Round 6 side
「失礼します」
「入れ」
重たい許可の声で、パッチは部屋の中に入った。
オフィスルームと呼ぶには多少暑苦しく感じるのは、貼り付けられたポスターのせいだろう。一面にビッシリと、筋骨隆々の男達が並んでいる。
挙句、部屋の中央に座る男はスーツの上からでも分かるほど体格がいい。
鋭い目と長身。パッチが所属していたグループの会長だ。
「急に連絡を寄越した時は何かと思ったぞ」
「大事な話ができたもんですから」
手で促され、パッチは男の対面に座った。
「それで、話とはなんだ」
「あい……ベンジャミン・ブロードが、先のToVトーナメントへの出場を決意しました」
「ほう」
一転して、男の声がドスの利いたものに変わる。パッチは軽く身をすくめた。
「その話を、わざわざ私にしに来たのか」
「なんとか隠し通せるような相手だとは思ってませんから」
「なるほど。その1点は賢いな。しかし」
鋭い瞳が、パッチを射止める。
「君がそこまで無責任な人間だとは思っていなかったぞ。失望した」
「……そうですか」
「今からでも止めさせることはできないのか」
「それは無理ですね」
弱々しかったパッチの返答が、ここに来て急に力を帯びる。男の眉がピクリと跳ねた。
「無理とは、どういう事だ」
「もう私は彼のトレーナーではないからです」
「何……? どういう事だ」
言葉の真意が掴めず、男は表情を歪める。
「どういう事も何も、言葉通りの意味ですよ」
「つまり、それは」
「ええ。もう私と彼は他人です。ついでに、貴方と俺も既に他人です」
男は口元に手を当て、唸った。
「そのような書類は見ていないぞ。脱退は申請が必要なはずだ」
「申請はしましたよ。半年前に」
「半年前だと?」
男は額に手を当て、ハッと気づく。
「貴方がこんな俺みたいなヤツのことを信頼してくれてるのは嬉しかった。普段忙しい貴方が、こうして俺のために時間を作ってくれるのも」
「まさか、お前、フランケンの登録解除の時に」
「一緒に俺のも出しておきました。今の俺は手に職のないプー太郎です。多忙な貴方が、全ての書類の管理や把握をしているわけではないでしょう?」
「はは、やられたな」
「今、俺が使ってるジムも俺が個人で借りてるものです。貴方が取り上げることは不可能だ」
男が小刻みに息を漏らしながら笑う。それはどこか、あまりの出来事に呆れてるといった雰囲気だった。
「そうか、お前は始めから私を裏切るつもりで居たんだな。いや、既にトレーナーではないのだから、私との約束を破ったわけではないと言いたいのか?」
「約束ですか? 最近物覚えが悪くて、思い出せませんね」
「は。言うじゃないか。それで、どうするんだ? その物忘れの激しい年寄りが、手に職を失ってどうする? お前が私の元に居る間は、最低限の金は出すつもりだったが」
「残り半年。あのジムを維持し続けるだけの金はあります」
「その後の話をしてるんだ」
「考えてませんね。どっかのToV選手のファンにでもなって、追っかけてみるのも良いかもしれません」
男はまじまじと、パッチの顔を見た。
「それで良いのか」
「それで良くなってしまいました」
そこでパッチは、遠くを見るように顔を上げながら微笑んだ。
「今はアイツがリングに上がる姿を見られれば十分だと思っています」
「なるほどな」
やり取りが終わり、沈黙が訪れる。おもむろにパッチが立ち上がり、出口に向かって歩き出した。
「残り半年のジムの維持費はあると言ってたな」
去り際、消えていこうとするパッチの背中に男の声がかかる。
「そうですね」
「他に金の余裕はあるのか」
「まぁ、俺が食っていけるぐらいは」
「そうか」
そこで男は言葉を区切る。どこか歯切れの悪さを感じ、パッチは足を止めて男が言葉を継ぐのを待った。
「……ToVトーナメントの観戦チケットぐらいは、用意してやろうか。彼が勝ち上がるならその分必要だろう」
「助かります」
ぶっきらぼうな男の声に思わず笑みを溢し、パッチは去った。