私は、魔女である
「私は、魔女じゃないわ」
ベロニカは、困ったと唇をきつく結ぶ。
灰色の目は少し細く、口は小さめだ。顔立ちは悪くないが、彼女の身嗜みは最悪だった。
今も、山に籠ってばっかりで、普段より倍に膨れた茶髪を手で押さえつけていた。着ている服といえば、村娘が着るようなスカートではなく、男が着るようなズボンと厚手の服だ。
有り体に言えば、狩りに出かける装いである。
まぁ、彼女は狩りに出かけたのだから、その服は合っているのだ。手に持つクロスボウは、彼女の武器だった。
現に、ベロニカの後ろには、一体の獣が倒れていた。
獣は、熊だった。
この熊は、村の後ろにある山に住み着いていたが、畑を荒らし、家畜を襲い、人までも喰らった。よって、退治されるべきだと、判断されたのだ。
だから、村人から頼まれたベロニカが、倒した訳だが。
「倒したでしょ!?私、見たもの!貴女は魔女だわ!!魔法を使って、熊を倒したのよ!!」
彼女の前に、もう一人女がいた。
歳的には、ベロニカよりも下かもしれなく、少女というのが合ってる気がした。
彼女は、暗めの赤茶色の髪を一纏めに垂らし、エメラルドの瞳を爛々と輝かせて、詰め寄ってくる。丸い目と、大きな口、全体的に可愛らしい顔立ちをしていた。
そんな少女を必死で押し退ける。
熊を倒すため、山籠りしていたから、絶対に臭いに決まっている。
「魔女じゃない。熊を倒したのは、矢と罠」
「わな?」
「ええ、罠よ。通る先に罠を仕掛けて、トドメの一撃を刺したの」
少女は困惑しているようだった。
悪いが構っている暇はない。今から、一番大変な解体の作業をしなければならないのだ。
ベロニカは、クロスボウを地面に下ろした。そして、身につけていた袋から、大きめのナイフを取り出した。
まずは、全身の毛皮を丁寧に剥ぐ。
次に、内臓を取り出し、血抜きをする。
熊の頭、胴体、手と足に、肉を切り分ける。
思ったよりも、大きい熊に少し納得した。
クロスボウの一発目で死ななかった為、慌てて、二発目を装填して殺した。目の前で熊が迫った時は、死ぬかと思った。
記憶を振り返りながら、解体を終える。
座り込みたいが、これから、熊の毛皮や肉を持って、山を降りる必要がある。
何回かに分けて、繰り返して、家に運び込むのだが、大きな熊を見て、ベロニカは息を吐いた。
「これは、疲れる」
「わー、すごい。初めて見た」
「まだ、居たのね」
思わず睨みつけると、少女は丸い目を、さらに大きく開いた。
すると、徐に手を伸ばしてきた。
勿論、その手を捕まえ、触れてくるのを阻止したが、
「少し、見せて」
少女は囁いた。
風に乗って消えそうな声であり、氷が割れる瞬間の耳に残る音だった。
いつの間にか、手を解放しており、その手はベロニカの額に触れていた。じんわりと体温が伝わって、皮膚を超えて、頭の中まで行き渡る感覚がした。
「本当に、魔女じゃないんだ」
ハッと顔を上げた。少女は、エメラルドの瞳を歪ませて、悲しげな顔をしながら、ベロニカの肩を掴んでいた。
その表情にどうすれば良いのかが分からない。きっと、優しい言葉をかければ、良いのだが。
いや、大体、魔女なんて存在しない。
この話の流れだと、まるで彼女が魔女のようだ。
「魔女だよ」
「え?」
「だから」
赤茶色の髪を風に揺らし、胸に手を当て、歌うように告げた。
「私は魔女である」
伝説上の名前を聞いて、硬直したベロニカを前に、少女は微笑んでいる。
そのまろやかな頰に手を伸ばし、抓った。
「イタタタ!何するの!?」
「夢かと思って。あ、痛いわ」
「初めから、自分の頬で確認してよ!」
抓った自分の頬も痛く、ベロニカは夢ではないと感じた。
魔女と名乗る少女を改めて、上から下へと見る。身なりとしては、厚手の外套と頑丈そうな靴など、旅をしている格好だ。黒い服も、とんがり帽子も、ましてや長い爪でもない。到底、魔女だとは信じられない。
「魔女なんて、居ないわ」
