古の魔法陣は誰の紋様をまとって咲いたのか
「シルビア・マッカラン公爵令嬢!高位貴族であることに驕り、王太子である私の婚約者であることを笠に着てやりたい放題。様々な苦情が報告されている!」
王宮で開かれた夜会。全てが終わり、王が挨拶をすると思いきや、王太子による演説が始まった。これまで、王太子の婚約者として卒無く振る舞っていたはずのシルビアは、衆人の前に一人取り残された。
「今から魔法陣の審問によってシルビア嬢の罪を問う!審問の結果次第ではシルビア嬢との婚約を破棄する。とはいえ、長年王宮で準王族としての教育を受けた女性でもある。審問によって無実であることが証明されることを祈る!」
「やっとだわ。しっかり見るのよ」
シルビアは自分に言い聞かせるように小声で呟いた。失敗したらまた十二年待たなくてはいけない。絶対に解析してみせる。
五人の男性がシルビアを囲むように立った。王太子とその側近たち。彼らを見守る王、王弟、王妃は彼らを止めようとしない。王はずっとシルビアに意地悪だったし、王妃は無関心。王弟の姿は今日初めて見た。マントを着ていて顔がよく見えない。姿勢が良くない。
五人は魔法陣を起動してシルビアに向けて放った。あぁ、魔法陣の書き方を失敗している者がいる。知識不足?それとも故意に傷付けようとしている?
シルビアはちょいちょいと魔法陣を描き直して、健全な陣に変えた。この魔法陣の大きさでも小さな失敗は意外と影響が大きい。最初の魔法陣のままだと怪我をする。こちらもあちらも。
「あった」
シルビアは思わず声が漏れた。
最後に足元で目立たないように花開いた魔法陣。
「これだわ」
魔法陣の紋様を隅々まで見る。
魔法陣というのは不思議なもので、描いた人によって異なる紋様を持つ。同じ効果のものであっても、周囲の紋様に個が反映されるのだ。理由は分かっていない。分からない者には同じに見えるし、解析できる者ならどれが誰の魔法陣かが分かる。
今回見つけた魔法陣は他の魔法陣の中に巧妙に紛れていた。シルビアを審問した五人の若者は気付かなかっただろう。しかし、この魔法陣が決定的な効果を持っていた。
時を遡る魔法陣。
禁忌とも言えるこの魔法陣を巧みに仕込む誰かがいる。凄まじい能力者だ。咲き始めを見るのにどれだけの時を費やしたか……紋様の解析を終わらせたシルビアはその場で静かに消滅した。
「なんてこと!」
「有罪だわ!」
「審問で消滅するなんて、一体何をしてしまったの?」
動揺する人々の喧騒の中で、審問をした五人の青年たちは呆然としていた。彼らの目論見とは違う結果。ただシルビアに傷をつけて、王太子の婚約者から退かせるためだった。浅はかな計略。
形だけの儀式のはずで、人を消すつもりなどまるでなかった。恐ろしいことをしてしまった。彼らはシルビアが冤罪だと知っていた。
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「はい、またこの日」
六歳の誕生日の前日。五周目が始まった。
「そうだ!描かなくちゃ!」
先ほど見たばかりの紋様の特徴を慌てて紙に描いた。
「見たことのない紋様だったわ。魔法陣を放てる距離から考えると、あの場にいた人の中でも近くにいた人で間違いないわ」
覚えている限りの紋様を描きとめる。
「探すしかないかぁ」
描き終えたシルビアはペンを置いて大きく伸びをした。
シルビアの人生が繰り返しを始めて五回目の今日。六歳の誕生日の前日。今日から十八才まで生きると審問を受けさせられてまた戻ってくる。十二年経たないと上手く生きられたのかどうかが分からない。
「一瞬過ぎるのよね」
シルビアは六歳らしからぬため息を吐いた。
「でも今回は違うわ!手掛かりを覚えているもの!」
シルビアは前向きに考えるしかないことを知っていた。
最初六歳に戻った時は号泣した。生きている喜び、尽くした王太子に裏切られた衝撃、愛し合っていると思っていた男に捨てられた悲しみ。ない混ぜになった感情だった。
二周目の時は王太子への不信感が表に出てしまい、横領の罪を着せられて審問された。その時は絶望感から他人事のように感じていた。審問の時も「わー、咲いてるぅ」などと呑気に魔法陣を見ていた。ただ、シルビアは気付いた。魔法陣を放った男は五人。魔法陣は六つ。
