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Crimson Fang:3

 自習室には空き時間を利用しようと授業のない生徒が入れ替わりでやって来る。

 自習中にも時間の空いた講師に質問できるサポート体制がこの予備校の売りの一つだ。

 藍香は授業を受け持ってはいないが、自習室で生徒達の勉強を見るという仕事を任されることがしばしばあった

 主に他の講師の手が空かないときだけではあったが。

 夕刻になりたまたまその自習室勤務に当たって雑用から解放されたところだ。

 藍香は先日の事が気になりつつも仕事を放り出すわけにもいかず、生徒の質問に答えていたのだが…。

 やはり気になって仕方がない。

 満月に人狼は現れるという。

 普段はいったい何処にひそんでいるというのか。

 もし人狼に出くわしたらどうすればいいのか。

 それ以前に結局リュウにお礼も言えていない。

 連絡先くらい聞いておけば良かった。

 ただし素直に教えてくれるとは思えないけれど。

 だったら聞いて腹が立つより聞かない方がマシかもしれない。

 答えのない考えが昨夜からずっと藍香の頭をぐるぐるとめぐっていた。

 

「先生?」

 

「え!?何?」

 

「先生の言ったやり方、ちがくないっスか?」

 

「え!?…ほんとだ…ゴメン」

 

「先生どうかしたんですか?」

 

「先生おなかでも痛いの?」

 

 どこか上の空の藍香を周りの生徒達まで心配しだす始末。

 

「えっ…と…じ、実はそうなの!」

 

 この際腹痛ということにさせてもらおう。

 藍香は自習室を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 じっとしていられず部屋を出た藍香だったが目的があるわけでもなく。

 さすがに仕事が終わるまでは勝手に外に出るわけにもいかないと思い直した。

 気持ちを落ち着けたら自習室に戻ろう。

 そう思ってなんとなく、教室のドアの丸いガラス部分から中を覗き込んだ時だ。

 ドキリと心臓が飛び出そうになる。

 一番後ろの席で頬杖を着いているやる気のなさそうな生徒。

 昨日とは違いアクセサリー類はなく、最初に出会った時と同じ黒縁眼鏡をかけた真面目そうな出で立ちの――しかし目つきの悪さは龍介というよりはリュウの方だ。

 

「それじゃあ誰かに次の文の英訳を書いてもらおうか」

 

 ジェイドは教科書の文章を読み上げて、それから教室を見渡した。

 

「君は新顔だね。どうだい?わかるかな?」

 

 指名されたリュウがそれはそれは鬱陶しそうにジェイドを見る。

 

「やはり少し難しいかな?他に誰か…」

 

 リュウがおもむろに立ち上がったのでジェイドは言葉を切った。

 にこりと微笑んでチョークを差し出す。

 

「見下ろしてんじゃねぇ」

 

 それなのにリュウがそんな事を言うものだからジェイドは心外そうに目をぱちくりさせた。

 見下ろすなと言われても十センチ以上も身長差があるのだから目線はジェイドの方が上。

 仕方がないことだ。

 一瞬教室に緊張が走ったが、講師という立場上か子供の言うことと歯牙にもかけていないのか彼は口元に笑みを絶やさずにいる。

 引ったくるようにチョークを受け取り、リュウは黒板に乱暴に英文を書き付けた。

 

「うん。間違ってはいないね。けれど解答としては不適切だと言わなければならない。スラングを使っては受験で点数はもらえないからね」

 

 リュウの顔には“ああん?めんどくせぇなぁ”と書いてあった。

 面倒だが言われっぱなしではよけいに腹が立つ。

 リュウはもう一度英文を書きつけた。

 さっきとは違い、流れるような美しい文字で。

 美しい文章を。

 

「へぇ、やればできるじゃないか。ちょっと古風な言い回しだけど合っているね。ありがとう。戻っていいよ」

 

 けれどリュウは席に着こうとはしなかった。

 

「帰るぜ」

 

「え?何だって?」

 

「気分悪ぃから早退するって言ったんだ」

 

「ちょっと待ちたまえ!」

 

「るせえよ」

 

 制止には応じずドアが開けられる。

 見た目に反してなんという態度なのかとそこにいた全員が思っただろう。

 ざわめきの中で扉は閉ざされた。

 慌てたのは藍香の方だ。

 隠れる場所なんてない。

 かがみ込んで気配を消してみたところで意味なんてなく、まともに目が合った。

 

「んなとこで何してる?」

 

 藍香はしーっと口元に人差し指を当てる。

 ジェイドにまで見つかっては困るじゃないか。

 

「こっち来て」

 

 彼女はリュウを無理やり引っ張ってその場から逃げ去った。

 

 

 

 

 

 非常階段の踊り場で藍香はリュウを解放した。

 そこはビルとビルの間の薄暗い場所で、つまりこの下にゴミ捨て場がある。

 

「何か用があるならさっさと言え。こっちはてめえのせいで血が足りてねえんだ」

 

 どうやら気分が悪いのは本当のようだ。

 血が足りないと貧血症状になるらしかった。

 

「なんで私のせいになるわけ?」

 

「昨日邪魔したろうが」

 

「はいはい、悪かったわね。それで、君なんで予備校にいるわけ?」

  

 とりあえず適当に謝って話を進めようとする藍香。

 

「てめえに関係ねえ」

 

「人狼を探してるんでしょう?」

 

「解ってんなら聞くな」

 

 リュウはポケットからタバコを取り出してくわえながら藍香以上に適当に言った。

 しかし火をつけようとしたライターを藍香が奪い取る。

 

「タバコはダメよ。未成年でしょ?」

 

「あぁ?オレが見た目通りの歳だと思ってんのか?」

 

「未成年じゃなくても、健康に良くない」

 

「吸血鬼に向かって健康だなんだと馬鹿じゃねぇの?」

 

 確かに不死身の吸血鬼には無用の心配かもしれないけれど。

 いちいち人の上げ足を取るようなその態度。

 もう受け流すのは限界だった。

 

「少しくらいまともに会話できないわけ!?見た目と違って大人だっていうならレイン先生みたいに大人らしい振る舞いしてみなさいよ!」

 

「レイン?あいつ…いけ好かねぇ」

 

 リュウは彼を気に入らない理由でもあるのか、しかめっ面を作る。

 しかしただ単に引き合いに出されたのが面白くないようにも見えて、ジェイドの爪の垢でも煎じて飲めばいいのに、と藍香は内心でつぶやいた。

 

「レイン先生には適わないって、せめて男らしく認めたら?」

 

「んだと?オレのどこがあいつに負けてる?」

 

「性格、見た目、全部。レイン先生は紳士的だし背だって高いし。見下ろすなとか言ってひがんでたのは誰だっけ?」

 

「オレは本当はあんな奴に見下ろされるほどちっこくねぇ!龍介(こいつ)の体が悪ぃんだ」

 

 身長のことを言われてよほど腹が立ったのか、リュウが声を荒げた。

 だが次の瞬間には屈み込んでしまう。

 貧血気味なのに興奮したため目眩を起こしたのだ。

 

「ちょっと…大丈夫?」

 

 思わず藍香が心配するが程なくしてリュウは立ち上がった。

 非常階段を下へ向かう。

 もう言い合うのも面倒だと言わんばかりだ。

 結局人狼について聞けずじまい。

 本当に体調が悪いなら藍香に止めようもない。

 

「あいつ、あんま関わるな」

 

 ただ、最後に残した眼差しは真剣さを帯びて真っ直ぐで、声は夜の闇に溶けるくらい静かだったから、藍香の心にことさら深く残った。


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