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Crimson Fang:6

 満月。

 暗闇に魔力の満ちるその日は青空から爽やかに始まった。

 悪いことなんてきっと起こらないだろうと、そう思わせるほどに気持ちの良い日だ。

 龍介は昨日の一件など無かったかのように授業を受けていたし、その視線の先では迅も普通に授業を受けている。

 いつもと何ら変わらぬ風景。

 そのまま何事もなく一日が過ぎるかに思われた。

 日常を打ち破りビル内に爆音が轟いたのは日が傾きかけた頃だ。

 非常ベルが鳴り響く。

 何が起こったのか理解する暇もないまま生徒も講師も半ばパニック状態で建物の外へと向かった。

 幸いにも二度目の爆発音は聞こえない。

 どうやら爆発は物置になっている部屋からだったようで、負傷者は出なかった。

 いや、出なかったらしい、という情報が流れていた。

 しかし、実際には外に避難した人々の中に見あたらない人物が数名いることにすら人々は気付く余裕がない。

 今はただ混乱の中、ビルを眺めるばかりだった。

 

 

 

 

 

 

「どうして開かないの!?」

 

 藍香は扉の前に立ち尽くしていた。

 一歩先はビルの外。

 しかし扉は堅く閉ざされ、向こう側は遠い世界のように感じられる。

 ガラスの扉は触れると静電気みたいな痛みがはしり、叫んでも向こう側には届かない。

 声だけじゃない。

 外からこちらを見ている人達はすぐ数メートルの距離で誰も藍香に気付かないのだ。

 

「いったいどうなってるのよぉ」

 

 がっくりとうなだれる。

 

「どうやら僕らは閉じ込められてしまったようだね」

 

 誰に問いかけたわけでもなかったが、答えが返って藍香は身をこわばらせた。

 振り返り少しばかり肩の力を抜く。

 ジェイドは困り果てたという表情ながら優しげな笑みを絶やさずいつの間にかそこにたたずんでいた。

 ここに留まっていても仕方がないから他に取り残されている生徒がいないか探してみようと促されて藍香はビル内を捜索する事にした。

 ジェイドの半歩あとを歩く。

 

「静かすぎておかしいと思わないかい?」

 

 自分達の他には誰もいない不気味な静けさ。

 それに外の喧騒も、救急車やパトカーのサイレンの音も聞こえてこない。

 

「そうですね。どうなっているんでしょう?」

 

「僕にもわからない。夢なら覚めてほしいね」

 

 ジェイドは首をすくめて見せた。

 扉は何か不思議な力で閉ざされている。

 誰が何のために。

 ジェイドには言えないが藍香には浮かんだ答えがあった。

 それはおそらく今日が満月であることと人狼に関わっているのだと藍香は考える。

 だったらここに自分たちを閉じ込めた者こそが人狼なのではないだろうか。

 実は、ジェイドには近付くなとリュウに言われて藍香は彼を人狼と疑っていた。

 けれどおそらくそれは間違いだ。

 ジェイドは人狼らしき素振りを見せない。

 その事に藍香は安心し気を許してしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 爆発のあった部屋の扉はひしゃげて外れている。

 内部は資料が散乱していて、一部分が焦げた部屋から聞こえるのはスプリンクラーが水を降らせる音だけ。

 それが不気味な静けさを強調する。

 その静けさに足音が混ざり込んだのを龍介は聞き逃さなかった。

 何かに怯えて逃げているような不規則な足音。

 龍介はその足音の主が逃げ込んだらしい教室に気配を殺して近づいた。

 教室の中の人物もまた息を潜め、我が身に降りかかった訳の分からない災難が早く過ぎ去ってくれることだけを祈っている。

 教室の隅で膝を抱えて座り込んでいるのは龍介が探していた人物に他ならなかった。

 扉を引き開ければ望月迅は弾かれたように顔を上げる。

 

「お…おまえ…」

 

 リュウの行動によりたいがいの生徒からは近付きたくないやっかいな奴あつかいの龍介だったから迅も一瞬反応に困った。

 どうしてここにいるのかという訝しみと、一人じゃなくて良かったという安堵感が迅の顔に同時に浮かんでいる。

 

「怪我はありませんか?」

 

「ないけど、なんで!…なんで窓も扉も開かないんだ…?他に誰もいないのだっておかしくないか?」

 

「それは…」

 

 真実を告げるべきか、龍介は迷った。

 自分自身が人狼であることを迅は知らないのだから何故閉じ込められているのかわかるはずもない。

 説明したところで信じられないだろうし、パニックを起こして暴れられても困る。

 

「後で説明します。ひとまずここから出ましょう」

 