三周目の時には魔法学や魔法陣についてしつこく学んだ。まだ足りない、まだ足りない。あっという間に審問の日が来た。この時は王太子の婚約者としての自覚が足りないと言われ審問された。
魔法学の先生の言葉が印象に残った。
「人生というのは、たとえば曲がり角を右へ行くか、左へ行くか、そんな些細な選択の積み重ねなのです」
六歳から十八才まで四度生きたが、毎回同じではなかった。何かの選択次第で未来が変わるということだろうか。ただ今のところ辿り着いた結末は同じ。大筋が変わっていない。
三周目が終わる時、シルビアは必死に魔法陣を解析した。しかし間に合わなかった。魔法陣が咲き始める瞬間を見なくてはいけなかったのだ。シルビアが見たのは、もう咲き切った後だった。
時を遡る魔法陣は、古の魔法陣の一つで、大賢者ユースタスが生み出したと言われている。使用者は稀有。複雑で繊細な魔法陣を扱うには高い能力と、特定の血筋を有する事が求められた。
この魔法陣は蕾が花開くように展開するのが特徴だ。古い魔法を使う誰かがいる。王太子と側近たちは最適化された新しい魔法陣を使っていた。それでも失敗があるのだから、より複雑な古の魔法陣を使う誰かは相当な実力者だ。なぜ表に出ていないのか。
これまで過ごしてきた中でシルビアが辿り着いた答えは王弟。これまでに彼の魔法陣だけは見たことがない。四周目を過ごす中で、シルビアは魔法陣の解析に注力した。特に審問が行われた夜会にいた人物のものを。
並行して古の魔法陣についての研究もしていた。魔法学で師事した先生との共同研究。先生は魔法を使わなかったからか、シルビアが幾つもの魔法陣を習得する姿を見て嬉しそうにしていた。
その先生の伝手を辿り、ある時は甘言を、またある時は札束で、参列者の魔法陣の特徴を調べまくった。その中で唯一手が届かなかった人物が王弟のミハエル・ユグドミル太公だった。
五周目の今回、何としてもミハエル殿下に辿り着きたい。それに加えて、前回とは決定的に違う行動を試してみたい。これまで自分が無意識にしている行動を変える必要がある、とシルビアは考えていた。
六歳の誕生日の前日に戻るのは何故か。シルビアはここまで戻らなければ変えられない何かがあるのだとも考えていた。シルビアは手始めに駄々をこねてみようと思った。
今までは従順に、貴族令嬢として正しく生きることを心がけていた。そこから逸脱した行動、つまり駄々をこねてみる。感情に従順な行動として思いついたのがコレだった。街中で初めて見た時は驚きで立ち止まってしまった。あの衝撃。強烈な印象が残っている。
あれを今からやる。シルビアはある意味使命感に燃えていた。
さて、シルビアの六歳の誕生日に何が起こるか。それは両親の決裂だ。父と母が不仲になり、母、シャルロットはその日を境に行方不明になってしまう。出奔したとも駆け落ちしたとも言われ、真相は分からないまま。
調べもせずにシルビアは父の言葉を信じてしまった。両親の不仲は明らかだったから。夫婦のことは夫婦にしか分からない。その上、シャルロットとシルビアの交流は、五歳のシルビアが王太子の婚約者になった辺りで激減した。シルビアは父が言うように、シャルロットに捨てられたのだと信じていた。
キッカケは父の愛人が家に入り込んできたことだった。
「シルビアちゃん、お誕生日おめでとう!新しいお母様からの初めての贈り物よ」
父の愛人は裕福な商家の次女だった。シャルロットがシルビアを妊娠中に関係が始まったらしい。
父の愛人がシルビアにプレゼントを渡す。幼いシルビアは満面の笑みでそれを受け取る。シャルロットはそれを見て自室へ。この後シャルロットの行方が分からなくなる。
これを阻止するために、シャルロットが自室に籠った段階で何かをする必要がある。前回は貴族然とした主張の仕方をして上手くいかなかった。今回は派手にやってやる。
「お母さま!開けてください!シルビアにお顔を見せて!」
ドンドンと扉を叩く。扉に何か細工があるようだ。内側からは出られないのかもしれない。やるか…… シルビアは覚悟を決めた。
シャルロットの部屋の前で仰向けに寝転がり、両手足をバタバタさせて叫んだ。
「うわぁぁぁん!おかーさまのばかー!なんでシルビアに意地悪するのー!!!」