「居るよ。私が魔女!ねぇ、信じてってば!」
背を向けて、熊の肉や毛皮を用意していた鞄に入れていく。肉は、柔らかい木の皮で包み込んだ。背負った鞄は重たく、たたらを踏まないように、足に力を入れた。鞄に入れたのは数量で、また、この場所に来なければならない。山から、熊を下ろすのは大変な作業だ。
「今日中に終わらせないと」
下山の方向に、足を向けた時だった。
「え、それじゃあ、これで良い?」
軽やかな声に、「まだ居たのか」と苛立ちながら、振り返る。
「は?」
次に下ろす為に置いていた肉や毛皮が、浮いている。
他にも骨など全てが、綺麗に浮いて纏まっていた。少女が指差す方向に、浮遊物は動き、落ちる物など一つもない。
これは、何だ。
ベロニカは、唖然として、少女と浮遊物を見比べる。
「ね?信じてくれる?」
少女は、ベロニカの顔を覗き込んだ。
勝ち誇ったような笑みだが、それに返せるものはない。間違いなく、この少女に敗北していた。
「貴女は、魔女なのね」
はぁーと漏れた息は、溜息なのか、感嘆によるものかは分からない。物語にしか出てこなかった筈の魔女に会えたことは、嬉しいのだが、大人になった部分が呻いている。
しかし、ここで重要なのが、この子を魔女だと認めざるを得ないことだ。物を浮かせるなんて、魔法以外では無理だと思うからだ。
「それで、魔女さんは、私にどうして欲しいの?」
「泊めて欲しいです!」
手を挙げて、宣言した少女もとい魔女。
どうやら、初めから宿の確保を狙っていたらしい。ベロニカは独り身であり、世話になった御老体も、少し前に亡くなっている。
だから、拒む理由はなく。
軽く頷いた後、飛びついてきた少女。その反動で揺れた浮遊物が下に落ちかけて、悲鳴を上げることになったのだった。
村から、川に沿って降り、その市場に着く。
ベロニカはそこで、熊の毛皮を売っていた。熊の骨も、東の方では薬の材料に使うらしいので、比較的に高く売れる。ちなみに肉は、自分で食べたり、村で配っている。その際、牛乳や要らなくなった服などと、交換するようにしている。
馴染みの商人たちは、昔は女だからと舐めてきたが、それもなくなった。目の前で、盗賊を殺して見せたのが、余程効いたのだろう。
「ベロニカ、今日は一人じゃないんだな。誰だありゃ」
「居候よ。はい、毛皮。矢尻と交換で」
市場では、村で手に入らないものを買う。主には、狩猟で大量に使う矢尻だ。
鉄を扱う職人が指差したのは、ベロニカの後ろだった。
そこにいるのは、山の中で出会った少女。言い換えれば、魔女。最も、最近ではこう呼んでいる。
「シルヴィア」
「ベロニカ!見て、大きな剣!こんなの扱う人いるのかな?」
「はいはい。帰るよ」
魔女であるシルヴィアは、あれから家に住み着いていた。初めての出会いから、半月は過ぎているが、恐ろしい程馴染んでいる。特段困ったことはないが、ベロニカの服を可愛く改良しないで欲しい。
詳しいことを聞けば、彼女は、自分と同じ魔女を探しているらしい。その目的で、あの山にいたのだ。
「だって、山で獣を倒す魔女がいるって、言ってたもん」
間違いなく、ベロニカなのだが、残念ながら魔女ではない。
ベロニカは、魔法ではなく、鉄の武器や火、または、毒を使って獣を倒している。技術は、親を亡くし、山の中を彷徨っていた所を助けてくれた御老人から、教わった。
今はもう亡くなったが、彼の技術は記憶の中で生き続けている。
それで、シルヴィアは次の魔女探しに行くのかと、思っていたのだが。
本人曰く、疲れた。
とのことで、ベロニカの家にいる。正しく居候であり、魔女という高尚な存在じゃない。
魔女とは、妖精とかドラゴンとかとお話しして、もっと強いイメージがある。なのに、机に突っ伏した彼女を見ていると、イメージが崩れていくのだ。
それを彼女に訴えてみた。正直に言えば、魔法が見たいというのもあるが。
