Crimson Fang:9
藍香がダウジングの道具として取り出したのは首からかけていたペンダントだった。
銀色の鎖に小さな水晶が付いている。
魔力を秘めた輝きを放つそれは藍香がいつもお守りとして身に付けているもので、ある人から譲り受けた魔力を秘めたペンダントだった。
それから教室に置き去りにされたノートに思いつく限り正確にビルの見取り図を書き付けていく。
「あの…何する気なんスか?」
迅もこれには興味を引かれたらしく、覗き込む。
出来上がった見取り図の上に水晶のペンダントがかざされた。
水晶はわずかに揺れながら藍香によって少しずつ図の上を移動していく。
実を言えばこの方法で見つけられるかどうかは不安があった。
はたして見たこともない物を探す事が出来るのかどうか。
試してみたことはない。
お願い、どうか望む物へと導いて。
藍香は祈るような思いで水晶を見つめていた。
祈りが届いているのかいないのか、それは静かに光をはじくばかりだ。
リュウがタバコに火をつけて、一本目を吸い終わってもまだ目的の場所は示されない。
二本目のタバコを吸いながらいよいよリュウがイラつき始めた頃、水晶の振り子は円を描きだした。
くるりくるりと、ある一点を指し示して。
それこそが探し求める場所だった。
リュウがふんと少々感心したように鼻を鳴らして、タバコを無造作に机に押し付ける。
「じゃあ、とっとと行こうぜ」
場所がわかればあとは速やかに魔法陣を消し去るのみだ。
「待って!」
けれど藍香はその場を動くことが出来ないままそう叫んだ。
「こっちにも反応がある。どういうこと?」
「魔法陣は一つじゃねぇってことだろ」
魔法陣は一つとは限らない。
言われてみれば至極当然のような気もするが。
希望が遠ざかって行く気すらしてきて藍香は肩を落とした。
結局反応があった場所は全部で四つ。
その全てを消さなければ外に出られないのか、はたまた一つ消してしまえば何かが起こるのか。
それこそやってみなければわからない。
藍香は気合いを入れ直して部屋を出た。
ふと違和感を覚える。
「月が見えない…」
本来ならこの廊下からは空に輝くまん丸な月が見えるはずである。
「ここには月の魔力も遮断されて届きやしねぇ」
忌々しげに吐き捨てるリュウ。
彼とて月の満ち欠けには多少なりと影響を受ける。
満月の魔力は闇の血を持つものなら誰もが恩恵を受けるものなのだ。
「そういえば…体がずっと変な感じだったのに今はしない。これってそのせいか?」
迅は何かを確かめるように握ったり開いたりしている。
「そういうことだ」
特に月の魔力の影響を色濃く受けるのが人狼という種であるから、ここでは迅はただの人間でしかない。
「そっか…よかったぁ…」
本人は己の中の得体の知れない物と向き合わなくていいとほっとしているのだが、それは戦う術を持たないということ。
いざという時に自分の身すら守れない。
「ちっ、めでてぇ奴」
小さく毒づいてリュウは先を急ぐ。
さっさと二人を脱出させて足手まといにはいなくなって貰いたいと思う。
それ以上に二人の命をジェイドにくれてやるのだけは御免だった。
一階の本当に隅の隅に一つ目の目的地はあった。
「ここは…普段使われてない部屋…だったはず。ビルの前の使用者が…使ってたままに…なってるのよ」
部屋の中の埃っぽさにむせながら藍香は辺りを見回した。
魔法陣はどこに描かれているのだろうか。
こうしている間にもジェイドがやって来るのではないかという緊張感に汗がにじむ。
埃が積もった床を隅々まで調べたのだが先程のように不思議な文字と、円は刻まれてはいなかった。
だったら次は壁だ。
壁際の物を退かして丁寧に探す。
「あ!こ…コレじゃないスか!?」
迅が指差した先の壁には文字と円が刻まれているわけではなかった。
一枚の紙が壁に張り付けられているのだ。
想像とは少し違ったけどその紙に描かれた模様はあの守護天使を呼び出したものと似通っていたから、これが魔法陣に間違いない。
「紙に描かれてるなら破っちゃえばいいわよね」
「ああ、さっさとしろよ」
「わかってるわよ!望月君、貸して」
けれど迅はそれを渡すことをためらっているようだ。
「どうかしたの?」
聞かれてやっと魔法陣からおずおずと視線を上げる。
「いや…あの…。これを破っちまったら俺また人狼って化け物に変身するかもってことっスよね?それはちょっと困るっつーか…」
瞳には恐れの色が滲んでいる。
「ウジウジしてんなよ、ウザってぇ」
「そんな言い方――」
「いいか?覚えとけ。どう生まれるかは誰にも選べねぇが、どう生きるか決めるのはお前だ」
決して心まで魔性の存在になる必要はないのだと。
その血を統べる事ができるはずなのだから。
リュウの言葉の意味はそういうことなのだと解ったから、藍香はそれ以上言い募らずに済んだ。
たまにはまともなことを言うんだと驚いている間に迅が自らの手でその紙を破っていた。
魔法陣は真っ二つに裂けて、床に落ちる。
変化が劇的に起こることはなかった。
それでも僅かに外の喧騒が聞こえたような気がして、藍香は窓に歩み寄った。
相変わらず窓が開く気配はない。
けれどそこにもう静電気のような痛みは感じなかった。