シルビアは生まれて初めて感情を爆発させた。魔力が飛び散る。エネルギーの爆発。なんかだんだん楽しくなってきた。
部屋の扉が開いた。執事がシルビアの口を押さえた。そして抱きかかえて部屋に入り、鍵をかけた。
「お母さま!」
解放されたシルビアはヒシッとシャルロットに抱きついた。
「シルビア、あんな大声を出してはダメでしょう?淑女を目指していたあなたはどこへ行ってしまったの?」
「だって、お母さまが……」
潤んだ瞳で上目遣いにシャルロットを見る。シャルロットは困ったようにシルビアを見た。
「ごめんなさいね。寂しい想いをさせてしまったわね」
シャルロットはシルビアの頭を優しく撫でた。シルビアはできる限りの力でシャルロットに縋りついた。
いつの間にか眠ってしまっていたシルビアは、目が覚めたら馬車の中にいた。驚いて顔を上げると、シャルロットの顔があった。
「おはよう、シルビア。驚かせてごめんなさいね。夜のうちに公爵邸を出たの。もう我慢しなくても良くなったから」
「がまん?」
「そうなの。公爵との魔法契約が壊れて自由になったの。公爵家で育った方があなたの為だと信じていたけれど、昨日のあなたの姿を見て違うのかもしれないと思ったの。今、タムデュー侯爵領に向かっているのよ」
「え?」
「あなたには申し訳ないのだけれど、あなたのお父様はマッカラン公爵ではないの。訳あってあなたを連れて公爵家に嫁いだのだけれど、公爵とは心を通わせることができなかったの。ごめんなさい」
「え?」
五周目の人生で知る新事実に動揺して、六歳児らしく驚けなかったかもしれない。シャルロットは困り顔になった。
「あなたが私の部屋に居なかったら連れてこれなかったかも知れなかったわ。急な動きがあったものだから」
「私、お母さまと一緒で良かった」
シルビアはシャルロットの胸に飛び込んだ。
タムデュー侯爵領に入ったのは明け方だった。マッカラン公爵家からの追手が追い付き、馬車は襲撃にあった。シャルロットはシルビアを抱きしめた。ギュッと抱きしめて、シルビアを置いて馬車から出た。
馬車の小窓から戦うシャルロットを見た。強い。が、いつまで保つか。何故こんなにシャルロット一人に人員を割くのか。父と呼んでいた男の考えが分からなかった。
光った。シャルロットが救援信号を放ったように見えた。高く、高く上がった光、王都からも見えただろう。次の瞬間、シルビアが心に刻みつけたあの魔法陣が明け方の空に咲いた。
シルビアは馬車の小窓に張り付いて外を見た。マントを羽織った男性が空中に現れた。静かに地面に降りると、シャルロットを庇うように立った。シャルロットが壁になって男の顔が見えない。
しかし間違いなくあの紋様の魔法陣を駆使して戦っている。
「あの人、だれ?」
呟いたシルビア。一緒に馬車の中に残された侍女は口元を両手で押さえ、祈るように静かに泣いていた。
その侍女は、母の嫁入りの時にタムデュー侯爵家から一緒に来た侍女の一人だった。
「あの二人、恋人同士みたいね」
共闘する二人を見ながらシルビアはボソリと言った。侍女は何も言わず涙を流し続けていた。
シルビアは魔法陣を展開して、シャルロットの作った馬車を守る結界を壊した。
「シルビア様?」
侍女の驚く声。彼女の声を初めて聞いたかもしれない。
「終わらせるの」
六歳児とは思えない目線を向けられて、侍女は黙った。シルビアは少し口角を上げると馬車の扉を開けた。
「シルビア!来てはダメ!」
目敏く気付いたシャルロットが悲鳴のような叫び声を上げた。
「シャル!」
マントの男はシャルロットを抱きしめて空中に舞い上がった。シルビアの手元を見て、何をしようとしているのか伝わったようだ。
シルビアは大きな蕾を空中に置いた。四周目の人生で研究していた魔法陣。六歳に戻るたび、魔力も知識も増えていったシルビアはこの国の礎を作ったと言われている大賢者ユースタスに近付いていた。
結果、ユースタスが生んだという古の魔法陣の幾つかを習得することができた。使える魔法陣には相性があり、全てが使えるわけではなかったが、相性さえ良ければ高位の魔法陣も操ることができる。
蕾が咲いた。大きくて美しい巨大な魔法陣。逃げることが叶わない速さで広がっていく。