「んー、魔女って言うのは、何でもかんでも出来る存在じゃないよ。魔法は代償がいるし、大掛かりなのには、時間がかかるし」
熊を浮かせたのは、髪と血を代償として、魔法を行使したらしい。世の中、便利の裏には苦労があるようだ。
疲れた疲れたと唸るシルヴィアだが、よくベロニカについて行った。市場もそうだったが、山にも付いてくるし、村を回るのも一緒だ。
狩りの下準備も興味深そうに見ていた。但し、薬を調合している手元を、覗き込んできるのは良いけど、毒を作っている時は、あまり近寄らないで欲しい。
「何で、毒を作るの?」
「ちょっと触っちゃダメ。毒は、凶暴な獣を倒す為よ。負けそうになったら、使うの」
いくつもの毒性を持つ植物や動物を混ぜ込んだ、複合毒だ。
ここで、重要なのが、どこまで弱い毒を作れるか、だ。強すぎたら、もし人間に当たった時に、殺してしまう。それに動物に対しても、全身に毒が回ってしまい、食べれなくなる。
ちなみに、毒を作っている最中に形相が悪くなるのは、ベロニカの性格故だ。作り方を教えた御老人は悪くない。今も絶対、見下すような顔をしている。
「薬作ろうよ。怖いよ」
「必要なの」
怖がるシルヴィアを宥め、すりこぎ棒を回した。
彼女は半泣きの真似をしながら、水瓶の中の水を掬おうとした。しかし、水はなかったようで、コップには、何も入っていない。シルヴィアは手桶を取って、玄関へ向かった。
「汲んでくるね!」
「一人で?村の中で、魔法は使っちゃダメよ」
「分かってるって」
懸念しているのは、魔女に対する偏見だ。
ベロニカが住む小国では魔女狩りは起こっていないが、隣国では魔女狩りが頻発している。この小さな村まで聞こえてくる話なのだ。内容も酷く、本当に魔女なのか分からないまま、火で燃やしてしまうらしい。魔女を見つける為、審問官という役職を作るなどの徹底している。
彼女は魔女だが、何も罪を犯していない。普段、魔法も使うことは少なく、見た目では魔女だとは分からない。
だけど、魔女に対する偏見は何処にだってある。
火種は、火打ち石を合わせるだけでつく。それと同じで、燃え上がるのは早い。
心配が募り、毒を作る手が止まっていた時だった。
バン!と扉が開いた。
帰ってきたのだと思い、そちらに顔を向けた。
「っ、どうしたの!?」
「ムカつく。何も知らないくせに、ムカつく」
顔には殴られた痕と、鼻血が床にポタポタと落ちた。服にも血が散っており、彼女の拳は擦りむけていた。また、乱暴に置かれた水瓶は、水が殆ど入っていないが、全体的に濡れている。
水と泥と、血に汚れた彼女は、どう見ても殴り合いをしてきたようだった。
まさか、
「魔女だってバレて、乱暴されたの?ねぇ、答えて。答えなさいよ、シルヴィア」
「うるさい」
シルヴィアは、何も言わなかった。
だが、彼女が何をしたのかは、少しして明らかになった。
家に村人達が訪ねてきたのだ。
彼女は、同じように、水を汲みにきていた青年と喧嘩になったらしい。相手の怪我は、骨折や内臓の損傷はなく、無事だった。
ただ、井戸の中に落とされかけたと聞いた時は、流石にギョッとした。
村人達が訪ねてきたのは、そのことを伝える為と、青年の怪我をベロニカに見せる為だった。村で医師の真似事をしているので、都合の良い時だけ頼られているのだ。
「ねぇ、何を言われたの?」
シルヴィアは謝罪をしなかった。青年も、何も言わなかったが、彼が何かをしたのは分かった。治療をする時、いつも胸を見てくるのに見なかったのだ。やましいことでもあるに違いない。
彼女の丸い目を見つめて、口を開くのを待った。
「山女だって、悪い魔女だって、言ったの。村から出て欲しいって、目障りなんだって」
やがて、油を垂らすように彼女は言った。
一言言ってしまえば、口が軽くなったのか、吐き出すように言葉が続く。
「ベロニカが取ってきた肉食べてるくせに。アイツらの病気も、怪我も治しているのは、ベロニカなのに。子供に文字や計算教えてるのも、赤ちゃん産むのも、麦を育てるのだって!何もかも!ベロニカのおかげなのに!」
