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Franken to rise  作者: ムニエル
2/13

Round 1

 汗の臭いが染み付いた控え室で、大男は氷嚢で胸を冷やしていた。床に落とした目に覇気はない。

 部屋の角に吊るされたテレビが歓声を吐き出している。


「よう相棒。今日も盛大に負けたな」


 ノックをせずに部屋に入ってきたのは背の低い男。先程、大男に声をかけた人間だ。


「台本通りだろ。そこはな」

「最後のアドリブの話か? 向こうのキメ技以外で倒されるってのは、盛り上がりに欠けるだろ?」

「向こうさんへの配慮にも欠けてるな。文句はなかったのか?」

「大好評だったぜ。今後もご贔屓にしてもらえそうだ」

「それなら良いが」

「色々文句はあるかもしれないが、結果オーライだ。許してくれ」

「別にいい。オッサンが呼んだら取り敢えず立つってのが約束だしな」


 テーピングがいるか? という男の申し出は断られた。落ちた汗が氷の上で跳ね、急速にその熱を失っていく。


「次の予定は」

「ちょうど明日だ。それが終われば随分と余裕がある。大丈夫そうか?」

「俺を誰だと思ってやがる」

「へっ、それでこそ俺の相棒だ」


 大男は渡されたファイルを開く。翌日の、大きく「ToV」と書かれた項目の中に己の名前を見つけて、大男の口から小さく息が漏れた。


 フランケン――ベンジャミン・ブロード

 トレーナー――アイザック・パッチ


 自分の名前の下にある分厚い一線に、静かな視線が注がれる。


「どうした。怪物扱いされすぎて人としての名前を忘れたか? ベン」

「どうだかな。確かにフランケンって呼ばれることのほうが多いが、そこまでネジ飛んじゃあいないぜ。オッサン」

「大丈夫そうだな。まぁ、そんなに若くでオシャカになっちまったら困るが」

「冗談キツいぜ。俺はもう、とっくの昔にオシャカだろ?」

「そうでも無いみたいだぞ。良く見てみろ」


 そこで言葉を切り、パッチは重たげに口を開いた。


「2日続けてToVの前座を任されるんだからな」


 ToVという言葉にベンが肩がピクリと跳ねる。

 Top of Versatile。略してToVと呼ばれる、全ての格闘家が憧れてやまない聖戦。

 武器の使用と目への攻撃、その2つ以外は全て許される。リングに立った者のどちらかが倒れ、立ち上がれなくなった者が負けという、レフェリーすら介在しない決闘。


 ベンはその前座だ。


 ルールの性質上選手への負担が重いToVは、選手に万全のコンディションを求める。無傷で勝とうと一ヶ月以内の連戦は法度であり、結果として一戦と一戦の間が空く。

 その期間でも効率よく金稼ぎをするために、ベンのような人間がいる。定期的な公演を開き、ToV本戦の前にエキシビションマッチを行うことで観客を盛り上げる。勝者と敗者が事前に決まった、殴り合うフリをするだけのままごと。

 フランケン。図体ばかりが大きく、脳に障害を背負ったベンは、不死身の怪物の名前と共に絶対に負ける宿命を背負った。

 勝者のみが輝く世界で、敗北を(すす)って生きる怪物。

 それがベンジャミン・ブロード。フランケンシュタインの怪物だ。


「ああ。全く、光栄な事だよな」


 投げるようにファイルを返し、ベンはテレビの方を見た。

 四方をフェンスに囲まれたリングの中で細い長身の男が対戦相手を攻め立てている。さっきまでとは段違いの歓声。つい数分前は自分がいたその場所で、今まさに聖戦が繰り広げられている。


「どうした。らしくねぇな」

「俺らしいってのはなんだ? 頭にネジでもぶっ刺して、そこに電気でも流せばいいのか?」


 手に感じる冷たい感触。パッチから差し出されたドリンクボトルを手にとり、ベンは「ああ」と生返事した。冷たい液体が喉元の熱を流す。


「話してみろ、相棒」

「チッ、なんでもねぇよ」

「つれねぇなぁ、お前のメンタルケアも俺の仕事なんだぜ」


 会話する2人の視線はToVを映す液晶に注がれ、交わることはない。


「ToVが気になるか」


 ベンがボトルの中身を確かめるように回した。チャプチャプという軽い音は、中身が入ってないことを教えてくれる。

 彼は答えない。


「すげぇよな、良く見たらチャンピオンマッチだってよ。俺たちにはてんで縁のない話だぜ。なぁ?」


 彼は答えない。


「このチャンピオンはアレだろ、連戦連勝を繰り返して異例の若さでベルトを取ったって奴だよな。挑戦者との戦いも毎回ほぼ無傷。半年後の大会も優勝確定みたいなもんだって聞くぜ」