ユースタスにしつこく付き纏った王の騎兵を一度に捕らえたというその魔法陣は、シルビアの紋様をまとって甘美に咲き、公爵家の追手を全員絡め取った。
追手を一箇所に集めたシルビアは魔力を紡いで光る紐を生み出した。紐を操って全員をまとめてグルグル巻きに。
「シルビア!」
上空からシャルロットの声がする。
「お母さまー!」
シルビアはシャルロットに手を振った。
マントの男はシャルロットを抱きしめたまま降りてきた。宝物をやっと自分の手に取り返したかのようにシャルロットを腕の中に閉じ込めている。
「どういうことなの?」
シャルロットはシルビアに聞いた。
「お母さま、どこかへ移動しましょう。お話はそれからです」
「そうね。早くタムデュー侯爵邸に行きましょう。エル、助けに来てくれてありがとう。あなたも一緒に」
「もちろんだ。もう我慢しなくて良いんだよね?」
シャルロットの指先に口付けたミハエルは慈愛の籠った眼差しでシャルロットを見た。シャルロットは泣いてしまいそうだ。シャルロットの熱のこもった瞳を初めて見た。
「ええ。壊れたわ」
抱きしめ合う二人。完全に二人だけの世界に入ってしまった。
早く移動したいシルビアは侍女を見た。侍女は必死に首を横に振った。自分は無理だ、と訴えている。シルビアが声をかけるしかないようだ。
「あのー、すみません、お二方。移動したいんですけれども」
周りに人がいることを忘れていたかのように、驚いて離れた二人。
「ごめんなさい。侯爵邸よね」
焦っているシャルロットと機嫌が良さそうなミハエル。ミハエルはシャルロットの手を離さない。
「ええ。とにかく移動しましょう」
シルビアは覇気をまとって言った。六歳児のあまりの迫力にシャルロットは急いでミハエルを連れて馬車に乗り込んだ。
ユースタスの使っていた覇気をまとう交渉術、便利だわ、と独りごちたシルビアも馬車に乗った。侍女も慌てて馬車に乗った。同じ空間にいたくはないのだが、御者席は埋まっていた。仕方がない。
馬車に乗ってタムデュー侯爵邸へ向かう途中、シャルロットは決心したようにシルビアを見た。
「シルビア、この方があなたのお父さまなの」
「そうだったら良いな、と思っていました」
「そう?どうして?」
明らかにホッとした顔のシャルロットは嬉しそうに聞いてきた。
「お二方の様子を見て、そうだったらなぁ、と」
望む答えではなかったのか、シルビアの意図が読み切れなかったのか、消沈した様子のシャルロットは、
「そう」
と言って黙ってしまった。
シャルロットから話を聞くのは難しそうだ。シルビアはミハエルを見た。ミハエルは両目を軽く閉じて伝えてきた。今ではない、ということか。
侯爵邸に入った。玄関ホールで侯爵家の面々がシャルロットを迎え入れる。涙の再会だ。シルビアはミハエルと手を繋いで、再会劇が終わるのを立ったまま待っていた。
一頻り泣いて喜んで、抱きしめ合って満足したのか、ようやく二人の存在が彼らの目に入った。
「お父さま、ミハエルとシルビアですわ。私の愛する二人」
シャルロットは宝物を紹介するかのように弾んだ声で二人の名を呼んだ。
ミハエルとシルビアは貴族然とした優美な挨拶をした。侯爵邸の面々も慌てて挨拶を返す。シャルロットは嬉しそうにその光景を見ていたが、突然目に涙が溢れて、頬を一筋伝った。
ミハエルはすぐにシャルロットを抱きしめた。
「あの時、本当はこうやってミハエルと挨拶を交わすはずだったのに!」
ミハエルの腕の中でシャルロットは悲痛な声をあげた。侯爵邸の面々は黙り込んで下を向いてしまった。
パンパンっと手を叩いてシルビアは大きな声を出した。
「みなさま!とにかく!屋敷に入りましょう!椅子に座りましょう!」
ハッとしたようにシルビアを見た侯爵は、
「シルビア!孫にやっと会えた!」
シルビアを抱き上げた。
「おじいちゃま」
シルビアがそう呼ぶと、侯爵はまた泣いた。
「お部屋に入りたいです」
「そうかそうか。すまなかったな」
やっと全員が玄関ホールから移動を始めて、シルビアはホッとした。
シルビアがミハエルに蕾をチラッと見せると、彼は頷いた。そのまま侯爵邸に結界を張ってくれた。これで安心して過ごせる。