大粒の涙をこぼして、シルヴィアは訴えた。
「何で、そんなに酷いこと言うの?あんな奴なんて」
「……、だから、井戸に落とそうとしたの?」
「良いじゃない!死んで良いのよ!!」
この子は、ベロニカより幼い。前に聞いてみたら、歳は幾つか下だった。
幼い頃から、一つの村に留まることなく、同族を求めて歩き回っていたそうだ。
同世代の子供たちと遊んだことのなく、人との関わり合いが、少ない子供だった。
「よく聞きて、シルヴィア。例え、どんなことを言われたって、人を殺しちゃ駄目だわ。殺そうとしてはいけない」
「なんで?」
「人は一人で生きていけないから。この世は善意で守られているの。善意が私たちを守っている。ならば、私たちも善意を返すべきよ」
確かに女の癖して、山に登り、狩りをし、医者の真似事をしている。それは、男の面子を潰すことで、女からも枠から外れた存在として、疎まれる。
村から、出て行けと思われているのも知っている。
それでも、ベロニカが今まで生き抜いてきたのは、村人のおかげなのだ。
彼らから、卵や麦、野菜などの食料を貰う。本や衣服だって、わざわざ買ってくれた人だっているのだ。
お礼にと、料理を分けてくれたことを、決して忘れない。
「この世界は、一人じゃ生きていけない」
「悪意を見て見ぬふりをしろってこと!?その言葉で、ベロニカだって傷つくじゃない!」
「違うわ。私が言いたいのは、善意も悪意も持っているってことよ」
料理を分けてくれた人が、「どうぞ」と言った同じ口で、「出て行けば良いのに」と言った。
人は、善意も悪意も持っていて、大事なのは、自分が困った時に、善意を分けてくれるかどうかだ。
そして、善意は、ベロニカがその人に分けた分だけ返ってくる。
「私は、そう信じている」
シルヴィアは押し黙った。何かを言いかけたが、口を閉ざして、膝に顔を埋めてしまう。椅子の上で、器用に小さくなるものだ。
それから、村人達はシルヴィアを警戒していた。
しかし、彼女は何を言われても、言い返さなかった。
シルヴィアの起こした事件が、村人たちの記憶から薄れたのは、一年が経った頃だった。
夜に、扉を激しく叩かれた。
どうやら、彼女と揉めた青年が高熱を出しているらしい。慌てて、荷物を纏めて、家を出る。シルヴィアには、寝ておくように言った。
額に手を当てて、確かめるが、かなり、熱は高い。彼の父親は教会でも祈ったとのことだが、何かしなければ治らない。体をチェックして、感染症ではないと判断する。おそらく、風邪を拗らせたのか、肺を痛めたのか。
まずい。薬草が足りない。
「ベロニカ、これ」
すり鉢の横に、置かれた薬草は、求めていたものだった。驚いて、いつの間にか来ていたシルヴィアを見る。彼女は出来上がった薬を手に取ると、人から見えないように、背中を向けて立った。思わず、ベロニカも隠すように立つ。
切った赤茶色の髪の毛が、シルヴィアの手の中で、溶けるように消えていく。同時に、シルヴィアの手のひらに光が集まった。彼女はそれを、薬の入ったコップに注ぎ込んでいく。
薬が湧きだったと思えば、色を変えた。
「出来たよ」
「これって」
「これで、助かる、から」
そうだ。彼女は魔女だった。
エメラルドの瞳が、ベロニカを見ている。次の行動を見ている。
彼女に青年を起こすように言い、コップを斜めにして、口に流し込んでいく。青年の母親が不安げに見ているが、これで様子を見るしかない。シルヴィアは、朝まで、青年が目を覚ますまで、横にいた。
結果として、太陽が顔を出し、数時間後に青年は目覚めた。まだ、身体の節々が痛そうだったが、峠は越えたのだ。
ベロニカの仕事は終わりだ。
お礼は今度するとの宣言を受け取り、家に帰ると、シルヴィアが抱きついてきた。
「あげれたかな、善意」
彼女は、ベロニカの言葉を信じて行動してくれたのだ。
