Crimson Flow:1
こんな時に教育実習なんて……タイミング悪すぎ。
学校中を包み込む重苦しい空気に耐えかねたように黒崎藍香はため息をもらした。
屋上である。
遠く青い空に鳶が優美な輪を描いて飛んでいる。
校内で起こっている事態とは裏腹にのどかな風景が眼下に広がっていた。
冬を目前にして空気は乾いて冷たい。
けれど職員室内のピリピリとした空気に比べれば寒い方がいくらかマシというものだ。
風が頬を撫で、藍香の亜麻色の髪とスカートを揺らした。
そろそろ、戻らないとなー。
時計に目をやって藍香はそんな事を思った。
もうすぐ昼休みが終わる。
職員室に戻ろうとしたその時、一人の男子生徒の後ろ姿が目にとまった。
この季節に屋上に来る者はは珍しいが、誰でも登れるようになっているからそこに生徒がいてもおかしい事じゃない。
藍香が気にとめたのはその頭越しに煙が立ち上っているように見えたからだ。
おそらくは煙草の煙。
教師を目指す者としては放っておくわけにいかない。
足音を忍ばせて藍香はその生徒に近付いた。
「君!タバコ止めなさい!!」
「やだなぁ、煙草なんて吸ってませんよ」
慌てて振り返った男子生徒が携帯灰皿をポケットにしまうのを藍香は見逃さなかった。
「素直に残りを渡せば今回だけは見逃してあげるわ」
が、生徒はニコリと笑みを浮かべて吸っていないと繰り返すものだから、差し出した手がむなしい。
「君は確か今日転校してきた…」
朝、職員室で見かけた顔だった。
「架牙深です」
転校生の架牙深龍介は如何にも優等生という風貌だ。
黒髪に黒ブチ眼鏡。
シャツは第一ボタンまでとめてあるし、ネクタイを緩めることもなくブレザーもきっちりと着込んでいる。
「架牙深君みたいなタイプがタバコ吸うなんて意外ね」
いくら否定しようと喫煙は決定事項らしいことに苦笑する龍介。
ちょうどその時昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。
早く戻らなければ指導係の教師に今度は藍香自身が注意を受ける羽目になるだろう。
「見逃すのは今回だけよ!タバコは百害あって一利なし!やめなさい!いいわね!君も教室戻りなさいよー!」
慌てて駆け出し、屋上と校舎内を繋ぐ扉の前で振り返ってそれだけ叫んで彼女は去っていった。
黒崎藍香。
21歳。牡牛座。A型。
家族は父、母、弟。
系列大学の理学部の三回生。
将来の夢は化学教師。
一週間前から教育実習中。
龍介が得ている情報としてはそんな所だ。
何の変哲もない女子大生。
なのに龍介には胸の内をざわつかせる違和感が感じられたのだ。
「…ええ。彼女も容疑者の一人ですから」
藍香を見送って、まるで話し相手がいるように龍介はそう言った。
教育実習生は藍香の他に4人いる。
美術の長谷部杏奈、世界史の松原琴美、体育の佐々木敬太、国語の橘要。
同じ大学の五人だが学部が違いあまり面識もないようだ。
彼らがこの学校にやってきたのがちょうど一週間前。
切り裂きジャックだの何だのと騒がれ始めている事件が起こり始めた時期と一致する。
犯人がこの中にいる可能性が高い。
そういう情報を得て龍介はこの学校にやって来た。
犠牲者が増える前に何者の犯行かを突きとめたい。
見下ろした先のグランドでは体育の授業の準備中だ。
龍介はそこで楽しそうに生徒を指導する佐々木敬太の姿を見つける。
彼も容疑者の一人だが今こうして見ている限りではおかしな点はない。
龍介は教室へと踵を返した。