 ベンは堪えない。


「その前座を任されたってんだからよ、俺たちも捨てたもんじゃないよな」

「オッサン」


 ミシリという、軋むような音。それはベンがボトルを握りしめた音なのか、それとも彼の口から何かが一緒に漏れ出た音なのか。


「俺がコイツの前座だってこと、知ってたんだろ?」

「ハハッ、悪いがドン底ってのは行くとこまで行くとなぁ、上を見上げる余裕すら無くなるもんだ。俺ぁ目の前の事で手一杯よ。残念だったな、相棒」

「オッサン、一度話したことあるよな。俺のココにある爆弾ってやつを」


 トントン、とベンは自らの頭を指さした。その声は静かで、だからこそ確かな重い響きを持っている。

 血の滲むような努力を重ね、輝くような夢を追い、周りに期待されていた青年の話。想像を絶するほどの鍛錬に耐え続けていた体は、ある日突然その持ち主を裏切った。

 油断もあったのかもしれない。一度アゴに直撃を貰い、負けた。その衝撃は脳にダメージを与えて、二度と戦いの舞台には立つなと言われた。

 それでも過去の夢を、リングの栄光を諦めきれず、青年は惨めにしがみついた。その成れ果てがチャンピオンとその前座だ。

 どこにでもあるような、滑稽な青年の話。


「覚えてるぜ」


 パッチも静かに答えを返した。

 二人の間に沈黙がよぎる。テレビから湧き上がる雑音だけが部屋を覆った。


「覚えてるなら、なんでヤツの前座に俺を寄越した」

「お前が腐った女みたいに、まだ根に持ってると思ってなくてな」

「根に持ってる訳じゃねぇよ。ただ……」

「ただ、なんだ」


 聞き返す声に、ベンは口を閉じてしまった。やれやれ、といった調子でパッチが続ける。


「忘れられねぇのか? リングの上が」

「……ああ。そうかもな」

「今のリングじゃ、満足できねぇのか?」


 パッチの問いかけに、ベンはフッと笑みをこぼした。


「似せて作ったオモチャで遊ぶのも、飽きちまった」

「冗談のつもりなら笑えねぇな。お前の頭の爆弾も、オモチャなんかじゃないんだぜ」

「そいつは俺が一番わかってるつもりだ。だが、それでも俺は」


 ベンの言葉がプツリと切れる。

 テレビの中で、チャンピオンの一撃が挑戦者を倒した。轟くような歓声に、ベンが目を細める。

 走ればすぐそこにあるほど近くでありながら、画面の奥にある世界は現実感に欠けるほど遠い。


「俺はToVに出たい。もう一度あの場に立ちたいんだ」


 パッチの手がゆっくりと口元を覆い、トントンと頬を叩いた。


「ま、だろうな。いつかそう言うと思っていた」


 パッチが腕を組み直す。あらわになった口元は勝ち気な笑みを浮かべていた。

 予想外の反応に、ベンがまじまじとその顔を見上げる。


「オッサン」

「なんだよ、意外か?」

「いや、そういう訳じゃないが」

「いいか相棒。お前は俺の相棒だ。お前がどうかは知らねぇが、俺はお前を選んだ」


 力強い肯定。パッチがベンの肩を叩く。


「ベン。お前、賭けは好きか?」

「賭けか? やったことねぇな。オッサンが好きなのは知ってるが」

「ああ、俺は好きだぜ。犬に馬に船に賽の目。チマチマした賭けなら何度もやってきた。だけどよ」


 そこでパッチはベンの手を取った。


「本当にデケえ賭けってのは、人に賭ける事だ。なんてったって夢がある」


 老人の細腕に引かれ、巨体が立ち上がる。


「良いのか?」

「安心安全が約束された最低限の明日、ってやつの為に今日を生きるなんてのはもうウンザリだ。お前もそうだろ?」


 パッチの声はあまりにも楽しそうだ。


「ああ。やってやる。何だってやってやる」

「わかってるな? 何度も言うが、お前の頭の爆弾はそのままだ。下手すりゃボカンで即死だぜ」

「ああ」

「お前がリングで倒れるときってのはそのままそこが墓場になるってことだ。それでも良いんだな?」

「上等。本望だ」

「二度と敗北なんて味わえないぜ?」

「元から食傷気味だ。食えっつったって食いたかねぇよ」


 ベンの顔が喜びに色づく。それを見て、パッチは優しげに口を緩めた。

 すぐにそれを引き締めて、厳しい声色を作る。


「ま、まずは目の前の仕事だな。明日もそれなりに早い。移動するぞ」

「おう」

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