あの魔法がなければ、青年は死んでいたかもしれない。所詮、医者の真似事であり、限界がある。紛れもなく、彼を救ったのは、シルヴィアだ。
「ええ。ええ!貴女は凄いわ」
溢れ出てくる幸せに、二人は抱きしめ合った。
幸せだった。
まるで、全ての前触れのように、幸せな日々を送れたのだ。
シルヴィアが、来てから三年が経ち、終わりの始まりは、一つの知らせだった。
この国が、隣国に敗れた。
よって、我々は隣国の民になる訳だが。
「シルヴィア。別の国に行った方が良いわ。あの国は、いいえ、もう、この国は魔女を許さない。私じゃ、貴女を守れないわ」
「守らなくて良いよ。それに、私がここに居たいだけだし。ベロニカが一緒に来てくれるなら、旅に出るけど。でも、恩人の家を離れたくないんでしょう?」
言葉が出ない。
我儘なことを言っているのは、分かっている。
正真正銘の魔女であるシルヴィアは、この国に居ては、危険だ。だから、逃げて欲しい。だけど、一緒には行けなかった。あの御老人の家を捨てるなんて、出来なかった。
「魔法を使わなければ、良いだけよ。それでバレなければ、いつも通り!ね!ジャム作ろ!」
「ーーー。分かったわ。だーけーど、何処かの誰かさんが木苺を食べてしまったから、もう一回摘み直しです」
「う、て、手伝ってくれることを要求します」
そうやって、ジャムを作り、鹿や熊の肉を売り、村人達と協力し合って、生活していた。何も、悪いことなんてしていなかった。神に誓って、ベロニカとシルヴィアは、何も悪いことなどしていなかった。
なのに、神様何故ですか?
扉が叩かれる。
開いた先には、多くの兵士がいた。
「聞いたよ。熊を倒せるんだって、そんな細い腕で。しかも、死にかけの人間を生き返らせた。ねぇ、君」
息が詰まる。
怖くて、怖くて、仕方がない。
押さえつける腕が震えて、奥歯が噛み合わない。
「僕は君が、魔女だと思うけど。どうなんだい?ベロニカ」
レンズ越しの目が細まる。眼鏡をかけた男が笑いながら、肩に手を置いた。振り払いたいが、状況を悪くするだけであり、何も出来ない。
ただ、今日偶然、シルヴィアを市場に行かせて良かった。
「違います。私は魔女じゃない」
かつて、彼女に言ったことを繰り返す。
「みんな、そう言うものだ。ただ、初めだけだがね。連れて行け!!」
「違うわ!違う!私は魔女じゃない!!熊を倒したのも、人を治したのも、技術よ!!」
腕を掴まれ、引き摺られる。抵抗しようとしたら、背中を強く殴られた。息が詰まる中で、男達が笑っている。
村人の取り巻きが見えるが、おそらく何もしてくれない。それでも、自分がどうなっても、これからのシルヴィアに、少しの善意を分けてくれたら良い。
視界の端の端で、赤茶色の髪が、揺れた。
横にいた男が、暴風によって吹き飛ぶ。
誰もが吹き飛んだ男を見るが、ベロニカは暴風の先を見た。
駄目だ。
それは、駄目だ。
手のひらが血に濡れている。その血が、代償として消えていく。
再度、彼女は魔法を行使する。
エメラルドの瞳を、怒りで燃え上がらせながら。
逃げて。
逃げて欲しい。
視線は集まれど、まだ武器の矛先は向かっていない。今のうちに、逃げてしまえばいい。
「あれだ。あれが、魔女だ。その女じゃない」
ロングソードを背負った、一人の男が向こうから歩いてきた。
眼鏡をかけた男を馬鹿にしたように見ながら、シルヴィアを指差す。男の言葉により、ベロニカの拘束は弱まった。眼鏡男は、逆らった彼に怒鳴り返した。
「お言葉ですが、この女の家を見てください!干された薬草、多くの書物があります!これは、呪術に使われるものに違いない!」
「繰り返す。その女は魔女ではない。貴様の雑な審問は、反吐が出る。もう黙っていろ」
ついに、拘束は解けた。振り解いて、シルヴィアの元に駆け出そうとした時、再び腕を掴まれる。
ロングソードが鞘から抜かれた。磨かれた刃が、太陽を反射して、視界に強く焼き付く。
駄目だ。
