Crimson Fang:7
ひとまず廊下に立ち込める白い煙を避けて、藍香と龍介は手近な部屋へと逃げ込んだ。
迅はもっと先へと走って行ってしまったらしい。
全力で駆けて藍香は息が上がっているのに龍介は息一つ乱さず当たりを冷静に伺っている。
まさか藍香までを狙ってくるとは思わなかった。
無事で良かったと思いつつも龍介は息を整えて顔を上げた藍香から視線をそらせる。
本当はもう目の前に現れるつもりはなかった。
自分が行った吸血行為に、彼女はいったいどんな顔をするのだろう。
人外の者に向けられる嫌悪に満ちた眼差しが怖くて、真っ直ぐに藍香を見ることなど出来はしなかった。
しかし、藍香本人はリュウの言動に腹を立てこそすれ、龍介に対して嫌悪感など抱いてはいない。
それは魔女の血筋であるからというよりは、彼女の性格上の反応である。
「架牙深君、昨日の怪我は!?平気なの?」
「え…ええ、はい…まあ…」
藍香が突然駆け寄って、シャツを捲り上げるものだから龍介はしどろもどろになった。
「良かった治ってる。少ししか血を飲まなかったから、効かなかったんじゃないかと思ってたの。」
藍香はひとまず安堵のため息をつき、そしてまた気を引き締めた。
「レイン先生は何者?あの獣みたいなのは何なの?」
「彼はあれを守護天使と呼んでいました。ジェイド・レインはおそらくエクソシストです」
「エクソシストってあの映画なんかに出てくる?」
それは悪魔を払う異国の退魔師のことで、多くの場合正義の味方だ。
「イメージと違うわね。それじゃあ人狼は…」
「望月迅です」
「レイン先生も人狼を捜してたってことね?でも味方ってわけじゃ無さそうね」
「彼らにとって人間以外は忌むべき存在です。とはいえここまで強行な手段に出るとは…」
迂闊だったと龍介は思う。
「彼は人狼を閉じこめるための魔法陣をこの建物に仕掛けたんです。そして爆発騒ぎを起こした。人間だけがこの建物から逃げ出すように」
「レイン先生は私達の誰か、もしくは三人ともが人狼だと当たりをつけてたってわけね。だからここに閉じ込めて…」
「なぶり殺すつもり、なんでしょうね」
龍介がさらりと口にした言葉は穏やかでない。
「行こう!先に望月君を見つけないと!」
藍香は自分の身の危険よりも迅の事が気がかりだった。
レインは手段を選ばないから有無をいわさず殺そうとするかもしれない。
魔物が人間を襲うには理由があるかもしれないこと、何かに惑わされている可能性があることを藍香は以前関わった事件で学んだ。
だから人狼が凶悪な怪物だと、決めつけることはできない。
逆に迅がレインを傷つけてしまう事も避けたい。
最悪の事態になる前に止めなければ。
「あっ!待ってください!」
危険を省みない藍香を龍介は慌てて追いかける。
先に人狼を見つけなければならないのは確かだ。
無闇に命を奪うことは秩序を守ることとは程遠い。
藍香を一人放っておく事も、迅を放っておくことも出来ないのは確かだった。
「架牙深君、私から離れないでね!」
「わ…わかりました」
逆に言われてしまい龍介は反射的にそう返していた。
リュウがため息をつくのが聞こえる。
薄く煙の残る廊下は不気味なほどに静まり返り、何かの気配は感じられない。
ジェイドがすぐに追ってこないのはダメージを負ったからではないだろう。
ゆっくりと追いつめる。
そうして恐怖を煽っているのだ。
辺りを警戒しながら迅が走り去った先に向かう二人。
きっと何がなんだかわからなくて怯えているはず。
人間には罪を償うチャンスが与えられるのに、人間でないなら生きていてはいけないなんて、そんなのはありえない。
藍香の心の奥には怒りにも似た憤りが生まれていた。