがある。
見上げればほんの少し欠けた形の月の光が街の明かりににじんでぼやけて見えた。
『Crimson Fang』を最後まで読んで下さってありがとうございました。
途中、予期せぬ事態に見舞われましたが年内に完結させることができました。
次の更新はCrimsonシリーズの続きになるのか、本編になるのか、はたまた外伝の別のお話になるのかまだ未定なのですが、引き続きどうかよろしくお願い致します。
2011.12.25