そんなこと、許さない。
伊達に、狩りをしている訳ではないのだ。
「シルヴィア!」
腕を掴んでいた男を投げ飛ばし、ロングソードの男の前に立ち塞がった。クロスボウも、斧も持っていないが、一太刀ぐらい避けれる。
威嚇で振られた剣を避けて、その手から剣を奪おうとした時だった。
顎を、鞘で打たれた。
衝撃が脳を揺らし、視界がブレた。点滅する風景は、土の色だけになり、倒れたのだと遅くに理解する。
遠い遠い果てで、少女の悲鳴が聞こえた気がした。
目が覚めると、知らないところではなかった。というか、自分のベッドだった。
顎には柔らかい生地の布が、包帯で固定されている。上から触ってみると、腫れ上がっていて痛い。
家の中は、本の位置などが変わるなどの、詮索された跡があった。
だが、何も取られては、
「シルヴィア」
シルヴィアが居なかった。
彼女を奪われた。魔女と知った彼らが、彼女をどうするのかは、獣の跡を追うより、簡単に想像ができた。
混乱よりも、怒りが思考を埋め尽くして、外に出ようとした。
「もう、起きたか」
扉を開け、飛び出した矢先に居たのは、あのロングソードの男だった。躊躇いなく、近くに置いてあった斧を構える。
日は傾き、オレンジ色の光が斜めから降ってきていた。
「落ち着け。お前が魔女ではないと、分かっている。あの審問官は、こちらが黙らせておいた」
「どうでもいいわ!!シルヴィアを返しなさい!」
「……、あれは魔女だ。火で殺し、神に許しを乞わなければならない存在だ。故に、返すことなど出来ない。まさか、惑わされているのか」
話が通じない。
この男は、本気で魔女だから、シルヴィアを殺すつもりなのだ。ベロニカは、怒りのまま、斧を大きく振って地面に突き立てる。理不尽が過ぎる男の頭をかち割りたかった。
「魔女だから、殺すの?何も、してないのに。あの子の魔法は、いつも善意で使われていたのに」
「善意だと?魔女は、悪意を振り撒く、悪しき存在だ。自分勝手に魔法を使い、人を殺す」
「違うわ。魔法には代償がいるの。自分勝手に出来るもんですか」
あの子は、滅多に魔法を使わなかった。
あの子は、ベロニカの毒でさえ、怯えるような子だった。
彼女が人を殺す?馬鹿げているにも程がある。
「貴方の過去に、何があったかは知らない。でも、シルヴィアは殺しなんてしない。あの子に悪意ばっかりあげてるのは、貴方達の方だわ!!」
言葉が届かない。目を見れば、分かる。この男は、ベロニカの言葉なんざ、聞く気なんてないのだ。
冷たい、凍えるような水面の色をした瞳が、ベロニカを写す。その声も冷たいものだった。
「明日の朝、魔女を殺す。見たくないだろうが、死ぬ直前に魔女の本性は現れる。見に来るといい。なんなら、今、俺の部下が拷問しているが、来るか」
反射的に振り上げた斧とロングソードが、ぶつかり合う。
「女にしては、いい腕だ。王都で雇ってやろうか」
「ーーー」
返事はしなかったが、男も何も言わずに見つめ合った。その後、彼は去っていった。
なんとかしないと、処刑を止めないと、死んでしまう。心優しい彼女が、何も悪いことをしてない魔女が死んでしまう。
そんなことは許されない。
そんな悪意だけの世界で、シルヴィアを置くなんて、
「明日の火刑、見に行こうぜ!」
あれは、かつて病気になって、高熱を出した青年だ。シルヴィアの魔法が、彼を救った。
魔法がなければ、死んでいたと、彼に伝えたら、処刑に反対してくれる。
「ねぇ!」
「ベ、ベロニカ、さんじゃねぇーか。魔女と暮らすなんて、オカシイぜ。アンタも火で焼かれた方が」
何かを言う彼を遮って、叫ぶ。
「貴方、魔法で助かったのよ!?覚えてない?高熱を出した時、シルヴィアの魔法が、貴方を救ったの!だから、お願い、一緒に」
一歩、遠のく。青年の足が、離れていく。怯えるように彼は、それ以上言うなと、手を突き出した。
「おい、嘘だろ。魔女の魔法なんざで、助かったのかよ。ふざけんなよっ、それ、誰かに言ったか?なぁ!誰かに言ったか!?」