軽く食事を取ってから湯浴みをし、服装を整えたシルビアは談話室に案内された。扉を開けると、侯爵夫妻、次期侯爵の伯父夫妻、シャルロット、ミハエルが既に寛いでいた。選択が違っていたら、この光景が日常だったのかもしれない。
「シルビア、こちらへいらっしゃい」
シャルロットに呼ばれたシルビアは、ミハエルとシャルロットの間に座らされた。
「やっと……家族が揃ったんですね」
義伯母がハンカチで涙を拭いている。劇でも観ているかのようだ。
ちょっと待って、とシルビアは嫌なことに気付いた。「私、ここにいるほとんどの人より長く生きてない?まあ、見た目だけは六歳だけれども」考えるのはやめた。意味のないことだ。きっと。
「まだシルビアには早い内容かもしれないが、今までの状況を整理したいと思う」
シルビアの祖父であるタムデュー侯爵が話し始めた。
大前提として、この国では婚姻において魔力相性が重視される。魔力相性が悪いと子どもを授かることができないからだ。政略結婚をしても次代を担う子を授かれなければ意味をなさない。
魔力相性が良いと人は惹かれ合う。不思議なことに、誰にでもしっくりくる相手が必ず存在する。分かる人には分かる。逆を言えば、分からない人には分からない。
不幸なことにマッカラン公爵は後者だった。そして野心家だった。王妃の懐妊を知ってすぐ、高位貴族の娘を娶って孕ませようと考えた。
彼はちょうど婚約者がいなかったシャルロットを選んだ。その頃のシャルロットはミハエルと愛し合っていて、既にシルビアが腹の中にいた。魔力相性が良すぎると理性では止められず、愛を確かめ合わずにはいられなくなるんだそうだ。
相手が王弟と言うこともあり、婚約が整うのに時間を要した。その隙に、タムデュー侯爵家を騙すような形でマッカラン公爵家との婚約が整ってしまった。シャルロットの腹に胎児がいることを知った公爵は歓喜した。これから仕込まなくてももう既に子どもがいる。
男でも女でも王子に侍るのにちょうど良い年齢の子が生まれる。シャルロットにとっては都合が良いことに、公爵とは白い結婚となった。魔力が混ざるのは胎児によって良くない結果をもたらす。高魔力を持って生まれるはずが、魔力がなくなることもあるんだとか。
公爵はこれ幸いと、裕福な商家の次女を愛人にした。商家は公爵の伝手で貴族に販路を伸ばし、公爵は若い女を楽しむ。商家の娘は姉よりも高価な装いで虚栄心を満たした。
シャルロットは愛する人と引き離されはしたが、二人の愛の結晶を育てることができた。父であるミハエルとは時々こっそりと会っていたそうだ。歪な家族はひとまず皆幸せだった。
出産後暫くすると、公爵はシャルロットを『妻』にしようとした。嫌よいやよも何とやらで、寝室でシャルロットに迫った。シャルロットは断固拒否。娘を連れて侯爵家へ帰ると頑張った。
薬を盛ることも考えたが、そもそもシャルロットと公爵の間に子どもは生まれないことをやっと理解した公爵は、諦めるしかなかった。ただ、シルビアに王太子妃になってもらいたかった公爵はシャルロットと取引をした。
タムデュー侯爵家もシルビアを王太子妃に推す代わりにシャルロットに手は出さない。代わりにシルビアとシャルロットは公爵の指示に従う。もし公爵が心変わりをして新しく女性を家に迎え入れた場合、婚姻の契約を含むマッカラン・タムデュー間の魔法契約は全て破棄される。
強制力のある魔法契約は五年間守られてきた。公爵が愛人を家に招き入れたあの日、契約が壊れたあの時まで。諦めたとはいえ、自身を魅力的な男だと信じていた公爵は、『妻』にすることを拒否されたことでシャルロットを恨んでいた。公爵が仕掛けた魔道具によってシャルロットは部屋に監禁された。
公爵と愛人の姿を見て部屋に引き篭もったシャルロット。部屋の扉が閉まった途端、仕掛けられていた魔道具が発動した。あの時あの扉は内側から開けられなくなっていた。運悪く、シャルロットの侍女と執事も室内にいた。今後の相談をするためだった。
執事は男性だ。シャルロットの部屋に男性が入った時に扉が開かなくなる魔道具だった。内側からは何もできない。高位魔法の使い手が外側から働きかけないと開かないという拷問用の魔道具だった。
これまでの公爵は恐らくそのまま放置することになっただろう。彼は魔道具を止められる者を知らない。ところが今回、想定外のことが起きた。シルビアが駄々をこねて魔力をばら撒いて騒いだことで、呆気なくマッカランの非道な魔道具は壊れた。