 今や相手のテリトリーであるこの建物内に留まっていては迅の身を危険にさらすことになりかねない。

 たとえ人狼であっても人間として生きたいというなら――秩序を重んじるというなら――手を貸すのも仕事のうちだ。

 龍介の聴覚が近付いてくる足音を捉える。

 二人分の足音。

 仲間がいたとは気付かなかった。

 この部屋をやり過ごしてはくれないかと淡い期待を抱くも足音は扉の前でぴたりと止まった。

 龍介は身構える。

 扉が引かれ、現れたのは予想通りに長身のスーツ姿。

 

「おや、当たりだったな」

 

 ジェイドは言う。

 爆発を起こし、自分達だけをこの場に隔離したのは彼に違いなかった。

 追い詰めて直接手を下す、そのために。

 龍介はジェイドから視線をはずさないまま、左手をズボンの背に挟んだ銃へと伸ばす。

 

「架牙深君!それに、望月君?」

 

 しかし予想外の声を聞いて龍介は硬直したように動きを止めた。

 まさかもう一人は黒崎藍香だったとは。

 彼女までがここに残っているとは。

 しかも藍香はまだジェイドの危険性に気付いていない。

 

「捜したよ、君達」

 

 ジェイドは残忍な笑みをその(おもて)に張り付けて言った。

 今の状況を見れば藍香は人質のようなものだ。

 下手に動けば危険が及ぶ。

 ジェイドに共に来るように促されれば従う他ない。

 ピリピリとした空気に藍香はいやな予感を感じ始めていた。





 爆発の起こった部屋の前でジェイドは足を止めた。

 すでにスプリンクラーは水を降らせるのを止めて静まり返っている。

 だからジェイドが指を鳴らす音がやたらと大きく響いた。

 

「さて、狩りをはじめようか」

 

「まさか――」

 

 やはりジェイドが人狼なのかと藍香は問おうとしたのだが、異様な空気を感じて言葉はそこで途切れた。

 室内なのに風が吹き荒れ始める。

 何処からともなく。

 いや、それは床から拭き上がっていた。

 積もった書類が舞い上がる。

 隠れていた床には堅いもので刻まれた奇妙な模様があった。

 円と奇妙な記号とそれらを繋ぐ線。

 それが風を生み出している。

 ジェイドが懐から取り出した物があった。

 赤黒い染みの付いたハンカチが三枚。

 一枚は藍香の指先を拭ったものだ。

 ハンカチは風の渦巻く模様の中心へと吸い寄せられて行く。

 

「三匹もいるとは予想外だったが、まとめて始末してやろう」

 

 “僕の可愛い守護天使、おいで”ジェイドはそう付け加えた。

 それは英語だったから藍香にははっきりとはわからなかったけれど、残忍な響きは感じられたから背筋が寒くなる。

 床に描かれた円と線と記号が光を帯び始めた。

 血の跡が残る三枚のハンカチは塵と化し、大気が大きく震える。

 ゆっくりと何かの頭が、続いて胴体、鋭い爪の生えた手足が現れた。

 前進を鎧のような殻が覆い、背には白く輝く翼。

 守護天使とジェイドは言った。

 見ようによってはそれは天使に見えるかもしれない。

 しかし神の使いというにはどこかいびつな形の生き物に慈悲深き心など微塵も感じられない。

 口とおぼしき部分がゆっくりと開いた。

 甲高い獣の雄叫びを上げたその牙の奥に青い炎が燃えている。

 

「うわあああぁぁ!!」

 

 それを見た瞬間に、それまで凍り付いたようにそこに立っていた迅が恐怖にかられ悲鳴を上げ腰が抜けたようにその場にへたり込んだ。

 彼の心に刻まれた得体の知れない恐怖がそうさせていた。

 思い出せそうで思い出せない。

 それが余計に恐怖を増幅させている。

 迅でなくともこの守護天使とやらと対峙すれば不気味さを感じずにはいられないだろうが。

 龍介が銃を構えた瞬間、迅に向かい青い炎は放たれた。

 龍介が放った弾丸が炎を正確に捉える。

 それは触れ合った瞬間に反発し合ったかのように光と爆風を生む。

 迅はその隙になんとか立ち上がりジェイドとは逆方向に走り出す。

 さらに続いた銃声は爆発音にかき消されたが、突如として辺りに白い煙が立ちこめた。

 それは吹き出したといってもいい勢いで。

 爆風に煽られて白い煙は辺りに広がり、あちらとこちらを隔てる煙幕となる。

 龍介が続けざまに打ち抜いたのは廊下の隅に設置されていた消火器だった。

 煙は急速に広がって迫って来る。

 

「今のうちに!」

 

 龍介は藍香の手を掴み、煙に追われるようにその場を後にした。


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