彼が、何を言っているか、分からない。
「俺も、殺されちまうだろ!魔女が!この気持ち悪い!!」
あの子が何をしたと言うのだ。
命を助けなかったら、それで文句を言うくせに、助けたら、手のひらを返すのか。
なら、お前、
「死ね」
怯えた顔をした青年が走り去っていく。
『私たちも、善意を返すべき』
脳内で、馬鹿みたいに明るい声で、誰かが言っている。
悪意ばかりの世界で、善意なんか返ってくる筈ないのに。彼女の世界は、息苦しいのに、自分の能天気さを押しつけて、正しいと驕り高ぶっていた。
今はどうだ。
周りを見る。
こんなにも、悪意が溢れた世界に、ベロニカたちは生きているのだ。返ってくる善意とやらは、何処にも見当たらない。
なら、どうすればいいのか。
なら、どうやって、生きて行けばいいのか。
人は一人で生きていけない。だが、周りの善意はもうない。
ならば、生かしたい奴だけを、周りに置けばいい話だ。
真夜中、炎が煌めく。
最近は、麦の収穫が良いらしい。
馬を使った耕作が上手くいったのに加えて、牛を使って、木を倒し、畑を拡大したのだ。取れる量が増えて、村人達も喜んでいた。その手伝いをしたベロニカも、一緒にパンを食べ、成功を分かち合った。
その麦畑に火をつける。
大きく燃えるように、油を撒いて、火を放った。丁度、風上とは運がいい。村の方にも、火を放っておいたが、必要なかったかもしれない。
やがて、異変に気づいた村人達が慌てだす。
山に登り、その様子を確認していたベロニカは、村人が領主の館に行くのを見守った。
あの審問官たちは、領主の館に泊まっているに違いない。一度、狩りで怪我を負った領主の手当をしに、訪れたことがあるから知っている。牢屋があるのは、あそこだけだ。
シルヴィアはあそこにいる。
火は大きく燃え上がり始め、大騒ぎになっていた。
館から、男たちが出始めて、領主も馬に乗って出てきた。国に収める麦たちが、燃え上がっていて、大慌てだろう。可哀想に。これで、王に対する納品はなくなり、村人達の食料もなくなる。
開きっぱなしの門を見て、ベロニカは走り出した。
その姿は、闇に紛れる黒い服だ。同時に、顔にも煤を塗り、肌の色が夜に浮き上がらないようにする。
素早く、屋敷の門に近寄る。
「な」
ナイフで門番の肩を切り裂く。男は襲いかかってきたが、避ける必要なんてない。
刃には、惜しみなく毒が塗ってある。それも、殺すための強い毒だ。皮肉なことに、いつも作る毒よりも簡単に作れた。殺さないようにするという、変な気力を使わないからだろう。
白目を剥いて、泡を噴いて、彼は倒れた。
どうやら調合は上手くいったようだ。
罠や、狩りにも使わない。一切弱めていない、即効性の毒。熊も倒し、全身の肉を毒まみれにさせる。その後、決して、その肉を食べてはならない。この門番も食べちゃダメな獲物だ。
屋敷の中に入る。
ベロニカが牢屋に入れられている筈だから、鍵が必要だ。
おそらくだが、あのロングソードの男か、眼鏡の男が持っている。しかし、急がなければならない。
「ねぇ、ちょっと」
今、ベロニカが背負っているのは、クロスボウと斧だ。その斧で、召使いを捕まえる。悲鳴を上げかけた口に、拳を突っ込んで黙らせた。
「牢屋の鍵を寄こしなさい」
召使いが首を横に振る。持ってないようだ。ならば、
「誰が持ってるの?知らないなんて言ったら、殺すわ」
「あ、け、剣を持った」
運の悪いことに、ロングソード野郎のようだ。部屋も教えてくれた召使いを殴って気絶させ、捨て置く。
いや、捨て置くのは止めた。
ロングソードの男の部屋の前にて、召使いを倒れさせる。それから、ベロニカは慎重にノックした。その手には、クロスボウ。
男が出てくる。用心深いことで、ロングソードを手に持っていた。しかし、その視線は下、召使いに集中する。
「っ」
獣を殺す時に、目立つ呼吸なんてするだろうか?