魔道具が壊れたことに気づいた公爵はシャルロットに刺客を送り、シャルロットたちは戦いながらも逃げきった。その時手に届く所にシルビアが居たから一緒に連れて逃げることができたとのことだった。
その頃、いつもならミハエルは書庫に籠っている時間帯だった。今回はたまたま書斎に居て、窓の外のシャルロットの救難信号を見ることができた。幸運だった、と彼は言った。慌ててマントを羽織り転移したのだそうだ。
幾つもの偶然が重なってこうして平穏でいられるということは、それぞれの選択が正しかったということなのだろう。
「シルビアは真に愛し合ったシャルロットとミハエル殿下の娘なのだ」
と祖父である侯爵は話を終えた。談話室の全員と挨拶をして部屋に戻る。部屋に戻る直前、シルビアはミハエルを見た。ミハエルは軽く頷いた。
侯爵邸には塔があった。シルビアは一人、その塔の上で待っていた。
「待たせたね。シルビア、我が愛しい娘よ」
「おとうさまとお呼びするべきかしら」
「呼んでもらえたら嬉しいね」
「お父様、目的を教えてくださいませ」
今日初めて父娘と名乗りあった二人は同じ方向を向いて話し始めた。
「俺は八年前に戻りたい」
「なるほど。お二人が愛し合う前の時間ですか……いつ私が必要だと気付かれたのですか?」
「君と古の魔法陣の研究を進めていた時だった」
「そうでしたか」
「そもそも俺は古の魔法陣を学ぶ術がないことを知らなかった。それに継承する者が二人以上いる場合、特定の時間に戻るためには両者の合意が必要だと言うことも」
ミハエルもシルビア同様時を遡っていた。術者と対象者の二人が時を遡る魔法。対象者であるシルビアはもちろんのこと、術者であったミハエルも記憶を持ったまま再び二十六歳の自身の体に入った。
体に戻ってすぐ、ミハエルも今までとは違う行動をしようと考えた。普段はしない事、いない場所。そう、書斎。
「私が生まれた時点でお父様単独で希望を叶える道が閉ざされたのですね」
ミハエルは優しくシルビアの頭を撫でた。
「特定の時間を指定しない場合は、その時点に一番近い大きな選択の日の前日に戻る」
「六歳の誕生日が大きな選択の日だったということですか……」
ミハエルは何も言わなかった。
「そういえば、君の疑問の理由が分かった」
「なんでしたっけ?」
「なぜ今自分がこんな苦労を、だ。あの男の嫉妬心が原因だった」
「何に嫉妬したんです?」
「俺だ」
「お母様ですか?」
「そうだ。君はシャルロットによく似ているからな」
「なぜあのような人が……」
「俺もまさかこんなに酷いとは思わなかったんだ」
「そうですか……」
「……シルビア、君には酷なことになってすまない」
「構いませんよ。何度も同じ時間を生きたので、変化は大歓迎です」
「俺がもっと早く決断していたら……」
「……巻き戻すのは今回が最後、どんな結果になっても生きると約束してください。私には初めての大魔術ですから、上手くいくとは限りませんし」
「分かった。感謝する。シルビア」
「あの男の治世で暮らすよりはマシな世界にしてくださいね」
「やはり、俺と似た思考をしているのだな」
「師事した魔法学の先生の考え方が染み付いているのかもしれません。魔法を一度も見せてくれなかった、語ってばかりの先生に」
「とは言え、君もワクワクしているのだろう?」
「バレました?仕方ありませんよ。こんな大きな魔法を使うのは最初で最後なんですから」
「良い弟子を持った」
「光栄です」
シルビアはカーテシーをして見せた。
「始めます」
「分かった」
ミハエルとシルビアはそれぞれが作り出した蕾を宙に浮かせた。蕾は紋様の異なる、二つの冴え冴えとした魔法陣を咲かせた。魔法陣はそれぞれ広がって世界を包む。
世界は八年前に巻き戻った。
ミハエルとシャルロットが愛し合う前の世界。ミハエルは王を弑して王権を奪い、シャルロットを王妃として迎え入れた。そして二人の間には再び娘が生まれ、シルビアと名付けられた。
十九歳になったシルビアは「魔力相性が良い」というのがどういう事なのか、身をもって知ることとなった。
完
誤字報告ありがとうございました!
助かります!