落ち着いて、
落ち着いて、
確実に、
「何だ。貴方達って、熊よりも弱かったのね。怖がる必要なんて、ないんだわ」
足を穿った。足を支える骨は間違いなく、砕けた。ロングソードを手で取り上げる。掌から血が噴き出したが、なんてことない。コイツが、シルヴィアに与えた痛みに比べたら、なんてことはないのだ。
矢を番えず、クロスボウは捨てる。斧を手に取り、その横っ面を、刃の反対側で殴り飛ばした。男の歯がコロコロと転がる。
「き、貴様は」
ナイフで首を斬りつける。
目がグルリと回って、男は痙攣を始める。
服を漁ると、リングで纏められた鍵達が出てきた。ジャラッとなる鍵には、よく見ると血が付着している。誰の血なのかは、容易にわかる。
怒りのまま、男の腹を蹴った。
ベロニカは、ロングソードを持つ。何故なら、横の客室から眼鏡男が出てきたからだ。眼鏡男は、悲鳴を上げて後ずさった。
立派な剣を持ってる癖に、抜きもしないのか。
「な、何なんだ!お前はぁ!!」
男の問いに、ベロニカは固まった。何と答えれば、良いのか。狩人?女?人殺し?村の便利屋?
違うだろう。
「私は、魔女である」
ベロニカは、シルヴィアの味方で居たい。
ただ、それだけだった。
眼鏡男が悲鳴を上げる。たった二歩で距離を詰めて、ロングソードを振りかぶる。
人の頭は、熊の頭よりも軽かった。
地下の牢屋は、とても寒いところだった。毛布ではないが、マントを持ってきて良かった。縮こまって、目を閉じるシルヴィアは、鍵を開けても気づかなかった。
無惨に破かれた服も、何度も殴打された顔も、鞭の痕が残る太腿も、全てが痛々しい。
手を伸ばして触れると、ゆっくりと目が開いた。
「夢?」
「私の頬でも抓ると良いわ」
「それは良いね。前に、やられっぱなしだったもの」
爪を剥がれた手が、ベロニカの頬に触れた。抓ると言った癖に、頰に優しく触れるだけで、彼女の指先に煤が付いた。
目の奥が熱い。
まだ、泣いてはダメなのに、涙が出てくる。
「ぇ、ベロニカ?なんで、なんで、ここに」
「助けに来たの。出ましょう。人が戻ってくる前に、出ないと」
手枷と足枷を外し、熊より軽いシルヴィアを背負うのは、簡単だった。矢を番えたクロスボウを手に、館を脱出する。
麦畑は、まだ焼けていた。
村からも、悲鳴は聞こえていた。
シルヴィアはその光景を見て、何も言わなかった。村に帰らず、家に帰らず、山に突入した時に、彼女は口を開いた。
「良いの?」
「良いのよ。みんな、貴女に悪意しかあげないもの。私がずっと、守るわ」
とりあえず、国を出よう。船乗りの知り合いがいるから、海から遠くに逃げるのが、良いかもしれない。良い魔女を蔑まない優しい国を。
「そんな国ないよ」
「ーーー」
「ないの。ずっと、ずーっと、ママと歩いてきた。でも、なかったや。魔女は、死なないといけないの」
「それは嫌よ。だって」
「だって?」
エメラルドの瞳を見つめた。
炭に汚れた女が写っているのを見てから、ベロニカは歌うように告げた。
「私は、魔女である」
呆気に取られて、呼吸を忘れたシルヴィアを背負い、山を登る。
途中で、斧は捨てた。クロスボウは、流石に捨てられない。山の山頂や、反対側の麓付近には、かつて御老人が使っていた山小屋がある。
そこまでは、頑張らないといけない。まぁ、初めて登った雪山を思い返せば、楽だ。
首に回された腕が、ぎゅっと強くなった。シルヴィアは、肩に顔を押し付けていた。
「魔女なの?魔女になってくれるの?」
頷く。
「そっかぁ。ふふ、私たち、魔女だね」
本物の魔女は、偽物の魔女を歓迎した。
そうして、二人の魔女は山奥に消えていった。
畑が燃えて、村が燃えて、その有様を男は見ていた。
思い出すのは、決意に燃えた灰色の目。魔女を殺すなと吠えた彼女が、頭から離れない。
何故、魔女を許せるというのか。
さらに言えば、
「何故、魔女を助ける」
彼女に使われたロングソードを、背中の鞘に戻す。
男は、山を見上げた。
作者は、友情として書いていますが、ガールズラブに見える方もいるかもしれません。
誤字脱字がありましたら、お知らせください。
裏設定を活動報告のところに書いてあります。興味のある方は、ご覧ください。